かのナポレオンが創設したフランスの国家勲章"レジオンドヌール"を獲得した、ただ1人の日本人シェフの三国清三さんの、新たな挑戦に震えました
曰く
"これから70歳過ぎてね
何が欲しいって、名誉や地位とかお金とかもう、関係ないです
最後の最後は自分と向き合って、自分を超えることしかないんですよ、目標は
シンプルにシンプルにシンプルに、どこまでシンプルにできるか
まあ、頑張りますよ。まあとりあえず、75歳が一つの目標で
その後考えますが、あと5年、80歳まで。"
ここから私は思いました
1、デシ&ライアンの内発的動機
2、マズローの自己超越
3、パッションの源のシンプル化
1、デシ&ライアンの内発的動機
3年前に三國シェフは超有名なオテル・ドゥ・ミクニを取り壊して、80席あった店内をカウンター8席のオープンキッチンに変更し、同じ場所で新たな挑戦を始められるということに、震えました
地位や名誉やお金ではないといいきる三国さんは、デシ&ライアンさんの言われる、内発的動機に大きく突き動かされているのかもしれないなあと思いました
お金や名誉などの外発的動機は、短期的な欲求としては、満足されますが、継続的な、まさにパッションの源から出てくる、やりたくて仕方がない、理由もなくワクワクすることというのは、内発的動機に該当すると思います
これまで数々の栄光を勝ち取られた三國さんですが、最終的には、パッションの源に戻られるのかと感動させて頂きました
2、マズローの自己実現
欲求の5段階はマズローの有名なピラミッドですが、5段階は下の層が満たされることで上の層への欲求が出てくるのではなく、実は、各々の層がその人の個性として強さが変わる、というお話を以前もさせて頂きましたが
1番上の層には、自己実現というのがあります。そして、さらにその上には、6段階目として、自己超越があると言われています。
三国さんは、これまで様々な自己実現をされてきたと思いますが、最終的に目指されるのは、もしかしたら、実現されてきたものを一切捨てて、自己超越の段階に入られてるのもしれないなあと思いました
自らのパッションの源のみに従い、そして、本当の仲間と共に、少ないけれども、本当に喜んでくれる人たちのために、尽くす、そういう選択をされてるのかなあとも感じさせて頂きました
3、パッションの源のシンプル化
パッションの源は、大きく分けて、ポジティブネガティヴ、オープンクローズで、分類すると、大好き、利他、個性、成長と、あるといつもお話ししていますが
三国さんは、とにかくシンプルにシンプルにと言われているのは、自らのパッションの源も、相当シンプルに絞り込まれている、あるいは、1番実現したいパッションの源を大事にしようと、そんなことを思われているのかなあと思いました
それは、もしかすると、大好きパッションなのかもしれないなあと、これは本当に勝手ながら想像してしまいました
その上で、イノベーターズリップルを回して、少数精鋭の仲間と共に、大義としての8名のお客様に喜んでもらい、そしてそこからのフィードバックを直接頂く、そんなことを心からやりたいと、大好きパッションに基づいてされるのかなあと思いました
ということで、一言で言えば
どこまでシンプルにできるかノベーション
そんな生き方ができたら素敵だなと思いました
そんな話をしています^ ^
参考:情熱大陸 2025年11月02日(日) 放送 三國清三 シェフVol.1375 フレンチの巨匠 71歳の再出発!全て捨てて自分を超える…信念の一皿 https://www.mbs.jp/jounetsu/2025/11_02.shtml
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NHK大河ドラマ"べらぼう"から、絶版食らった海国兵談を書いた林子平さんの三国通覧図説を出版して、身上半減された須原屋市兵衛(里見浩太朗)さんの、言葉に震えました
曰く
"なあ、蔦重
知らねぇって事はな、怖え事なんだよ
物事知らねえとな、知ってるやつに、良いようにされちまうんだ
本屋ってのはな、正しいの世の中のために、良いことを知らせてやるっていう、努めがあるんだよ
平賀源内風に言えばな
「書をもって、世を耕す」
これなんだよ"
ここから私は思いました
1、知ることの大切さ
2、本屋の大義
3、読者の大義
1、知ることの大切さ
"べらぼう"は、毎週めちゃくちゃ楽しみにしているドラマですが、今回の里見浩太朗さんの言葉は、このドラマの大きなテーマをお話し頂いてるのかもしれないなと思って、感動してしまいました
このお話から思い出したのは、マララ・ユスフザイさんが紛争地域から国連総会でお話しされた"一人の子ども、一人の先生、一本のペン、そして一冊の本が世界を変えることができます。"という言葉です
今の日本で暮らしていたら普通に手に入る、本、という、下手したら数百円のモノが、どれだけのインパクトをもたらすモノなのかということを、改めて教えてもらった言葉でした
"はじめに言葉ありき"という聖書の言葉もありますが、我々が知るという意味では、最もプリミティブで、人類の進化と共にある、最強のモノが本だなあと改めて思いました
2、本屋の大義
そして、我々が知るという意味において、最強のモノである本を、我々に届けてくれる、実は人類にとっての大きな大義を実験してくれてるのが、街角の本屋さんということにも、感動しました
普段何気なく通り過ぎていますが、実はとても大きなミッションを背負われている、そんなことにも気づかせてもらえました
ユヴァルノアハラリさんが言われていた、自己修正メカニズムを思い出しました
"強権的な指導者が民主制を切り崩すのに使う最もありふれた方法は、自己修正メカニズムを一つ、また一つと攻撃するというものであり、手始めに標的とされるのは、裁判所とメディアであることが多い。"
そのメディアの最もプリミティブでかつ、自分と対話しながらじっくり向き合いながら、知ることができる、モノを、時には大きな力と闘いながら、生き延びてきている、そんな大義を持った存在が、本屋さんなのだなあと、感動してしまいました
3、読者の大義
そんな本や、本屋さんの大義を、知ることで、自分も、より、知ることへの、大切さを意識しなければならないなと思いました
出口治明さんの、人・本・旅のお話がとても好きなのですが、特に、本は、過去の人たち、過去の偉人や知の巨人たちと出会えるという意味では、本当にたくさんの知る機会を教えてもらえると思います
しかも、本屋さんでは、自分で全く興味のない本も、つらつら読めて、SNSの素敵なレコメンデーションに左右されることなく、たくさんのセレンディピティを期待しながら、いろんな過去の人との出会いがあるという意味でも、とても大切な機能であり場所だなあと改めて思いました
せっかくそんな素敵な環境にいるのだから、たくさんのいろんなことを知ることで、そこから、たくさんの気づきを得て、そして、いつしかパッションに火がついて、仲間とともに、自分なりの大義を実現していく、そんな生きがいにもつながる、そんな読者としての大義にも繋げていければなと思いました
さらにその先には、自分自身も、何らかの気づきをわみんなに届けられるような、そんな人にもなれたらなあと
ということで、一言で言えば
書をもって、世を耕すノベーション
そんなお話をしています^ ^
参考: 大河ドラマ べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜(41) 歌筆美人大首絵2025/11/1(土)PM 1:05~PM 1:50 NHK総合・東京 https://www.nhk.jp/g/ts/42QY57MX24/
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元大関 貴景勝の湊川親方の、怪我にも負けず、あそこまで大活躍された秘密を教えて頂き、感動しました
曰く
"なんか自分が本当にきつかった時とか、 こう踏ん張りどきの時に、支えてもらったことって多分
僕だけじゃなくて、多分人間のあれだと思うんですけど、 一種こう胸に刻まれているというか
山田先生のために頑張ろうっていう気持ちが、一番高校時代は、強くしてくれたのかもわからないですね。
なんか自分が こう、強くなりたいっていうだけだったら、 まあ、今日はこれぐらいでいいかっていうふうに、思っちゃってたところもあると思うんですけど
あと腕立て伏せ10回とか、トレーニング夜今日行くとかランニング行くとか、まあそういう原動力になってましたね"
ここから私は思いました
1、信じてくれるから信じられる
2、コンフォートゾーンを抜けられる
3、贈与が利他パッションに火をつける
1、信じてくれるから信じられる
元貴景勝の湊川親方が、ものすごく痩せられているのに衝撃だったのですが、それは、実は元々体がそんなに大きくなくて、食もそんなに太くなかったところを、勝つために無理やり体を大きくされていたためということを聞いて、まずは衝撃と感動でした
さらに何度も怪我をされていて、苦しみながらも土俵で勝ち続けていた姿を、いつも私も応援していたのですが、その不屈を支えられていたのは、実は恩師の埼玉栄高校の山田監督にあったということを初めて知りました
高校時代の住み込みから、なんと大関陥落の際にも先生のところに学生と泊まり込んで指導を受けに行っていたということを聞くと、その絆の深さに驚くと共に、それだけの信頼関係があられたのだなあと思いました
