荘川さくらと朝日よもぎ。ふたりの少女の“心”が入れ替わった日。八幡祭の喧騒の中で、恋と友情と運命が交錯する。それぞれの想いを胸に、他人の身体で過ごしたわずかな時間が、やがて本当の自分を見つめ直すきっかけとなっていく。
――「あなたの中のわたし」と「わたしの中のあなた」。
入れ替わった心が奏でる三重奏《トライアングル・ラプソディ》。荘川さくらと朝日よもぎ、それぞれの視点で描かれた前後編をひとつにまとめた完全版、ついに配信スタート!
【ペルソナ】
・さくら(24歳)=荘川そばの栽培農家。収穫が終わった休みの日に八幡祭へ(CV=岩波あこ)
・よもぎ(29歳)=朝日町の漢方薬剤師。東京の友達と約束して八幡祭へ(CV=蓬坂えりか)
・ショウ(35歳)=さくらのパートナー。八幡祭で待ち合わせした(CV=日比野正裕)
・観光客(22歳)=二日酔いで薬膳カフェ「よもぎ」へきた旅行客(CV=小椋美織)
<シーン1A:古い町並>
◾️高山祭の雑踏(お囃子)
「すごい人出・・高山祭なんだから、あたりまえだけど」
古い町並を上(かみ)から下(しも)へ。
屋台の曳き揃えを目指して、人の波は桜山八幡宮へ流れる。
私はさくら。
実家は荘川町でそばの栽培農家をやっている。
9月後半からは収穫の最盛期。
でも昨日までにすべて終え、今朝、路線バスに乗った。
趣味の一眼レフをかかえて。
秋の高山祭。八幡祭(はちまんまつり)。
パートナーのショウと桜山八幡宮で待ち合わせしている。
彼は市街地で働いてるから、今日もお昼まで仕事だって。
ついさっき少し遅れるって連絡があった。
だから私はひとりでゆっくりと、古い町並を歩く。
中橋(なかばし)から上三之町(かみさんのまち)へ。
古い町並を順番に撮影していく。
なじみの酒蔵があるあたりで、人力車とすれ違った。
いい被写体。
杉玉が吊るされた軒先越しに町並を写す。
そのまま人の流れにのって安川通り(やすがわどおり)方面へ。
人波にもまれながらファインダーを覗いていたとき・・・
「あっ!」
古い町並の左端を歩いていた私は、
足を踏み外して側溝で転んでしまった。
一眼レフを庇うあまり、焼板の壁で強く頭をうち・・・
朦朧とする意識・・・
ああ、祭囃子の音がフェードアウトしていく・・・
<シーン1B:朝日町の薬膳カフェ「よもぎ」>
◾️カフェの雑踏
「なんかこのお茶、苦いんですけど」
「ああ、ごめんなさい。
さっき、昨夜飲みすぎちゃった、って言ってたから
五行茶をお出ししたんですよ」
「ゴ・・ギョウチャ?」
「はい。五種類の薬草をブレンドしたお茶です」
「で?」
「焙煎した生薬は苦味があるんです。でも、
甘草とかナツメの甘みが、苦さを和らげてると思うけどなあ」
「だから?」
「苦いだけじゃなくて、飲んだあとほんのり甘さが残りませんか」
「そんなんどうでもいいから、なんとかしてよ。
砂糖でもなんでもいれればいいじゃない」
「そんな・・・
砂糖なんて入れたら、血糖値も変化しちゃうし。
体も冷やしちゃいますよ」
「関係ない。苦くないようにして」
お客さんの声がだんだん荒くなる。
あ、だめ。
久々に・・・これ・・過呼吸かも・・
「ちょっと、聞いてる?」
意識が遠のく・・・
お客さんの声が遠ざかっていく・・・
<シーン2B:古い町並/さくらの体=よもぎの意識>
◾️高山祭の雑踏(お囃子)
「あ・・・れ・・?
えっと・・
えっ!?ここどこ?」
気がつくと、薬膳カフェ「よもぎ」とはまったく違う場所に、私は倒れていた。
ここは・・・?
あたりを見回す。
高山市街地の・・・古い町並だ。
しかも私、側溝に左足を突っ込んで倒れている。体が重い、って思ったら、首にブラ下がっているのは、大きなカメラ。
そうだ。持ち物。
肩かけの小さなポーチを手で探る。
ポーチの中に見つけたのは、かわいい手鏡。
そこに映っていたのは・・・
誰?この人誰!?
桜色のロングヘアー。
桜の髪飾り。そして・・・
凛とした美しい顔立ち。
誰なの〜!?
なんで?なんで?
どういうこと、これ?
鏡の中で整った顔が困惑した表情を見せる。
鏡を遠ざけて体全体を映すと・・・
淡い桜色のロングTシャツ。
透け感のある軽やかなパーカー。
ボトムスはデニムのスリムパンツ。
女性カメラマン?
気がつくと、私の周りには人だかりができていた。
その中から現れたのは・・・
「大丈夫?怪我はない?」
いかにも爽やかな、長髪の男性。
「いや、だ、大丈夫です。おかまいなく」
という私の言葉など関係なく、片手を差し出してくる。
「さあ、つかまって」
「いや、そ、そんな・・」
口では断っているのに、なぜかその手をとってしまった。
「歩ける?」
「た、たぶん」
「ここ、酒蔵の入口だから。ほら、そこのカフェのベンチ。
あそこをお借りしよう」
彼はカフェの人に断りを入れて、私をベンチへ座らせた。
「さ、お水もらってきたから。はいどうぞ」
「あ、ありがとうございます・・」
「なんだよ、その喋り方。頭うったの?」
「し、失礼ね。あなた・・・誰ですか?」
「え?どういうこと?
待合せに遅れたこと、怒ってるの?」
「え・・だから・・名前は?」
「もう〜。ショウに決まってるだろ」
冷静に、冷静に。
えっと、これからどうしよう・・・
とにかく朝日町へ帰らなきゃ。
いまごろどうなってるんだろう。
怒ってたあのお客さん・・・
そうこうするうちにコーヒーが運ばれてきた。
そっか。カフェだもん。
コーヒーくらい飲むのが礼儀だよね。
「良いショットは撮れたかい?」
「え・・・あ、はい・・まあ」
「まあ、君の腕とそのカメラなら当然か」
ああ、そうか。この一眼レフカメラ。
高級そうだな。
私は、カメラの履歴を遡る。
老舗の酒蔵。軒先の杉玉。
すうっと続いている人波。
和菓子屋の前。
お団子をほおばるカップル。
こっち見てピースサインしてる。
中橋のにぎわい。
欄干の赤色が鮮やか〜。
「いい写真ばかりだ」
「そうですね・・・」
「そんな、他人事みたいに。
君が撮ったんだろ?」
「多分・・」
「次の被写体はきっと桜山八幡宮かな」
「そう・・かな」
「よし、じゃあ行こう。もう歩いて大丈夫?」
「はあ・・まあ、いいですけど・・」
「また、そういう喋り方。
悪かったって言ってるだろ、遅刻したこと」
「そういうことじゃないけど・・」
「もう少ししたら屋台の曳き揃えだぞ」
そう言って、ゆっくりと彼、ショウは立ち上がる。
私も彼に続いて静かに起き上がる。
なんか、ぎごちない。
まるで自分の体じゃないみたいに。
ってか、自分の体じゃないし。
桜山八幡宮まで行ったら、すぐに朝日に帰ろう。
<シーン2A:薬膳カフェ「よもぎ」/さくらの体=よもぎの意識>
◾️カフェの雑踏
「ちょっと・・大丈夫ですか?」
「え?」
「急に倒れちゃったみたいですけど・・・」
「あ・・・あ・・・あれ?」
ここ、どこ?
私、古い町並を歩いてたんじゃ・・・
ここって・・・カフェ?
どうして?
「顔色悪いよ・・・」
「あ、あの・・・ここって、どこですか?」
「え〜!どうしちゃったんですか、一体?」
「高山じゃないの?」
「高山でしょ。朝日町のカフェ『よもぎ』・・・
って、あなたのお店じゃないの?」
「朝日町・・・?よもぎ・・・?」
どういうこと?
どうして?
どうして朝日町にいるの?
頭を抱える私に、テーブルに座った女性は、
「救急車、呼びましょうか・・・?」
「救急車・・・?
い、いえ・・・大丈夫です。
あの・・・私、ここの店員なんですか?」
「ちょっと・・・本当に大丈夫?」
「あ・・・はい・・・何か飲まれますか?」
「え・・・だから・・あの・・・
このナントカ茶っての、苦くって飲めないから・・」
「お茶・・・?
ちょっと失礼・・・わ、にがっ」
「でしょ。だからお砂糖を」
「わかりました・・・ちょっと待って」
厨房へ行ってお砂糖を探す。
ってか、このカフェ、ほかに誰もいないの?
砂糖・・砂糖・・・見当たらない。
カフェなのに白砂糖置いてないのかな。
ん?これは?
ラベルに書いてある。
『ナツメのシロップ』『はちみつ』『羅漢果(らかんか)エキス』?
これでいっか。
「ごめんなさい。白砂糖はないみたいだけど、こんなシロップでいい?」
「あ・・・ありがとう・・」
シロップの容器をお客さんのテーブルに置く。
そのとき目に映ったのは私の指。
あれ?ネイルがついてない?
取れちゃったの?
