マクラ:
●「明日 Tool の話をしよう」と思って寝たら夢の中にメイナード・ジェームス・キーナンが出てきた話
●Tool や A Perfect Circle の曲は、同じ半音昇降フレーズでも完全五度・短6度かルート・短2度かによってモーダリティの意味合いが異なり、その半音フレーズを使用したヴォーカル主体の調性拡張を行うことが多い
●ギリシア由来の9拍子パターン “Karsilama” で『Jambi』を唄ってみよう
●Tool の楽曲を聴いて「中東っぽい・インドっぽい」と軽々しく考える人たちは、そのリズムやモードの名前までちゃんと特定したうえで言ってください
●漢語・英語・日本語の構文特性を踏まえたうえで、メイナードの文体の特異性に言及する
本題:『Fear Inoculum』歌詞読解
●主話者と「詐欺師」1対1の差し向かいだったところに「第3項」が介入する。その瞬間に “Inoculated” が宣告される
●メイナードは自作の詞中で「世の好ましからぬ精神性を代弁する」ことがあるので、『Fear Inoculum』の「詐欺師」も本当に追い払うべき存在なのか確定できない(カヴァフィス『野蛮人を待ちながら』が反転したようなテーマとして解釈しうる)
●ヘイトスピーチや排外主義に流れてしまうのは、他者を怖がっているのではなく、むしろ恐怖に直面し外部の存在への抗体を獲得することを避けてきた人間たちである
●「自分の中にある他者への恐怖を削除し、同じくらいまずい状況にある他者をも避難させる」という『Fear Inoculum』のテーマは、『わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)』第6〜7巻と全く同じである
●「強くて賢い他者と向き合う」こと無しに優れた世界など生まれるわけがない
●排外主義やレイシズムを問題視するふりをして・実際にはそれらの問題を大事に保存する役割を果たしているだけの者は、内部に蛆や蝿が沸いた冷蔵庫と同じである。自分の「詐欺師」に絆されるな。まさにその、他者たちへの恐怖を削除し・他者の存在自体は助ける術を教えてくれるのが『Fear Inoculum』である
関連稿:
https://note.com/integralverse/n/n8a624b29b88c
https://note.com/integralverse/n/n91739a412c60
https://note.com/integralverse/n/n69425e7596e5
関連動画:
https://www.youtube.com/watch?v=_Spl7dR5Y68
https://www.youtube.com/watch?v=gunO6hMKO5w
◎『わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)』原作ノベルに蔵されている凄まじいポテンシャル(とくに照沢耀子と梨地姉妹のアークが交わる可能性)について
◎映画『聖なるイチジクの種』、その全方位的弱度を徹底的に批判する
◎国家に奉仕する「家父長制」なるものは、そもそも男女双方の共謀によってしか維持され得ない。現にイスラームの規範からすれば、国家主義への黙従は性別問わず有罪である。そして『聖なるイチジクの種』での妻は夫と同程度に体制順応的かつ抑圧的である。にも拘らず、『聖なるイチジクの種』を観た者は「家父長制」への二分間憎悪的ヒステリーによって、妻のほうも(夫と同様に)負っていた罪禍の所在を見過ごしてしまっている
◎スティーヴ・マックイーン監督映画『ハンガー』と比較すると、『聖なるイチジクの種』の映画的瑕疵が際立つ(閉じ込められた体を処罰する側の当事者性が、映画本編に組み込まれていたか? の検討)
◎宇多丸のラジオ番組『アフター6ジャンクション』に寄せられた、リベラル気取りのくせに偏見まみれで映画本編の意味すらろくに取れなかったリスナーたちのメール内容をファクトチェックする
◎他者の味方ヅラしたリベラリストは、「家父長制」とやらの打倒をスローガンとして掲げ、他所の共同性を誤射し続ける
◎『聖なるイチジクの種』には、イスラームの統治に基づく用語が(日常会話のレベルですら)殆ど出てこない。その縮減された設定が、最終的にはこの映画で扱われているテーマを「イラン社会での問題」から「凡庸な家庭劇」にまで弱体化させてしまう
◎『聖なるイチジクの種』後半における「辺境での自閉」は、『007 スカイフォール』の脚本と同レベルの個人心理学的退行である。それは同時に政治性の削除をも招来し、この映画で扱われている問題を「イラン社会全体のもの」から「あくまでこの家庭の内部にあるだけのもの」にまで矮小化してしまった
◎「“国家の内部で抑圧者として働く男の妻” としての社会的ステータスを全く疑わない」有罪性を指摘しないというのは、他ならぬイランの社会で生きている女性たちに対する差別的な態度である(「家父長制」に対する憎悪が自己目的化した自称リベラリストやフェミニストたちは、イランで生きるムスリマの当事者性を無視する自身の態度が抑圧者側と同様であることにすら気づけない)
◎イラン国内での死刑処断に加担している父親の具体的な様子が出てこないため、結果的に男性側の有罪性も甘やかしてしまっている(これこそがイスラームのフェミニストにとって最も許すべからざる要素)
◎以上すべての要因によって、『聖なるイチジクの種』はイスラーム的な強さ/国家主義的な強さ いずれも備わっていない、政治的に無力な作品になってしまった
◎『聖なるイチジクの種』程度の映画を元手にして「抑圧されているイランの人々」について語るなら、それはオリエンタリズムに基づく自文化中心主義である(その態度は非ムスリムのイラン人である Farya Faraji 氏が厳しく批判している)
◎宇多丸と、その番組に嬉々としてメールを送ってくるリスナーたちのような精神性の持ち主に言っておく。後先考えてくれませんか? 他所に迷惑をかけてはいけないと教わりませんでしたか?
