ライブを観て、ジンと二人で帰宅して、ハンダさんが合流。一年以上前から心待ちにしていたOasisの来日公演を観た直後の僕たち3人の純粋な感想を収めました。世の中の半端ではない熱狂ぶり(の方向)についてちょっとだけ違和感を覚えつつも、万全な状態で僕らの前に現れたOasisという圧倒的な存在に、ただただ心揺さぶられるしかなかった、といえると思います。彼らのロックを聴いていた数多ある瞬間が、東京ドームの中で無数にクロスオーバーする。特別な時間だったな、と思います。
今回はただただ一つのアーティストについて語りまくる回。ハンダさんの並々ならぬギャラガー兄弟への視線と、高校時代リアムになりたかったケイチ、段々と再結成ライブを東京ドームで観れることの実感が湧きつつあるジン。シンガロング必至の楽曲を、ジンのYautubeカバーから再発見し新たなものとして受け止めたこと。このポッドキャストのタイトルは、Oasisの楽曲から名付けました。10月の来日公演へ向けて高まっていくロッキンチェアーレギュラー陣の「やっと心置きなく喋れた!」というやつです。
今このポッドキャストを聴こうとしているかたは、まずキオさんの文章を読んでみてください。https://note.com/kkioo
本編でもたくさん話していますが、流れるような文章のリズムと、本来そこまで興味がないはずのキオさんという他人の思考に入り込んでいき、キオさんの過去(あるいは今)を追体験する心地よさに、僕は結構衝撃を受けたし、回の内容によっては、救われるような気持ちになったりしました。「仕事」がテーマのやつとかね。
クールで"文化的"な文体だけど、そういう「文化人」の文章特有の、凄く嫌な自意識(プライドや、見栄の方向での「嘘」)がなくて、ああこの人は誠実にクールなんだなと思える。文章を通した新たな視座の獲得が、僕らの今の生活とあまりにかけ離れた小説家やエッセイストやラッパーではなく、くだらない話もできるし、ここに来てくれるキオさんを通してやってくることの、有り難さ。
こういうものを、電車でふと読んだ時の、有り難さ。
そんな、最高のエッセイだと思います。
Handelicの曲をそれぞれで選曲して、今の気分のベストソングス・プレイリストを作って共有してみようという企画。ジンが東京でケイチのバンドメンバーと渋谷で会って話をしたり、別府での大学生活の話もしつつ。ぼちぼち本当にハンダさんがレギュラーになりつつあります。生活拠点の国やリズムが変わっても、変わらず戻ることのできる空間がハンダさんの曲にはあるし、それは僕らの個人的な記憶や匂いと結びついて、心の重要な部分を占めていることが確か。おそらく揺らぐことのないもの。
今回もハンダさんをお呼びして、Cinema Heavenの周年祭のHandelicバンドでベースを弾いたジンの話や、大学生活の滑り出しについて。随分昔、何かのテレビで言っていたことだったかなんだかわかんないですが、常になにかに追われる日常という負荷から逃れるため、1日のなかで何もせずただぼーっとする時間を設けなければならない、があって、それはスマホを1日触らない日を月に一回程度設ける、みたいなのと同じで、絶対やった方がいいと分かっているんだけど実現しない良い例かと思うんですが、ぼちぼちちゃんとやったがいい気がする。サウナとか整体とか、代替できるもの(座禅、アイソレーションタンク...?!)でもいいんだろうな。最早日常の中の神秘体験。
僕、ケイチも思い出しています。2018年に上京してきて、新宿から京王線に乗り学生寮を目指したあの道のりのことを。まだ結構肌寒い空の下、強烈な春の匂い。知らない家の窓から漏れる親密な暖色がさらに一層その時の孤独さを強める中で、寮のおばちゃんに連れられて、一番奥の建物の3Fにある、空っぽの部屋に足を踏み入れた時の、なんとも言えない、それこそ映画的な、フィクションに近い、浮かんでいるような感じ。中庭が見渡せて、とってつけたような木が数本生えている。戻りたいとか思わないけど、随分と時間が経ったから、なんとなく美しいものとして思い出される。過去はいつもそうだから、ずるいのだ。
まだ3月の半ばだというのに、春の終わりのように陽気な午後。毎年毎年嗅いでいて、とてもよく知っているこの、太陽が新緑に降り注ぐ時の暖かな匂いを、今年もまた新鮮な気持ちでうけとめています。歌詞にもよく登場する、風、という自然現象のもつ機微で、とんでもなくノスタルジックになったり、ふっと記憶が蘇ったり、今持っているもの全てをとんでもなく大切に思えてきたりする。風の中に含まれる微細な粒子を僕らはすぐに感じ取り、その中にいろんな影をみたり、漠然とした希望みたいなものをみたりする。(あと、普通に花粉も。)
更新頻度は年々落ちてきてはいますが、相変わらず細く長く続けることに意味があると思ってます。また一年よろしくお願いします。Handelicと東京の国立・地球屋でライブをしたケイチ。ライブというものに出合い直すような特別な体験でした。HandelicのMVに監督として関わることになったジン。数年前に一度製作したものからの成長と拘りの変化。笑いと音楽のポッドキャストこと、ロッキンチェアー。ついにOasis来日の年。ジンは大学へ、ケイチは新たなプロジェクトへ。過去と未来が交差するポッドキャストこと、ロッキンチェアー。
いつまで経っても、続いていく毎日の繰り返しのことを考え続けるしかない、ということはわかっているはずで、でもやっぱり何かを探し続けているようなもどかしさにいるリスナーの方、Handelic人生相談へようこそ。ストーンローゼズのI Wanna Be AdoredとビリーアイリッシュのBIRDS OF A FEATHERという2曲の話から、どんどん個人的な話へ。話すの楽しい。