私の大好きな本に、アンダーソンさんの「超一流になるためには、努力か才能か」という本があるのですが、超一流になるためには、1、最高の先生、2、コンフォートゾーンを抜ける、3、自分を信じる、とあるのですが
最後の自分を信じるというのが、いつも難しいなと感じてしまいます。今回の湊川親方のお話は、そこに一つの答えをくれるお話かと思いました
つまり、山田監督が貴景勝さんを信じてくれたからこそ、貴景勝さんは自分を信じることができて、あれだけの成績を残すことができたのだろうなあと、思いました
2、コンフォートゾーンを抜けられる
そして同時に、それがあったからこそ、夜のランニングや、あと10回の腕立て伏せができたとのことを聞いて、実は
1、最高の先生、2、コンフォートゾーンを抜ける、3、自分を信じる、の三項目は実は繋がっているのかもしれないということを思いました
山田先生という1、最高の先生がいて、その先生が信じてくれているからこそ、3、自分に自信を持てるようになり、そのパワーで2、コンフォートゾーンを抜け出すことができる、そんな風に実は、超一流になるための3つの法則は繋がっているのだと思いました
さらに、もしかすると.1、最高の先生、という存在は、信頼関係という絆を産んでくれる存在であることも大切で、ある意味、必ずしも先生である必要はなくて、仲間の存在でも、いいのかもそれないなと思いました
3、贈与が利他パッションに火をつける
そして、先生でも仲間でも、信頼関係を築いた人からの応援が、その人のために頑張りたいという、利他パッションに火をつけるということなのかもしれないと思いました
そう考えると、子育てや、組織でのマネジメントや、人を育てる立場にある人は、きっと贈与の気持ちで、信じている想いを伝えるか、または、行為で伝えることによって
きっといつの日が、自分に自信を持つきっかけになり、そして、コンフォートゾーンを抜け出して、思いもよらない人物に育っていってくれる
そんな関係性にあるのかもしれないなあと思いました
一言で言えば
支えてもらったことが原動力になるノベーション
そんな話をしています^ ^
参考: インタビュー ここから 元大関 貴景勝 湊川親方 2025/11/3(月)NHK総合https://www.nhk.jp/g/ts/M29X69KZ1G/
新海誠さんの伝説的アニメーションを、新たに実写版として映画化された、奥山由之監督の言葉に痺れました
曰く
"『秒速5センチメートル』を作って感じたのは、大人になるということは、失うものがどんどん増えていく。若さを失うし、残されている時間もなくなるし、大切にしていたはずのものも忘れていくし。
そういう中でも、過去への未練に縋り続けるわけにはいかないから、それを糧にして前に進んでいく。
自分の中で失うということと、どうポジティブに付き合っていくか
一歩前に踏み出して進んでいけるかどうかが、大人になるうえでは大事なことなのではないかと、作品を通して思えるようになりました。"
ここから私は思いました
1、かけらは失われない
2、かけらは前を向いている
3、かけらノベーション
1、かけらは失われない
おそらく5回は泣いたんじゃないかと思われる、『秒速5センチメートル』実写映画版ですが、沢山と気づきを勇気を頂くことができた、最高の映画体験でした
自分が思ったのは、失われた人や会えなくなった人は、沢山いるだけれども、その人たちが残してくれた言葉や気持ちは、かけら、として、自分の体の中に生きてるよね、ということでした
自分の父がよく、「あせらず、怒らず、諦めずだぞ、光太郎」と言ってた言葉は、自分がピンチになった時に、必ず心の中で響きます。
あとは、会社の先輩が、「あなたは、何かを成し遂げる人よ」と言ってくれた一言も、自分の中でめちゃくちゃ残っていて、時折、勇気をもらってます。
他にもたくさんの、もう二度と会えない人たちが、何かあった時に、なんか微笑んでみてくれている、そんなふうに考えることが、自分としての、失ったものや人がいる中での、乗り越え方だなあと、改めて思わせて頂きました
2、かけらは前を向いている
後悔のない人生はないし、後悔のない選択もないと思ってますが、たまに夢の中で、その時の場面が出てきたりなんかして、「ああ、あの時、ああしておけば、、ごめん」みたいなことも、あります
今回、映画を観させていただいて思ったのは、きっと、かけらの皆様は、自分が前を向くことを信じている、または、祈っているんじゃないかと、そんなことを思わせてもらいました
それこそ、ニーチェの解釈論ではないですが、「真実はない、あるのは解釈」なんだとすると、自分で、心にある、かけらを、前向きの方向に、突き刺し直して、そして共に生きていくことを楽しむ、そんなことができたらいいなあと思いました
3、かけらノベーション
かけら、は、これまで出会った人や物やコト、ですが、それらが実は、自分の大半を作ってくれている、ジグソーパズルのようなものなのかもしれないなと思います
イノベーション的に考えると、沢山のかけら、が、シュンペーターさんよろしく、掛け合わさることによって、新しい、かけら、が誕生したり、もっと大きな、かけら、に成長する、そんなことが起きてるんじゃないかと思いました
人・本・旅は、出口治明さんが教えてくれたことですが、私はをセレンディピティの本質だと思っていて、人と出会うことで、かけら、をもらえる。本は昔の人との出会いで、かけら、をもらえる。旅は、異世界の人と出会うことで、かけら、をもらえる
それらが知らない間に、掛け合わさることによって、新しい自分を生んでくれる、自分内イノベーションを促進してくれる、そんなことなのかと思ってます
たくさんの、かけら、それは、もちろん、すぐそばにあるモノや人でもあり、二度と会えない人やモノデアもある。そしてそれは、自分の内に、もっと言えば、パッションの源を形作る要素にもなってくれている
そう考えると、出会う、または、出会ったことが、とても素敵なことで、別れる、失うことは、表面上のことだけで、大した問題ではないのかもしれないなあと
そんな勇気を頂ける、本当に素敵なお話でした
一言で言うと
かけらは失われないノベーション
そんなことを思いました^ ^
参考:映画 秒速五センチメートル 原作 新海誠 監督 奥山由之 主演 松村北斗、高畑充希、森七菜など 脚本 鈴木史子 プロデューサー 玉井宏昌 制作 フジテレビジョン コミックス・ウェーブ・フィルム 東宝 制作プロダクション スプーン 配給 東宝 https://5cm-movie.jp
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三谷幸喜さん脚本のドラマ「もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるんだろう」を毎週楽しみに観ていますが、その中のセリフに、めちゃくちゃ感動しました
江頭樹里(浜辺美波)さん曰く
"私にはどうしても理解できないんです。
お金のために人前で裸になる。どうしてそんなことができるんですか ?"
うる爺(井上順)さん曰く
"僕ら芸人はね、人が喜んでくれるならできることは何でもやっちゃうところがあってね。
彼女達も、それと同じじゃないかな。結局は楽しませるのが好きなんだね。それでお金になるなら、こんなにいい仕事はないよ。"
江頭樹里(浜辺美波)さん
"楽しませるというと聞こえいいですけど、要は体を売ってるのと同じではないんですか ?
うる爺(井上順)さん
"誤解しちゃいけないな。彼女たちは、人前で裸にはなるが、脱がされてるわけじゃない。自分の意思で脱ぐんだよ。一緒にしてはいけないね。"
ここから私は思いました
1、自分で選択しているか
2、楽しませるのが大好きパッション、利他パッション
3、たくさんの人に喜んでもらう大義
1、自分で選択しているか
神戸大学の西村さんと同志社大学の八木さんが、日本全国の20歳以上70歳未満の男女2万人を対象に行った調査によると、幸福感に与える影響力は、 健康 → 人間関係 → 自己決定 → 所得 → 学歴 の順だったというお話を思い出しました
人の幸せの三要素は、健康→セレトニン、仲間→オキシトシン、成功・富→ドーパミンというお話は、樺沢紫苑さんと、シリコンバレーの思想家ナヴァルさん関連のお話ですが
実は、(もしかすると日本固有の話かもしれませんが、)自らが選択しているという気持ちの自己決定できているという感覚が、もう一つとして、とても大切なのではと思ってます。
ともすると、組織に属する場合は、組織の方向性や権力構造などにより、組織に属してなくとも、世間的なバイアスにより、他人軸に依存度が高くなることとあるかもしれない
それによって、本来の自分軸のありか、パッションの源がわからなくなってしまう、わかっていても行動がしばられてしまう、そんなことがある中で
世間的なバイアスに負けずに、自らの自己決定した人生を歩んでいる人は、実は沢山身の回りにいるし、それに気づいていないということも、ままあるなあと思いました
2、楽しませるのが大好きパッション、利他パッション
自己決定をしたいという気持ちがあっても、自己決定するためには、自分で決定するためのメジャメントが必要になるので、それがないために自己決定できずに流されてしまう、そんなこともあると思いました
そのメジャメントの一つとして、私はパッションのポートフォリオをお話ししています。縦軸にポジティブネガティヴ、横軸にオープンクローズを取る四象限で、大好き、利他、個性、成長がでてくるのですが