◎結論:『聖なるイチジクの種』で取り扱われているテーマは、現在のイラン政府が抱えている問題の中心を射抜けるはずだったのだが、映画の後半でこの家庭だけの「自己責任」「自業自得」の話に縮減してしまったため、本来持ちうるはずだった政治的力能を全く失ってしまった
◎ライアン・クーグラー監督映画『罪人たち』の批判まではさすがにしない(あらゆる文化凋落の極みのような映画。アフロアメリカン当人が自身の共同性に属する音楽をあのように扱ってしまったという事実は、サンダーキャットやフライング・ロータスのような「日本のアニメ大好きアフロアメリカン」の問題系から『アメリカン・ユートピア』の無批判な好評にいたるまで、USA国内におけるアフロアメリカンの愚劣さ、そのすべての決定的帰結である)
◎自身の共同性すらまともに持てないような者が、他所への心配なんてできるわけもない。似非リベラリストたちは二度と他所に迷惑をかけないよう勉強してください
関連稿:
https://note.com/integralverse/n/nce3222e1e402
https://note.com/integralverse/n/n69425e7596e5
◎生まれて初めてライトノベルの本を買いました
◎仮説「甘織れな子とロッキー・バルボアは同じタイプの主人公である」が本編の内容自体によって証明された話
◎『わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)』では重要な conversation が action になる
◎『わたなれ』原作第4巻讃:他者と意志の伝達をはかるときと同じ手段によってしか自らとも通じ合えない(小柳香穂さんが自分と他者の両方にかけていた「暗示」について)
◎『わたなれ』原作第5巻讃:対立はどのようにして成立するか(『スリー・ビルボード』的でさえある、人間関係摩擦エスカレート描写の見事さ)
◎他人の物語を一方的に負わされる側の苦しさ(王塚真唯に負わされている社会的な役割が大きくなるにつれ、「スパダリ」的な振る舞いが鳴りを潜めていく)
◎『わたなれ』原作第6巻讃:登場人物を一人も無駄にしない(あの妹の同級生たちまでもが主要キャストとして本編に動員されるなんて、誰が予想できたろうか)
◎なぜ琴紗月さんが同級生の身体をいきなり洗いはじめたかというと、幼い頃にお母さんがそうしてくれたからでしょう
◎『わたなれ』が則っている心と体のぶつかり合いのマナーは、ガチムチパンツレスリングと全く同じ
◎『わたなれ』のような作品が当たり前になれば、「もはや女性の肉体(特に裸体)に値札がつかなくなる世界」が到来しうる
◎我々は今まで寿司を食べていると思ってきたが、実際は皿を齧っていただけなのかもしれない
◎『わたなれ』は単一の性の関係にのみ興味を限定しているわけではない(からこそ主人公は今のところレズビアンの自認を持っていないし、男の子の同級生も個人として魅力的に描かれている)
◎次回予告:Tool 『Fear Inoculum』歌詞読解(『わたなれ』原作第6〜7巻のテーマは『Fear Inoculum』と同一である)
関連動画:
#わたなれ #わたなれアニメ
マクラ:
◎マスタリングとは如何なる作業か(マスタリング用プラグインはマッチング用アプリではない)
◎音量を上げると解像度が下がる音源って何なんだよ
◎『All Along The Watchtower』なんか、 Jimi Hendrix の演奏の中では全然凄くない方だよ
◎「絶対音感」持ちの人の苦労を考えもせずに、その特性をマンガ的天才のように持て囃すのをやめよう(その点、『アイカツスターズ!』における白鳥ひめの「絶対音感」持ち設定の精密さは本当にすごい)
本題:ゲイであるこの私が『わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?) 』を絶賛する
◎タイ出身のマッサージ屋さんがすごく素敵だったのでタイのBLドラマを観てみたらあまり良くなかった話
◎東横INN新宿歌舞伎町で観る『ニンジャスレイヤー フロムアニメイシヨン 』は格別ですよ
◎ゲイセンサーを備えた者特有の同族嫌悪(それは一目惚れの証でもある)
◎何故ノンケのメタルヘッズは、 Paul Masvidal と Sean Reinert がゲイであることにすら気づけなかったんですか?