桜の花びらの模様。気にいってたのに。
そんなことを思いながら厨房へ戻ったとき。
入口の鏡を見て驚いた。
「え!?誰、これ!?」
鏡に映っていたのは・・・
よもぎ色のエプロンをした美しい女性。
左目の下のホクロ。
グリーンのカラコンが輝いてる。
眉間に皺を寄せ、呆然とした表情。
そうか、私のことか。
「やっぱ救急車、呼んだ方がよくないですか・・・?」
「ホ、ホントに、だ、だ、大丈夫だから」
「わかりました。
あの、私もう、帰ります。
ごちそうさまでした!」
まるで、おかしな人を見るような表情で
お客さんはそそくさと帰っていった。
そりゃそうだ。
私だって、この状況、まったく理解できないし。
誰もいなくなった店内で、もう一度鏡をじっくりと見る。
薄いベージュのコットンブラウス。
濃いグリーンのワイドパンツ。
髪はまとめて、つまみ細工のヘアクリップに水引のポニーフック。
指にネイルはしてないけど、キレイに手入れしてある。
誰なの、一体?
※続きは音声でお楽しみください。
朝日町から高山へ――“よもぎ”の心がさくらの身体に宿り、
八幡祭の中で彼女が見たのは、祭よりもまぶしい恋の光景。
一方、さくら(よもぎの体)は、カフェの温もりの中で“他人の生き方”を知っていく。やがて二人の道が再び交差したとき、運命は静かに“元の形”へと還っていく。
──心が入れ替わっても、想いは消えない。
ヒダテン!ボイスドラマ第29話『トライアングル・ラプソディ/後編』は、朝日町の薬膳カフェと桜山八幡宮を結ぶ“よもぎの視点”の物語です。
【ペルソナ】
・さくら(24歳)=荘川そばの栽培農家。収穫が終わった休みの日に八幡祭へ(CV=岩波あこ)
・よもぎ(29歳)=朝日町の漢方薬剤師。東京の友達と約束して八幡祭へ(CV=蓬坂えりか)
・ショウ(35歳)=さくらのパートナー。八幡祭で待ち合わせした(CV=日比野正裕)
・観光客(22歳)=二日酔いで薬膳カフェ「よもぎ」へきた旅行客(CV=小椋美織)
<シーン1B:朝日町の薬膳カフェ「よもぎ」>
◾️カフェの雑踏
「なんかこのお茶、苦いんですけど」
「ああ、ごめんなさい。
さっき、昨夜飲みすぎちゃった、って言ってたから
五行茶をお出ししたんですよ」
「ゴ・・ギョウチャ?」
「はい。五種類の薬草をブレンドしたお茶です」
「で?」
「焙煎した生薬は苦味があるんです。でも、
甘草とかナツメの甘みが、苦さを和らげてると思うけどなあ」
「だから?」
「苦いだけじゃなくて、飲んだあとほんのり甘さが残りませんか」
「そんなんどうでもいいから、なんとかしてよ。
砂糖でもなんでもいれればいいじゃない」
「そんな・・・
砂糖なんて入れたら、血糖値も変化しちゃうし。
体も冷やしちゃいますよ」
「関係ない。苦くないようにして」
お客さんの声がだんだん荒くなる。
あ、だめ。
久々に・・・これ・・過呼吸かも・・
「ちょっと、聞いてる?」
意識が遠のく・・・
お客さんの声が遠ざかっていく・・・
<シーン2B:古い町並/さくらの体=よもぎの意識>
◾️高山祭の雑踏(お囃子)
「あ・・・れ・・?
えっと・・
えっ!?ここどこ?」
気がつくと、薬膳カフェ「よもぎ」とはまったく違う場所に、私は倒れていた。
ここは・・・?
あたりを見回す。
高山市街地の・・・古い町並だ。
しかも私、側溝に左足を突っ込んで倒れている。体が重い、って思ったら、首にブラ下がっているのは、大きなカメラ。
そうだ。持ち物。
肩かけの小さなポーチを手で探る。
ポーチの中に見つけたのは、かわいい手鏡。
そこに映っていたのは・・・
誰?この人誰!?
桜色のロングヘアー。
桜の髪飾り。そして・・・
凛とした美しい顔立ち。
誰なの〜!?
なんで?なんで?
どういうこと、これ?
鏡の中で整った顔が困惑した表情を見せる。
鏡を遠ざけて体全体を映すと・・・
淡い桜色のロングTシャツ。
透け感のある軽やかなパーカー。
ボトムスはデニムのスリムパンツ。
女性カメラマン?
気がつくと、私の周りには人だかりができていた。
その中から現れたのは・・・
「大丈夫?怪我はない?」
いかにも爽やかな、長髪の男性。
「いや、だ、大丈夫です。おかまいなく」
という私の言葉など関係なく、片手を差し出してくる。
「さあ、つかまって」
「いや、そ、そんな・・」
口では断っているのに、なぜかその手をとってしまった。
「歩ける?」
「た、たぶん」
「ここ、酒蔵の入口だから。ほら、そこのカフェのベンチ。
あそこをお借りしよう」
彼はカフェの人に断りを入れて、私をベンチへ座らせた。
「さ、お水もらってきたから。はいどうぞ」
「あ、ありがとうございます・・」
「なんだよ、その喋り方。頭うったの?」
「し、失礼ね。あなた・・・誰ですか?」
「え?どういうこと?
待合せに遅れたこと、怒ってるの?」
「え・・だから・・名前は?」
「もう〜。ショウに決まってるだろ」
冷静に、冷静に。
えっと、これからどうしよう・・・
とにかく朝日町へ帰らなきゃ。
いまごろどうなってるんだろう。
怒ってたあのお客さん・・・
そうこうするうちにコーヒーが運ばれてきた。
そっか。カフェだもん。
コーヒーくらい飲むのが礼儀だよね。
「良いショットは撮れたかい?」
「え・・・あ、はい・・まあ」
「まあ、君の腕とそのカメラなら当然か」
ああ、そうか。この一眼レフカメラ。
高級そうだな。
私は、カメラの履歴を遡る。
老舗の酒蔵。軒先の杉玉。
すうっと続いている人波。
和菓子屋の前。
お団子をほおばるカップル。
こっち見てピースサインしてる。
中橋のにぎわい。
欄干の赤色が鮮やか〜。
「いい写真ばかりだ」
「そうですね・・・」
「そんな、他人事みたいに。
君が撮ったんだろ?」
「多分・・」
「次の被写体はきっと桜山八幡宮かな」
「そう・・かな」
「よし、じゃあ行こう。もう歩いて大丈夫?」
「はあ・・まあ、いいですけど・・」
「また、そういう喋り方。
悪かったって言ってるだろ、遅刻したこと」
「そういうことじゃないけど・・」
「もう少ししたら屋台の曳き揃えだぞ」
そう言って、ゆっくりと彼、ショウは立ち上がる。
私も彼に続いて静かに起き上がる。
なんか、ぎごちない。
まるで自分の体じゃないみたいに。
ってか、自分の体じゃないし。
桜山八幡宮まで行ったら、すぐに朝日に帰ろう。
<シーン3B:桜山八幡宮/さくらの体=よもぎの意識>
◾️高山祭の雑踏(お囃子)
「やっぱり、すごい迫力だなあ。屋台の曳揃え」
「そりゃ、11台もの絢爛豪華な屋台が、一堂に揃うんだから」
「この美しさ・・・言葉にできない」
「写真、撮らなくていいの?」
「あ・・」
「もうすぐ、布袋台のからくり奉納だよ」
一眼レフカメラなんて使ったことないけど・・・
ファインダーを覗いて、なんとなくシャッターを切る。
「ユネスコの無形文化遺産登録。当然って感じだな」
「金箔の飾りも、彫り物も全部職人の手仕事かあ・・・」
「秋の空気によく似合う、美しい景色。
もう少し近づいてみて。
木の温もりと優しい香りが伝わってくるよ」
「まるで詩人みたい」
「はは・・よく言われる」
「桜吹雪の山王祭もいいけど、秋風の八幡祭も素敵」
「初夏を迎える山王祭と冬を迎える八幡祭。
こんな美しい祭りを四季の中で二度も見られるなんて
飛騨人(ひだびと)は幸せだよね」
「確かに。
だけど私、八幡祭は久しぶりなの」
「え?
去年も一緒に来たじゃないか」
「え・・・
あ、そうか・・・ごめんなさい」
「さくら、やっぱり今日はちょっとおかしいぞ。
秋そばの収穫で疲れちゃったのかい?」
秋そば・・・
ってどこのこと?
そばといえば・・・荘川?
この爽やかな青年は?
待合せって言ってたけど、市街地に住んでいるのかしら。
ブルーの瞳がとってもきれい・・・
「ちょっと風が出てきたかな・・寒くない?」
「うん、大丈夫。
あの・・・少しだけ向こうで、電話してきてもいい?」
「あ・・ああ。もちろん」
「朝日のお店に電話しなくちゃ」
「お店?」
「ううん。なんでもない」
◾️電話の呼び出し音(受話器内部音)
思ったとおり、カフェは誰も出ない。
私は、おばあちゃんに電話をかけた。
「もしもし。あ、おばあちゃん?よもぎ」
「うん。ちょっと市街地まで来てるの。そう、今日高山祭」
「え?声がおかしい?」
「あ、そ、そうかな。ちょっと風邪気味だから」
「お店あけてきちゃったから、お留守番お願いできる?」
「ありがとう」
「うん。遅くなる前には帰るから」
「宵祭(よいまつり)?見ないよ。遅くなっちゃうもん」
「お迎え?悪いからいい、いい。帰る方法あるから」
「うん。じゃあ、お店お願いします」
はぁ〜。そうだった。
こんな姿じゃ、おばあちゃん私だってわかんないよ〜。
どうしよう〜。
それに、朝日にいた私はどうなってるの?
