約3年、MC・ナレーターの江川みどりさんと一緒にお送りしてきた「ことばランド」は、次回から「マジ文Café」として、前田一人での新装開店となります。
オンラインの教育プログラムで初めてMCを務めてくれた江川さんとは、2017年からのお付き合いです。
江川さんの明るい声を聴いて、元気をもらった方も多いことと思います。何を隠そう、この僕も江川さんの声に、大いに励まされ勇気づけられた一人です。
その江川さんと、140回に亘る番組を振り返ります。どんな話題が飛び出してくるのか。
どうぞ番組をお聴きください。
江川さんのファンの方には大変申し訳ありません。
5月連休明けから再開する「マジ文Café」をどうぞ温かく見守っていただければ、と思います。
今回は「老後」について、考えてみます。就職に役立つ内容というのが、コンセプトなのに、なぜ「老後」なんだ、と思いますよね。誰もが老います。では「老後」ってどういう意味なのか分かりますか?
どの辞書を引いても、「老いた後」としか書いていないんです。字の通りです。では「老いた後」に何があるのか。それは「死」しかない。「老後」とは、何のための言葉なんだろう。人は、生まれてから成長すると思っています。それは間違いない。では、どこから老いるのか、このポイントは分からない。はい、きょうから老いますので、と言われた経験もない。いつの間にか、なんです。
就活でも「終身雇用」という言葉を聞いたことがあると思うのですが、それは「定年」を迎える60ないし65歳までの「長期契約雇用」にしか過ぎないことは、もう当たり前になっています。昔は、55歳定年で、公的年金や企業年金なども含めて70歳くらいまで保証されていたし、大体その年齢で一生を終えていたのです。だから「老後」ということばは、大体「定年」を目安に使われていた。ところが、今は80、90は当たり前。60歳定年から後、2,30年生きていかなくてはならい。いわゆる終身雇用ということばは、もはや通用しない。
寺山修司が「懐かしのわが家」という詩冒頭、こう書いています。
昭和十年十二月十日に
ぼくは不完全な死体として生まれ
何十年かかかって
完全な死体となるのである
僕たちは、生まれてから成長している過程で、すでに完全な死体になるために生きている。つまり、生まれた瞬間から「長い老後」を生きているとも言える。この詩の最後にこう言っているんです。
僕は
世界の涯てが
自分自身のゆめのかなにしかないことを
知っていたのだ。
人生100年時代です。僕たちは「100年の老後」を生きることになる。死の間際まで夢を追い続ければ、世界の涯てはまだまだ広げられるということだと思います。であれば、どこから老後だという考えをしなくてもいい。つまり、勝手に限界を決める必要がないってことです。
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さて、2022年6月から始まった「ことばランド」は、ずっと江川さんとのコンビで続けてきました。残念ながら、5月から前田一人でお伝えすることになりました。
江川さんにMCをしていただいて、リスナーの方から「名コンビ」とまで言われてきました。この番組は、江川さんと江川さんのファンの方に多く、支えられてきました。ありがとうございました。今後も、スポットで江川さんにMCをお願いしたいと思っています。
引き続きお聴きいただけると嬉しいです。
希望の「希」は、「まれ」、非常に少ない、とか、まばら、めったにない。という意味の感じです。元々は、さほどプラスに作用する言葉ではないんですね。希少価値という言葉があるように、極めてまれなことだから「なかなか手に入らない」。わずかしか手に入らないから、それを手に入れると価値がでる。
だから、それを「こいねがう」んです。これも漢字で書くと「希う」と書きます。手に入れたい、待ち望む、あることの実現を願い望むこと、将来に寄せる期待、というように、プラスに作用する言葉に変化します。
マイナスの言葉がプラスに転化する。面白いと思いませんか。
就職や将来を考えたときに、自らが望むもことこそが「希望」で、それはなかなか手に入らないものなんです。でも、そのマイナスは必ずプラスに転化できるということなんです。希望というのは「まれなる望みを得る」ということで、たとえ、スタートラインが違っていたとしても、これは誰にも平等なんです。ただ、口を開けていただけでは手に入らない、という事実も平等にあるなんです。
回り道をして時間が掛かってもいい。スタートラインに着くのが遅れてもいい。僕自身も周回遅れで、社会人になって、日本語とか漢字について勉強し始めたのも40歳過ぎからです。それでも、何とかやろうとした方向に舵を取ることができました。早い内から才能を開花させる人もいれば、僕のように50歳を過ぎてから、ようよう芽を出す人もいる。いまがうまくいかないから、と嘆くなら、その嘆く時間を使って半歩前に出るようにすればいいだけだから。
文章の講座や広報の研修などで「文をシンプルに書こう」と言うと、必ず「それでは思いが伝わらない」という反対の意見がでます。こう言われたときに、夏目漱石の『吾輩は猫である』の冒頭を例に挙げるんです。
「吾輩は猫である。名前はまだない」
実にシンプルだと思いませんか。ほぼ箇条書きですよ。しかも「吾輩は猫である」は「何がなんだ」しか書いていません。「名前はまだない」は「何がどうだ」ということだけなんです。それでも、読み手に強い印象を残し、いまだ読み継がれている。シンプルな文では思いが伝わらない、というのは一種の幻想だし、都市伝説に近いと思っています。