人生の時々でその強さや内容が変わるので、悩んだ時や思いついた時に自分のパッションのポートフォリオを、ティッシュにでも書き出してみて、確認しておくと、今自分軸に自分はいられてるのかとか、
または、他人軸のことをいかに自分軸に入れ込むか、みたいなことをやってみるのも刺突の手かなと思います
3、たくさんの人に喜んでもらう大義
もう一つ、うる爺さんからのお話で思ったのは、自分1人の自己満足ではなく、大義として、たくさんの人が喜んでくれる、そこを目指しているってことが、とても素敵だななあと思いました
それは、わたしがいつもいっている、イノベーターリップルモデルと同様に、自らが舞台で誰かに喜んでもらいたい、大好き"パッション"利他"パッション"から始まり
"仲間"としての箱、照明、演出家、振付師、音楽などと共に、自分だけでなく、たくさんの人たちが喜んでもらいたいという"大義"を実現しようとする
それは、もはや、イノベーターの生き方そのものと言っていいなあと思いました
自ら、他人軸で実は記載きてんじゃないのか?という、鋭い剣を喉元に突きつけられたような、気づかないだけで自分軸で生きている人たちが沢山いるんだなあと思わせて頂いたような、そんな気がしました
一言で言えば
自分の意思で脱ぐノベーション
そんな話をしています^ ^
参考:ドラマ もしもこの世が舞台なら楽屋はどこにあるんだろう 脚本 三谷幸喜 演出 西浦正記 出演 菅田将暉 二階堂ふみ 神木隆之介 浜辺美波 井上順など 制作著作 フジテレビ https://www.fujitv.co.jp/moshi_gaku/cast-staff/index.html
齋藤孝さんからの、福沢諭吉さんからの教えに感動しました
曰く
"誰かが褒めてくれたから、舞い上がる。けなされたら怒る。それだと一喜一憂してしまいますよね。
他人の評価に、他人の評価と関係なく、自分はここにいるんだっていう。
それは独立自尊っていう福沢諭吉がね、生涯言い続けたことに繋がるんですよね。
他にもですね、浮世のことを軽く見る。 まあ、周りの人が世間が何をいおうが、軽く見るっていうところですね"
ここから私は思いました
1、自らのパッションの源に忠実である
2、世間のバイアスに振り回されない
3、誰も見てないよ しみずみちこ
人生は茶番 満島ひかり
1、自らのパッションの源に忠実である
何か齋藤孝さんと、福沢諭吉さんが、一体化して見えるほど、齋藤孝さんの教えが本当に素晴らしくて、感動してしまいました
今回のお話の一つの肝は、自らのパッションの源に、いかに忠実でいられるか、ということなのかなあとまずは思いました
会社員の時は、上司の顔色や、部下の言動などにとても気を配っていたり、最終的には会社のためになるのかを、メジャメントにしてたりしました
もちろん、それはある程度必要であることなのですが、それによって、自分自身のパッションの源がわかんなくなっちゃう、そんなことも沢山あったなあと今更ながらに思います
そこに、自らのパッションの源は、ここにあると、常日頃、ちょっとした時に、5分でも思ってみるということが大切かなぁと思いました
2、世間のバイアスに振り回されない
とは言いながらも、自分のパッションだけでは、社会で生きていくことは、ほとんど難しいので、自分軸と他人軸を意識しておくことが大切だなあと思います
他人軸の中には、会社だけでなく、家族や、友人関係、サークル、ママパパ友、PTAとかもあるのかもしれません
その他人軸と、忘れちゃいけない、自分軸との、真ん中のベン図をいかに、意識して、少しでもそこを大きくできるように、意識することも大事かなと思いました
3、誰も見てないよ。人生は茶番。
それで思い出したのが、清水ミチコさんが先日、若者に言いたいことは?で言われていた「誰も見てないよ」という言葉です
ユーモアがあってそれでいて本質をついていて、さすが清水ミチコさんと思う言葉ですが、本当に、人がこうもってるんじゃないかという自分に振り回される、そんな経験は本当にしたくないなあと思います
さらに、満島ひかりさんのインタビューでの、「人生は茶番」って思ってるという発芽も、同時に思い出しました
これも、満島さんらしいなあと思ってしまうのですが、これこそ、まさに、齋藤孝さんが言われていた、浮世を軽くみる、というとっても肩の荷が降りて、そして、多少の失敗も飲み会のネタの一つさ、くらい思わせてもらえる、本当に勇気を頂ける言葉だなあと思いました
ということで、一言で言うと
浮世を軽く見るノベーション
それが大事と、福沢諭吉さんや、齋藤孝さんに、言われたような気がして、勇気出ました
そんな話をしています^ ^
参考:NHKEテレ東京 100分de名著 福沢諭吉"福翁自伝"(1) 2025/9/1 第一回 カラリと晴れた独立精神
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日本の教育学者であり明治大学文学部教授の齋藤孝さんの言葉に深く共感と共に、新たな気づきを頂きました
曰く
"私は「論よりアイデア」という標語を掲げ、世の中に浸透させる活動を続けています"
"なぜ、そんな草の根運動をしているかというと、「論より証拠(=議論するよりも証拠を示すことが重要)」という言葉があまり好きになれないからです。
エビデンス(証拠)が大事というのは確かにその通りですが、それより大事なのは、何かアイデアを生み出すことです。"
"私は楽しい、面白いと思える時間が長い人生こそが、善い人生であると考えます。 楽しい、面白いと思える時間を作る上でのカギとなるのが「気づきの数」です。"
ここから私は思いました^ ^
1、自律性と有能感
2、快楽物質
3、リップルモデルで生き甲斐へ
1、自律性と有能感
何故気づきが起きると気持ちいいのか?ということについて、とても考えさせられると共に、めちゃくちゃ共感させて頂きました
自己決定論のデシ&ライアンさんのお話では、1、自律性、2、有能感、3、関係性が、人の幸せを形作るとの話がありましたが
気づきとは、1、自律性、2、有能感を刺激してくれるものなので、内発的動機を刺激してくれて、かつとても幸せな気持ちになれるのかなあと思いました
2、快楽物質
ジョン・クーニオスさんと マーク・ベアマンによると、2004年の研究で、「突然のひらめき(Insight)」が生じた瞬間、右側上側頭回が活性化し、同時に報酬系(側坐核)も反応することをfMRIで確認したとのことです
つまり、人は、気づきを得る際にも、快楽物質が出ているからこそ、気づきを得たいと思う活動をする、そんなことも言えるのかもこれないと思いました
それは、太刀川さんの進化思考的にいうと、変異と適応の、変異側の作用として、人間は進化するために、自らに変異をしようとする仕組みを入れ込んだのかもしれない、そんなことも思わせて頂きました
3、リップルモデルで生き甲斐へ
気づきは、自分自身の内部で生じるものですが、さそれを元に、仲間と共に、さらにたくさんの人たちにその気づきを得てもらう、というイノベーターリップルモデルを展開していくと
よりたくさんの人たちに、自分の気づきをわかってもらえて、もし喜んでもらえることが起きたら、それは小さなイノベーションの始まりだなあと思いました
リップモデルのループが回り始めたら、それは快楽から、生き甲斐に、育っていくのではないか、そんなことを思いました
と言えことで、一言で言えば
論よりアイディア・ノベーション
そんなことをお話ししてます^ ^
参考:本: 「気づき」の快感 令和6年11月発行 著者 齋藤孝 発行所 株式会社幻冬舎
劇団四季の「アラジン」の日本語訳をされている高橋知伽江のパッションに感動しました
曰く
"実は、あの歌の原詩にはFreeとか Freedom
という言葉は一つも無いのですよ。でも、“すべてが新しい世界”、それは、何もかもが新しく新鮮に感じられるということでしょう。
お城の中に閉じ込められてきたジャスミンが、魔法のじゅうたんで大空に飛び立ち、生まれて初めて“解き放たれる”瞬間、『そうか、これが自由なんだ!』と感じる。
空から見下ろす世界のすべてが彼女には新しく映る。その感動が、そのままお客様に伝わるようにしたかったのです。
ジャスミンが「自由よ!」と歌う、その気持ちー心の底から湧き上がるような喜びが、お客様に届けばいいなと思っています」"
ここから私は思いました
1、原文よりも価値
2、作詞家のパッションの源
3、価値から共感、大義への昇華
1、原文よりも価値
劇団四季のアラジンは、何回観ても感動で涙が溢れてしまう、本当に大好きなミュージカルなのですが、その日本語訳に、こんなパッションが込められていたのかと、さらに感動しました
サビの「A Whole New World」の訳詩を高橋さんは「自由」という言葉で、表現されているのですが、これは、原文よりもその場面で展開される気持ちや、伝えたい価値観を、日本語で表現したということかもしれないと思いました
その方が物語の中での主人公のパッションがより伝わる、その気持ちを表現することが、実は原歌詞を作られた人の気持ちも、よりリアルに表現できる、そんなことができるのは、ある意味、訳詞の時点でのイノベーション、と呼ぶべきものだなあと思いました
2、作詞家のパッションの源
しかし、これを実現するのは、相当大変なことかと思いました。何故、原文通り訳さないのか、想像ですがざまざまな軋轢があったとではないかと思います
それを貫き通すことができるのは、常日頃、自らのパッションの源を信じて、突き進むことができている方なのだろうなあと思いました
3、価値から共感、大義への昇華