お店から消えてどこ行っちゃったの?
もう頭の中が真っ白。
お願い!だれかなんとかして〜!
<シーン4B:桜山八幡宮/さくらの体=よもぎの意識>
◾️高山祭の雑踏(からくり奉納/布袋台)〜観客の拍手
男女の唐子(からこ)がブランコに乗る「綾渡り」(あやわたり)。
まるで体操の大車輪のように回転しながら、布袋和尚の背と右手に飛び移る。
こんなにも大胆で、ここまで繊細な動き。
久しぶりに目にしたからくりに圧倒される。
隣で見ている彼。
ショウも感動して目が離せなくなってる。
あれ?
ちょっぴり瞳がうるんでいるじゃない?
「この美しさは、言葉にできるようなレベルじゃない」
「ほんと」
私もそれ以上、声をかけられなかった。
ショウの距離は、さっきより少しだけ近づいたようだ。
気づかれないように、彼のジャケットの裾をつまむ。
だって、この人混みではぐれたらいけないから。
それに気づいた彼は、そっと私の肩を抱く。
そのとき、私のことをじっと見ている視線に気がついた。
ゆっくりその方向へ目を向けると・・・
「あっ!」
思わず声を出してしまった。
私たちの斜め後ろに立っていたのは・・・”私=よもぎ”だった。
お互いに目が合った瞬間、
私は反射的に、ジャケットから手を離し、彼の手もふりほどく。
泣きそうな顔で踵を返し、大鳥居の方へ走り出す”よもぎ”。
「待って!」
人波をかき分けて追いかける。
「お願い、止まって!」
「あなた、さくらさんでしょ!」
「行かないで〜!」
※続きは音声でお楽しみください。
秋の高山祭──荘川そば農家の娘・さくらは、恋人ショウと再会するはずだった。しかし祭の雑踏の中で転倒し、気がつくと見知らぬカフェの記憶と、自分ではない声…。いっぽう同じころ、朝日町の薬膳カフェでは“苦いお茶”をきっかけに騒ぎが起こる。ふたりの意識が入れ替わった瞬間から、物語は静かに、そして切なく動き出す。
──すれ違いの恋、入れ替わる心。ヒダテン!ボイスドラマ第28話『トライアングル・ラプソディ/前編』は、高山祭の喧騒を背景に描く“さくらの視点”のラブストーリーです。
【ペルソナ】
・さくら(24歳)=荘川そばの栽培農家。収穫が終わった休みの日に八幡祭へ(CV=岩波あこ)
・よもぎ(29歳)=朝日町の漢方薬剤師。東京の友達と約束して八幡祭へ(CV=蓬坂えりか)
・ショウ(35歳)=さくらのパートナー。八幡祭で待ち合わせした(CV=日比野正裕)
・観光客(22歳)=二日酔いで薬膳カフェ「よもぎ」へきた旅行客(CV=小椋美織)
<シーン1A:古い町並>
◾️高山祭の雑踏(お囃子)
「すごい人出・・高山祭なんだから、あたりまえだけど」
古い町並を上(かみ)から下(しも)へ。
屋台の曳き揃えを目指して、人の波は桜山八幡宮へ流れる。
私はさくら。
実家は荘川町でそばの栽培農家をやっている。
9月後半からは収穫の最盛期。
でも昨日までにすべて終え、今朝、路線バスに乗った。
趣味の一眼レフをかかえて。
秋の高山祭。八幡祭(はちまんまつり)。
パートナーのショウと桜山八幡宮で待ち合わせしている。
彼は市街地で働いてるから、今日もお昼まで仕事だって。
ついさっき少し遅れるって連絡があった。
だから私はひとりでゆっくりと、古い町並を歩く。
中橋(なかばし)から上三之町(かみさんのまち)へ。
古い町並を順番に撮影していく。
なじみの酒蔵があるあたりで、人力車とすれ違った。
いい被写体。
杉玉が吊るされた軒先越しに町並を写す。
そのまま人の流れにのって安川通り(やすがわどおり)方面へ。
人波にもまれながらファインダーを覗いていたとき・・・
「あっ!」
古い町並の左端を歩いていた私は、
足を踏み外して側溝で転んでしまった。
一眼レフを庇うあまり、焼板の壁で強く頭をうち・・・
朦朧とする意識・・・
ああ、祭囃子の音がフェードアウトしていく・・・
<シーン2A:薬膳カフェ「よもぎ」/さくらの体=よもぎの意識>
◾️カフェの雑踏
「ちょっと・・大丈夫ですか?」
「え?」
「急に倒れちゃったみたいですけど・・・」
「あ・・・あ・・・あれ?」
ここ、どこ?
私、古い町並を歩いてたんじゃ・・・
ここって・・・カフェ?
どうして?
「顔色悪いよ・・・」
「あ、あの・・・ここって、どこですか?」
「え〜!どうしちゃったんですか、一体?」
「高山じゃないの?」
「高山でしょ。朝日町のカフェ『よもぎ』・・・
って、あなたのお店じゃないの?」
「朝日町・・・?よもぎ・・・?」
どういうこと?
どうして?
どうして朝日町にいるの?
頭を抱える私に、テーブルに座った女性は、
「救急車、呼びましょうか・・・?」
「救急車・・・?
い、いえ・・・大丈夫です。
あの・・・私、ここの店員なんですか?」
「ちょっと・・・本当に大丈夫?」
「あ・・・はい・・・何か飲まれますか?」
「え・・・だから・・あの・・・
このナントカ茶っての、苦くって飲めないから・・」
「お茶・・・?
ちょっと失礼・・・わ、にがっ」
「でしょ。だからお砂糖を」
「わかりました・・・ちょっと待って」
厨房へ行ってお砂糖を探す。
ってか、このカフェ、ほかに誰もいないの?
砂糖・・砂糖・・・見当たらない。
カフェなのに白砂糖置いてないのかな。
ん?これは?
ラベルに書いてある。
『ナツメのシロップ』『はちみつ』『羅漢果(らかんか)エキス』?
これでいっか。
「ごめんなさい。白砂糖はないみたいだけど、こんなシロップでいい?」
「あ・・・ありがとう・・」
シロップの容器をお客さんのテーブルに置く。
そのとき目に映ったのは私の指。
あれ?ネイルがついてない?
取れちゃったの?
桜の花びらの模様。気にいってたのに。
そんなことを思いながら厨房へ戻ったとき。
入口の鏡を見て驚いた。
「え!?誰、これ!?」
鏡に映っていたのは・・・
よもぎ色のエプロンをした美しい女性。
左目の下のホクロ。
グリーンのカラコンが輝いてる。
眉間に皺を寄せ、呆然とした表情。
そうか、私のことか。
「やっぱ救急車、呼んだ方がよくないですか・・・?」
「ホ、ホントに、だ、だ、大丈夫だから」
「わかりました。
あの、私もう、帰ります。
ごちそうさまでした!」
まるで、おかしな人を見るような表情で
お客さんはそそくさと帰っていった。
そりゃそうだ。
私だって、この状況、まったく理解できないし。
誰もいなくなった店内で、もう一度鏡をじっくりと見る。
薄いベージュのコットンブラウス。
濃いグリーンのワイドパンツ。
髪はまとめて、つまみ細工のヘアクリップに水引のポニーフック。
指にネイルはしてないけど、キレイに手入れしてある。
誰なの、一体?
カウンターの中を手当たり次第探してみる。
あ、カウンターの下にバッグ。
いいよね、見ても。非常事態だし。
小袋がいっぱい。中身は・・ハーブの葉っぱ?
財布。ポーチ。ハンドクリーム。
それから・・・スマホ!
個人情報だけど・・・
ごめんなさい!
ああ、でも暗証番号わかんないから開けないか・・・
と思ったら、顔認証で開いちゃった。
「設定」を開いて・・・
朝日よもぎ・・・
って名前だよね?
いいわ。じっとしてても始まらない。
とにかく、高山市街地へ。
古い町並へ戻らないと。
朝日町からだと・・・
バスの本数少ないよね、きっと。
早く。バス停まで急がなきゃ。
<シーン3A:高山濃飛バスセンター/よもぎの体=さくらの意識>
◾️高山駅前の雑踏/遠くから祭囃子が聞こえる
やっと、戻ってきた。
朝日支所前から路線バスで約1時間。
早く”私=さくら”を見つけなきゃ。
どこへ行けばいい?
古い町並?
そう。
あのとき私、上三之町から安川通に向かって歩いてたから。
もし、”さくら”が誰かの意識を持っているのなら、桜山八幡宮ね。
<シーン4A:桜山八幡宮/さくらの体=よもぎの意識>
◾️高山祭の雑踏(からくり奉納/布袋台)〜観客の拍手
桜山八幡宮の境内に引き揃えられた11台の屋台。
まばゆいほどの絢爛豪華な佇まいのなかをゆっくりと歩く。
どこ?
どこにいるの?”さくら”
もう一度、参道の反対側へ。
男女の唐子(からこ)が綾に乗る「綾渡り」(あやわたり)。
まるで空中ブランコのように、棒を伝って布袋様に乗り移る離れ業。
よく見ると左手の軍配も旗に変わっている。
こんなにも大胆で、ここまで繊細な動き。
何回見ても圧倒される。
思わず見入ってしまったけど、それより・・・
布袋台の前まで戻ったとき、
見覚えのある髪飾りが目にはいった。
桜色のロングヘアーを彩る桜の髪飾り。
淡い桜色のTシャツにデニムのスリムパンツ。
見つけた。
あれ?