◎Cynic, Gregory Markopoulos など、こちら側からすれば「間違いなくゲイ」な存在ばかり集めて耽溺していた10年前の私(そして齊藤路蘭さんへのシャウトアウト)
◎私は「女性しか居ないのにその場の空気がBL的になっている」という状態が大好き
◎↑しかしそれは「男側が男側のモノソーシャリティを女性側に負っ被せて楽しんでいる状態」とは全く違う
◎『わたなれ』公式サイト所掲イラストレーションに顕れているジェンダーニュートラル性についての分析
◎「一緒の方向に落ちて一緒に濡れる」というのは、想いあう二人にとって究極の体験ですよ(『X-ミッション』の男二人がそうであったように)
◎『わたなれ』第3〜4話讃:本当に「友達が増える」ってこういうことなんだよ
◎『わたなれ』第10〜11話讃:姉としての勤めに疲れた人を思うさま退行させてあげる主人公(←すごいイケメン)
◎甘織れな子とロッキー・バルボアは同じタイプの主人公である
◎洋楽ナマモノヤオイ今昔
◎着実に自滅への道を歩んでいる Sleep Token(ファンが猫耳BLファンアートを描いてしまうタイプのバンドに未来は無い)
全編: https://www.patreon.com/posts/parvanekababan-9-139491676
関連動画:
https://www.youtube.com/watch?v=o4p_e37cuhY
マクラ:
◎「忙しすぎて、右手首に生えている長めの毛を抜く暇すらなかった」
◎20年代は「今から何をするか」ではなく「今まで何をしてきたか」を問われる時代ですよ(100年前も今も)
◎何不自由ない環境で育ったくせに自分を少しワルく見せたいとでも思っているのか汚い口語表現を積極的に使いたがる輩について
◎日本の Steven Wilson ファンが誰も気づいていない事実: Adam Holzman の言葉遣いは汚すぎる
◎Steven Wilson は音圧戦争の頃に代わる音像の美しさを未だに生み出せていない
◎ドラムバスにコンプレッサーをかける際の注意点
◎自分を救えないアーティストは観客も救えないし、そして自分を救えない観客はその解決不可能性をこそ求めて作品を消費しにやってくる
◎「フランス現代思想」、とくにレヴィナスをぬる〜く受容してる人たちは、やたら〈いま・ここ〉って言いたがるよね
◎中途半端に哲学的で、中途半端に一神教的なやつら(に手加減をしてやる必要はない)
◎自分のクリエイションを順調に進めるための秘訣=全然クリエイティブじゃない人のポッドキャストを(夕食の準備中に)聴く
本題:彼らはあなたのオカズではない
◎Sleep Token は内面凝視と自分語りの誘発装置
◎Sleep Token のメジャーヒットと、シャロン・オズボーンによる Kneecap 罵倒の件は、関係しているどころではなく、全く同じ根から生えた事象である
◎Sleep Token の彼ほど酷いドラマーを見たことがない(アマチュアですら使いこなせている、ドラムスの打音における反発利用の解説)
◎Sleep Token の熱心なファンたちよりもむしろ、ドラマーの肉体性を当然に理解している私のほうがあのドラマーのことを心配できている(そもそも「熱心なファン」は内面凝視だけを求めて音楽に喰いついているため、ミュージシャンへの実際的な配慮などはそもそもできない)
◎藤井風さんが対処しなければならない問題:母性の行き場を失っているスピリチュアルな気のある30代以上の女性から寄せられる、きもちわるい情念
◎藤井風さんと Sleep Token の共通点:ファンが動画につける絵文字がきもちわるい
◎ダメなファンのせいでアーティスト側まで引き摺り下ろされた例=星野源
◎「ぴえん」を政治に持ち込まないでください
◎政治性を勘案できない者は必ず「自分の気持ち」の話に逃げ込む
◎その人の存在自体ではなく、その人の仕事が可能にした物事を愛し、称賛するべきなのでは?(普通に発達した大人どうしの表敬として当然のマナー)
◎Farya Faraji 氏のレクチャー動画『The Dark Side of Orientalism』を是非とも見てください
全編:https://www.patreon.com/posts/bi-radioga-18-9-138286780
関連稿:
「自分の痛み」を唄ってはいけない (radioGA 13: 2025 2/11)
●前回の『教皇選挙』脚本分析 補遺
●私がレイフ・ファインズをエディ・マーサンと間違えた理由(男爵家の末裔と労働者階級出身俳優との違い──カトリックの枢機卿役でいいとこの息子なんか出してんじゃねえよ)
●ニール・ジョーダン『クライング・ゲーム』(『ぼくのエリ』と同じく、登場人物の股間を写すことに脚本・設定上の必然性がある映画)の名前を出し忘れた件について
