
三谷幸喜さん脚本のドラマ「もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるんだろう」を毎週楽しみに観ていますが、その中のセリフに、めちゃくちゃ感動しました
江頭樹里(浜辺美波)さん曰く
"私にはどうしても理解できないんです。
お金のために人前で裸になる。どうしてそんなことができるんですか ?"
うる爺(井上順)さん曰く
"僕ら芸人はね、人が喜んでくれるならできることは何でもやっちゃうところがあってね。
彼女達も、それと同じじゃないかな。結局は楽しませるのが好きなんだね。それでお金になるなら、こんなにいい仕事はないよ。"
江頭樹里(浜辺美波)さん
"楽しませるというと聞こえいいですけど、要は体を売ってるのと同じではないんですか ?
うる爺(井上順)さん
"誤解しちゃいけないな。彼女たちは、人前で裸にはなるが、脱がされてるわけじゃない。自分の意思で脱ぐんだよ。一緒にしてはいけないね。"
ここから私は思いました
1、自分で選択しているか
2、楽しませるのが大好きパッション、利他パッション
3、たくさんの人に喜んでもらう大義
1、自分で選択しているか
神戸大学の西村さんと同志社大学の八木さんが、日本全国の20歳以上70歳未満の男女2万人を対象に行った調査によると、幸福感に与える影響力は、 健康 → 人間関係 → 自己決定 → 所得 → 学歴 の順だったというお話を思い出しました
人の幸せの三要素は、健康→セレトニン、仲間→オキシトシン、成功・富→ドーパミンというお話は、樺沢紫苑さんと、シリコンバレーの思想家ナヴァルさん関連のお話ですが
実は、(もしかすると日本固有の話かもしれませんが、)自らが選択しているという気持ちの自己決定できているという感覚が、もう一つとして、とても大切なのではと思ってます。
ともすると、組織に属する場合は、組織の方向性や権力構造などにより、組織に属してなくとも、世間的なバイアスにより、他人軸に依存度が高くなることとあるかもしれない
それによって、本来の自分軸のありか、パッションの源がわからなくなってしまう、わかっていても行動がしばられてしまう、そんなことがある中で
世間的なバイアスに負けずに、自らの自己決定した人生を歩んでいる人は、実は沢山身の回りにいるし、それに気づいていないということも、ままあるなあと思いました
2、楽しませるのが大好きパッション、利他パッション
自己決定をしたいという気持ちがあっても、自己決定するためには、自分で決定するためのメジャメントが必要になるので、それがないために自己決定できずに流されてしまう、そんなこともあると思いました
そのメジャメントの一つとして、私はパッションのポートフォリオをお話ししています。縦軸にポジティブネガティヴ、横軸にオープンクローズを取る四象限で、大好き、利他、個性、成長がでてくるのですが
人生の時々でその強さや内容が変わるので、悩んだ時や思いついた時に自分のパッションのポートフォリオを、ティッシュにでも書き出してみて、確認しておくと、今自分軸に自分はいられてるのかとか、
または、他人軸のことをいかに自分軸に入れ込むか、みたいなことをやってみるのも刺突の手かなと思います
3、たくさんの人に喜んでもらう大義
もう一つ、うる爺さんからのお話で思ったのは、自分1人の自己満足ではなく、大義として、たくさんの人が喜んでくれる、そこを目指しているってことが、とても素敵だななあと思いました
それは、わたしがいつもいっている、イノベーターリップルモデルと同様に、自らが舞台で誰かに喜んでもらいたい、大好き"パッション"利他"パッション"から始まり
"仲間"としての箱、照明、演出家、振付師、音楽などと共に、自分だけでなく、たくさんの人たちが喜んでもらいたいという"大義"を実現しようとする
それは、もはや、イノベーターの生き方そのものと言っていいなあと思いました
自ら、他人軸で実は記載きてんじゃないのか?という、鋭い剣を喉元に突きつけられたような、気づかないだけで自分軸で生きている人たちが沢山いるんだなあと思わせて頂いたような、そんな気がしました
一言で言えば
自分の意思で脱ぐノベーション
そんな話をしています^ ^
参考:ドラマ もしもこの世が舞台なら楽屋はどこにあるんだろう 脚本 三谷幸喜 演出 西浦正記 出演 菅田将暉 二階堂ふみ 神木隆之介 浜辺美波 井上順など 制作著作 フジテレビ https://www.fujitv.co.jp/moshi_gaku/cast-staff/index.html