彼女、”さくら”の隣にいるのは・・・ショウ?
そうか、出会えたんだ。
よかっ・・・
え?
彼女、どこを見ているの?
”さくら”が見上げているのは屋台じゃなくて・・・ショウ・・・
そのまま視線を下げていくと・・・
え?うそ?
ショウのジャケットの裾をつまんでる。
ショウは・・・?
”さくら”の行動に気づいた彼は、そっと彼女の肩を抱く。
いや。やめて。
こんなのだめ。
ああ、だめ。
見たくなくても視線がはずせない。
私の視線に気づいたのか・・・ゆっくりと彼女が振り向く。
「あ・・」
あわててショウのジャケットから手を離す”さくら”。
私は、お互いに目が合った瞬間、踵を返して大鳥居の方へ走り出した。
「待って!」
”さくら”は人波をかき分けて追いかけてくる。
「お願い、止まって!」
「あなた、さくらさんでしょ!」
「行かないで〜!」
彼女の声が私を追ってくる。
いやだ。いやだ。いやだ。
私は必死で走った。
走りながら目からは大粒の涙がこぼれる。
宮前橋(みやまえばし)を渡って車道へ。
歩道を抜けた瞬間、”さくら”は私の肩に手をかけた。
「私たち、入れ替わってるんでしょ!?」
え・・
一瞬、足が止まる。
そのとき・・・
◾️急ブレーキの音
走ってきた車が急ブレーキをかけた。
私とよもぎ、さくらと私は足をとられて、大きく転倒。
目の前が真っ暗になっていった。
<シーン5A:病院/再び元の体へ(さくら)>
◾️病院の雑踏〜心電図の音など
「気がついた?」
「あ・・・」
窓の外。
夜空に白いカーテンが、かすかに揺れている。
ほんの少し開いた窓から、ぼんやりと祭囃子の音が聞こえてきた。
「宵祭りだよ」
そうか・・・ここは、病院。
ショウは心配そうに顔を覗き込む。
あっ。
そうだ。体。私の体。どうなったの?
指を広げる。
10本の爪に、ほんのりと桜模様のネイルアート。
「鏡、鏡みせて!」
「どうぞ」
ショウがポーチから手鏡をとりだして私に手渡す。
目をつむって鏡を顔の前へ。
おそるおそる、ゆっくりと目を開けると・・・
緊張した表情で私を見つめていたのは、
桜色のロングヘアー。
桜の髪飾り。そして・・・
私だ!さくら・・・
久々野町の森にひっそりと暮らしていたオオカミの母と子。クマに襲われ、母を失った子ども「カムイ」が、幼稚園児の少女・りんごと出会うことから物語は始まります。
“ロボ”と呼ばれ、人間の家族と暮らしながらも、心の奥底には「オオカミの誇り」を宿し続けるカムイ。彼はりんごを守るため、幾度となく命を張ります。そしてついに訪れる、運命の夜──。
母が遺した言葉を胸に、最後の最後まで少女を守り抜いたカムイの姿は、聞く者の心を揺さぶります。
「もしも、ニホンオオカミが生き延びていたら?」そんな“もし”を描いた感動のボイスドラマを、ぜひお聴きください。
【ペルソナ】
・カムイ/LOBO(0歳〜)=子どもの狼(CV=坂田月菜)※カムイはアイヌ語で「神」
・母狼(30歳くらい)=誇り高き飛騨狼の最後の生き残り(CV=小椋美織)
・りんご(5歳)=久々野町の幼稚園年長さん。(CV=坂田月菜)
・ママ(28歳)=りんごのママ(CV=岩波あこ)
・パパ(32歳)=りんごのパパ(CV=日比野正裕)
・ニュースアナウンサー=宮ノ下さん(カメオ)
【参照:日本オオカミ協会】
<シーン1/久々野の森から国道41号へ>
◾️SE/森の中/虫の声/クマの声
「カムイ!逃げて!」
「おかあさんは!?」
「いいから逃げなさい!ウェン/カムイより早く!」
おかあさんはボクを庇うように、大きなクマの前に回り込んだ。
ウェンカムイ。
ボクたちを襲ってくる悪いクマのことをおかあさんはそう呼んだ。
弟のイメルも妹のレンカもウェンカムイに襲われていなくなった。
おかあさんとボク=カムイは、オオカミの母子(おやこ)。
オオカミ?
正しくはニホンオオカミって言うんだって。
ボクたちはここ久々野で生まれ、久々野で育った。
おかあさんは一之宮からやってきた、って言ってたけど。
ボクは夢中で逃げた。
無我夢中で走ったら、目の前には人間が作った大きな道。
よし、あの向こうまで行けば・・・
勢いをつけて飛び出す。
そのとき、
◾️SE/急ブレーキの音
「カムイ!あぶない!」
「おかあさん!」
草むらから飛び出したおかあさんが、ボクに体当たりした。
ボクは道の端に投げ出され、お母さんも草むらへ。
「おかあさん!おかあさん!」
おかあさんは草むらに横たわって動かない。
ただ、ボクの方をじっと見つめた。
おかあさんの声は心の中に直接聞こえてくる。
「ねえ、カムイ。聞いて。
覚えておいてほしいの。
私たちは誇り高きニホンオオカミ。
ここ、飛騨では神の使い」
「かみさま?」
「そう。
だから、これからも悪いやつに負けちゃだめ。
どんな大きな相手でも背中を見せてはいけない」
「うん、わかったよ」
「もし、あなたに家族ができたら命懸けで守るのよ。
家族なんて・・無理かもしれないけど・・・」
「おかあさん・・?」
「さあ、もう・・・いきなさい・・・」
「おかあさん!」
「ここにいちゃ・・いけない」
そう言っておかあさんはゆっくりと目を閉じた。
「おかあさん!おかあさん!どうしたの?なんで返事してくれないの?」
「おかあさん・・・」
「わかったよ・・・ボク、いくね・・」
ボクはおかあさんにさよならを言って、大きな道をもう一度渡っていった。
「あぶない!」
「えっ?」
気がつくと、さっきよりおおきな乗り物が目の前を走り去っていった。
ボクを抱きかかえて尻餅をついているのは・・・
人間のこども!
「あぶなかったねー」
と言って、ボクの頭を撫でてくる。
「さわるな!」
「こら、助けてあげたのに怒っちゃだめでしょ。
りんご、年長さんになったから知ってるもん。
親切にされたら『ありがとう』って言うんだよ」
なに言ってるかわかんないけど、
ちょっと困った顔をして、もう一度触ってきた。
あ、あったかい・・・
「よしよし。
もう道路に飛び出しちゃだめだよ。
じゃあね。ばいばい」
そう言ってどっかへ行っちゃった。
「おかあさん・・・」
どうしてかわかんないけど、ボクは女の子のあとをついていく。
大きな道から、少し小さな道へ。
おっきくてながぁい乗り物が走る道も越えて。りんごがいっぱい実っている畑を通ったとき
女の子は振り返った。ボクも距離を保ったまま立ち止まる。
「あれぇ?
ちびちゃん、ついてきちゃったの?」
女の子はしゃがんで、ボクに向かって小さな手をふる。
なんだ?
よくわかんないけど、そばへ行ってみよ。
「どうしよう・・・
ママ、犬、きらいって言ってたよなあ・・」
「ねえ、いい子にできる?」
なに言ってんだ、こいつ。
「できるよね?」
ボクが首をかしげると、
「もう〜。いい子にしないと、追い出されるんだってば!」
また困った顔。しかたないなあ。
そっち行ってやるよ。
<シーン2/久々野町・りんごの家>
◾️SE/食卓の音
「ちゃんとりんごが自分で面倒みるのよ」
女の子のお母さんがボクの方を見てなにか言った。
どういうこと?
「よかったね!ちびちゃん!」
女の子はボクを抱いて大喜びしている。
あれ?
なんか知らないうちにこの子のこと、嫌じゃなくなってるかも。
一緒にいた男の人が、ボクを「ロボ」と呼んだ。
なんだ、それ?
ボクの名前はカムイ。カムイだぞ。
「ロボ、これからアタシが面倒みるからね!