今回もHandelicさんがゲストで来てくれました。ジンとハンダさんの、宮崎でのサーフィンと音楽でのセッションの話。海辺の風景と、高い空の深い群青色がありありと浮かんでくるような秋の日の話は、井の頭線の中で聴いたらちょっとくらっときてしまうかも。初登場「ワルデリック」も。東京で暮らすケイチは最近音楽がうまく聴けなくなってきていることについて。Montelima のライブから僕らがそれぞれ受け取ったもの。
これまで様々な国と地域で暮らしてきた22歳のジンが、もしかすると長い間定住するかもしれない出来事が。ジンの視点から見る日本の「学生」の話を聞けるのが今から楽しみです。それに合わせてケイチの大学時代の、微妙なエピソードが徐々に明らかになるような、気もします。こうやって書くと、本当にこのポッドキャストは雑談やってんだなという感じ。海外の女性SSWの新作についても、それぞれ挙げました。
これまでも、ある程度似通っていたり、根本にある好きなアーティストの被りはあれど、年間で一番好きなアルバムが同時期に被る、なんてことはなかったはず。でも今回、それが起こった。一体今作のClairoのどこに惹かれたのか、ということをお互いに話していくうちに、同じ音楽を聴きながらも全く違うものを聴いていたことに気づきます。そして相変わらず無人島に行き映画を撮影し引っ越すジン。下北沢で、90年代を強烈に感じる場に関わることができたケイチ。
物凄く"生"なサーフ感と、何らかの制約に囚われていない自由さを感じる『Free Ride』という楽曲について、リリース後割とすぐにハンダさんとお話することができました。東田トモヒロさんと共作することになった流れ、ジンが最初にライブで聴いた時の衝撃、共作に至ったお二方の関係性、ギターフレーズについて、ケイチの弟が撮影したことについて。おまけ的に後半ではOasis再結成についてハンダさん交えてもう一度。いくらでも話せますね。
なんと、ついにこの瞬間がやってきてしまいました。タンバリンを買い、家にあったサングラスをかけ、ライブ映像を何度も何度も観て、リアムになりたかったあの頃。ありがとう。Oaisis再結成という文字を見るだけで満たされるものがある、というのが、どんなに気取ってOasisを腐している人にもあるんじゃないだろうかと、勝手に思ってます。
今回はジンがデンマーク留学時代に出会ったNaeさんがゲストに来てくれました。久々の、「どっちかが一度も会ったことも喋ったこともない人がゲスト」の回。クラシックバレエ、留学のときのクリスマス休暇の思い出、New JeansはじめとするK-pop事情、noteに書いたエッセイのこと。ジンが熊本に行きミツキと会うことや、ケイチが訪れたホームパーティの話も。それぞれ生きてきて一瞬交差するこういう時間を大事にしていけたらそれでいいのだと、思います。
必読のnaeのノートはこちら → https://note.com/gifted_roses927/n/n04406b48207d .
久々に二人で色々なテーマについて話す回となりました。ジンが、このポッドキャストを始めた当初のケイチの歳になったという時の流れを感じる事実を横目に。夏がくるたびに今年の夏は異常に暑いとぼやき、冬がくるたびにいくら何でも寒すぎると思う、という繰り返しですね。すぐに忘れる。常に過去は置いてけぼりにされる。だから今、繋ぎ止めておきたい誰かとは今すぐに会ったり話したりするべきだ。とどこかで誰かが書いていました。こういう一般論みたいなものが心の芯の方に響いてきた時は、素直に受け取ったがいいというのを僕は段々わかってきました。
先日の、熊本のライブハウスNavarosで開催されたHandelicの新作"Laidback"リリースパーティ。その場にいたジンの、感情が先行してしまう話ぶりに強烈な親近感を覚えながら、そこに居たかったと何度も思いました。そして偶然にもリリース日がかなり近くなったジンとケイチ&ココナッツグルーヴの新曲について。ハンダさんに褒めてもらうと心の底から自信が湧いてきます。多分それは、随分前から、僕らの核となる部分のすぐ近くにハンダさんの音楽があるから。そして、ハールンさんの新たなプロジェクトについて。いつまでも続けていたくなる深夜の電話!
リアムギャラガー。この人のことを考えるだけで蘇ってくるもの。サブスクで片っぱしから「新譜をきく」「体系的に聴く」「誰かとの会話のために聴く」というのは、それ自体凄く能動的で、批評的で、利他的なことだし、音楽にはそういう意味ももちろんあるのだと思うけれど、やはり自分だけのものだった(と思い込んでいた)ロック・ミュージックの衝動は、二度と戻らないが故に、永遠の輝きを放っているというのはみんなきっと心のどこかでわかっていることだろうと思います。大人になって音楽を聴くのをやめてしまった人は、そのことに耐えられなくなった、むしろ純粋で、音楽に対して誠実な人なのかも。何かに感動することが、こんなにも難しくて、そして尊いものだとは、知らなかった。
全くもって深掘りして真面目に反論する必要のないディズニーランドの話題の時についムキになって反論に全力を尽くしてる感じ、ああ、懐かしい、これぞケイチですよね。昔から知ってる人ならわかってくれると思うのですけども。一方ジンはデンマークの友人とUSJへ。本編は最近ケイチが観た邦画2本を軸に話しています。付け焼き刃な知識で、かつ考えも深まっていない状態だけど、観た直後の衝動を残すことはできているんじゃないでしょうか。