現在、5期13年を務める鳴本会頭は、地元の鳴本石材の創業者である。昭和48年に北木島で石材加工業を始めた。当時は、高度経済成長の真っただ中、100坪の工場で一日18時間働いたという。儲かってしょうがないので、あっという間に工場は手狭になり、200坪の第2工場を建設、昭和58年に鳴本石材株式会社を設立した。その後も業績は上向きで、平成元年、笠岡市茂平の工業用地、現在の地に、3500坪の新しい本社工場を構える。坪数の増加は、企業の成長が一番よくわかる、と鳴本会頭。会頭としての仕事は、なんといっても企業誘致と、笠岡諸島の日本遺産認定。豪快で楽しく、眼光鋭い会頭へのトップインタビューです
備前市に本社を構える茂山組。茂山組といえば、ソーラーとイメージする人が多いが、始まりは意外な仕事からスタート、そもそも「川田」代表が、なぜ「茂山」組の代表なのかだ。父の友人でもあった茂山さんが、息子の雄士氏に自分の個人事業の後継をどうかと打診したことに始まる。川田代表は、快諾してふるさと備前市に帰り、個人事業を会社にして設立した。当時川田代表は、三井物産の輸入住宅部門にいて日本橋に勤務、しかも一級建築士である。なぜ、先行き不透明な事業を継いだのか、???だ。その理由は、番組をお聴きください。備前を愛する川田代表ならではのことだった。平成8年茂山組設立、11年に株式会社に組織変更、建設業界でランクを上げ、太陽光発電事業に突き進む快進撃を、抱腹絶倒の愉快なエピソードとともに、ご紹介します。
株式会社スターは、2011年に星野社長が設立した。もともと星野社長が41歳で(株)スターフィールドというプラスチック原料メーカーを起業、その不動産管理を行う会社としてスターを設立した経緯がある。そして今、スターは飲食事業部門を立ち上げ、2店舗を運営しているのだ。ひとつは、福山市船町の江戸前鮨「鮨徳」。きっかけは、福山を本拠とする食品容器最大手のエフピコ創業者小松安広氏だ。鮨をこよなく愛した小松氏が2007年鮨徳を開業、2017年に亡くなった後、2020年に星野社長が、恩人の意思を継ぐ形で新装オープンした。今では福山きっての名店として知られる。そしてもうひとつは?愛犬家である星野社長、自らの発案企画で実現した、ドッグラウンジyaburoである。プラスチックメーカー一筋の経営者が、初めて挑戦した飲食事業、そこに懸ける思いと情熱をご紹介します。
尾道市の市街地から北の山あい、3千坪の敷地で、老人介護保険施設を展開するのが、医療法人社団精彩会である。昭和59年にこの地域で開業した土橋内科医院が、市からの依頼で施設を開所することになった。しかし、地権者が土地を売らないと言い出して、土地探しから苦労が始まる。岩がゴロゴロ出てくる建設工事、掘ったら水が出るなど開拓精神で乗り切り、2000年4月の開所にこぎつけたのである。掘ったら出てきた水は、とても良質な井戸水で、精彩会の自慢でもある。食事に入浴に、入所者にも大好評、宝物となった。全国の施設全体の1割といわれる、超強化型老人介護保険施設、その6割が赤字といわれる中、精彩会は驚きの成果を上げる。その強みは何か、土橋副理事長にトップインタビューです。
真庭市下湯原、旭川のダム湖を見下ろす眺めのいいところに建つ宿泊施設、One(株)が経営する「わんこあん」だ。犬も人と一緒に泊まれる、ではなく、人が犬と一緒でないと泊まれない宿である。太田代表の実家は湯原温泉の老舗旅館「湯の倉つるや」、以前、その当時としては珍しく愛犬同伴の宿泊を行っていた。太田代表は、愛犬家のお客様が一番楽しかったと話し、現在につながったと語った。わんこあんの自慢は、全室露天風呂付き、しかも犬用の大きな木製のタライも完備する。そして、もう一つは愛犬家たちに大好評の天然芝のドッグラン。夫の太田貴光氏が手入れする天然芝のランは、見事の一言に尽きる。犬にも人にも優しい、ゆったりとしたひと時をスタッフ力で創り出すわんこあん、観光シーズンを目前にトップインタビューです。
昭和63年創業、63期目を迎える老舗交通事業者だ。タクシー、観光バス、観光事業尾3本柱で地域の足を守ってきた。
松田常務は祖父から続く創業家3代目、現在37歳で病身の父を支え、代表としての役割を果たしている。卒業後、31歳で稲荷交通に入社したころは、がむしゃらに飛び回っていたそうだが、戻ったばかりで父が病気になり、経営の一片すらわからない状態だったので無理もない。そんな松田常務が、コロナ禍の最中、このままでは生き残れないと舵を切った。働き方改革、採用方針の変更の社内改革だった。風通しが良くなり、需要も戻り、代理店を通さない海外客の利用も大幅に増えた。番組では、松田常務の驚きの学生時代の活躍ぶりもお聴き逃しなく!