これは文章に限らず、ものの考え方にも通じることだと思っています。子どもを見ていると、その時その時関心の向いたことに、躊躇せず意識を向けるでしょ。「早くしなさい」と言われても、急にチョウチョを追いかけたり、しゃがみ込んでアリを眺めたりする。行動としては実にシンプルです。ところが、大人になると「時間」というものに制限されて動くから「早くしなさい」と言って怒り出す。子どもと大人の時間に対する価値観が全く違う。子どもの方がシンプルです。
大人になると「社会性」という外部要因が働き出します。これはとても大切なことかもしれませんが、考え方を複雑にする要因でもあるんです。前回「自分軸」という話もしました。これは、自分の考えや信念のことですが、外部要因がそれを邪魔する場合が多い。そのほとんどが「こうしなくてはならない」「こうすべきである」という自己規制に傾きます。それが極度に影響すると、自分の考えが外部要因に大きく引きずられたり、忖度が加わって複雑化します。そして、迷うんです。
社会性という外部要因を全て捨て去ることは難しいと思います。でも、何のために行動するのか、なぜそれがしたいのかという基本的な問いかけが、シンプルに考える切っ掛けになるはずです。文章も5W1HのWHYが重要なんです。
これと全く考えは同じです。削ぎ落とす先に見えるものが、実はとても大切なものだし、相手を説得する強い力になるんです。だって、そこはそれ以上削りようのない骨の部分だからです。これは最強です。それに逆らうことはできないからです。冒頭に挙げた「吾輩は猫である」に対して、「お前は犬だ」なんて言えないでしょ。このシンプルさが強さになるんです。
よく「自分軸」とか「軸をぶらさないように」とかいう言い方があります。実を言うと、この言葉がよく分からないんです。それで、自分なりに辞書を頼りに考えてみました。
「軸」の第一義は「車の左右二つの車輪をつなぐ棒。車の心棒。車軸」という意味なんですが、自分の車軸では、ちょっと意味をなさないですよね。車軸がずれたら、そもそも車輪を繋ぐことができませんものね。
この他に、座標の基準となる直線。いわゆる座標軸というのがあります。自分の基準となるもの、という考え方をすると、比較的わかりやすくなるような気がします。ただ、それが直線である必要があるのかどうか。もう一つが、回転するものの中心。回転運動の中心、物事の要という意味だと「チームの軸となって活躍する」みたいな表現もできます。回転運動が、社会の中の様々な動きや変数を意味すると、どんなに外部の環境が変わっても、自分が中心で動かない、つまり自分の信念を揺るがさないという意味になるかもしれません。
会社を選ぶときや、自分の行き方を考えるときに、「自分の信念」に背いていないかどうかを意識することは重要なことかもしれません。ただ「信念」という言葉も考え出すと難しい。「やりたくないことはするな」「やりたいことだけをしよう」という言い方も、実は無責任な気がしています。それだけでは成り立たないですものね。「やりたいことをするために、やりたくないこともしなくてはならない」というケースもあると思います。特に会社勤めの場合は。
だから、僕は「軸」という考え方を無理に持つ必要もないだろう、と思っています。何かをするときに、感覚に頼ることも重要なのではないか。急に写真を勉強したくなったとか、不動産が面白そうだなとかね。そう思う感覚を大事にすると、結果として「軸」に沿って行動していることになるのだろうと思うのです。興味の湧いたことに迷わず取りかかる。「軸」はその後に付いてくるもの。「軸」を先に考える必要もないと思うけどなあ。
入社試験の面接やピアノの発表会などの時に緊張しない人は少ないかもしれませんね。緊張の「緊」に「糸」が付いてるでしょ。これ、なぜだか分かりますか?
もともとの意味は「弓や弦楽器の弦などが、きつくぴんと張ったさま」を言う漢字だったのです。それに「張る」という漢字が組み合わさったのが「緊張」。まさに張り詰めるって感じです。糸を張り詰めすぎると、キレちゃいますよね。ギターなの弦をきつく締めすぎれば、キレちゃいますもんね。
だから、一般的には、深呼吸して緊張を取ってリラックしよう、なんてことを言います。面接の時に緊張し過ぎて、過呼吸のようになった人もいましたし、泣き出してしまった人もいました。でも、それだけ一生懸命だということは分かります。緊張は必ずしも悪いことではないと思うんです。緩みっぱなしというのも、いざと言うときにやる気スイッチが入らないような印象にもなります。
緊張は必要だけれど、緊張し過ぎないようにするにはどうしたらいいのか、ですね。面接なら、担当者に対して過度に偉い人だというイメージを持ったり、その場の雰囲気に呑まれたりするからです。いまは、僕らの頃のようなガチガチの圧迫面接はなくなってきて、面接担当者も受験者をリラックスさせるように話を持っていって、受験者の話を聞くようになってきました。
最近は、親戚の集まりも少なくなって、年上との交流も場も減ってきたので、場慣れしていないんでしょうね。僕も親戚の集まりが苦手だったし、生活の場で親以外の大人と話をする機会もなかったですから。
だから、人と接する飲食店などのバイトをするようにしたんです。娘たちにも飲食でのバイトを進めました。客から理不尽なことを言われても、うまくいなせる方法などをそこで学びました。「一旦受け止めて、後ろに流す」。これは、アルバイトで学んだことで、今も役に立っています。
AIが急速に発展して、いまやAIが何でもものを書いてくれる、という風潮があります。これが、本当なのか。
今回は、3月10日に発売された、前田の新著『AIに書けない文章を書く』(ちくまプリマー新書) の内容について、少しだけお話をします。
文章と文書の違い、おわかりですか?