●そもそもさ、ヴィンセントに「ああいう設定」を当てこんだのなら、世界中オーディションしてでも「ああいう身体」の役者を探してキャスティングしろよ(現時点でのカルロス・ディエスは少なくとも如何なる意味でのセクシュアルマイノリティでもない)。『クライング・ゲーム』のジェイ・デヴィッドソンはちゃんと「ああいう心と精神の人」だったろ。ジェンダー多様性とかなんとか言ってるけどさ、『教皇選挙』は90年代に作られた『クライング・ゲーム』より明らかに後退してるぞ
●宗教と政治に関してリベラルな映画だって言うんならさ、股間くらいちゃんと映せよ。性的搾取の意図がない・脚本上の設定に要請されたものなら何の問題もなかったろ
●結局、『教皇選挙』はその脚色によって「ヴィンセント的肉体の持ち主」と「カトリックの政治性・当事者性」の両方に無礼を働いてしまった、二重の意味でダメな映画
●鹿児島の人間は全員ゲイ(女性もゲイ)
●『ショップリフターズ・オブ・ザ・ワールド』(2021年:スティーヴン・キジャック監督)は、The Smiths をオモチャにした一連の映画群(『500日のサマー』や『イングランド・イズ・マイン』)とは一線を画す傑作
●真のThe Smithsファンは「The Smiths が好き」なんて言わない
●20世紀のポップカルチャーで成功したアイルランド系イングランド人は必ず老害化する
●ヘンリー・ロリンズとモリッシーとの間に多く見出される(しかし20世紀的な観点からは見過ごされていた)共通点の数々
●メタルヘッドのラジオDJと死にたがりの18歳との対話、その過程が懺悔室の中での告解のように映る(しかも、聞き役のメタルヘッド側も音楽と人生にまつわる対話を通して徐々に癒されてゆく)。その2人が初めて相互的な理解の入り口に立つきっかけは、なんと「菜食主義」である
●お互いの人生の対話を通して、罪が贖われ、悪魔が祓われる。本当のカトリシズムってこういうことじゃないの? おい、『教皇選挙』なんか褒めてた人たちよ
●コロナ禍真っ只中に発表された映画だからか、中途半端な受容と評価のされかたのまま放置されている
●自殺を考えたことがある人は、(音楽嗜好の別なしに)全員見てください
全編: https://www.patreon.com/posts/shiyotsupurihuta-126854678
関連稿:
https://note.com/integralverse/n/n7b3fad4c6a0a
https://suspectpress.com/2019/01/16/the-hypocrisy-of-loving-morrissey-while-hating-henry-rollins/
https://www.theguardian.com/music/2016/jan/06/henry-rollins-spoken-word-morrissey-congress
●『Tinker Tailor Soldier Spy』は21世紀映画の『ユリシーズ』である(ことについて今さら説明の要などあるわけがない)
●『教皇選挙』冒頭から露呈する音貼りのマズさ(本編の音をうるさくする映画監督には得てして才能が無い)
●「リベラルな一神教」への批判のしかたが(図らずも)適切にはなっている(そもそも「リベラル」は「保守」への逆張りおよび反動でしかないだろう? という批判は、USA的なリベラリズムに的を絞って放たれた矢玉として正確)
●カトリックは身内に癌細胞ができればできるほど強くなる(トランスセクシュアリズムもフェミニズムも、元からカトリックの中にあるんですよ)
●ピーター・ストローハンの女性観復習(THE FUTURE IS FEMALE)
●(頻繁に起こることとはいえ、)まさか私の誤読の内容の方が面白かったとは(『教皇選挙』ラストの、ヴィンセントにまつわる「ツイスト」が如何に拙劣で、なおかつ脚本上の意外性としても不発のまま終わっていたか)
●最も有効な箇所(ヴィンセントの「男性性」)に爆薬を配置することに失敗し、どうでもいい細部の描写(亀と修道女たち)で中途半端に終わる、この脚本の煮え切らなさ(に言及すらできないのはさすがにマズいでしょ世間の「映画語りたがり」の皆さんよ)
●「実は、あの人はAではなくBだったのだ」式の脚本術(←ストローハンの得意技。『フランク』では『アマデウス』が及ぼした悪しき影響を音楽映画史上から消去するほどの成果を挙げたが、『教皇選挙』のヴィンセント・ベニテス周りでは擁護の余地がない失敗に終わった)
●世界中のカトリック信徒たちに訊きたいのですが、なぜあなたがたは「ムスリムから自分たちの宗教行事を襲撃してもらえる」と思ってるんですか?
