【神に聞け】
サムエル自らがイスラエル王国の王として選んだサウルは、やがて優れた政治家として成長し、遂に民族統一を果たして王国を確立するのです。
しかし、王となったサウルは、高慢になり、傲慢になってゆくのです。
王サウルの精神的動揺に連動するかのように、サムエルの心も大きく動き、彼は苛立ちと悲しみを感じるようになるのです。
イスラエルの王を自らが選んだ責任を痛感するサムエルは、新しい王をさがすために腐心するのです。
彼は、ベツレヘムに神に導かれて出かけていき、エッサイの息子たちに出会って、新しい王となるべき候補者をその中に求めるのです。
エッサイには八人もの息子がいましたが、いずれ劣らぬ立派な青年たちでした。
感覚的に人の表面だけに目を奪われていたサムエルは、その中の一人、エリアブを見たとき「確かに、主の前で油を注がれるものだ」と思ったのです。その瞬間、彼に神の声が聞こえてきたのです。
「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る」(第1サムエル16:7)
それは、サムエルの若い日、彼の耳にとどいたのと同じ神の声でした。
彼は、この神の声に目の覚めた思いで、野原で父エッサイの羊の世話をしていた末の息子ダビデを選ぶように導かれるのです。
それは、彼の魂の中に響く神の声に素直に応答する信仰が健全であった事を証明するものです。
ここに、スケールの大きな使命感と、それを与えてくれた天の声に忠実なものがたどるべき成功人生の縮図があります。
一人の成功者の人生に、すべての幸運が味方したと考えるのは間違いです。
サムエルも、自らが選んだイスラエルの王サウルに手を焼き、さんざん悩まされているのです。
サムエルは、王サウルに大して、彼の失脚を宣言しなければならない苦しい立場をも経験するのです。
自らが選んだ王に、自らがその失脚を宣言しなければならないのは、自らの失敗を認めるに等しい事です。
しかし、天の声に忠実なサムエルは、鉄の意志をもってそれを通しぬくのです。
イスラエルとアマレクの戦いのとき、王サウルは、預言者サムエルを通して語られた神の命令に背いて自分勝手なことをするのです。
サムエルは、「あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた」と宣言します。
王サウルは驚いて、サムエルの上着の裾をつかんで、それが裂けるほど引き止めて許しを乞いますが、サムエルはことばを変えることがなかったのです。
今日の混沌とした社会の中にあって、私たちの考えを狂わそうとして氾濫する情報の渦の中で、私たちの人生目標も方向を見誤る可能性がいくらでもあります。
この中で、自分に与えられた使命のために天よりの声をはっきりと聞けるものを、社会と国家は必要としているのではないか、と思うのです。
使命感に燃えつつ、神の声に聞き従う者には、偉大な成功の道が開けているのです。
サムエルの燃える使命感4