実は、AIが書いたものに違和感を覚えるのは、この違いがあるからなのです。ビジネス文書とは言うけれど、ビジネス文章とは言わない。この謎も、文章と文書に違いがあるからです。
方角の「東」や、「山」の定義をご存じですか?
こんな素朴な疑問をきちんと説明できないほど、僕たちの言語は曖昧なのです。その曖昧な言語を使って、文をつくり、文章を組み立てる。つまり、文章には、そもそも完璧さが求められていないのです。
それでも、言葉に対する共通の認識を持てるよう文章を書く必要があります。今回は、そんなことを中心にお話ししています。
番組を聴いて、興味を持っていただけたら、ぜひ手に取ってお読みいただきたいと思います。
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自分は何をしていけばいいんだろう、とか、社会での自分の役割って何だろうなんてことに、結構悩んだりしますよね。
そんな時に「好きなことをすればいいんだよ」とか「得意なことを伸ばせばいい」なんて言われたりします。しかしここは、案外難しいポイントです。「好きなこと」「得意なこと」仕事にできればいいんだけれど、なかなかそうはならないと悩んでいる人が多いと思うのです。
僕自身も校閲が好きで新聞社に入ったわけではないし、得意でもない。もちろん、校閲が天職だと言っていた同僚もいました。それは幸せなことだろうし、うらやましく思ってもいました。「自分の好き」が見つけられなくて、あれこれ迷い戸惑うことばかりだったのです。ところが、時間はかかったけれど結果的に、僕は自分の好きな仕事にたどり着くことができました。
新聞記者って何でも自由に好きなことを書けるかというと、そうでもない。紙面は限られているし、紙面を独占するなんてことは、不可能に近い。編集委員という専門記者でも、毎週自分の好きなテーマだけでコラムを何年も書くということはできない。紙面を独占できないからです。そこは会社の論理もあります。
それにもかかわらず、記者の訓練を受けることもなく、校閲も得意ではなかった僕が、約10年にわたって毎週、漢字や言葉にまつわるコラムを書き続けることができたんです。最後は自由にエッセイみたいなことを書いていました。実は、言葉や漢字についても、詳しかったわけではなかったんです。
いま振り返ると、とても不思議な感じがしているんです。タイミングや運もあったのかもしれません。ただ、文章を書きたいとずっと思い続けていたんです。ルーティーンの仕事もあるし、そのチャンスはほとんどないと思っていまた。それでも、ひたすら思っていたんです。あるとき、ほんの一つ、目の前に現れた細い糸をつかんで、それを丁寧に紡いでいっただけなのです。それだって、長く続くとは思っていませんでした。
何を言いたいかというと、今の仕事、これからの仕事に満足や納得がいかないにしても、心の中に小さな炎を燃やしておくことは、とても重要だということです。大きなことでなくてもいいと思うんです。日々の糧を得るために納得のいかない仕事をしていたとしても、歌が好きなら歌っていればいい。料理が好きなら料理を作っていけばいい。本を読むことが好きなら本を読み続けていけばいい。興味をもったこと、かつてやろうと思ってできなかったことに目を向けてみればいい。大きなことを考えなくてもいいんですよね。細い糸を大切に紡いでいって、本業の脇で少しずつ、それを育てて大きくしながら、発信していけばいい。10年続ければ、それなりになりますよ。時間は掛かるけれど、「ちりも積もれば山となる」という言葉もある。
いまは、結果を早く出そうとするからつらくなる。人生100年です。小さな炎を燃やし続けて、チャンスが来たら細い糸を丁寧に紡いでいけば、好きと得意が育っていくはずです。
きょうはひな祭りです。もとは、宮中や上流社会で行われていた陰暦三月最初の巳(み)の日に行った上巳(じょうし)の祓えに関連したものだと言われています。穢れを祓う行事だったんですね。それが江戸時代以降、女児の健康と成長を祈る行事になったものです。
そうやって少しずつ大人になってくると、急に「ジリツ」しなさいなんて言われる。「ジリツ」には、二つの書き方があって、一つは「自立」。これは、「他の助けや支配なしに自分一人の力だけで物事を行うこと。ひとりだち。独立」という意味。「親元を離れて自立する」という具合に使います。
もう一つが「自律」。「他からの支配や助力を受けず、自分の行動を自分の立てた規律に従って正しく規制すること」を言います。「学問の自律性」なんて使い方をします。哲学的には、「Autonomie」と言うカント倫理学の中心概念です。「自己の欲望や他者の命令に依存せず、自らの意志で客観的な道徳法則を立ててこれに従うこと」です。
特に自分で立つ「自立」は、自分でお金を稼いで、独り立ちする手立てだと思ってしまいます。早く一人前の大人になれ、とか言われますよね。
自分を律する「自律」は、「自己の欲望や他者の命令に依存せず」とあります。ここに「依存せず」とあるのですが、依存は「他のものにたよって成立・存在すること」です。