●キリスト教世界が抱えるイスラーム世界への被害妄想(その代表例はもちろんレコンキスタと十字軍)を、「数学のテストで33点しか取れない人と100点取れる人」の例で説明する
●実際にカトリックの修道女として生きておられる方々は、『教皇選挙』劇中における「シスター」なるものへの「リベラル」な描写を見せられて、「ずいぶん過小評価されていますねぇ我々は」と思うでしょうよ
●結論:映画『教皇選挙』なんかよりも史実におけるカトリックのほうが数億倍面白い(アビラのテレジアや十字架のヨハネの存在すら知らない連中だけが迂闊にこのような映画を褒めるのだ)
全編:
https://www.patreon.com/posts/sutorohan-shuai-126458473
関連稿:
https://note.com/integralverse/n/n20805ba15f21?magazine_key=m3ccb3aa90c34
https://note.com/integralverse/n/n3285fe7f42cb
https://note.com/integralverse/n/n9f1bbd65aaee
https://note.com/integralverse/n/nd9962ed95a2d
https://note.com/integralverse/n/nce3222e1e402
https://note.com/integralverse/n/n612444b4f87e
https://note.com/arcavir/n/ndb1ea50ead99
↑“この映画が性分化疾患の人が実際に遭遇する困りごとにもあまり興味がなさそうなのが気になる” ・ “良くも悪くもこの映画はカソリック教会の盤石さ、あるいはヤバさを舐めている” など、筆者が『教皇選挙』脚本に見出した問題点の数々が剴切に言及されている。「面白い」と好意的に接したうえでここまで良心的に評しうる慧眼はまことに得難い。すでに多くの高評価ボタンが押されているが、この映画に関して寄せられるべき基本的な問題点の数々が整理された批評文としてより広く読まれることを望む。
https://note.com/tunacan/n/n2de53476c926
↑逆に、この評者は一神教の歴史性・政治性を一顧だにせず、驚くべきことに “思い通りにいかないのはローマの枢機卿も日本のサラリーマンも変わらない” とピューリタニズム的「職業意識」の単色でこの映画に備わった具体的問題点の数々を塗りつぶしている。普段から作品自体の他者性を無視し・専ら自己愛的にのみ受容する嗜癖に慣れ親しんでしまった者には、『教皇選挙』のような(悪い意味で)興味深い映画もこのように自己の「内面」とやらを慰撫するためのものとして映ってしまっているのだろう。という具体例としてまことに興味深く、筆者が評中で述べた「(ストローハン脚本は)近代的な “多様性” への配慮には特化しているがカトリックの歴史性に言及しようとした途端に筆が鈍る」特性を全く別の方向から裏付けてくれているとすら言えよう。この評者の、いつもながら反面教師としてのみ参考となる筆業への感謝とともに紹介させていただく。
5/7(水) Uz Jsme Doma Japan Tour 2025@福岡UTERO
https://www.patreon.com/posts/parvane-yan-zou-125912746
OP/18:30 ST/19:00前売¥2500/当日¥3000(+1drink order)【CAST】Uz Jsme Doma(チェコ) / 半元気 / Please in the morning / Parvāne (19:00-19:30)
●『封神演義』的な「殺劫」の観念(それは個人の身体感覚の中にさえ存在する)
●「キャラクター」の原義 “χᾰρᾰκτήρ”, それは「刻印されたもの」を意味する。親権者から出生登録を出された個人も、作品内の登場人物も、 自分以外の誰かによって人為的に「刻印された」者という意味では全く同じである(し、『ドン・キホーテ』すら読まずに「メタフィクション」を論じちゃう人の不勉強ぶりはほんとに恥ずかしいですよ)
●極右政党のネーミングセンスについて
●とある宮崎出身の「カルト芸人」さんを足がかりに
●福岡のロックおじさん=この地上で最も醜い人種
●21世紀における「カルト的な存在」の定義とは、「検索してもヒットしない存在である
●「ひっかかりスピノザ」
●姓のみ/名無しで活動している芸能人=逆天皇
●ところで皆さん、好きな天皇いますか? 私は大塔宮が一番好きですね
●ベッキーさんは名前だけで活動している。そして苗字が無いことを疑問にすら思われていない。ということは、ベッキーさんって天皇なんじゃないですか?
