【強固な目標設定】
預言者サムエルが出現したのは、イスラエルの歴史の中で、いわゆる士師(さばきつかさ)と呼ばれた人々の時代の末期でした。サムエルは、部族の集合体に過ぎなかったイスラエルに王国をもたらした中心人物でした。一人の人間の誕生は、決して降ってわいてきたようなものではありません。そこには、歴史的、人間的なさまざまな要素が介入してくるのです。
サムエルの誕生は、まさしく、一人の女性の強烈な思いの中に目標設定されていたといっても過言ではありません。サムエルの父エルカナには2人の妻があって、ひとりの妻の名をハンナといい、もうひとりの妻の名はペニンナといいました。ペニンナには子どもがありましたが、ハンナには子どもがなかったのです。エルカナはハンナを愛していましたが、子どもに恵まれなかったのです。
2人の妻が同居していれば、そこに人間的な醜い心の葛藤があるのは当然のことであって、二人の女の心の中には燃え上がる嫉妬の炎が渦巻いていたのです。ハンナを憎むペニンナは、ハンナが子どものできない事を気にしているのに、いよいよハンナのいら立つようなしぐさをしたと聖書は語っています。
今日の学問的研究によると、子どもが母の胎内に宿った時から、その親の生活の全ての状況は生まれてくる子どもに、様々な影響を与える事が証明されています。無責任な立場の中から産み落とされた子どもは、多くの不幸を背負っているといえるでしょう。その反対に、明確な目標意識の中で、期待されて世に生まれてくる子どもたちは幸福であると言うべきでしょう。
ハンナは、女性としてどうしても子どもを産みたいとの願いを消す事が出来なかったのでした。彼女は、神に誓願を立てたのです。これは強烈な目標を掲げて神に訴えることを意味しますが、聖書によると彼女は主に祈って激しく泣いたとあります。
「万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を主におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません」(第1サムエル1:11)
この彼女の祈りの中には、彼女の目標が実に明確に語られているのです。彼女は、男の子を与えられたいと切望したのです。そして、その子どもは、神に捧げられるものであって、神のために奉仕するものなのです。そして、その子の頭に、かみそりを当てないと祈っているのは、ナジル人の誓願と呼ばれるもので、自発的な誓願によって、自らを特別な状況においたナジル人がいたところから、神への聖別、献身の具体的なしるしとして、ぶどう酒と濃い酒を断つこと、聖別の期間中、髪の毛を切らないこと、そして死体に近づいてはならないことなどが定められていました。
ハンナは、生まれてくる子どもに代わって誓願を立てたのでした。サムエルは、こうした母の強烈な祈りの中の目標設定によってこの世に生まれてきたのでしたそして、母の決断で、幼くして妻子エリのところに預けられたサムエルは、神に仕える修行をはじめたのでした。
サムエルの燃える使命感1
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