どうみてもマイナスの要素をいう言葉にしか思えません。「自己の欲望や他者の命令に依存せず」というのは、理解できるけれど、世の中は「依存」なしには成立していないんです。例えば、このことばランドも、僕は江川さんのMCに頼ることで成立しています。これは江川さんも同じだと思うんです。高層マンションの30階に住んでいる人は、エレベーターに依存しないと部屋にたどり着けない。会社でも、全てを1人でできるわけではない。
自分で立つ自立も、自分で律する自立も、周りの環境に頼って成立していることになる。
「他力本願」っていう言葉、ご存じですか? よく「他力本願から脱して、自立しよう」なんていう風に使われるのですが。実は「他力本願」の「他力」は「仏・菩薩の加護のこと。自己の力で悟るのではなく、仏や菩薩の力を借りること。多くは浄土教で、衆生を極楽へ救済する阿弥陀仏の本願の力のこと」を言うんです。だから「他力本願から脱して、自立しよう」という使い方は、本来の意味から外れているんです。
つまり、これが「依存」だと思うんです。自立のために、人を頼る。積極的に依存する。何でも1人でやる必要はない。そうやって会社も社会も成り立っていると言うことを考えれば、少しだけ気が楽になるんじゃないでしょうか。
よく「言語化」とか「多様性」という言葉を聞きますよね。就活や転職の際にもよく使われます。「自分を言語化して伝える」とか、「多様性を重視した企業」とかね。でも、これって何なんでしょうね。
手元の辞書によると言語は、「思想・感情・意志などを互いに伝達し合うための社会的に一定した組織をもつ、音声による記号とその体系。また、それによって伝達し合う行為。音声によらない手話や文字の使用を含めていうこともある。ことば」って書いてあるんです。グーッと縮めて言うと「ことば」なんですね。
「化」は「主に漢語の名詞に付いて、そういう物、事、状態に変える、または変わるという意を表す」とあります。「映画化」なら小説などを映画に変えるっていう意味になります。
つまり言語化は「言葉化」。「言葉に変える」ということになる。これって、この番組のテーマである「言葉で未来の扉を開く」っていうことに重なってくるんですね。ちょっと、驚きでした。
「言葉に変える」というのは、「言葉に変えられない」という現実があるからなんでしょうね。それこそ、僕が若かりし時に感じた理不尽や不条理っていうものは、どこに怒りをぶつけていいのかさえわからないものでした。両親に対して「うるせえ」とか悪態ついていたのも、言葉がみつからない、言葉をぶつけても理解されないという胸の内のもやもやした気持ちだったんです。
それで、僕は文章にしてノートにぶつけてきたんです。暗いよねえ。でもそうする以外に方法が見付からなかったです。その時その時の思いを書きなぐって、でも解決するわけでもない。それが何年も続いて、でも、吐き出す、アプトプットすることで、少しずつ気持ちの波が和らいできたんです。
これは、いま就活をしている人やいま仕事をしている人も、多少のズレはあるかもしれないけれど、似たような感覚ってあるんじゃないでしょうか。
人生の目標が定まらない、とか、何をしていいのかわからないとか、そもそも就活に希望を見いだせない、いまの仕事に不満を抱えているけれど、それをどうしていいのかわからない。そうしたことって他にも身の回りにたくさんあるんじゃないかと思うんです。
だから、まずは1行でいいからその時の気持ちを書いてみるといい。あれこれ書かなくてもいいから、1行だけ書く。それが365日にたまれば、小さなヒントがうっすら見えてくるかもしれない。うっすらね。更に書いていくと、1年前に自分の姿と今の姿を比較できるようになる。そこを見ていくと、良くも悪くも変化がわかる。気持ちの動きが見えると何かしらの「ことば」が出てきます。
比較は、言葉を生み出しやすいからです。ただし、他人と比較してもしようがないのだということも十分に踏まえておくことが必要です。あくまでも過去と現在の自分を比べて変化を知る、ということです。そこから、言葉が生まれてきます。
たぶん、それが言語化というものなのだろうと、僕は思っています。
転職といえば、自分のキャリアを活かした方向で考えがちですが、全く違う分野に転身した人もいます。
大至伸行さんは、1984年3月に中学卒業前に押尾川部屋に入門して、初土俵から10年で新十両昇進。翌年、新入幕して前頭三枚目までいったんです。2002年に18年務めた現役を引退して、後進の指導に当たっていたのですが、小さい頃から好きだった歌で第2の人生を歩きたいということで、歌手に転身しました。力士はお父さんのたっての希望だったんだそうです。引退したら今度は自分の人生を歩きたいという思いだったそうです。
相撲甚句の第一人者としての評判はあったのですが、歌手となるとやはり声の出し方も表現も違うので、猛勉強して2023年に東京オッペラシティーで初リサイタイルを開いたんです。何とセカンドキャリアを歩んで約20年です。その間、舞台やミュージカルなどにも出るようになっていたのです。
僕は去年、初めて彼の歌を聴きました。その時に大至さんは「芸能人から芸術人になりたい」と宣言して、そこから更に研鑽を積んで、歌がグッと膨らんで来ました。前に出てくる声だったのが、周りを包み込むような感じになって、歌詞の情感を伝えるだけではなく、歌詞に自らの情感を重ねられるようになってきたんですね。これは見事だと思いました。