アタシの名前はリンゴ。覚えてね。リ・ン・ゴ」
りんご・・・。
この子が、りんご。
ボクとりんごは、こうして家族になった。
ボクは、人間の匂いがする寝床を作ってもらったけど、そんなんやだな。
りんごの寝床にあがって、横に寝た。
次の朝、りんごは背伸びをして目覚め、ボクを抱っこして、外へ。
「おしっこだよ〜」
なに言ってるかわかんないけど、りんご畑の方へ駆けていく。
おかあさんに教えてもらったように
足をあげて、畑の木におしっこをかけた。
ここはボクとりんごの縄張り。
誰も入(い)れないから。
それからの毎日はいつもりんごと一緒。
りんごがいないお昼間は、縄張りに目を光らせる。
ボクが守ってあげないと。
◾️SE/狼の遠吠え
たまに、夜になるとおかあさんのこと思い出して叫んじゃうけど。
「ロボちゃんはおりこうね。
キャンキャン言わないから、ママに怒られない。
りんごも見習わないと」
りんごの言ってることはちんぷんかんぷんだけど
ボクの頭を撫でるときは、喜んでるとき。
朝はいつもお散歩。当然ボクはりんごを守る。
ある日、散歩の途中で大きな黒い犬が現れた。
「あ!おっきな犬!怖いよぉ!」
黒い犬は、りんごが怖気付いたのを見て、こっちへ駆けてくる。
「きゃあ〜!助けて〜!」
「大丈夫。心配ない」
ボクはりんごの前に立ち、犬を睨みつける。
ボクより何倍も大きな体。
でも、そんなの関係ない。
『私たちは誇り高きニホンオオカミ。
どんな大きな相手でも背中を見せてはいけない』
おかあさんの声が頭の中に響く。
ボクは、まったく怖くなかった。
低い唸り声をあげて犬を睨む。
ボクと目が合ったとたん、犬は顔を伏せた。
「りんごに近づくな」
低い唸り声を犬に投げつける。
犬はあっという間に逃げていった。
「ロボちゃん、りんごを守ってくれたの?」
ボクは、犬が見えなくなるまでじっと睨み続けていた。
<シーン3/成長するロボ>
◾️SE/大自然の音(野鳥の声)
久々野で生まれたボクは、新しい家族とともに
だんだん大人になっていく。
一年後。
毛並みは濃い茶色へ。
いつでもりんごの横で、警戒を怠らない。
そんなある日。
ボクたちの家には、たくさんの人間が集まっていた。
「ロボちゃん、今日はりんごの誕生日なの。
一緒にお祝いしてね」
よくわかんないけど、りんごの笑ってる顔を見るのは嬉しい。
だけど、りんごと同じくらいの年。オスの子どもが
りんごのものを奪って逃げようとした。
♂「返してほしいか?」
「やだ!返して。それ、私のプレゼント!」(※泣きながら)
♂「ふん。とれるものならとってみろ!へへへ」
ボクはすぐオスの子どもの目の前に回り込んだ。
睨みながら、鋭い牙を剝き出して、ゆっくりと一周する。
低い唸り声が響く。
「りんごからとったものを返せ」
♂「な、なんだ。こいつ。気持ち悪い!」
オスの人間は泣きながら、逃げていった。
ボクは取り返したものをりんごに渡す。
「ロボちゃん、ありがとう」
りんごは泣きながら、ボクを抱きしめた。
「大丈夫だよ、ボクがいるから」
◾️SE/大自然の音(野鳥の声)
さらに一年後。
りんごとボクは2人だけで過ごすことが多くなった。
お父さんとお母さんはりんご畑から帰ってこない。
「ごめんね、りんご。
今からお夕飯作るからね」
「いらない」
寂しさと悲しさの入り混じった声だ。
「なんだ、その言い方は!
おかあさんに謝りなさい!」
「やだ。知らない」
「ちょっと待て!」
お父さんがりんごの肩に手をかける。
「やめろ!!」
ボクは思わず叫んだ。
「なんでそんなことするの?みんな家族じゃないか」
ボクは全身の毛を逆立ててお父さんを睨む。
お父さんは慌ててりんごから手を離した。
「ロボ!なにするんだ!」
と言いながら、今度はボクに手を振り上げた。
ボクはお父さんとりんごの間に割り込む。
りんごが怪我しないように、おとうさんを睨みつけた。
「ロボちゃん、やめて」
りんごが泣きながらボクを抱き寄せる。
みんなボクのこと、ウェンカムイを見るような目で見つめていた・・・
※続きは音声でお楽しみください。
1934年、高山本線が開業したばかりの飛騨。久々野から宮峠を越え、二人がたどり着いたのは聖域・飛騨一宮水無神社。前編で出会った“女スパイ”梅花藻と少年りんごは、臥龍桜/夫婦松/水無神社に散らされた暗号を手がかりに、山上の奥宮へと向かいます。待ち受けるのは、陽炎を創設した男・蛇(オロチ)。そして、国の命運すら揺るがす「ある秘匿物」の真相。
後編は、りんごのモノローグが中心。
リンゴを分け合うささやかな時間、臥龍桜のしめ縄に潜む数字、そして奥宮での決断。スパイ・アクションの緊張感と、少年のまっすぐな祈りが同時に走る、ヒダテン!屈指のエピソードです。
<『梅花藻(バイカモ)』後編「飛騨一之宮編」>
【ペルソナ】
・少年りんご(12歳/CV:坂田月菜)=岐阜から高山線に乗り込んできた尋常小学校の低学年
・梅花藻(25歳/CV:小椋美織)=コードネーム梅花藻(ばいかも)。政府の諜報機関「陽炎」所属
・春樹(ハルキ=62歳/CV:日比野正裕)=蛇の同級生。詩人であり小説家。父は水無神社宮司
・蛇(オロチ=62歳/CV:日比野正裕)=諜報機関「陽炎」を作った人物。逃げた梅花藻を追う
【プロット】
【資料:バイカモ/一之宮町まちづくり協議会】
https://miyamachikyo.jp/monogatari/pg325.html
・時代設定=高山本線が開業した1934年(10/25全線開業)
・陸軍省が国防強化を主張するパンフレットを配布し軍事色が強まる
・国際的には満州国が帝国となり溥儀が皇帝に即位
・ドイツとポーランドの間で不可侵条約が結ばれた
※一部が梅花藻のモノローグ、二部はりんごのモノローグ
<プロローグ/宮峠の鞍部にて>
◾️SE/秋の虫の声/森の中を歩く音/近くに流れる沢の細流(せせらぎ)
「はあっ、はあっ、はあっ・・」
「りんごクン、大丈夫?もうヘバっちゃった?」
梅花藻のお姉さんが意地悪そうに笑う。
「宮峠を越えたらもう宮村だから」
そう言ってボクの手を引く。
ボクたちはまだ、出会ってから24時間も経っていない。
この道行(みちゆき)が始まったのは、昨日。
母さんの葬式の真っ最中から。
(葬式の最中、見知らぬ男たちが父さんを連れ去った。
「久々野のおじいちゃんに届けるように」
そう言って父さんがボクに託したのは母さんの遺骨。
ボクは一晩中逃げたんだけど、岐阜駅で知らない男たちに捕まってしまった。
気づけば汽車に乗せられて、高山本線で富山へ。
助けてくれたのは、一人の女の人。
梅花藻という名前のお姉さんが
たった一人で悪者をやっつけちゃったんだ。
お姉さんは、故郷の宮村へ向かう途中だと言った。
久々野と宮村。
目的地が近かったからボクたちは一緒にいくことになった。
でも、どうして悪者はボクを追ってくるのか。
それに気づいたのもお姉さん。
お姉さんは、母さんの遺骨の中から、一枚の地図を見つけた。
それがなんなのかわかんないけど、悪者はそれを探してたんだと思う。
だっておじいちゃんのりんご農園へ帰ったときもやつらがいたんだもん。
お姉さんが知らないうちにやっつけてくれたけど。
用事を終えたお姉さんは、ボクを置いて一人で水無神社へ行こうとしたけれどボクはお姉さんを追いかけた。
だってボクは決めたんだ。お姉さんについていこうと)
父さんが悪者に連れ去られたり、ボクも汽車に乗せられたりと
いろいろあったけど。
いまはこうして手をつないで、宮村への山道を歩いてる。
「なに独り言つぶやいてるの?」
お姉さんは、覗き込むようにボクに顔を近づける。
「そろそろ分水嶺だから、少し休もうか」
「うん。久々野の飛騨リンゴ。食べようよ」
「そうね。こっちへ」
リンゴを投げると、お姉さんは片手で受け取る。
そのまま片手でトランクのヒンジを開けて・・
さっと取り出したのは刃渡りのおおきな果物ナイフ。
あっという間にリンゴを八等分にして僕に手渡す。
「いい香り。食べる前から美味しい、ってわかるわ」
「そりゃそうさ。おじいちゃんちの飛騨リンゴは世界一だから」
「ほんとね。間違いない」(※食べながら)
「これからどこへ向かうの?」
「まずは、飛騨一宮水無神社」
「どうして?」
「見て」
お姉さんが見せてくれたのは、父さんが残した地図。
「この3つの印がどこを表すかわかる?」
「わかんない」
「一つ目は、臥龍桜。
飛騨一ノ宮駅の西側にある大きな桜の木よ。
二つ目は、夫婦松(めおとまつ)。
臥龍桜より南。山下城址の近くにある有名な松の木。
そして、3つ目がほら。
飛騨一宮水無神社ね」
「お姉さん、すごい」
「宮峠から北へまっすぐ降りていけば水無神社よ。
りんごを食べたらいきましょう」
「うん。わかった」
「直線だけど結構急な斜面だから、また体力使うわよ」
「大丈夫。
ねえ、梅花藻お姉さん」
「なあに?」
「お姉さんってなんでそんなに飛騨のこと詳しいの?」
「え?」
「だって、久々野から宮村まで、こんな山道知ってるなんて」
「どうしてかな・・・
なんだか・・体が覚えてるみたい」
お姉さんって(ホントは)一体なにものなんだろう?