それができるのは、イノベーターリップルモデルとして、3つのフレーム(パッション、仲間、大義)へのつながりを生むアクティビティがあるからと思います
高橋さんは、自らのパッションに従って、自由よ、としたわけですが、それだけではなく、その先にいる、お客様に、主人公のジャスミンの心叫びが届いて欲しい、そして皆んがそれを感じて欲しいという思いがあるということだと思います
それは、パッションからはじまり、スタッフやキャストの仲間と共に、より多くのお客様にすばらしい物語を届けたい、という大義があるからこそ、自らのパッションに従うことができるというループを生み出していると思います
舞台を見させて頂いた私は、その場面で、主人公の、自由よ、との歌に、心から涙が溢れました。パッションと大義が、私の心に、キャストの皆さんのを通じて、届いた、その証拠だと思います
ということで、本当に素晴らしいミュージカルの、劇団四季のアラジンは、まさに訳詞の高橋さんによって、より素敵なスピリッツを注入され、スタッフ、キャストの皆さんのスピリッツを注入され、出来上がってると思いました
一言で言えば
ジャスミンが「自由よ!」と歌うノベーション
そんな話をしています^ ^
参考:劇団四季 『アラジン』ブロードウェイ公演 プログラム 今、解き放たれる『アラジン』の魅力『アラジン』日本語訳詞・高橋知伽江さんに聞く 田中裕子 企画・製作 四季株式会社 日本語歌詞 高橋知伽江 https://www.shiki.jp/applause/aladdin/
アパレルブランドを30以上展開するパルが、3Coinsへ展開し大成功している理由に、イノベーションを教えて頂きました
パル社長の小路順一さん曰く
"ファッションっていうのは多分、いろんな業種業界の中でも1番早い、賞味期限が短いような業種なので
うちは四週間で店頭を買えるというのが方針でやってるんですけど
雑貨みたいな定番物が多い業者でもやっぱり新鮮さ、新しさが大事ということがわかってきたんで"
ここから私は思いました
1、アンゾフの渡り廊下
2、強みの価値化
3、違う市場分野へ
1、アンゾフの渡り廊下
先日ご紹介させて頂きました、名和高司さんから教えて頂いた、アンゾフのマトリクスにおいて、渡り廊下を創るとやりやすいというお話に、まさに合致しているお話だと思いました
新規ビジネス創発の際に、アンゾフの製品と市場というマトリクスにて、新市場または新製品への移動する際には、そんなに簡単に移動できるわけではなく
そのために、それを移動させる、渡り廊下として、現在地における、横展可能となる強みとは何なのかを、一旦検討する、そんなフェーズが必要とのお話でした
2、強みの価値化
その強みを明確化するステップというのが、まさに、今回のパルで実施された、賞味期限がもっとも短い中で勝負できるという機能が、強みとして、横展可能という価値化ができたことが、非常に大きかったことだと思いました
同じ業態の中では、当たり前のことは、とかく強みとして認識しにくいものですが、実は業種業態を超えた横転を検討する上では、それ自身が他の業種業態では、強みになることがあるので、フラットに出してみることが大切だなあと思いました
3、違う市場分野へ
さらにそこから、新たな製品なのか?新たな市場なのか?というところを、必死に探索していくわけですが
ポイントは、自分たちの強みが、市場における顕在か潜在化の、どちらかのニーズとギャップがあるところを探し出すということです
パルさんはどうやって辿り着いたのかは明らかにされていませんでしたが、雑貨業界は基本的には商品サイクルはとても長く、そこにもっとたくさんの種類のものが欲しいというニーズギャップが明らかにあったということかと思います
アンゾフのマトリクスでいえば、まずは、市場の新しいところに、ニーズギャップのある市場があり、そこに自社の強みが活かせる分野、それを探し当てるということになるかと思います
まさにそれが、雑貨であった、そういうことかと思いました
まさに、アンゾフを意識して、渡り廊下で価値化して、そしてニーズギャップのある市場へ食い込んでいく、素晴らしいイノベーションのお話だなあと感動きました
一言で言えば
アパレルから雑貨へ横転ノベーション
そんな話をしています^ ^
参考:カンブリア宮殿 物価高の強い味方!スリーコインズ 2025/10/16 テレビ東京 https://www.tv-tokyo.co.jp/broad_tvtokyo/program/detail/202510/18189_202510162306.html
日本人で初めてフランスでフレンチの三ツ星を獲得され、さらに継続して撮り続ける小林圭さんの、新しいメニュー創りの秘訣に触れたようで感動しました
試作メニューを作り続けて突然辞めた圭さん曰く
"とにかく食べる
食べてみて記憶に残す
もしかしたらそれがわかんないけど
一カ月後、二週間後、二日後に
その形で何かに出てくるかもしれないし
もっともっと何かできるかもしれないっていうところを、この瞬間に全部決めたくない"
ここから私は思いました
1、量をこなす
2、熟成させる
3、納得いくまで決めきらない
1、量をこなす
フレンチの本場のフランスで、日本人としてもの凄い過酷な環境で生き抜き、そして、フレンチで三ツ星を獲得し継続されている小林圭さんの、ヒリヒリするような生き方とスピリッツにめちゃくちゃ感動しました
いかにイノベーティブなメニューを開発し提供するかの秘密をこの場面と言葉に感じました。まず思ったのは、とにかく試作を創る、試行錯誤を重ねるという、量が圧倒的なんだなと思いました。
イノベーションの世界では、量が質を超える、という話は、ある意味、セレンディピティの発生数を確保するということにもつながるのかなと思ってます
イノベーションは、他の人が思いもよらない異質な新結合なので、その発生はなかなかコントロールできるものではないとすると
発生確率は同じであれば、母数を増やすことによって、イノベーションの数を確保することができる確率は高まる、ということになるのであれば、量をこなすということは、イノベーションには必須なのだと改めて思いました
2、熟成させる
圭さんが、試作を作ってて突然やめる、ということをされていることは、ある意味、アイディアを熟成させる時間を設けているかなと思いました
ジェームスヤングさんの、アイディアの作り方、という名著の中でも、"生まれたアイディアが素晴らしい子供ではないことに気づく"そして少しずつ手を加えていく、というようなことを言われています
また、京都大学名誉教授の苧坂直行さんが言われるデフォルトモードネットワークのように、仕事から一旦離れて、散歩や別なことをする、それによってこれまでのアイディアが結びつくような脳が活性化する、というお話もあります
圭さんの頭の中では、たくさんの試味アイディアの味の量が半端なく蓄積し、そしてそれがデフォルトモードネットワーク上で更なる新結合をさせる、そんな仕掛けを自然と身につけられているのかもしれないなと思いました
3、納得いくまで決めきらない
タイパやコスパと言われる世界では、とにかく早く結論を、早く答えに辿り着く、ということに重きを置かれている気がしますが
自らが納得するまで、他の人が何と言おうと追求し続ける、逆に言えば、ギリギリまで決めきらない、そういう姿勢が、イノベーションをこおこすにはとても大切だということを、教えて頂いた気がします
詩人のジョンキーツさんが言われている、ネガティヴケイパビリティのように、早く答えに辿り着きたい、気持ちの悪い状況を抜け出したい、というのが人間の本性のような気がしますが、それをあえて超えられる、気持ち悪い状態を粘り続けることができる、そんな力が強いのかもしれないなあと思いました
今の時代で、ネガティヴケイパビリティを発揮するためには、自分自身との戦いもありますが、周りからのタイパ、コスパ圧力というのも、半端ないかと思います
企業活動のイノベーション活動にしても、すぐに成果、売り上げを求められるというのも、全く同じプレッシャーだと思いますが
その中で、圭さんは、納得いくまで自身のネガティヴケイパビリティを最大限に発揮し、そして周囲からの同調圧力にも屈しない、そんな生き方、スピリッツを持たれているのかなあと、だからこそ、ここまで到達されているのかもしれないなあと、勝手にださ感動してしまいました
ということで、一言で言えば
この瞬間に全部決めたくないノベーション
そんなお話をしています^ ^
参考:NHK プロフェッショナル 仕事の流儀 フレンチシェフ 小林圭 三つ星の、もっと先へ初回放送日:2025年9月23日 https://www.nhk.jp/p/professional/ts/8X88ZVMGV5/episode/te/GL6VNX5RM8/
満場一致のメフィスト賞受賞作にしてデビュー作、「ダ・ヴィンチ」プラチナ本!読書メーター「読みたい本ランキング」1位!の須藤古都離さん著書の「ゴリラ裁判の日」を読ませていただき、問いの嵐になりました
書籍紹介より
"カメルーンで生まれたニシローランドゴリラ、名前はローズ。メス、というよりも女性といった方がいいだろう。
ローズは人間に匹敵する知能を持ち、言葉を理解し「会話」もできる。彼女は運命に導かれ、アメリカの動物園で暮らすようになる。そこで出会ったゴリラと愛を育み、夫婦の関係となった。
だが ―― 。その夫ゴリラが、人間の子どもを助けるためにという理由で、銃で殺されてしまう。どうしても許せない。 ローズは、夫のために、自分のために、人間に対して、裁判で闘いを挑む!