岡山市中区原尾島、閑静な住宅街にサロン兼オフィスを構えるe.K.コンサルタント。独立系ファイナンシャルアドバイザー、である。このIFAと呼ばれる業態は、知名度はこれからながら、関心度急上昇中の仕事だ。既存の金融機関や証券会社に属さず、独立した立場から資産運用を提案、顧客に寄り添う姿勢が強いとされ、関心を寄せる人が急上昇中とか。森代表は、映像制作の仕事から31歳で保険業界に飛び込み、ゼロからのスタートを切ってきた。当時、金融の制度改革が進む中、現在のIFAにつながる未来予測をしていたのかも知れない。楽天など証券会社2社を軸に、各種生保、フラット35、不動産など幅広い資産運用をしっかり行うIFAは国内でも10社ほどだそうだ。直年するインフレ社会の中、資産運用に関する心配事をトップインタビューでお送りする。
木造住宅の建築用金物、工具を扱う専門商社として、業界では知られた存在のダダ上月。岡山市中区丸山の幹線道路沿いに、店舗とオフィスを構える。店舗には、8000種類もの商材が整然と並び、工務店や大工職人たちのオーダーを待ち構えているのだ。しかし、ダダ上月が扱う商材はこんな数ではない、200万点もの商材を扱い、その中から必要なものを建築現場に納めている。1軒の住宅で使う釘は10万本、建築基準法にのっとり、定められた場所に決められた材を使うには、広く深い知識が求められる。創業は昭和22年、祖父の時代に農工具販売から始まるが、建築用金物の販売に乗り出し、時代とともに成長していった。上月社長は63歳、若き日の奮闘ぶりと「Kanamonoya」の未来についてトップインタビューです。
兵庫県高砂市に本社を置く浜田工務店、令和4年に岡山支店を開設した。岡山支店では、モノづくりをもっと身近に感じてもらうre:LIFE里庄BASEを新しくスタート、支店内の工房では、DIYができるほか、オーダー受注で木製品も製作する。ところで、浜田工務店は昭和9年創業、91年の歴史の中で1軒も家を建てたことがない。実は、浜田工務店は、国内でも珍しい業務請負という形態で顧客企業の仕事を請け負っているのだ。顧客メーカーの設備の一部を借り受け、そこに社員を送り込み製品を作るという業務請負。大手化学メーカーでは化学製品をつくり、大手飲料メーカーでは飲料を作る。創業当初からの業務請負というスタイルに、磨きをかけ、100年を目指す4代目濱田社長に、経営哲学をトップインタビューです。
岡山市南区箕島、県道児島線沿いに本社を構えるココピア。
遺品整理、生前整理、特殊清掃を3本柱に事業を展開する。
なかでも、生前整理は人々の関心が高く、公民館などのセミナーでは、この1年で参加者は5倍に増えた。創業は2012年。藤原代表が立ち上げた岡山初の遺品整理専門業は総社でスタートした。チラシを配れば「来るな」と言われながらも、先を見据えて2015年に法人化。そこからである。急激な社会構造の変化の波に押し上げられるように、依頼が急増、「片付け」「遺品整理」は、専門性の高い社会性のある事業として広く認知されるようになった。法人化後の10年で、4000件に迫る実績と信頼を積み上げ、今、関心が高まるのが「生前整理」。みんなの「片付けたい」に応える会社です、と藤原代表と妻の真由美さんは胸を張る。
香川県高松市由良町、国道10号線に面して建つのが、栗・家本社だ。
「くりや」と読む社名、おしゃれな雰囲気の看板ロゴ、なによりも
建物がオシャレでキュート。
建てた当時、ご近所さんが「栗売ってますか?ランチありますか?」
と間違えたのも無理はない。
実は「栗・家」は工務店、木造注文住宅を建てているのだ。
香川全域をエリアに、新築、リフォーム、不動産も手掛ける。
栗・家は、18年前、30歳の栗本代表が、ひとりで起業した。
住宅メーカーからの独立は、勢いだけでした、と振り返る。
ひとりひとりの施主の要望、希望にこたえ、150棟余りを建ててきた。
ひとりで始めた栗・家には、今10人のスタッフが働く。
新しい建築工法を求める施主、ゼッチ住宅に関心がある施主、
十人十色の家づくりは、答えがないことが楽しい、と語る栗本代表。
さぁ、次はどんな施主さんが来るかな?