ものすごく強いし、なんでも知ってて、超人みたいだ。
「思い出せないけど・・なんかそんな気がするの」
「そういえばお姉さんの名前、梅花藻。
水無神社の近くに咲いてる花の名前だって言ってた」
「そうね。今でも咲いてると思うわ」
「ふうん・・・」
「さあ、もう行くわよ。
向こうの沢でお口ゆすいできなさい」
なんか、たまに、お姉さんが母さんのように思えてくる。
昨日お葬式だったのに。ボクって親不孝者だな。
<シーン1/飛騨一宮水無神社>
◾️SE/秋の虫の声
「夜分にすみません。
旅の母子(おやこ)ですが、
一夜の宿をお願いできませんでしょうか?」
水無神社に着くと梅花藻のお姉さんは社務所へ。
こんな夜でも人がいる。
入母屋造り(いりもやづくり)の厳かな建物。
なんでも来年から、社殿を作り直すんだそうだ。
だからみんないるのかな。
宮司さんは最初、
”寺の宿坊(しゅくぼう)じゃないのだからお泊めするのは難しい”
と言ってたけど、
「いいじゃないですか。お隣の宮村薬師堂で」
と言って声をかけてきたのは、還暦くらいのおじさん。
「まだ、年端(としは)も行かないような少年もいるようだし」
お姉さんは、すごく警戒して、
「やっぱり、ほかをあたってみます」
って言う。
「いやご心配なく。まあ、私と相部屋にはなりますが。
ちょっと狭いのさえ我慢していただければ」
「いいえ。子どももいるのでご迷惑をおかけできません」
「こんな時間、このあたりに寝られる場所はありませんよ」
「でも・・」
ボクはお姉さんの袖をひっぱった。
お姉さんはボクを睨んだけど、
「さあさあ、時間も遅いので、私が案内しましょう。
私も東京から戻ったばかりなんです」
「東京」という言葉を聞いて、お姉さんの顔が強張った。
右手を胸に。
確か内ポケットにナイフが入ってるんだよなあ。
ぶっそうな。
おじさんはニコニコしながらボクたちを案内してくれる。
水無神社の宮司さんも笑顔で見送ってくれた。
<シーン1/宮村薬師堂>
◾️SE/秋の虫(鈴虫)の声
「なんだか無理やりだったかな。申し訳ない。
そうそう。自己紹介しておかないとですね」
「いえ。必要ありません」
「私は、島崎直樹と申します。
東京で物書きをやっております」
「直樹・・・」
梅花藻お姉さんの眉間の皺が一瞬緩んだ。
「私の父が昔、水無神社の宮司をしていましてね。
まだ私が幼い頃ですけど。
ここ、薬師堂は、神仏習合の時代には別当寺(べっとうじ)だったんですよ。
そんな歴史もあったので、私も父とよく掃除にきていました」
へえ〜。
だから神社の人と仲良さそうだったんだ。
「お二人はこれからどちらへ?」
「富山です」
あ。しまった。つい本当のことを。
お姉さんの眉間にまた皺が寄る。
「八尾(やつお)に親族がいるので」
ボクが次の言葉を発する前に、お姉さんが口を挟んだ。
直樹というおじさんは、じいっとお姉さんの顔を見る。
「どうかしましたか?」
「いやあ、どうしようかな・・」
「おっしゃってください。遠慮なく」
「あの・・お恥ずかしいのですが、
貴女、私の知っている女性にとてもよく似ていらっしゃる・・」
「まあ。なんだか、常套句っぽい言の葉ですわね」
「まさか、とは思いますが・・貴女、名前はウメ、と言いませんか?」
「え?」
お姉さんの顔が少しだけ赤らんだ。
「20年前・・私ここで一人の少女と出会ったんです」
「はっ・・」
「彼女の名前はウメ。5歳くらいの孤児でした。
暮らしていたのはこの薬師堂。
ウメはよく久々野まで行って、畑からリンゴを盗んできました」
盗んで・・。なんてこと。
「薬師堂でウメと初めて出会ったとき。
小さな腕に抱えたリンゴの中からひとつ、私に差し出しました」
盗んだリンゴなのに。
「私はお返しに、赤かぶ漬けや朴葉味噌のおにぎりをあげました。
ウメは美味しそうに食べてくれたなあ。
それから私が東京へ戻るまで、いろんなとこへ行って、いろんな話をした。
当時私は40代でしたが、自分の幼い頃を思い出しちゃいましてね。
臥龍桜の下で、まだ小さなウメに向かって、自分の初恋の話をしたんです」
「初恋・・」
「はい」
「まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき」
「前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり」
え?どういうこと?
わかんないってば。
「やっぱり、ウメさん・・ですよね?・・・
※続きは音声でお楽しみください。
1934年、高山本線開業の日。非公認諜報機関「陽炎」から逃げた女スパイ・梅花藻は、久々野へ向かう汽車の中で少年りんごと出会う。母の骨壷に隠された地図、そして迫りくる追手――。飛騨のリンゴ畑を舞台に繰り広げられるスリリングな物語。後編(一之宮編)へ続く。
【ペルソナ】
・梅花藻(25歳/CV:小椋美織)=コードネーム梅花藻(ばいかも)。政府の諜報機関「陽炎」所属
・少年りんご(12歳/CV:坂田月菜)=岐阜から高山線に乗り込んできた尋常小学校の低学年
・春樹(ハルキ=62歳/CV:日比野正裕)=蛇の同級生。詩人であり小説家。父は水無神社宮司
・蛇(オロチ=62歳/CV:日比野正裕)=諜報機関「陽炎」を作った人物。逃げた梅花藻を追う
【プロット】
【資料:バイカモ/一之宮町まちづくり協議会】
https://miyamachikyo.jp/monogatari/pg325.html
・時代設定=高山本線が開業した1934年(10/25全線開業)
・陸軍省が国防強化を主張するパンフレットを配布し軍事色が強まる
・国際的には満州国が帝国となり溥儀が皇帝に即位
・ドイツとポーランドの間で不可侵条約が結ばれた
※一部が梅花藻のモノローグ、二部はりんごのモノローグ
<プロローグ/東京・蒲田の陽炎の諜報施設>
◾️SE/走る足音・銃声・虫の声
はぁ、はぁ、はぁ・・・
あと少しで蒲田駅。
そこまで行けば、あとは・・・
海軍の施設や工場が集積する蒲田。
看板もなにもない木造の施設が廃墟のようにたたずむ。
それが、私を育てた組織「陽炎」の本部。
育てた?
いや、正しく言えば、私をつくった組織。
創業者のオロチに言わせると私は、
工作員として史上最高の傑作らしい。
コードネームは、梅花藻。
ついさっきまで「陽炎」のトップエージェント、女スパイだった。
そう。「陽炎」が解体されると知るまでは。
1934年。
ドイツとポーランドの間で不可侵条約が結ばれた。一方・・
満洲国という傀儡国家を作り、アジアでの地位を築こうとする日本。
非公認の諜報機関について都合が悪い状況が増えてきた。
結論は、歴史の闇に葬り去る。
存在そのものを抹消する、ということらしい。
いち早く情報を入手した私は、上官を撃って施設から脱走した。
ためらいなどない。
そう教えられてきたのだから。
◾️SE/銃声一発/工場のサイレン/遠くに響く汽笛
よし、これで追っ手はすべて消えた。
蒲田まで行けば、国鉄で品川、東京へ。
そのあとは・・・?
「さすがだな、梅花藻。
だが、この蛇から逃げられると思うなよ」
◾️SE/東京駅の雑踏
東京駅にとまっていたのは2つの特急列車。
南回りの「櫻」と北回りの「富士」。
同じ時刻に東京駅を発車して「下関」に向かう寝台特急である。
私は中央西線経由の「富士」に乗ったように偽装。
サングラスをはめ、変装して東海道線の「櫻」に乗り込んだ。
空いていたのは一等寝台。
まあ、そのくらいの蓄えはある。
ああ、疲れた。
横になりたい。
だが決して油断はせず。古びたトランクを右手側に置いて
体をコンパートメントのベッドへ預けた。
<シーン1/岐阜駅>
◾️SE/蒸気機関車の汽笛/岐阜駅の環境音/機関車転車台の音/ハイヒールの音
転車台の上を機関車が回転する。
東海道線の要衝、国鉄岐阜駅。
私は東京発下関行きの特急「櫻」を途中下車した。
まだ暗い早朝だからほとんど人はいないだろう。
と思ったら大間違い。ガス燈の薄灯りに照らされた構内はかなりの人出。
そうか。
今日、高山本線が開通したんだ。
いや。この混雑。私にとっては都合がいい。
駅構内を入念にチェック。一人でホームに立つ女性など、目立って仕方がないからな。
ふむ。高山で乗り換えて富山まで。
なるほど・・・
感じるものがあって、私は高山行きの列車に乗り込んだ。
<シーン2/高山線車内/少年との出会い>
◾️SE/蒸気機関車の汽笛/狭軌蒸気機関車車内の音(No.532452)
ゆったりした二等客車の先頭。
私は進行方向とは逆の座席に腰掛けた。
スパイの習慣。
後方の三等客車から二等車両へ入ってくるものはほとんどいない。逆に前方の二等車両から入ってくるものはすべて視界に納められる。敵が現れても瞬時に対応できる体勢。
流れ去る景色をじっくり見られるのも大きい。
自分のいまいる場所を正確に把握できる。
膝の上にトランクを置き、視線は窓の外へ。汽車がガタンと揺れ、ゆっくりと動き出す。車輪の軋む音と、乗客たちのざわめき。遠ざかる岐阜の灯(あかり)を、私は無表情に見送った。
天井からは裸電球がぼんやりと光を放ち、
乗客たちの顔を陰影深く浮かび上がらせている。
隣に座った見知らぬ男が新聞を広げる音。
向かいの席で小さな子供が母親に甘える声。
意識は常に、緊張感を保っている。
とその時・・・
◾️SE/通路の扉が開く音
岐阜を出てまもなく。
揺れる通路を、前の車両から来た三人が歩いてくる。
中央には、まだ幼い少年。
手には四角い風呂敷包み。あれってまさか・・
少年の前後を、がっしりとした体格の男二人が挟んでいる。
殺気に溢れた表情。
一般人ではないな。
少年はうつむき加減で、顔はほとんど見えない。
ただ、歩き方が不自然なことに、私の瞳が反応した。
ああ、わかった。
後ろの男が上着のポケットの中から、少年に刃物を押し当てている。
2人の男は、周囲の乗客に気づかれぬよう、何か囁き合う。
冷たい威圧感。
少年は、顔を上げると、すぐに男たちに抑え込まれた。
私は、俯き加減に窓の外を眺める。
3人が、私の横を通り過ぎようとした、その刹那。
少年は、さりげなく、片手をひらりと振る。
その手のひらに、一瞬だけ、奇妙な動きが見えた。
親指と小指を立て、他の指を折り曲げる。
「助けて」
手話だった。理解できるものだけにわかる国際的なSOSのサイン。