●『映画ドラえもん のび太の地球交響楽』に込められた音楽的=政治的まずさを批判する(有料世界で)
全編:
https://www.patreon.com/posts/125842388
関連稿:
https://note.com/integralverse/n/n37f615c6de1b
https://note.com/integralverse/n/nbb85ae3e930d
◎マクラ
●いまマット・アルト著『日本は文化戦争への備えができていない』の内容を好意的に引用している人たちは、いつか必ず赤っ恥をかくことになりますよ
●なぜアニメやマンガが “あらゆる政治傾向の人々にファンを見出してきた” かというと、それは日本のマンガ作品(とくにBLや百合などの同性愛表象が含まれているもの)には、あらかじめ政治性が含まれていない(削除された商品だ)から
●中沢啓治やトッド・ヘインズや田亀源五郎などの例から論じる、当事者性に根差した政治的作品たちの(極めて貴重な)存在
●↑とは違う、政治性が削除された、気安く悪酔いできるストロングゼロ的作品が市場の大半を占めているのが日本国の実状である
●デンゼル・カリーの無知かつ無邪気なアニメ礼賛を批判する(20世紀カンフー映画と21世紀ジャパニメーションは全く違う)
●フライング・ロータスやサンダーキャットは「もはや政治的ではない世界宗教」の聖典を求めていて、それがアニメやマンガなのである(前世紀におけるコルトレーンの迷走ぶりの、凡庸かつ退屈極まりない変奏)
◎第2題:学園祭のケンドリック・ラマー(第59回NFLスーパーボウルのハーフタイム・ショーにおけるパフォーマンスを徹底的に批判する)
●アマチュアを卒業するための最低条件=仕事を頼んだ相手に得をさせてあげること、さらなる能力を引き出してあげること(ケンドリックはダンサーたちに対してそれすらできていない)
●弾性のかけらも無いが、その一方で『アメリカン・ユートピア』のように硬直しているわけでもない、実に中途半端な群舞
●(今更だが)『Sing About Me, I'm Dying of Thirst』の歌詞への構造分析的批判
●日本国在住のムスリムとして、マーティン・ルーサー・キングJrの名を貶め続けているUSAのプロテスタンティズムを批判する
●マリク・エル=シャバーズは黒人至上主義者ではない
●『I'm Dying of Thirst』最後の場面が Baptize であったことは、後にケンドリックが自身の内面へと逃避し、ついには政治性を放棄するに至るまでの先触れを告げていた(それは21世紀USAのプロテスタンティズム=国家崇拝・さらに「ローマ皇帝の哲学」にして「自己啓発の源流」でもあるストア派の今日的受容の有様も含め、すべて脈絡がついている。ケンドリックの堕落は思想史的に考えれば必然的帰結でしかない)
●“ I choose me, I'm sorry” ←もはやラッパー云々ですらなく、人間が言えるセリフとして最も醜い
●『Not Like Us』の “A-minor” のくだりをせめて面白く解釈するための方法(ドレイク側から考える)
●SZAはUSA国籍ムスリマの面汚し ケンドリック・ラマーはUSA国籍クリスチャンの恥晒し BewhYは韓国籍クリスチャンの誇り
●徹底的な非政治化を経たあとのケンドリックだからこそ、スーパーボウルのステージに最も個人的=非政治的なトピック(ドレイクとのビーフ)を持ってきたのである
●トゥパックがまだ生きてたとしてさ、わざわざスーパーボウルのステージでビギーをディスったと思うか?
