【社会での不公平】
ヤコブを学びながら、私は限りない興味をこの人に抱くのです。人をだます男が真実な人へと変化していくその過程が、そのまま成功物語になっているからです。
ヤコブの人間としての性格の悪さを問題にする事は容易なことですが、人間の社会の中には、しばしば不公平と見られる状況が存在する事を避ける事は出来ません。
ヤコブは、双子の弟して生まれたのでした。それは、欲しいものが多くあるのに、彼には生まれつきさまざまの制約があったということでした。しかも、それは彼にとっては変えようのないものでした。
彼は、どちらかというと気が弱くて、母親にまとわりつくタイプの子どもでした。それにくらべて、兄のエサウは快活で、野性的で父に愛されていました。
それよりも決定的な事は、双子の弟としてヤコブが生まれてしまったことであって、その時代、兄には長子としてのすべての特権が生まれつき与えられていたということです。父の財産も、名誉も、権力も、兄エサウには黙ってついてくる約束になっているのです。
このことは、ヤコブが成長するにしたがって心の負担になり、表現し難い嫉妬の種となったことは想像できる事です。
ヤコブは、神を信じていました。しかし、ほんの一瞬の誕生の差が、自分の運命を決定してしまうことは、彼には納得のできにくいことであったのです。
しかも、その価値を自覚せずに無頓着に生きているエサウが相続者であり、欲しいと心から願っているヤコブには与えられないと知ると、ヤコブにしてみれば、自分の知恵を絞り出してでも、策略を用いる以外には方法がなかっただろうと同情したくなるのです。
策略を用いてでも、と考えたヤコブにくらべると、あまりにも多くの現代人は、人生の戦いを始める以前に戦いを放棄していると考えるべきでしょう。現代でも、ヤコブに似た条件はいくらでも私たちの周囲に発見できます。
すなわち、男女の差別、出身校の差別、さらに金持ちに生まれるか、貧乏人に生まれるか-など、そのことで神は不公平である、と愚痴を言う人もいるほどです。
人間の社会では、それらの条件が明らかに人の生涯を左右し、それが当然のこととして受けとめられ、ただ金満家に生まれたばかりに社長となって、それを自分の力だと思い上がっている人もいるし、反対に、自分の不幸を恵まれない環境の責任にして、自分の努力を放棄している人々もいます。
しかし、ヤコブ物語の偉大さは、神の世界ではまったく違った展開になることを示しているのです。
それは、人間の差別、資格などは全く関係なく、神はご自身をさがし求めるものを祝福されるということであって、神は彼に顔を向けるものを突き放されないということなのです。
それは、決して、ヤコブの悪い性格、欠点をそのまま受け入れるということではなく、ヤコブの人生のさまざまな試練、訓練を通して、神は彼を時間をかけて作り変えられて、最終的には、祝福に導いてくださるということなのです。
ヤコブの成功物語は、双子の兄エサウとの対決の中から見ると明確になるので、ここではそのことを記憶の中に入れて話を進めましょう。
ヤコブの押しの一手1