同時に、少年の震える瞳が、私の眼差しと交錯した。
私は、膝の上のトランクがずり落ちそうになったフリをする。
身をかがめながら少年にウィンクした。
◾️SE/通路の扉が開く音
少年と男たちは客車と客車を繋ぐデッキへと向かう。
デッキは、乗客のいない薄暗い空間。私は音を立てずに彼らの背後に回り込む。目の前には無防備な背中。
男が気づくよりも早く、細いワイヤーを首に巻き付け、一気に締め上げる。
声も出せまい。
もう一人の男が振り返った瞬間、脇腹に蹴りを入れる。すかさず、見開いた目にポケットの砂を投げつけた。
視界を奪われてもがく男。
「目をつむってなさい」
顔をあげようとする少年を言葉で制した。
その間に一人目の男を連結部へ引っ張り出す。もがく男の力を利用して、汽車の外へ。
男は鉄橋から飛騨川へ落ちていった。
目潰しをした男も連結部へひっぱり
汽車が鉄橋を越える前に飛騨川へ放り出す。
もうこれで、追ってはこれまい。
デッキに戻った私は少年に声をかける。
「もういいわよ」
「あ・・」
「客車に戻りましょう」
<シーン3/高山線車内/2人の会話>
◾️SE/蒸気機関車の汽笛/狭軌蒸気機関車車内の音(No.532452)
「ありがとうございました・・」
私の横の席に少年を座らせて、話をした。
「どうなることかと・・」
「話してくれる?」
「はい・・」
「きみはだれ?」
「名前は、りんごです」
「あいつらは何者?」
「わかりません。葬式の最中にいきなりやってきて・・」
「葬式?」
「はい。母の・・」
「そう・・・。残念ね」
「葬式の最中に大勢でやってきて父を連れていってしまったんです・・」
「お父さんを?どうして?」
「わかりません。ただ、父は軍閥でした。
なにか、争いに巻き込まれたのかも」
「軍閥・・・
いろいろ裏がありそうね」
「連れていかれそうになったとき、父は
『かあさんの骨を久々野へ』と言い残したんです・・」
「そうか・・・」
「ボクは母さんの骨壷を持って逃げました。
一晩中逃げまわり、どこをどう歩いたか覚えていません。
明け方岐阜駅まで逃げてきて、構内を歩いてたらいきなり捕まって」
「どうして高山線に乗ったの?」
「富山のどこかへ連れていくと言ってました・・」
「そう・・」
五箇山の軍事施設ね。確か陽炎の支部もあったはず・・・
「お姉さんは?」
「え」
「お姉さんはだれなんですか?
あんなことできるなんて、普通じゃない」
「まあ、そう・・だな」
「名前はなんて言うんですか?」
「梅花藻」
「梅花藻?」
「梅の花の藻、藻は海藻の藻。
宮村にある水無神社は知ってる?その近くの川に咲いてるのよ」
「え?川ですか?」
「そ。水温が一定の、清んだ水の中にだけ咲く白い花よ」
「お姉さん、人間じゃないの?」
「人間に決まってるじゃない。
梅花藻は、名前」
「そうかあ。
あっという間に悪者をやっつけちゃったから、
妖怪かなんかかと思った」
「まあ、失礼ね」
「ごめんなさい」
「いいわ。許してあげる。
その代わり、と言っちゃなんだけど・・・
ちょっとお母さんのお骨(こつ)、見せてくれる?」
「え・・」
少年はためらいながらも、風呂敷包みを私に手渡す。
私は丁寧に風呂敷を開け、
「ごめん。開けるわよ」
「あ・・」
「やっぱり・・」
「なに・・?」
「地図よ。お骨の底の方に」
「え・・」
「お父さん、なにか大事なものを隠してたのね」
「そんな・・」
「軍の関係者が血眼になって探すようなもの・・・
※続きは音声でお楽しみください。
知られざる最後のオオカミの物語──その名は「ロボ」
舞台は、飛騨高山・久々野町。国道沿いの草むらで母を亡くした一匹の“子犬”と、年長さんの少女・りんごが出会うところから物語は始まります。
成長とともに、次第に周囲から「異質な存在」として扱われていくロボ。しかし、りんごにとってロボは“友だち”であり“家族”であり、かけがえのない存在でした。
守るために牙をむいたとき、愛するがゆえに手放さなければならなかったとき、子どもと動物の間に芽生えた絆が、あなたの心に静かに火を灯します。そして最後に、明かされるロボの“本当の正体”。これは「もういないはずの命」と「小さな命」の奇跡の物語です。
【ペルソナ】
・LOBO(0歳〜)=りんごに拾われた狼の子ども(CV=坂田月菜)※「lobo」はスペイン語で「狼」
・りんご(5歳)=久々野町の幼稚園年長さん。(CV=坂田月菜)
・ママ(28歳)=りんごのママ(CV=岩波あこ)
・パパ(32歳)=りんごのパパ(CV=日比野正裕)
・ニュースアナウンサー=宮ノ下さん(カメオ)
【参照:日本オオカミ協会】
<シーン1/久々野町・国道41号沿いの草むら>
◾️SE/急ブレーキの音と狼の悲鳴
※りんごのモノローグは主観ではなく客観的な視点
「おかあさん!おかあさん!どうしたの?なんで返事してくれないの?」
久々野町、国道41号線沿いの草むら。
車に跳ねられ、飛ばされた野犬が横たわっていました。
その横には、小さな子犬が1匹。
冷たくなった母の乳房をしゃぶりながら泣いています。
濃い茶色の体毛。
長い脚。
尻尾は丸く湾曲して、耳は短い。
やがて、乳が出なくなった母の亡骸から子犬は離れていきます。
ふらふらと国道に歩いていきました。
「あぶない!」
「えっ?」
目の前を、おおきなトラックが走り去っていきます。
子犬は女の子に抱えられて、一緒に道の端で尻餅をつきました。
女の子の名前は、りんご。
この春、5歳になったばかりの年長さんです。
「よいしょっ・・」
と、お尻の土を払って立ち上がったりんごは
「あぶなかったねー」
と言って、子犬の頭を撫でます。
子犬は抱っこされたまま、牙を剥きました。
「ウ〜ッ」
「こら、助けてあげたのに怒っちゃだめでしょ。
りんご、年長さんになったから知ってるもん。
親切にされたら『ありがとう』って言うんだよ」
「くう〜ん・・」
「よしよし。
もう道路に飛び出しちゃだめだよ。
じゃあね。ばいばい」
りんごは、抱っこした子犬を草むらに戻して
おうちに帰っていきました。
ところが・・・
「おかあさん・・・」
りんごのあとを少し離れて、子犬はついてきちゃったのです。
おうちまであと少し、という農道。
踏切を越えて果樹園の前を通ると、
葉摘み(はつみ)をしているおじさんがこっちを見て笑っています。
りんごが振り返ると、後(あと)についてきているのは、あの子犬。
距離を保ったまま、子犬も止まっていました。
「あれぇ?
ちびちゃん、ついてきちゃったの?」
りんごはしゃがんで、子犬を手招きします。
子犬は・・・少し悩むような顔をしてから
ゆっくり近づいてきました。
「どうしよう・・・
ママ、犬、きらいって言ってたよなあ・・」
「ねえ、いい子にできる?」
子犬はなんにも言わずにりんごを見ています。
「できるよね?」
子犬はりんごを見て、首をかしげています。
「もう〜。いい子にしないと、追い出されるんだってば!」
りんごが頭を撫でると、子犬は初めてすり寄ってきました。
<シーン2/久々野町・りんごの家>
◾️SE/食卓の音
「ちゃんとりんごが自分で面倒みるのよ」
意外なことに、
おかあさんは、飼うことを許してくれました。
もちろん、りんごは大喜び。
おとうさんが、子犬に名前をつけました。
ふた文字で「ロボ」。
りんごは、あんまり気に入りませんでしたが、
飼えることになったので、文句は言えません。
それからは、ロボの世話で大忙しの毎日。
朝、りんごが目を覚ますと、ロボはベッドの横。
黙ったままじいっと座っています。
ダンボールで作った寝床はいやみたい。
りんごは背伸びをして体を起こし、ロボを抱っこして、お外へ。
「おしっこだよ〜」
声をかけると、ロボはお庭から続いたりんご畑へ駆けていきました。
ロボは、決して吠えません。
代わりに、低い唸り声や、かすれたような声を出します。
時どき、深夜、満月に向かって遠吠えをしました。
「ロボちゃんはおりこうね。
キャンキャン言わないから、ママに怒られない。
りんごも見習わないと」
でもママは、あまり嬉しそうではありませんでした。
可愛げがない子犬、って映ったのかも・・
お散歩も大事なお仕事。
毎朝、ロボを連れて果樹園の周りを散歩に出かけました。
そんなある日のこと。
散歩の途中で大きな黒い犬が、行く手に現れました。
「あ!おっきな犬!怖いよぉ!」
黒い犬は、りんごが怖気付いたのを見て、こっちへ駆けてきます。
「きゃあ〜!助けて〜!」
そのとき、ロボはりんごの前に立ち、犬を睨みました。
低い唸り声があたりに響きます。
黒い犬は、ロボを見て立ち止まり、顔を伏せました。りんごが、目を塞いでいた手を開くと・・・
黒い犬が逃げていくところでした。
「ロボちゃん、りんごを守ってくれたの?」
ロボは、犬が見えなくなるまでじっと睨み続けていました。
<シーン3/成長するロボ>
◾️SE/大自然の音(野鳥の声)
久々野の豊かな自然の中、すくすくと育っていくロボ。
りんごが6歳になったとき、
ロボは子犬とは呼べないほど大きくなりました。
毛並みもさらに濃い茶色へ。
いつでもりんごの横にいて、周りを警戒しているように見えます。
それがわかったのはりんごの誕生日。
お祝いのパーティで
従兄弟がりんごにいじわるをしてきました。
ママからもらったプレゼントをひったくって、
♂「返してほしいか?」
「やだ!返して。それ、私のプレゼント!」(※泣きながら)
♂「ふん。とれるものならとってみろ!へへへ」
男の子がプレゼントを奪って走り出したとき・・・
一瞬で目の前にロボが回り込みました。
男の子を睨みながら、鋭い牙を剝き出しています。
そのまま男の子の周りをゆっくりと一周。
低い唸り声が響きました。
♂「な、なんだ。こいつ。気持ち悪い!」
男の子は恐怖でひきつり、逃げ出しました。
奪ったプレゼントを放り出して。
「ロボちゃん、ありがとう」
りんごは泣きじゃくって、ロボを抱きしめました。
◾️SE/大自然の音(野鳥の声)
一年後。
りんご7歳の誕生日。
この時期、久々野のりんご農家は
葉摘みに袋はぎと、もっとも忙しい時期。
おとうさんもおかあさんも毎日休まず農作業をしています。
「ごめんね、りんご。
今からお夕飯作るからね」
「いらない」
りんごはお腹がすいていたけど、ちょっとイライラしていました。
「なんだ、その言い方は!