スポーツ選手のセカンドキャリアは、スポーツ庁でも様々な取り組みがあるようですが、好きだったことに改めてチャレンジできるという人生二毛作のような生き方もあるんですね。
最近は早く結果を求める時代ですが、相撲、歌手とそれぞれ20年ほどの時間をかけて、じっくりと結果を出していく人生もまた、素晴らしいと思うのです。
18日に東京・代々木上原のMUSICASAという小さなホールで「ドスコイ歌舞台」と題して、リサイタルがあるので、お時間のある方はお聴きになってください。好きと努力を積み重ねた大至さんの歌声は、人生の転機に背中を押してもらえるかもしれません。
毎回、大反響のゲストトーク。汐月聡子さんをお招きしてのお話も最終回となりました。業績シートの書き方、就職先を選ぶポイントに続いて、お話を伺いました。今回は、面接をどう考えるか、についてです。
汐月さん「しお姉https://x.com/Shioko5」は、元看護師で現在は看護師や医療関係者の転職支援「ハンドル」の代表を務めていらっしゃいます。
僕は、特にあがっていたわけでもないのに、最終の役員面接で落ちるケースが多かったんです。たぶん、人として何かが足りなかったのだと思います。汐月さんに面接のポイントをお聞きしました。
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面接のハードルはいろいろありますが、一問一答がきれいにできればいいわけではなく、「対話」ができるかが大事だと思います。
面接は他者比較からの選抜(オーディション)ではなく、合う人がいなければ採用しないというマッチングなので、「うまい」「下手」を競うものではなく、回答内容の整合性を、「対話」の中ですり合わせられるか?本音で話せるか?が第一ステップです。覚えてきた答えを言うだけのセリフ合わせみたいな状態は論外です。
対話ができないと、「うちの会社に合うか合わないか判断ができないからお見送り」という、土俵に上がれず負けるという大変もったいない結果につながりかねません。
準備した回答をこねくりまわして、「これとこれって矛盾しているように聞こえるけど?」ってパターンをいくつも考えてみると、深掘りされてもある程度回答が成立して「判断してもらう土俵」に上がることができます。
ここができていない人が7割くらいの印象なので、これができるだけでかなり勝率が上がると思います。
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3回にわたって、貴重なお話を伺いました。新卒の方は3月から就活が動き始めますし、転職を考えている方も準備に生かせるヒントがたくさんあると思います。ぜひ、参考になさってください。
今回も、ゲストの汐月聡子さんにお話を伺います。汐月さん「しお姉https://x.com/Shioko5」は、元看護師で現在は看護師や医療関係者の転職支援「ハンドル」の代表を務めていらっしゃいます。前回は、大反響でした。
きょうは2回。就職を選択する際のポイントについてです。僕の時代の就職は、30〜40年務められるかどうかを考えていました。自分の好きなことに出会えるかどうかは、僕にとってはとても大切なことでした。
さあ、そこでです。最前線で転職の実態を見ている汐月さんに、就職先を選ぶ際のポイントをお聞きしたいと思います。
汐月さんは次のように話してくれました。
年収や休日数など、求人票に書かれている内容を基準にしないことがポイントだと思います。なぜなら、それが叶っているにもかかわらず、他の「何か」に満足せず、他の仕事を探しているからこそ、これだけ転職市場が儲かっているのですから。
結局、「求人票では読み取れないこと」が一番大事だと思います。それは、自分が大事にしたい長期的な時間軸でのビジョンが何かわかっていて、それを叶えるプロセスがたどれる環境か?を見極めるということです。
例えば、「必要とされ続ける大人でありたい」という長期的かつ抽象的ビジョンを持つ人が二人いたとして、一人は、「このためなら多少のパワハラ文化も休みが少ないのも受け入れて、圧倒的な実績と経験が詰める職場がいい」と思っている。
一方で、「必要とされ続けるためには、まず社内で安心して意見が伝えられて、いろんな価値観を吸収し合える文化と、いままでの経験からじっくりと時間をかけた対人業務に磨きをかけたい」と思っている人もいるわけです。
いまお話しした二人が選ぶ職場は確実に違うでしょう。結局、こういった抽象的で個人的な考えが、会社の文化や方向性と合っているかは面接で話してみないと互いに判断ができないんです。
確かに、エントリー先の選定のためにある程度の求人読解力は必要ですが、そのあたりはプロに頼ることもできるので、最終的には会話の中から「OK」「NG」を判断する自分の中の物差しがはっきりしていることで、自分が求める仕事に巡り合えると思います。
会話のなかで判断するということは、面接が重要になります。つまり、面接では自分をアピールするだけでなく、面接担当者の内容や話しぶり、人柄などから会社の風土を嗅ぎ取る嗅覚が必要ということでしょうか。こちらから断る選択肢もあるということですね。
いかがでしたか?