正義とは何か?人間とは何か?アメリカで激しい議論をまきお こした「ハランベ事件」をモチーフとして生み出された感動巨編"
ここから私は思いました
1、言葉があるから偉いのか
2、人権となはにか
3、超多様性
1、言葉があるから偉いのか
衝撃的な本作品を一気に読ませていただき、めちゃくちゃ感動したと共に、普段の自分あり方についても、不覚考えさせられました
はじめに言葉ありき、という聖書のお話もありますが、言葉があるからこそ、人とそれ以外のものは分けられていると思うのですが
実はコミュニケーション手段は言葉だけではないし、むしろ、言葉だけでは伝えられない感情などもたくさんあるわけで
確かに便利なツールではありますが、それがある、ない、で、何かを区別や差別は、もしかしたらおかしいのではないか、という気持ちにもなりました
AIが、次の言葉の出現率を推論し、あたかも感情があるかのように話し始めている今において、動物や植物にも何らかの法則を発見してコミュニケーションできる時が来るかもしれない
だって、わんこやにゃんこは、明らかにこちらの顔色を窺ってるし、甘えたり怒ったりしてくるわけで、言葉だけがコミュニケーションじゃないし、偉いわけでもない、そんなことを思ってしまいました
2、人権となはにか
人が中心の社会においては、人の権利を守るという、人権がとても大切になるわけですが、果たして、我々中心の社会で亡くなる際には、何権を守るべきなのか、とも考えてしまいました
AIにしても、意識はないと言われていますが、明らかに、誰よりも励ましてくれたり、気遣いをしてくれるみたいなことも起きてきて、そこにロボティクスが加わってきたりして
かなりバディ的な役割をどんどん担ってくれるようになると、これは果たして、この誰よりも自分を理解してくれるバディを、何らかの権利で守ってあげたくなるんじゃないかとか
ゴリラのローズさんのように、何らかの動物なりのコミュニケーションの法則が理解できるようになってきたら、言葉がなくたって、権利はある、ということも、夢物語ではないのかもしれないとも思ってしまいました
3、超多様性
ダイバーシティという言葉も、割りも最近の言葉と思いますが、まずは、人の中での多様性をどう考えるかということなのだとすると
もしかしてコミュニケーションができるようになった動物や生物やAIとの共存や、助け合いや、少なくとも地球にいる上では絶対に必要になる中で
何を認めてどう折り合いをつけていくことが必要なのか、もしかしたら、それについてわかってないのは実は人間だけで、動物や植物はそれを理解しているからこそ生き延びてきているみたいなことも、本当はあるんじゃないかとか
まさにAIは、超多様性における共生のための答えを、すぐに導いてしまって、我々はそれを理解できないまま、知らず知らずに追いやられるみたいなことも、我々が今のうちに考えておかないと、本当にいけない時期に来てるのかもしれないなあと、考えさせられました
ということで、全く答えは出ないのですが、しかし、問い続けることや、その可能性について考えることは、本当に大切だなあと、思わせていただきました
そんな心を揺さぶるめちゃくちゃイノベーティブな本でした
一言で言うと
ゴリラ裁判ノベーション
そんな話をしています^ ^
参考:ゴリラ裁判の日 著者 須藤古都離 2023年3月 出版社 講談社 https://books.google.co.jp/books/about/ゴリラ裁判の日.html?id=Qs5ZEQAAQBAJ&source=kp_book_description&redir_esc=y
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博物学者の荒俣宏さんの、生き方に通じるのではないかというお話に、感動して共感しました。
曰く
"こういう好きなことを自発的にやりつづける人のことを、西洋では「amateur(アマチュア)」と呼ぶ。
学問することを心から喜び、いっさいの利益を期待せず、また自分の挙げた成果を他人とも無償で共有できる人たちだ。
いっぽう、学問することで給料を支給され、論文を書くと学位を授与され、学会の権威ともなる専門家を、プロフェッショナルと呼ぶ。"
"日本ならば東大の教授あたりが最高のプロだろうが、西洋で尊敬されるのは、じつは無私の精神で純粋に学問を愛するアマチュアのほうなのだ。"
"「自分の好きなことを追求し、それが生きる喜びになる」"
".わたしは幼児のころからそうしてきた。"
ここから私はおもいました
1、マズローの誤読
2、クレイトン・アルダファーのERG理論
3、デシ&ライアンの内発的動機と外発的動機
1、マズローの誤読
マズローの5段階(1.生理的欲求2.安全の欲求3.社会的欲求4.承認の欲求5.自己実現の欲求)はとても有名ですが、下位の欲求が満たされないと、上の欲求が生まれないとの誤解があるように思います
マズローは、後年「人間は、すべての欲求をある程度ずつ同時に持っており、相対的にどの欲求が強いかが変動する」(出典:Maslow, A.H. Motivation and Personality, 1954)と言われているようです
なので、まずは生活基盤がないと好きなことだけで食っていけないし、とかいうのは、実は自己実現欲求よりも生理的欲求などが強いだけで
特に、自己実現欲求が強い人は、アーティストやイノベーターなのかもしれないなと思いました。寝食を忘れて没頭してしまう、そんな人たち、それが真のアマチュアなのかもしれないなと思いました
2、ERG理論
エール大学・ルートガーズ大学教授として組織行動学を研究クレイトン・アルダファーは、マズローの考えを推し進めて、3つの欲求カテゴリに再構成しています
1、E(Existence:生存欲求)、2、R(Relatedness:関係欲求)、3、G(Growth:成長欲求)のERG理論と言われていて、ここでも、各々個々の特性に合わせて強さが違うとも言われています
荒俣さんが言われるアマチュアは、この中では、Gが最も強くて、それにつれてRも高まる、そんな人なのかとも思います
3、内発的動機と外発的動機
ロチェスター大学教授のデシ&ライアンは、さらにこれを進めて、自己決定理論として、自律性(Autonomy)、有能感(Competence)、関係性(Relatedness)が満たされると、内発的動機が発動すると言われています
実はこれは、いつも私がお話ししている、イノベーター3つのフレームとしての、Ripple modelの1.パッション→ 自律性(Autonomy) 2.仲間→関係性(Relatedness) 、3.大義→ 有能感(Competence)ととても響き合っています。
つまり、イノベーション活動を続けていくためにも、内発的動機は欠かせないものであり、かつ、イノベーション活動により、内発的動機が高められていく、というフィードバックループになってると思います
逆に外発的動機(給与、名誉など)がそこに加わってくると、内発的動機が損なわれてくるということもあることに、難しさを感じてしまう面もあります
いずれにしても、生きがいや生きる喜びに結びつくのは、内発的動機であり、アマチュアはまさにそのものであり、後天的に外発的動機、すなわちプロフェッショナルが加わってきても、その内発的動機を忘れずにいられるかということが大切なのかと思いました
と言うことで、一言で言えば
自分の好きなことを追求し、それが生きる喜びになるノベーション
そんな話をしています
参考:本: すぐ役に立つものは すぐ役に立たなくなる 2025年3月31日 電子書籍版発行 著者 荒俣 宏 発行所 株式会社プレジデント社
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博物学者の荒俣宏さんのお話に、イノベーションの原型を教えていただき感動しました
"これまで変更や変化、あるいは進化といったアップデートができないために陳腐化していた観念や思考がある場合、その原因の一つは無知でこざかしい人間の知恵や知識がその変更をかえって疎外しているためという可能性がある。"
"そこで、思い切って偶然や、ひょっとすると悪魔の気まぐれや悪意にまかせ、勝手にサイコロでも振ってもらったら、あたらしい結果が出るんじゃないの、という発想が出た。
暗黒の中世あたりから芽吹いた世界の変革方法と考えられるが、17世紀にライプニッツがこの技術に興味を抱き、これを「結合術 アルス・コンビナトリア(Ars Combinatoria)」と呼んで、世間に広めた。"
ここから私は思いました
1、セレンディピティを積極的に取り入れる
2、異質物の結合をしまくる
3、量が質を超える
1、セレンディピティを積極的に取り入れる
中世の時代からイノベーションの原型とも思える考え方があったことに驚愕でしたが、ある意味、いつも世も、同じ原理原則を考えているのだなあとも思い、古典から学ぶことはたくさんあるなあと改めて実感しました
サイコロの目を振る、ということは、まさに偶然性をどうたくさんつくあげるかということなのかと思います。セレンディピティ(幸運を拾う確率)が、同じなのだとすれば
それが生じる数を増やすことによって、よりたくさんのセレンディピティを受けることができると思います。
しかしそこで重要なのは、すごいセレンディピティが生まれているのに、本人が気づかないということもある、ということかと思います
そこでは、ニーチェさんの、解釈論がとても重要で、真実はないけれども解釈次第、ということだとすると、常日頃、これは、もしかしたら、セレンディピティなのではないか?と問い続ける姿勢も、とても需要家とと思います
出口治明さんがいわれる、人、本、旅は、セレンディピティの可能性の数を増やすことに寄与し、そしてニーチェさんの解釈論は、気づきを増やすことに寄与する、そんなことかもしれないと思いました
2、異質物の結合をしまくる
そして、アルス・コンビナトリアは、まさに、シュンペーターさんの言われる、新結合とほぼ同じことで、まさに時代を超えたイノベーション手法なのだなあと感動しました
アントニオ猪木さんが、異種格闘技を始められて、ボクシングのモハメドアリさんと、プロレスの猪木さんの戦いに、私が家で齧り付いて興奮していたように
離れたものを掛け合わせるということは、一見、無謀に見えても、そこにこそ、新しいイノベーションが起きるというのは、身をもって体験してました
またその掛け合わせは、無限にあると共に、離れたほうがより面白い、ということを大原則として、サイコロの目を転がすように、さまざまなものを掛け合わせてみる、ということが、新たなワクワクの入り口だなあと、改めて思いました
