【真剣な人生】
故郷に帰ることは、ヤコブにとっては甘い事ではありませんでした。それは、彼をうらみ殺そうと決心していた兄のエサウがいるからです。しかし、彼は恐れつつも出発します。兄との出会いに対する恐怖は、打ち消してもなくなりません。彼は、自分の失敗をどうしたら赦してもらえるか、必死になります。
ここでも、彼の本性が頭をもたげて、彼はさまざまの手段を使います。それは、贈り物で相手の気持ちをやわらげることでした。彼は、自分の一族郎党、家族、財産を二手に分けて、妻子や自分は、一番後から行くようにして、兄が攻撃をしかけてきた時に、自分と妻子だけは逃げれるような方法を考えるのです。
そうして、全てのものを先にやってから後、彼はヤボクの川にさしかかったとき、不安にかられて、一人で神に祈るのです。その夜、彼は、祈りの中で神の使いに出会い、一晩中、心の中の不安と恐怖を取り除くために神に祈りつづけます。それは、正しく祈りの戦いだったのです。
こうした祈りは、多くのクリスチャンが実際に経験するもので、あるものは断食で、あるものは徹夜で祈るのです。夜が明けようとする頃、その場を去ろうとする神の使いを、彼は放そうとしません。彼は確信と祝福を手にしない限り放せないし、祈りをやめられなかったのです。
執拗なヤコブに根負けした神の使いは、ヤコブのももの関節を打ちます。ヤコブは足の関節がはずれてしまいます。しかし、そこまであきらめずに祝福を求めるヤコブに神が祝福として与えたのが、イスラエルという名前だったのです。今までのヤコブ=押しのける者という名が、イスラエル=神の皇太子という名に変名されるのです。ヤコブの死んでも神の使いを放すまいとする熱心な祈祷、ももの関節がはずされても神の手を離すまいとする神に対する熱心な祈りによって、彼の性格は変えられてしまいました。それは、名前が変わるほどのものだったのです。
あれほど自己中心で、欲張りで、策略をめぐらす男が、神中心の人間に変えられるのです。もう、彼は、神以外の何ものも恐れなくなっていました。彼は、まず、兄に対する悔い改めの気持ちを誠実に示しました。すると兄は、両腕を広げて彼を受け入れてくれたのです。二人の再会の涙は、すべての恨みを流し、喜びに変えられてのでした。こうしてヤコブは、故郷に錦を飾る事ができたのです。真実な神との出会いを持たずに、人生の成功はありえないということを、信じたいものです。
ヤコブの押しの一手4