次回は、面接を受ける際のポイントについて、お話をお伺いします。どうぞお楽しみに。
今回は、ゲストをお招きしました。元看護師で現在は看護師や医療関係者の転職支援「ハンドル」の代表・汐月聡子さんです。X(旧Twitter)では「しお姉」という名前で、転職支援などの発信をして大人気の方です。今回から3回連続でお話を伺います。
まずは、業績シートのポイントについてです。
転職に必要な職務経歴書や就職でのエントリーシート(ES)が書けないという悩みは、よく聞きますよね。汐月さんが支援している方たちの悩みも同様なのでしょうか。業績シートのポイントは、どこにあるのでしょう。
汐月さんは「職務経歴書など、採用時に必要な書類以外でも、「書類はすべて、自分ではなく、読み手のためのものである」ことを認識することが大切です。書類は、相手(主に採用担当者)が、求職者を面接に呼ぶ価値があるか判断をするためのもの類であり、「自分が思うように今までやってきたことをアピール」する書類ではない。つまり、相手はどんな情報があればその目的が達成できるか?を考えると、おのずと書くべき内容は変わってくるはずです」と話します。
「読み手のもの」というのは、こうした書類だけに限りませんね。文章全般に言えることだし、面談でも面接担当者の意図を汲んで的確に答えるということにも通じるように思います。
せひ、参考になさってください。
次回は、仕事を選択する際のポイントについて、お話をお伺いします。どうぞお楽しみに。
明けましておめでとうございます。
2カ月ほど番組をお休みしてしまい、申し訳ありませんでした。急に喉の調子が悪くなって、しばらく喉を休めておりました。12月には良くなっていたのですが、録音のスケジュール調整などで年を越してしまいました。突然のことだったので、ご心配をおかけしたことと思います。体調には十分注意していきますので、これからもどうぞ宜しくお願いいたします。
この間に、嬉しいレビューを頂戴しました。ご紹介します。
「日常的に使っている言葉の一つ一つに、深い意味があることを知ることができ、言語感覚を養うことができます。また、前田さんと江川さんの会話に心がほっこり、癒やされます。無理なくさらっと、聞けて、就職、転職に関係なくても学びになる素敵な番組です」
嬉しいですね。ほんとに励みになります。これからもリラックスしてお聴きいただける番組をつくっていきたいと思いますので、お聞きくださいね。
昨年12月にある大学で、メディア論のなかの一コマにゲスト講師として呼ばれ、話をしてきました。テーマは「AI時代の文章」についてです。きょうは少しその時のお話をしようと思います。
いまは、AIがものを書いてくれる時代なので、自分で書く必要はない、という風潮が醸成されているような気がします。でも、僕はAIが書くものは文章ではないんです。文章の定義って、どういうものだかご存じですか?
文章は「話し手または書き手の思考や感情がほぼ表現し尽くされている一まとまりの言語表現」なんです。
ここで重要なのは、「書き手の思考や感情がほぼ表現し尽くされている」というところなんです。AIは思考も感情も持っていません。文字列として言葉を組み合わせているだけなんです。それは、ネットの中にある僕たちが書いた文章をお手本にして、組み立てているからです。つまり、僕たちが書くもの以上のものは、書けないんです。しかも僕たち自身も「ほぼ表現し尽くされている」ものしか書いていないから、それをいくら学習しても不完全さは、残るということになります。
一方、「文書」は「文字で書き表したもの。書類」なんです。「ビジネス文書」ということばがまさにこれで、そこには思考も感情も必要がありません。議事録のまとめや報告書には、ファクトだけがあればいいので、感情は必要ないんです。これはAIの得意とするところです。つまり、AIが書に書けるものは、文書なんです。文章ではないんです。
就職の例で言えば、エントリーシートに「志望理由」があって、それを元に面接もします。これは文書ではなくて、文章になっていなければならないんです。ところが、ほとんどの人は、文書になっているんです。
思考や感情は「自分そのもの」です。ここが書けないといけないのです。ビジネスでも思考や感情が必要な文章があります。それが企画書です。そこに自分の思いを載せないと、それを読んだ人の感情を揺り動かすことができないからです。
AIがものを書く時代だからこそ、文章が書けないと自分の存在価値も描けないのです。いまは、そういうフェーズに入ってきたということなのだと思うのです
リーダーになるのは、大体決まっているのだそうです。これは、動物の話なんですが、その群れのボスになるのは、体が大きいとか力が強い、という要素があるものの、その個体がもっている雰囲気なのだそうです。これは案外、人にも当てはまるような気がします。何となく真ん中にいる人っているでしょ。どんなに勉強ができても、リーダーに向いていないタイプっていうのも、経験上、理解しやすいところです。
世の中はリーダーになれる人を求めがちだけど、リーダーに向いていない人が、ダメだというわけではありません。補佐・参謀向きの人、交渉に長けている人、特筆するところはないのだけれど、人を魅了してリーダーになる人っているでしょ。ところが、もう一つ重要なのが、裏方に向いている人。これって、ものすごく大切。コツコツと業務の処理ができる人って、絶対重要。そういう人たちに支えられないと、表に立つ人も表に立てない。ところが、往々にしてここを軽んじる傾向にある。