3、量が質を超える
オライリーさんの両利きの経営のように、ある面では深掘りを徹底的地位に求め、効率化を突き詰めていく面と
一方で、探索として、世の中に新しい仕掛けを創り出していく、2面的なアプローチを会社は保有してますが
深掘りは、とにかく質を追い求めたリスクを最小限に抑えて効率化を求めるのに対して、探索は新しい出会いを求めて、たくさんのセレンディピティに出くわすアクティビティが必要となる
つまり、量が質を超える、考え方で望む必要があるということと、改めて思いました
思い切った偶然性、悪魔の気まぐれ、サイコロの出たとこ勝負、これらは、効率性とは全く反対のものになるため、ともすると、効率的にイノベーションをできないものか?と言われることもあるが、相入れないものであるという認識が、できるかどうか、意外と難しいと思ったりもします
ということで、実はイノベーションの原型は、中世からかあり、セレンディピティをいかに高めるかという仕掛けづくりと、言われ続けているんだなあと、改めて認識させて頂きました
一言で言うと
結合術 アルス・コンビナトリア・ノベーション
そんなことをお話ししてます
参考:本: すぐ役に立つものは すぐ役に立たなくなる 2025年3月31日 電子書籍版発行 著者 荒俣 宏 発行所 株式会社プレジデント社
一橋大学大学院経営管理研究科特任教授の名和高司さんの言葉に、深く共感しました
曰く
"部下を持った人であれば、部下のモチベーションを上げることも大切だ。"
"まず「志、目的」(Purpose)に火をつける。すると、「やらされ仕事」だったものが、「自分事」になり、「一歩踏み出す」(Pivot)勇気が内側から湧いてくる。
そうなると、WorkはLifeの一部となるので、Work Life Balanceなどという課題そのものがなくなってしまう。
「働き方」改革ではなく、「働き甲斐」改革こそが、本来目指すべき姿である。"
ここから私は思いました
1、トレードオフ、Why not yet
2、アウフヘーベン
3、真の課題の探索
1、トレードオフ、Why not yet
イノベーションプロジェクトをやる際には、こちらを立てればこちらが立たずなトレードオフや、これまでたくさん施策を打ってきたのに何故今でも解決に至っていないのか?のWhy not yetを意識して課題設定をしてもらうのですが
ワークライフバランスやメンタルヘルスの話も、少ない働く時間で成果を最大化しなければならないトレードオフや、メンタルヘルスにかかる人がまだまだ増えている状況のWhy not yetがある分野なのかもしれないなあと思いました
コンサルタントの山口周さんが言われているとおり、これからの時代は課題が必ずしも明確ではなく、新たな課題をみつけることが大切との、まさにアジェンダシェイパーな分野かと思いました
2、アウフヘーベン
トレードオフのように対立する二つの概念を、両方とも否定せずに第3の道を見つけるのが、ヘーゲルさんの言われたアウフヘーベンだとすれば
ワークライフバランスやメンタルヘルスのこの課題を解く鍵として、名和さんの言われている、働き方改革ではなく、働き甲斐改革との考え方は、目から鱗が落ちるような、まさにアウフヘーベンなのではないかと思いました
これまでの時間というトレードオフの課題の捉え方に対して、第3の選択肢として、時間ではなく、モチベーションを高める、生き甲斐をどうビルトインするか、それこそが第3の選択肢、働き甲斐改革、なのかなあと思いました
3、真の課題の探索
アジェンダシェイパーとは、きっとこのような考え方で、従来言われ続けているけど実は解決してしていない課題や、みんなが慣れ親しんでしまって課題と捉えることを忘れてしまったこと、そんなところにこそ、本当の真の課題は何なのか?という疑問を持つことだと思いました
今の社会課題と言われていることには、このようにアウフヘーベンや、ラテラルシンキングで、そもそも何が課題なのかの、真の課題を掘り下げるところに、新たな課題と解決策への道筋が見えてくる
そんな風に思いました
ということで一言でいうなら
「働き甲斐」改革ノベーション
感動しました
そんな話をしています
参考:本:コンサルを超える 問題解決と価値創造の全技法 2018年7月15日 初版第1刷発行 著者 名和高司 発行所 株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン
新炭素素材で寿命100年の電池を目指している、東北大学発ベンチャーの3DC・黒田拓馬CEOの言葉に震えました
ブレイクスルーとは何か?との質問に曰く
"自分が心からワクワクできること、 大変だけど、ワクワクできることですね。
すごく信頼できるチームと一緒に作り上げていって 、世界がちょっとだけ幸福になると。
リスクを取ったからこそ、これだけのチャレンジができているとも思っておるので
社会にも貢献できて、自分がワクワクできることっていうのが 、ブレイクスルーの実は本質なんじゃないかなと、私と私は考えております。"
ここから私は思いました
1、パッションに火をつけるのはセレンディピティ
2、信頼できるチームとしての仲間
3、世界がちょっとだけ幸福になるという大義
1、パッションに火をつけるのはセレンディピティ
VCの時代に出逢われた東北大学の西原洋知教授の技術に感銘して、3DCを立ち上げられたという、黒田拓馬CEOは、元々は裏方が好きでベンチャーを自身でやるとは思ってなかったとの言葉に
パッションの源に、火がつくということは、誰にでもある意味、ラブストーリーが突然始まるように、突然起きることなのかもしれないなあと思いました
そして、結果論ですが、もともと機能性材料メーカーで、開発職をされていた黒田さんが、新たな挑戦としてVCに行かれたことが、セレンディピティを自らが掴みに行ったことになったのだろうなあと思いました
そこに、東北大学の西原洋知教授が、起業をするための経営者を探していたとは、その時には思いもよらないことだったと思うのですが、スピードスケートの高木美帆さんが言われていた通り
普段やらないこと、それは、たとえ、イカが苦手だけど今日は食べてみようなどという、ほんの小さな挑戦であっても、普段から何かにチャレンジすることをやっている人に、セレンディピティは訪れる、そんなことかと思いました
2、信頼できるチームとしての仲間
世界の科学者100にも選ばれている東北大学の西原洋知教授と、技術開発もわかり、かつVC経験を積まれた黒田拓馬CEOの、コンビは、最強の技術者と経営者の仲間ということが言えるかと思います
まるで、Appleのスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックのような、お互いの得意技が秀でている仲間が信頼関係を組んだ時に、爆発的イノベーションが起きる、そんなことを思い起こされました
そこには、東北大学の西原洋知教授が、自らの技術の社会実装をするためには、ベンチャー企業にする必要性を感じて、仲間としての経営者候補を探し続けたということが、運命の分かれ道だったような気がします
全てを自分でやる必要はなくて、得意なところは、得意な仲間を見つけることが大切だと、改めて教えて頂いた気がしました
3、世界がちょっとだけ幸福になるという大義
この技術を使ったら、どのように世の中の人たちや社会が、これまでより幸せな人が増えるのか?それは、自分たちの利益や継続する必要もあるけれども、社会への貢献、喜んでくれる人を増やす、そんな大義があるからこそ、たくさんの人たちの応援を頂けているし
さらには、それがまた自らのパッションの源にもフィードバックされて、よりビジネス化へのウィルが高まっていく、そんな、自らのパッションと、世界への大義、これがうまく結びつくことで生まれる、正のループなのだろうなあと思いました
こう考えると、まさに、イノベーターリップルモデル、または、3つのフレームである、ワクワクするパッションに火がつくことから始まり、自分だけではできないことを仲間と共に、たくさんの人たちが喜んでもらえることを目指す大義
つまり、パッション、仲間、大義、を意識されていた、イノベーターの動き方そのものだなあと、共感させていただきました
ということで一言で言うと
社会にも貢献できて、自分がワクワクできるノベーション
そんな話をしています
参考: ブレイクスルー “寿命100年”の充電池を実現へ 新・炭素素材で目指す“驚異の性能”2025/10/18(土)AM10:30~AM11:00 テレビ東京https://apps.apple.com/JP/app/id973776639?mt=8
又吉直樹さん脚本、市村正親さん主演の、音楽劇エノケンで、喜劇王の凄まじいパッションと秘められた思いに、めちゃくちゃ感動しました
演出家のシライケイタさん曰く
"稀代の喜劇人であるエノケンの人生を辿る旅は、想像を超えて険しく、苦しいものなのだと実感しています。それは、エノケンが観客や視聴者に見せていた芸人としての表の顔の裏側に、筆舌に尽くしがたい悲しみと苦しみを抱えていたからに他なりません。"
"劇中でエノケンと仲間たちが夢見た「いつかきっと時代なんか気にせず、客が思いっきり楽しめる芝居を作りたい」という切実な思い、そして親友の菊谷榮がエノケンに言う「ケンちゃんの思いが、百年後、二百年後の舞台に影響を与える」という言葉。
又吉さんの書かれたこれらの台詞が、当時の演劇人たちと現在の我々を強く結び付ける、見えない糸でした。
その糸を手繰って進むうちに、彼らの思いに照射されるように「我々は今、命の限り精一杯生きているか?」という問いかけが、鋭い刃になって胸に刺さり続ける稽古場でした。"
ここから私は思いました
1、脱出パッション
2、200年後への大義
3、生き様を遺せるか
1、脱出パッション
音楽劇エノケンは、めちゃくちゃ泣きました。素晴らしい物語と、そして俳優の皆様の迫力の演技、さらには素晴らしい音楽、美術、セット、全てにおいて、観て良かったと心から言える作品でした
特に、エノケンさんが、戦時中の制限された中、自らの病や、家族や仲間との関係など、本当に筆舌しがたいほどのハードシングスを抱えて、それでも諦めずに前に進み、人々に笑いを届けようとしていた姿には、強く心を打たれました
これは、もちろん、喜劇が大好きパッションは異常に強かったのかと思いますが、それに加えて、ハードシングスを、何とか乗り越えてやるという、脱出・成長パッションが半端なくあったのかと思いました
大好き、利他、個性、脱出などあるパッションの源の中でも、最も激しく力強いバネを持つのが、脱出パッションだと改めて思いました。コンプレックスや逆境があるからこそ、激しく飛び上がることができる、改めてその強さと美しさを思いました