●ケンドリックを論じること=21世紀のヒップホップを論じること だと錯誤している輩は、ノーランを論じること=21世紀の映画を論じること だと思い込んでいる輩と同程度にイタい
●“Hip hop is truly dead.” ←結局、クエストラヴのコメントが一番正しかった
全編:
https://www.patreon.com/posts/ziyonkanijian-du-122555678
関連稿:
http://petrushkajp.blog.fc2.com/blog-entry-208.html
https://www.patreon.com/posts/ziyonkanino-and-122184674
https://note.com/integralverse/n/n266c06929659
http://petrushkajp.blog.fc2.com/blog-entry-222.html
https://www.elabo-mag.com/article/20220805-01
◎マクラ:
・音楽と制限と身体性
・ポップスを尊敬するフリして実はナメてるやつら
・これからの音楽家は自らが属する宗教をどんどん公表していきましょうよ
・1日3食取るやつは過食症
◎本題:『キミとアイドルプリキュア♪』と『武士沢レシーブ』を並べて論じねばならぬ
・『アイカツスターズ!』の放送をVHSに録画していた男=私
・『新世紀エヴァンゲリオン』と『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!! マサルさん』との間に共通して見られる90年代性(についてくらい指摘できとけよオタク系評論家さんたちよ)
・『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!! マサルさん』1995-1997年:「倒すべき敵」が出てきて、すぐに倒れて、作品自体も終わる
・『武士沢レシーブ』1999年:「倒すべき敵」を途中で出すも、その存在を維持できず、自壊して終わる
・つまり、1995-1997年と1999年では、同じ「90年代末」でもその終末観に質的な違いがある
・日曜朝のアニメ枠は、毎年繰り返し『Go! プリンセスプリキュア』を再放送し続けていればいいんですよ
・『Go! プリンセスプリキュア』の話をするうちに泣き出す男=私(ミス・シャムールに見る「戦災難民」の品性と規範意識、そしてシャットに見出される確かなクィアネス描写)
全編:
https://www.patreon.com/posts/zi-fen-notong-mi-122054631
関連稿:
https://note.com/integralverse/n/n9f1bbd65aaee
https://www.nicovideo.jp/watch/so39629874
https://note.com/integralverse/n/n9388aa6aea1d
◎マクラ
・最も腐食した日本語の感性が観測される場所= Pixiv のコメント欄
・男性ふうのペンネームを使う女性イラストレーターは自殺しがち
・『ぼっち・ざ・ろっく!』二次創作品の中からBLっぽい絵柄のものを選別してゆく作業(によって明らかになったこと)
・『竹宮惠子のマンガ教室』で展開されていた、ペンネームの使用にまつわる慧眼
・「女性による女性(=自分自身)への蔑視」の問題系
◎本題:「ぱいぱいでか美」と「シーモネーター」は同一人物である
・活動が中途半端な芸能人は必ずDJをやりたがる
・「ぱいぱいでか美」から「でか美ちゃん」に改名した=「ぱいぱい」は公の場で忌避されると考えた ってことは、標準以上の胸囲を持つ女性は公の場で恥ずかしがらなきゃいけないってことなの?
・自分の身体的特徴を「全然恥ずかしがるようなものではないんだよ」と証明するために芸能活動する人だって居るはず
・自分の性別を尊敬できない人は他者の性別も尊敬できませんよ
・代表者意識《representation》の不足=政治性の欠如
・「SEAMO」と「でか美ちゃん」に備わっている3つの共通点
・RHYMESTERで言えば、『Open The Window(2023年)』よりも『ダーティーサイエンス(2013年)』のほうがよっぽど「多様性」への配慮に基づく「アップデート」されたアルバムでしたよ
・「ポジ種ゲイ雄」に有って「ぱいぱいでか美」に無いもの
・結論:最初から本名でやれ
全編:
https://www.patreon.com/posts/paipaidekamei-to-121566657
関連稿:
https://note.com/integralverse/n/n7d2a716d02b8
・ドナルド・トランプ就任式におけるイーロン・マスクのアレを「ナチス式敬礼」と誤認してしまった人々に対し、今のうちに言っておかねばならないこと
・色々な意味で面白い、必見のドキュメンタリー:『連邦議会を襲った隣人』
・「前の時代の独裁者のイメージを現在において適用する」っていうのは、現在起こっていることを見損なうための手順ですよ。前とは別のことが起こっているからマズいんでしょ?