アリだってハチだって、女王だけがいても繁栄しない。働きアリや働きバチが支えているから女王が生きられる。ところが、ここを無駄だという風に考える傾向が強い。生産性ということばで、何となく丸められている場合があるけれど、生産性を上げることは、無駄を省くことではあるのだけれど、ゆとりまで拭い去っていることがある。ゆとりと無駄を同一に見ていて混同しているからなんだよね。
働くということは、自分の労働・能力を時間で会社に貸しているとも言える。一人で働くようになると、労働も時間もごちゃごちゃになるし、表方も裏方も、全部自分でやらなければならない。この時になって、初めて裏方の意味がわかるようになる。
就活や転職をするときには、夢を抱くことは重要。それがポジションを得ることを目的とするのであれば、自らの力量を確認しておいた方がいいと思う。人間がすり減ってしまうからね。
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就活する方の悩みや採用側の悩みなどがありましたら、「ことばランド」番組概要欄の「お便りフォーム」からお送りください。番組の感想などもお書きいただけると嬉しいです。
↓ ↓ ↓
https://forms.gle/Qbhg8cHCUtym2nRu8
また、ApplePodcastやSpotifyでお聴きの方は、評価やレビューを書いていただけると嬉しいです。皆さんの評価で多くの人にお聴きいただけるようになります。どうぞ宜しくお願いします。
未來交創・前田HP
https://kotoba-design.jp/
江川HP
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この番組では、就職・転職に役立つ内容、と言っているのですが、実は就職と転職というのは、意味合いが大きく違うんですよね。新卒での就職は、基本的に初めて働くということが前提になっているので、それまでの経験というのは、採用側としては、ある程度予想がつきます。ところが、転職の場合は、数年間社会に出ていたので働いたときの実績が問われてきます。
そのため、就活の場合は、いわゆる「伸びしろ」を企業は見ているんです。これを見定めるのは、ものすごく難しい。面接などでもしっかり準備して、そこをピークに持ってくるので、判断基準があってないようなものなんです。学生時代の成績は一つの判断材料になりますが、それと仕事とは必ずしもリンクしません。仕事は最終的に「人間性」だと思っています。しかし、これも確固たる判断材料がない。クラブ活動で主将をしていたとはいっても、うまくまとめられていたのかどうか、はいわば自己申告です。
その時にどう判断するか。一つには就活試験の論文を目安にします。伝えるべきことがしっかり書けているかどうか、を見ます。
ちょっと不思議な言い方をすると、採用した人の印象ってあまりないんです。当然、一緒にいるよね、という感覚なんです。むしろ採用のボーダーラインにいた人や採用できなかった人の方が、強く印象に残っていることの方が多いんです。「惜しいなあ」「ここを乗り切れればよかったんだけどなあ」と、採用の枠もあるので、あと一人採れるなら、という思いで、泣く泣く断念した人もいるんです。むしろ、その人の方が印象に残るんです。
転職の場合は、実績と今後の展望なんですが、実は、業績シートはさほど重要ではないと思っています。まったく業種の異なるところから転職する場合、過去の業績の内容ではなく、その仕事にどう関わってきたか、の方が重要です。僕は、そこを聞くようにしていました。業種が異なっていても、仕事の関わり方が一生懸命であれば、これからの仕事にも経験が生かせるからです。
やはり、社会人経験をどう将来に活かしていくのかが、上手くプレゼンできるか、に掛かっていると思います。転職はステップアップにならなければ、意味が無いからです。
ポジションとか役職が重要なのでは、そこでどういう働きをしていのか、が重要なんです。これは、異業種に転職する際も同様です。
僕の経験で言うと、文章でその人の論理性を見て、その人のまとう雰囲気で感性を推し量る、ことを意識していました。
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僕はあがることはほとんどないんですが、それでも若いときは、ちょっと自分の予想とは違う反応をされたときには、うろたえてしまったことがあります。
面接などであがってしまうのは、一つには自分を前に押し出すのが不得意だということがあるかもしれません。これを克服するには、場数を踏んで慣れるということも必要かと思うんですが、でも、そういう人が面接で失敗するかというと、そんなこともないんです。あがったとしても、自分の考えを伝えようとする姿は、面接担当者には伝わりますから。
それよりも、あがってしまう要因として大きいのは、準備不足だと思うのです。もちろん、準備していると思うんです。会社の資料を読んだり自分の考えをまとめたりしていると思うんです。ところが、資料の読み方が浅い場合が多い。一生懸命読み込んではいるのだけれど、面接担当者からの質問には答えられない。最初の一歩に躓くと、雪崩を打ったように崩れてしまう、というケースをよく見てきました。
実はこれって、準備ではなく用意なんです。「用意」はある物事を行うために必要なものなどをそろえるという意味です。それに対して「準備」は物事がうまく運ぶように前もって環境や態勢などを整えるという意味です。