栗・家の家は、幸せを運ぶ家です。
香川県三木町、郊外に建つ大きな本社工場、食肉加工・配送センター機能も合わせ持つしゃぶ亭まるの、本丸である。ここから全国に配送される先は、しゃぶ亭まるの商品をネット通販で買い求めた客である。ヤフーで2024年肉部門で第2位、auでは第1位、各種通販サイトの肉部門で快進撃を続けているのだ。創業は1997年、実家の精肉業から独立し、ひとりしゃぶしゃぶの店を高松市にオープンした。高級路線の真逆を行く店は大繁盛!ところが、そこに起きたのが、狂牛病騒ぎである。売上は9割減、店舗も移転し、新規事業の台湾かき氷フランチャイズに乗り出した。この一坪ビジネスも、ひと月500面の売り上げを達成するなど大成功!ところが、ところが、だ。しゃぶ亭まるの行き先には、必ず何かが起きる。荒波をかぶりながらも「今」をつかまえた森崎代表、続きは番組をお聴きください!
2025年6月、創業から40周年を迎えた是里ワイン醸造場。フォレストパークドイツの森の中に、工場、売店、オフィスを構える。創業から続くキャンベルアーリーの赤をはじめ、2024年度は6種類のワインを醸した。赤磐市是里地区、水はけのよい傾斜面の土壌は、ブドウの生育にぴったりで、採れたブドウに付加価値をと、農家が集まり醸造場を作った。ドイツの森オープンと同時に移転、「絵になる森の小さなワイナリー」が誕生した。周年を迎えた今年、大きな賞も受賞した。日本の女性審査員430名によるコンペティション「サクラアワード2025」で、初出品、トップを受賞したのだ。世界36か国4000に近いアイテムの中での快挙である。販売チーフマネージャーの髙坂さんの働きぶりと明るいトークにもご注目、3児のママは、ワインと会社に惜しみない愛情を注いでいる。新しいプロジェクトも始まり、小さなワイナリーの歩みは、力強く続く。
真庭市蒜山下和で活動するアシタカは、地域振興を目的に多くの事業を運営する一般社団法人だ。なかでも今の季節大人気なのが、「山乗渓谷そうめん流し涼水亭」。緑陰の渓谷を見ながら、気温20度の別世界ですするそうめんの味は格別で、日に600~1000人もの客が訪れる。アシタカの事業は、本格的なアスレチック施設・冒険の森や、地元のクロモジを活用したお茶や精製オイルの生産、蒜山大根を活用した秋田名物いぶりがっこも人気を呼ぶ。アシタカの事業は10を超すが、すべてに関わるのが、赤木代表だ。元気そのものが歩いているような赤木代表、大阪出身の45歳で、縁あって旧中和村に移住、10年前にアシタカを立ち上げた。小さな仕事をたくさん作ろう、そして利益も楽しさも、未来も少しずつ分かち合おう。アシタカを通じて実現する、熱意とビジネスへの思いをトップインタビューです。
倉敷市茶屋町、郊外の広い敷地に工場と本社オフィスを構える岡本製甲。足袋型シューズを世に送りだした、ユニークな企業だ。創業は1964年。祖父の岡本三十四氏が、当時、靴屋がなかった茶屋町に着目し福山から移住して創業した。その後、高度経済成長を背景に、ゴルフシューズのOEM受託生産で、一気に駆け上がる。国内ブランドのほとんどを受託生産した。同じ時期、ウォーキングシューズのTV通販が始まり、こちらも大量受託に成功する。その後も、ピンチとV字回復を繰り返すが開拓精神と馬力で切り抜けた。そんなDNAを引き継ぐ3代目、陽一社長が初めて企画開発したのが、足袋型トレーニングシューズ「バルタンX」。誰も見たことがないシューズの物語、世界初を連発する活躍ぶりをトップインタビューです。