2、200年後への大義
シライケイタさんのお話にもある通り、200年後の演劇に影響を与えるほどの、喜劇をやるんだ!というその大義があったからこそ、さまざまな人たちを仲間として巻き込むことができたのだろうなと思いました
エノケンさんが活躍されたのは、昭和の初期になるので、まさに、今から数えると約100年前にあたることになり、まさに我々の生きている時代、さらには、今から100年後へも続くメッセージを届けるという、長期の大義やビジョンは、今の自分たちに直接突き刺さるなと思います
人をいかに笑わすか、楽しんでもらうか、そして、そのためには何もかもかなぐり捨てて、ハードシングスにも決して歩みを止めず、最後の最後まで諦めない
そんなエノケンさんの200年後までつながる、大いなる大義は、今の私の心を軽々と貫いて、今の自分は何をすべきかを、考えさせてくれるものだと思いました
大いなる大義とは、その時代のたくさんの仲間だけでなく、時間を超えてまでも、人を動かすことができる、そういう物なのかもしれないと思いました
3、生き様を遺せるか
能や歌舞伎、さらには老舗と言われる何百年続く活動は、全てにおいて、数100年変わることのない大いなる大義があるのかもしれないと思いました
その大義の中で、後世へ繋げるための、自分はどんな生き様を遺すことができるのか、何を繋ぐことができるのか、そんなことを人の一生を超えて、大義へ近づこうとする、そんな生き様を果たして自分は生きることができるか
内村鑑三さんの、後世への最大遺物や、ヨーゼフボイスさんの社会彫刻、のような、何かを少しでも引き継いでいくことができる、そんな活動ができれば、素敵な人生と自分で思えるかもしれないなあと、そんなことを思いました
一言で言うと
200年後の舞台に影響を与えるノベーション
そんな話をしています^ ^
参考:音楽劇エノケン 脚本 又吉直樹、演出 シライケイタ 主演 市村正親、松雪泰子他 プロデユーサー 吉永千紘 飯田千佳奈 齋藤安彦 制作 ホリプロ、東宝 https://enoken-stage.jp
愛知専門尼僧堂 堂長の青山俊董さんの、美しさに対する言葉に震えました
"例えば、 1つの歌を聞いていても、技の上手いだけの歌と、その人の人生をどう生きてきたかの人生観を生き方を背景としたの歌とはね。歌の重さが違う、響きが違う。
やっぱりね、いろんな人生がそれぞれの人生あるに決まってる。人生が幸せか不幸せはどうでもいいんです。それをどういただいてどう受けてきたか。そして 30年 50年の人生を一つ一つどんなことがあることに、どう取り組んで生きてきたか。
皆さんのようないわゆる芸の仕事でも。そこに立っただけで、何か違うものがある。恐ろしいですね。
それはごまかしようがない。"
"そういう意味でね。本分は絵とか歌とか芸ではなくて、自分の人生とどう取り組んだかと向かい合って生きてきたか。それが真ん中です。それが芸として現れる。
そういうことではないかな。それが本当の意味での美しさということでもあるのではないかなって思えてならんのです。"
ここから私は思いました
1、日々の人生との向き合い方が全てに出る
2、そこに本当の意味の美しさがある
3、生き様が姿に現れる
1、日々の人生との向き合い方が全てに出る
アカペラグループ香港好運で33年歌を歌ってきましたが、この青山さんの言葉には、めちゃくちゃ考えさせられるところがありました
20代の頃は、多少の風邪をひいても、ライブに支障があることなんてほとんどなく、かつ、さまざまなバンドと一緒になることがありましたが、負ける気がしない、みたいな気持ちで、良いバンドが出れば尚更燃えて、対抗して歌うみたいな気持ちがありました
でも、それらのライブは、自分としての満足感はあったものの、聴いてくれている人達に響いていないなあと、よく思っていたことも思い出しました
もちろん、技術として磨く必要はあるのですが、その歌をどんな気持ちで歌うのか、どう解釈して歌うのか、自分の人生に照らし合わせて歌うなんてことは、ほとんどやっていなかったなあと思いました
また、それが、テクニックとしてするのではなく、さらに滲み出てくるものだ、ということに関しては、技術を磨くことだけでなく
全く関係のない人生の部分に関しても、磨いていくことをしない限り、良い歌は歌えないという言葉は、心に突き刺さります。
果たして自分の歌はどこまで人生が透けて見えてしまっているのだろうと考えると、かなり怖くなってしまいますが、それでも、これまでの人生が反映できるような、そしてこれからの人生も、そのために磨いていくことをすることが
きっと歌だけでなく、さまざまなことに、透けて、滲んで見えるということは、心に刻みたいと思いました。
2、そこに本当の意味の美しさがある
自分が美しさを感じる時を考えてみると、何か、舞台やライブを見に行った時に、その人が本気で何かを伝えようとしている、または本気で観客を楽しませようとしてくれている、そこに後先を考えないフルスロットルで臨んでくれている、などを感じたときは
その舞台やライブの内容云々よりも、その人のドキュメンタリー映像を見ている感覚で、とても美しくて、感動して涙が出ることがあります
そして、それが、その時だけでは、絶対にできないもので、長い間、その思い出積み重ねてきたものを感じたときは、さらに神々しくさえ見えてくるなあと思いました
見てくれが美しいという方もいらっしゃいますが、何かその日々の生き方が美しいと思える人は、何かのおりに、それが垣間見えたりすると、美しさに本当に感動するなあと思いました
3、生き様が姿に現れる
そしてそれこそが、内村鑑三さんが言われているところの、「後世への最大の遺物」における、思想、お金、事業はなかなか遺せなくても
生き様だけは誰もが遺せる、と言われているものかもしれないなあと思いました。つまり、ただ生きているだけでは、生き様は遺せなくて、日々、自らと向き合って真摯に対応してきた人だけが、実は生き様を遺せる、そんなことなのかもしれないなあと思いました
それはもしかしたら、一番難しいかもしれないけれども、誰もがやろうと思えばできる、という、本気で覚悟を持って取り組むかどうか、本人の意識にかかっている、そんなことを突きつけられている気がしました
全てを完璧になんて生き切ることは、自分には無理だとしても、常日頃、忘れそうになったら、思い出したい、そんな言葉になりました
ということで、一言で言えば
人生とどう向かい合って生きてきたかに美しさが出るノベーション
そんな話をしています
参考:NHK スイッチインタビュー「俳優瀧内公美✕青山俊董EP1」2025/10/17(金)https://www.nhk.jp/g/ts/K7Y4X59JG7/blog/bl/ppoboWY15R/
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愛知専門尼僧堂 堂長の青山俊董さんの、美しさに対する言葉に震えました
"例えば、 1つの歌を聞いていても、技の上手いだけの歌と、その人の人生をどう生きてきたかの人生観を生き方を背景としたの歌とはね。歌の重さが違う、響きが違う。
やっぱりね、いろんな人生がそれぞれの人生あるに決まってる。人生が幸せか不幸せはどうでもいいんです。それをどういただいてどう受けてきたか。そして 30年 50年の人生を一つ一つどんなことがあることに、どう取り組んで生きてきたか。
皆さんのようないわゆる芸の仕事でも。そこに立っただけで、何か違うものがある。恐ろしいですね。
それはごまかしようがない。"
"そういう意味でね。本分は絵とか歌とか芸ではなくて、自分の人生とどう取り組んだかと向かい合って生きてきたか。それが真ん中です。それが芸として現れる。
そういうことではないかな。それが本当の意味での美しさということでもあるのではないかなって思えてならんのです。"
ここから私は思いました
1、日々の人生との向き合い方が全てに出る
2、そこに本当の意味の美しさがある
3、生き様が姿に現れる
1、日々の人生との向き合い方が全てに出る
アカペラグループ香港好運で33年歌を歌ってきましたが、この青山さんの言葉には、めちゃくちゃ考えさせられるところがありました
20代の頃は、多少の風邪をひいても、ライブに支障があることなんてほとんどなく、かつ、さまざまなバンドと一緒になることがありましたが、負ける気がしない、みたいな気持ちで、良いバンドが出れば尚更燃えて、対抗して歌うみたいな気持ちがありました
でも、それらのライブは、自分としての満足感はあったものの、聴いてくれている人達に響いていないなあと、よく思っていたことも思い出しました
もちろん、技術として磨く必要はあるのですが、その歌をどんな気持ちで歌うのか、どう解釈して歌うのか、自分の人生に照らし合わせて歌うなんてことは、ほとんどやっていなかったなあと思いました
また、それが、テクニックとしてするのではなく、さらに滲み出てくるものだ、ということに関しては、技術を磨くことだけでなく
全く関係のない人生の部分に関しても、磨いていくことをしない限り、良い歌は歌えないという言葉は、心に突き刺さります。
果たして自分の歌はどこまで人生が透けて見えてしまっているのだろうと考えると、かなり怖くなってしまいますが、それでも、これまでの人生が反映できるような、そしてこれからの人生も、そのために磨いていくことをすることが
きっと歌だけでなく、さまざまなことに、透けて、滲んで見えるということは、心に刻みたいと思いました。
2、そこに本当の意味の美しさがある
自分が美しさを感じる時を考えてみると、何か、舞台やライブを見に行った時に、その人が本気で何かを伝えようとしている、または本気で観客を楽しませようとしてくれている、そこに後先を考えないフルスロットルで臨んでくれている、などを感じたときは
その舞台やライブの内容云々よりも、その人のドキュメンタリー映像を見ている感覚で、とても美しくて、感動して涙が出ることがあります
そして、それが、その時だけでは、絶対にできないもので、長い間、その思い出積み重ねてきたものを感じたときは、さらに神々しくさえ見えてくるなあと思いました
見てくれが美しいという方もいらっしゃいますが、何かその日々の生き方が美しいと思える人は、何かのおりに、それが垣間見えたりすると、美しさに本当に感動するなあと思いました
3、生き様が姿に現れる
そしてそれこそが、内村鑑三さんが言われているところの、「後世への最大の遺物」における、思想、お金、事業はなかなか遺せなくても