つまり、資料を読んだだけなら、用意です。資料を読んだうえで、自分なりの意見を言えることが準備です。面接における想定問答集などが売られているかもしれないけれど、50も60も想定問答を考えたところで、全ての質問に答えられる訳がありません。そこから外れた質問が来たときに答えられるかどうかが勝負です。準備は、どこから質問をされても、自分の言葉で答えられるようにしておくことです。
会社に選ばれるという意識は拭えないと思いますが、一方の頭で、会社を選ぶという意識を持つべきだと思うんです。会社に合わせた答えを用意していたら、批判的に会社を見ることができません。批判的というのは、否定的とは違います。同業他社と何が違っているのか、それに対して自分は何を思い、どう考えるのか、ということを自分のことばで言えることが、準備なんです。
これができていないと、ちょっとした意見のズレに対応できなくなって、顔が真っ赤になって頭の中が真っ白という状態になりがちです。
面接担当者だって、パーフェクトじゃない。選ばれる側と選ぶ側は対等なので、必要以上に怖がる必要はありません。練習で泣いて試合で笑え、などと言いますが、準備の意味を改めて考えてもらいたいと思います。
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前々回にラジオネームみかんさんから頂戴したメールをもとに、「さまざまありがとうございます」の違和感について、お話ししました。
その後、みかんさんは、若手社員に話をし、その社員もご自身で調べて「なるほど」と理解してもらえた、と いうメールを頂戴しました。
よかったですね。若手社員にどう話すかは、みかんさんの力量が試される部分だったのですが、きっと上手に伝えられたのだろうと、ホッとしました。
というわけで、今回は「人をほめる」に焦点を当てたいと思います。「ほめ殺し」ということばがありますが、誰しもほめられて嫌な思いはしませんよね。ほめ上手は、コミュニケーション上手なんです。
大体、人は、結果をほめるんですね。テストで100点取ったとか、ノルマを達成したとか。でも、それって結果がでなければ、それまでの時間や努力を否定されてしまうことになる。
もちろん結果も大事です。しかし、結果が出せないで一番悔しい思いをしているのは、本人です。そこにかけた時間や努力は、上手くいったときとそうでなかったときと、さほど変わらないんです。たまたま、どこかのポイントがわずかにずれただけなんです。
だから、途中経過をほめることってとても大切なんだと思います。途中経過って、ほとんど人から見られませんもんね。だからそこをほめるのは難しい。
文章は、結果として出来上がった作品について、評価されます。でも、僕が開いているライティングセミナーに参加している人たちは、最初は書くのに精いっぱいだんです。
ところが、セミナーで、僕がいろいろコメントしたり内容を確認したりしていくと、書くときに考えるようになるんです。どうすれば文を簡潔にできるか、この表現でいいだろうか、と。
何度も修正すると、その軌跡が見えてくるんです。それがとても素晴らしい。それまで使わなかった脳を使えるようになる。そうすると、文章を書くのが楽しくなる。必然的に文章もわかりやすく、自分を表現できるようになる。これが、大事なんです。この課程を言語化っていうのだと思います。
自分を表現するために、自分を見つめ直し考える作業ができる。その課程をほめられる、という循環ができるんです。これは、会社で後輩を育てるときにも重要なポイントになる。途中課程を見てあげると、コミュニケーションも円滑にいくようになります。
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先週、ラジオネーム「みかん」さんから「さまざまありがとうございます」の違和感についてお便りを頂戴し、お答えしました。
なんと、きょうはそれに関連して「わざわざありがとうございます」と言う若手社員が結構いる、というお便りを「つみたてニーサン」から頂戴しました。いつもありがとうございます。
これも、「わざわざ」の持つニュアンスなのだろうと思います。「わざわざ」には、「何かのついでではなく、労力を惜しまないで特にそのためだけにするさま」とか「特別に」という意味があります。そのため、悪い意味はないんですよね。「わざわざ遠くまでお運びくださり、ありがとうございます」は、労力を惜しまず来てくれたことに対しての感謝になります。
ところが、「わざわざ」には、もう一つ「わざと」という意味もあるんです。たとえば「わざわざ勉強の邪魔をしにくる」というと「わざと」というマイナスの意味になります。この感覚が微妙に反映しているのではないかと思うんです。「わざわざありがとうございます」が素直な感謝ではあるものの、受け取りようによっては「余計なことをしてくれて、ありがとう」という嫌みにも感じるということだと思うんです。
長所・短所について、お話しした回でも「ことばには両面の意味がある。長所は短所にもなるし、その逆もまたしかり」ということを指摘しましたよね。
つまり、ことばには辞書が解釈している表向きの意味と、そこに含まれる奥深いところの意味がひそんでいる、ということなんだと思います。面接のときだけでなく日常生活でも、ちょっとした違和感があるときは、立ち止まって辞書を引いて、考えるということをするといいと思います。
ただ僕は、ことばの意味を限定したり、抑制的に使ったりするのは、少し考えものだと思ってはいるのですが・・・。
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