・戦争と反復強迫の関連について(今更の確認)
・「ナチではない」イーロン・マスクが「ナチではない」極右政党 AfD を支持していることには筋が通っている。何故なら……
・「善意による編集」がその行為者自身の正義を裏切ってしまう事例:『イメージ、それでもなお アウシュヴィッツからもぎ取られた四枚の写真』(ジョルジュ・ディディ=ユベルマン 著/橋本一径 訳)を踏まえての論旨
・「自戒を込めて」と繰り返し同一のアカウント上に書き続けることの矛盾
全編: https://www.patreon.com/posts/zi-jie-woip-mete-120835950
全編:https://www.patreon.com/posts/disney-to-hulu-1-120085760
・Twitter にて『アイカツ!』関連記事を頻繁にバズらせていた頃に感じたバカバカしさ
・解離と抑圧の違い
・「チャンネル登録お願いします」と言ったことがあるなら日本人としておしまいですよ
・『シャン・チー/テン・リングスの伝説』は面白いですよ
・「日本のアニメ好きなアフロアメリカン」の問題系
・トニー・レオンではなく中堅俳優をヴィランに据えて「USA製の東アジア映画」を生み出せていたら更に良かったのだが(2021年時点での限界)
・オークワフィナに「ああいう役」をやらせ続けるUSA映画人への批判
・私の誤読の内容のほうが面白かった『エターナルズ』
・マ・ドンソクを使って何か面白いことを言おうとする奴らへの侮蔑
・北京出身の映画監督が日本のアニメやRPGから汲んでしまった悪しき影響
・クロエ・ジャオと最も近い境遇の日本人がいるとしたら、それは麻生太郎である
・リベラリズムを偽装したアリストクラシー(の片棒をマーベルが担ぐことへの危惧)
・東アジア人が監督したにも拘らず、『エターナルズ』の世界観は徹底的に人間中心主義=キリスト教的
・『エターナルズ』の誇る「多様性」は『ザ・スーサイド・スクワッド』どころか『X-MEN(2000年)』にすら敗けている、なぜなら……
・「テレンス・マリックが好きだしヘルツォークから影響受けてます」と言いたがるボンボンの娘さんが作った映画
・ところで蓮實重彦はちゃんと政治的なことを書ける、首尾一貫した著作家ですよ(それと比べて、執拗に蓮實をディスっていた佐々木中の凋落ぶり)
・テレンス・マリックの映画を観ていると、私が幼少期にやっていた「セロハンテープのクリスタルごっこ」を思い出す
・もう名前すら出したくない『マーベルズ』(でもサウンドトラックだけは良いかもしれない)
・「民間人の死傷」を避ける道徳観が徹底されていたMCU映画において、なぜか家族を巻き込んだ戦闘シーンが展開される(しかもその場所がアラビア移民の家の中)
・『マーベルズ』の製作者どもはフェミニストとアラビア系USA移民、両方の面汚し
・ゴミのポイ捨ては死罪
・設定資料集ばかり書いて自分の作品は出さない人たち
・「賞に出そうと思ってます」は罠
・コロコロコミック連載マンガの主人公のような文体(が複数のオタクたちによって共有されている現象について)
・二次創作は痴漢と同じ
・量的に還元される「創作できなくなったオタク」の諸特徴
・↑の姿を見てダメージを受けてしまった私
・平岡正明いわく「死神ってのは戯れてるうちに本当に来るぞ」
・円城塔いわく「一般に、読んでもらう、はあまりよくない/仲良くなりすぎないこと/馴れあいなさんな」
全編: https://www.patreon.com/posts/qin-su-radioga-1-119277700
・佐々木中が「大江健三郎追悼スペース」の放送で言ってしまったこと
・絶対に笑ってはいけないフランス現代思想
・ソーシャルメディア上での言論は「冷笑」ですらない。誰もが一様に「微温不機嫌」だ
全編:
https://www.patreon.com/posts/dong-fang-nosan-118665505
関連稿:
「内面」の炉で鋳潰されているもの: 『世俗の彼方のスピリチュアリティ─フランスのムスリム哲学者との対話─』(伊達聖伸、アブデヌール・ビダール共編)書評、またはウンマを同じくするアブドゥンナースィルからアブデヌール・ビダールへの親愛を込めた公開書簡
http://petrushkajp.blog.fc2.com/blog-entry-222.html
『オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分』を観て以来、脚本家かつ映画監督たるスティーヴン・ナイトの手腕に感銘を受けていた田畑佑樹は、2021年公開の映画『スペンサー ダイアナの決意』(パブロ・ラライン監督:スティーヴン・ナイト脚本)に際会し、さらなる「衝撃」を受ける。ピエール・クロソウスキー、ミシェル・フーコーを経たアルテミス=ディアナ神話の需要と消費の系譜を瞥見し、 Ulver の恐るべき名盤『The Assassination of Julius Caesar』からの脈絡も汲みつつ、旧弊な「神話的照応」を遥か踏破した、新たな2020年代的映画の成果を(ネタバレ無しで)解明する。
関連プレイリスト:
https://youtube.com/playlist?list=PLA3lRNly9f6qoJjvmaJz6xWGa9TjGDe0F&si=Ki9hYgjAJSiSzNkY
関連記事:
https://nextsense.livedoor.blog/archives/8871246.html
https://note.com/integralverse/n/nee64ea8ad4f6
https://note.com/integralverse/n/neec4af93696c
https://note.com/integralverse/n/nb5e326783cc3