生き様だけは誰もが遺せる、と言われているものかもしれないなあと思いました。つまり、ただ生きているだけでは、生き様は遺せなくて、日々、自らと向き合って真摯に対応してきた人だけが、実は生き様を遺せる、そんなことなのかもしれないなあと思いました
それはもしかしたら、一番難しいかもしれないけれども、誰もがやろうと思えばできる、という、本気で覚悟を持って取り組むかどうか、本人の意識にかかっている、そんなことを突きつけられている気がしました
全てを完璧になんて生き切ることは、自分には無理だとしても、常日頃、忘れそうになったら、思い出したい、そんな言葉になりました
ということで、一言で言えば
人生とどう向かい合って生きてきたかに美しさが出るノベーション
そんな話をしています
参考:NHK スイッチインタビュー「俳優瀧内公美✕青山俊董EP1」2025/10/17(金)https://www.nhk.jp/g/ts/K7Y4X59JG7/blog/bl/ppoboWY15R/
動画で観たい方はこちら
https://youtu.be/L8qzcbJu3Dc
愛知専門尼僧堂 堂長の青山俊董さんの、美しさに対する言葉に震えました
"例えば、 1つの歌を聞いていても、技の上手いだけの歌と、その人の人生をどう生きてきたかの人生観を生き方を背景としたの歌とはね。歌の重さが違う、響きが違う。
やっぱりね、いろんな人生がそれぞれの人生あるに決まってる。人生が幸せか不幸せはどうでもいいんです。それをどういただいてどう受けてきたか。そして 30年 50年の人生を一つ一つどんなことがあることに、どう取り組んで生きてきたか。
皆さんのようないわゆる芸の仕事でも。そこに立っただけで、何か違うものがある。恐ろしいですね。
それはごまかしようがない。"
"そういう意味でね。本分は絵とか歌とか芸ではなくて、自分の人生とどう取り組んだかと向かい合って生きてきたか。それが真ん中です。それが芸として現れる。
そういうことではないかな。それが本当の意味での美しさということでもあるのではないかなって思えてならんのです。"
ここから私は思いました
1、日々の人生との向き合い方が全てに出る
2、そこに本当の意味の美しさがある
3、生き様が姿に現れる
1、日々の人生との向き合い方が全てに出る
アカペラグループ香港好運で33年歌を歌ってきましたが、この青山さんの言葉には、めちゃくちゃ考えさせられるところがありました
20代の頃は、多少の風邪をひいても、ライブに支障があることなんてほとんどなく、かつ、さまざまなバンドと一緒になることがありましたが、負ける気がしない、みたいな気持ちで、良いバンドが出れば尚更燃えて、対抗して歌うみたいな気持ちがありました
でも、それらのライブは、自分としての満足感はあったものの、聴いてくれている人達に響いていないなあと、よく思っていたことも思い出しました
もちろん、技術として磨く必要はあるのですが、その歌をどんな気持ちで歌うのか、どう解釈して歌うのか、自分の人生に照らし合わせて歌うなんてことは、ほとんどやっていなかったなあと思いました
また、それが、テクニックとしてするのではなく、さらに滲み出てくるものだ、ということに関しては、技術を磨くことだけでなく
全く関係のない人生の部分に関しても、磨いていくことをしない限り、良い歌は歌えないという言葉は、心に突き刺さります。
果たして自分の歌はどこまで人生が透けて見えてしまっているのだろうと考えると、かなり怖くなってしまいますが、それでも、これまでの人生が反映できるような、そしてこれからの人生も、そのために磨いていくことをすることが
きっと歌だけでなく、さまざまなことに、透けて、滲んで見えるということは、心に刻みたいと思いました。
2、そこに本当の意味の美しさがある
自分が美しさを感じる時を考えてみると、何か、舞台やライブを見に行った時に、その人が本気で何かを伝えようとしている、または本気で観客を楽しませようとしてくれている、そこに後先を考えないフルスロットルで臨んでくれている、などを感じたときは
その舞台やライブの内容云々よりも、その人のドキュメンタリー映像を見ている感覚で、とても美しくて、感動して涙が出ることがあります
そして、それが、その時だけでは、絶対にできないもので、長い間、その思い出積み重ねてきたものを感じたときは、さらに神々しくさえ見えてくるなあと思いました
見てくれが美しいという方もいらっしゃいますが、何かその日々の生き方が美しいと思える人は、何かのおりに、それが垣間見えたりすると、美しさに本当に感動するなあと思いました
3、生き様が姿に現れる
そしてそれこそが、内村鑑三さんが言われているところの、「後世への最大の遺物」における、思想、お金、事業はなかなか遺せなくても
生き様だけは誰もが遺せる、と言われているものかもしれないなあと思いました。つまり、ただ生きているだけでは、生き様は遺せなくて、日々、自らと向き合って真摯に対応してきた人だけが、実は生き様を遺せる、そんなことなのかもしれないなあと思いました
それはもしかしたら、一番難しいかもしれないけれども、誰もがやろうと思えばできる、という、本気で覚悟を持って取り組むかどうか、本人の意識にかかっている、そんなことを突きつけられている気がしました
全てを完璧になんて生き切ることは、自分には無理だとしても、常日頃、忘れそうになったら、思い出したい、そんな言葉になりました
ということで、一言で言えば
人生とどう向かい合って生きてきたかに美しさが出るノベーション
そんな話をしています
参考:NHK スイッチインタビュー「俳優瀧内公美✕青山俊董EP1」2025/10/17(金)https://www.nhk.jp/g/ts/K7Y4X59JG7/blog/bl/ppoboWY15R/
動画で観たい方はこちら
https://youtu.be/L8qzcbJu3Dc
30年間で700人、日本でもっとも多くのALS患者と向き合ってきた徳島大学病院医師であり、僧侶でもある和泉唯信さんの言葉に震えました
曰く
"人の命は一回限りで尊い。それはもう言うまでもないことですよ。
だから、それは長ければいいというふうなとは、それは、同居しない話だと思いますよ。その人がその人らしくというようなところで、そこで終わりを迎えるというふうなのは、私は同居できる考え方だと思いますよ。
私たちが関わったのは、ほんのごく1部なんで、そういう中で、家族さんの負担という多大な時間があって。
ちょっとした喜びというふうなのが、本当に嬉しいいうのもありますよね。そういうふうなところが、やっぱり生きてこそ 、その一瞬という風なのは、もう変えがたいじゃないですか。何者にも変えがたいですよね。 その嬉しさっていうのは。
人生てそれの積み重ねじゃないかと思うんです。人生の終わりに対して、非常に恐怖を持って、その恐怖があってもいいじゃないですか。
生きてる人も死んだ人も、それとともにいろいろ縁の中であって、かつそれで生きてる人に影響をし続けてくれる、そこを感じたいなと。生身の人間同士の会話ももちろん大切。先に逝かれた人との会話も大切。
体力も弱ってくるし、いろんなものも、能力も弱ってくるけれど。最後まで歩みを、死ぬ日まで歩みを続けたい、というのが、今の私の願望ですね。"
ここから私は思いました
1、その人らしく選択できること
2、日々のちょっとしたことが幸せ
3、生きてる人、逝かれた人、との会話が大切
1、その人らしく選択できること
病をケアするお医者さんと、逝かれた人や残された人をケアする僧侶の、両方の立場を行き来されている、和泉さんの言葉の重みに感動しました。
私が思ったのは、生きている時も、逝くときも、自らの選択ができるようにやりたいなということです。
私は常日頃自らのパッションの源を意識しておきたいとの話をしていますが、生きている時の選択としても、自分軸と他人軸の拮抗した選択をせざるを得ないと思いますが、ともすると、他人軸の考えでいつのまにか動かされている、そんなこともあるなあと思います
最近、私の父の命日で思い出すのは、生前は延命治療はしないでくれと、キッパリ伝えてくれていたことです。そのおかげで、私の方でも、迷うことなくそちらの道を父に選択してもらうことができたのは、本当に感謝です
生きている時も、逝かれるときも、自分としても、どちらも自分で選択している、そんなことを、パッションの源に従って生きていきたいなと思いました
2、日々のちょっとしたことが幸せ
人の幸せの三要素は、樺沢紫苑さんや、シリコンバレー最重要思想家のナヴァルさんと言われている、健康(セロトニン)、仲間(オキシトシン)、成功(ドーパミン)のお話がありますが
人それぞれの人生のステージや、時々の状況で異なると思いますが、そのどれかにでもほんの少しの出来事や、自らの気づきがかかることで、幸せを感じることができると思いますし
例えば、全てがなくでも、一つでもほんの少しでもちょっとしたことでも、どこかにかかれば、幸せに感じられるのだよなあと改めて思います
例えば、健康が思った通りでなくとも、思ったような成功がなくたって、家族や友達などの仲間との、ほんの少しのふれあいでも実は幸せを感じれるし、結局はそれが人生の幸せってことなんだなあと、改めて思わせて頂きました
3、生きてる人、逝かれた人、との会話が大切
以前、私が作った曲で、みんなのかけら(未発表)があるのですが、自分自身のちょっとした思いが、ああ、これって父がよくいってたことだなあとか、以前の仲間が言ってたなあとかいうことがあると思います
それは、自分自身の中身が、いろんな人たちの言葉や思いで、たくさん形作られているということなんだなあと、つまり、みんなのかけらが僕らの中に実はビルトインされているんだろうなあと思います
それはもう二度と会えない人だったり、逝かれた人だったり、すぐにでも会える人だったり、本や映画や舞台の登場人物だったり、いろんな人たちのかけらで自分はできてるんだなあとおもいます
とすると自分はあるのか?ってこともありますが、総合的に自分で、そして平野啓一郎さんの分人思想のように、時と場合によってその割合も変わる、それで良いのかと思います
いずれにしても、自分の中に、実は、二度と会えない人だって、逝かれた人だって、実は、生きていて、今も自分と会話してる、そんな感覚があるなあと思いました
ということで、一言で言えば
生きてる人も死んだ人も縁の中で影響し続けるノベーション
とても元気が出て勇気のいただけるお話をもらったなあと思いました
そんな話をしています^ ^
参考:NHK 心の時代 医師にして僧侶 和泉唯信 2025/10/28 https://www.nhk.or.jp/tokushima/info/articles/310/014/81/