岡山市東区広谷、西大寺地区の中心部、幹線道路沿いに大きく看板を掲げさいだいじ整骨院。開院から半年という新しい施設で、代表も若くなんと28歳だ。柔道整復師の赤枝代表は、IPU環太平洋大学体育学部健康科学科の出身で、卒業後しばらく研鑽を積み、2024年末に開院した。赤枝代表が柔道整復師を志したのは高校時代のことである。当時、拒食症に悩み、体重も大幅に減少し入院一歩手前まで悪化していたころ、テニスの怪我を直すため通院した整骨院で、恩師と出会った。体だけでなく心の健康まで取り戻せたのは、この先生との出会いと言い切る赤枝代表。僕もこんな仕事を目指したいと、柔道整復師の道を歩み始めた。開院から半年、まだまだこれからと、西大寺のみんなの健康に取り組む赤枝代表へのトップインタビューです。
瀬戸内市邑久町尾張、市役所そばの幹線道路沿いにある音楽教室セブン。明日香さんの祖父が経営する、とみや電気店を改装して、ふたりが音楽教室を始めたのが9年前。2024年にリノベーションして音楽教室セブンを開いた。白壁に広いウッドデッキが印象的なエントランス、おしゃれな音楽教室には、70人もの生徒たちが通う。しかも打楽器を中心とした教室は珍しく、瀬戸内市、岡山市、倉敷などエリアも広い。カリキュラムを組まず、個別のオーダーレッスン、幼少のこどもたちのための音育も行い音楽の入り口を広くしているのが特長だ。廣田さんと明日香さんはご夫婦で、廣田さんはドラムス、明日香さんはマリンバと打楽器のプロの演奏家。自身の活動も行いながらふたりで拓く音楽の道。番組では國氏アナの初マリンバ演奏もぜひ聞いてください。
美味しい練り天が大人気の中光商店、牛窓本店は観光客に、邑久駅前店は地元客を中心に多くの人が訪れる。創業は昭和26年、那須代表の祖父光行さんが始めた。牛窓の工場で作ったかまぼこ、ちくわ、ごぼう天、平天をスーパーに卸す製造卸業長く続く。転機は20年前、牛窓を襲った水害で工場が浸水、これをきっかけに自前の店舗販売ができないかと父光一さんが舵を切ったのだ。すでに仕事をしていた太郎氏も賛成し、初めての自社販売を始めた。何を作ればいいのだろう、どんなものが売れるのか、試行錯誤で10種類ほどの練り天からスタートした。牛窓本店の誕生である。「ちょっと持っていかれぇ」が口ぐせの初代、そして2代。客の喜ぶ顔と声が大好きだった。今はひとりで中光商店の味を追及する太郎代表、美味しさの秘密と3代の味の物語を那須太郎代表51歳にトップインタビューです。
瀬戸内市邑久町豊原、幹線道路沿いに看板を掲げる丸通地建。地域の不動産会社として信頼を集め、瀬戸内市の不動産情報はすべて把握していると自負する。近藤代表の祖父が丸通モーターを創業、父が創業したのが丸通地建だ。大手住宅メーカーから転身して創業した父の苦労は、地元の信頼にしっかりつながり、32歳の若さで経営を任される近藤代表の「今」を作り上げた。瀬戸内市圏を商圏としている丸通地建だが、岡山市の地価価格上昇を受け、西大寺、瀬戸内市圏へと不動産を求める傾向に、しっかりと向き合っている。瀬戸内市、西大寺も含めた最新の不動産情報をトップインタビュー、関心のある方はぜひお聴きください!
備前市西片上、旧山陽道沿いの風情のある街に工場と事務所を構える大西商店印刷部。社名の通り印刷業の会社だが、歴史は古く1920年から数えて105年目を迎えている老舗企業だ。インクの匂いがする現場には、最新のオフセット4色カラー印刷機など8台の印刷機が並ぶが、なかでも目を引くのはドイツ・ハイデルベルグ社の活版印刷機。1940年代に製作され、ばりばりの現役の印刷機、重厚感あふれる黒光りのするその存在は、他の機械の守護神のようにも見える。大西代表は、そんな活版印刷も大切に生かしながら、デザイナー集団「COCHAE」とコラボして、2024年に新しいブランド「備前凸版工作所」を立ち上げた。ブランド名であり、実際に体験やギャラリー、活版印刷の紙製品を販売する店の屋号でもある。全国から紙のファンが訪れ盛況のショップとなっている。街の印刷屋さんの新しい形を探りながら、4代目大西代表にトップインタビューです。