おかあさんに謝りなさい!」
「やだ。知らない」
そのままお部屋を出ていこうとします。
「ちょっと待て!」
おとうさんがりんごの肩に手をかけたとき。
「ウォォォォォオオオオオオオン!!」
(No.383150/No.397049/No.542422/No.544002)
ロボの叫び声が、響き渡りました。
おとうさんをじっと見据え、全身の毛を逆立てて
今にも飛びかかりそうです。
おとうさんは慌ててりんごから手を離しました。
「ロボ!なにするんだ!」
と言いながら、今度はロボに手を振り上げました。
ロボはおとうさんとりんごの間に割り込み、
りんごを守るようにおとうさんを睨みます。
「ロボちゃん、やめて」
りんごは泣きながらロボを抱き寄せます。
おとうさんもおかあさんもまるで怪物を見るような目で
ロボを見つめました。
どうしようもない不安に襲われるりんご。
ロボはもう立派な成犬になっていました。
<シーン4/害獣駆除>
◾️SE/大自然の音(野鳥の声)
りんごが8歳になった年。
周りの果樹園に異変が起こり始めました。
収穫を控えたりんごの木が、無残に荒らされ始めたのです。
幹から折られて地面に散らばる枝。食べ散らかされた収穫前のりんご。
現場に残された足跡(あしあと)から、犯人はイノシシやシカだとわかりました。
この年、日照りが続いて、山奥の木の実や草が枯れ、
野生動物たちが餌を求めて人里へと下りてきたのです。
りんごの周りの地区では、ほとんどの果樹園が大きな被害を受けました。
ところが、りんごの家の畑だけは無傷。
野生動物が足を踏み入れた痕跡さえありません・・・
※続きは音声でお楽しみください。
愛は呪いを解く鍵となるのか。
奥飛騨の伝承「天狗岩」と「天狗橋」をモチーフに描かれる、幻想的で切なくも温かい“嫁入り譚”。
親を亡くし、絶望の中で人柱となった少女・箏と、山の神の怒りによって姿を変えられた大天狗。二人の出会いは、呪いと運命を変える大きな転機となる──。
現代の高校生・マコトとストーリーテラー・シズルの会話を通じて語られる、どこか懐かしくて、新しいファンタジー。終盤に訪れる“静かな奇跡”に、あなたもきっと心を奪われることでしょう。
【ペルソナ】
・シズル(35歳)=道の駅 奥飛騨温泉郷上宝のストーリーテラー(CV=日比野正裕)
・マコト(17歳)=高根町の高校生。郷土史研究部=部員1名の部長(CV=山﨑るい)
・箏(こと=17歳)=伝承の中で天狗に嫁入りする美女(CV=山﨑るい)
・天狗(年齢不詳=35歳)=奥飛騨温泉郷上宝に住む天狗=もののけ(CV=日比野正裕)
【参照:天狗岩/奥飛騨温泉観光協会】
https://www.hirayuonsen.or.jp/article.php?id=10170
<プロローグ/道の駅 奥飛騨温泉郷上宝>
◾️SE/奥飛騨温泉郷の環境音
「むかぁし、むかし。
君が生まれるより、ずう〜っとずっとずっとむかし。
この奥飛騨温泉郷・上宝には天狗が住んでいました」
「(ゴクッ)」※唾を飲み込む音
「天狗って知ってるかい?」
「うん。知ってるよ。
顔が赤くて、鼻がこ〜んなに長い妖怪でしょ」
「妖怪?
まあ、間違ってはいないけど・・」
「妖怪じゃないの?」
「妖怪、っていうよりも
どっちかって言うと、神様に近いかな」
「神様!?だから神隠しとかするんだ」
「ああ〜。そうかもね。
でもほら、京都の鞍馬寺とか栃木の古峯神社(こぶじんじゃ)とかは有名でしょ」
「ふうん。知らないけど」
「『天狗』って、元々は中国から伝わった言葉なんだよ。
天(あま)かける狗(いぬ)と書いて、隕石や流れ星のことだったんだ」
「すご〜い!シズルさん物知り〜」
「大人をばかにするんじゃないの。
今日はね、『天狗の嫁入り』というお話だよ」
「やった!」
道の駅 奥飛騨温泉郷・上宝で毎月1回開催される「昔話の読み聞かせ」。
奥飛騨温泉郷・上宝の施設が持ち回りで担当している。
今月は、新穂高温泉の、うちの施設がストーリーテラー。
で、私が、読み聞かせするってわけ。
まあ、昔、仕事でよくプレゼンをしてたから、
人前でしゃべる、ってのは嫌いじゃないんだけど。
今日は初日で平日だから、第一部のお客さんはたった1人。
高根村から来た17歳の高校生マコトくん。
なんでも、郷土史研究部の部長なんだって。
部員は一人だけど?
そうですか〜。
今日の話、実は私の創作、フィクションなんだ。
平湯温泉にある、天狗岩や天狗橋にインスパイアされて作った物語。
ほら、さっきもマコトくんが言ってたじゃない。
天狗って妖怪だって。
神隠しとか、あまりいいイメージじゃないよね。
私が天邪鬼だから、ってわけじゃないけど、
ストーリーはそんなイメージを払拭するもの。
なんとファンタジー作品なんですが・・
「ちょっとシズルさん。早く続き、教えてよ」
「ああ、ごめんごめん。じゃあ続きね」
<『天狗の嫁入り』シーン1/人柱>
◾️SE/村の雑踏
「その村には20年前から天狗が住んでいました。
天狗に対して村人たちが一番恐れるのは、神隠し。
今まで何度も子供や娘が天狗にさらわれていたのです。
そのため、毎年1回、秋祭りのときに、天狗に人柱をひとり捧げていました。
人柱となるのは、村の最高齢の老人。
娘や子供の格好をして、人柱になっていたのです。
ところが今年、人柱になるのは、17歳の少女、箏(こと)。
この春、箏の両親は山崩れに巻き込まれて命を落としました。
それから箏は天涯孤独に。
自暴自棄となり人柱として名乗り出ました。
村人たちは箏を一生懸命説得しますが、無駄でした。
箏は、人柱として慣例通り天狗橋を渡り、天狗岩へ登っていきます。
岩の上に寝転ぶと、目を閉じました。
<『天狗の嫁入り』シーン2/箏と天狗>
◾️SE/深い山中のイメージ
横になった箏を包み込むように、いきなり風が吹きました。
目をあけると、そこは空の上。
天狗岩は笠ヶ岳の雲の上に浮かんでいました。
「なにこれ?」
そのときまた強い風が吹いて箏を吹き飛ばします。
「きゃあ〜!」
あまりの衝撃に、箏は気を失いました。
それからどのくらいの時間が経ったのでしょう。
どこかから声が聞こえてきます。
「ふん。情けない」
「え?」
驚いて目を開けると、そこには今までみたこともない怪物が。
身の丈は二間(にけん)近くあり、
赤い顔。天まで届きそうな長い鼻。
あ、二間というのはだいたい3〜4メートルくらいね。
「うわぁ!」
「またかよ」
3回目に気づいたとき、箏は布団の上に寝かされていました。
「ここは・・・どこ?」
「天界です」
「え?えっ!あなただれ?透明人間?どこにいるの?」
「目の前にいますよ。
姿を見せてもいいけど、また気絶しないでくださいね」
そういって姿を現したのは、何人、いえ何羽ものカラス天狗。
山伏の姿にカラスの嘴を持つ天狗の眷属です。
「うっ。気絶したい・・・けど、なんなの?一体」
「私たちは大天狗の眷属。カラス天狗です」
「私は・・・どうなるの?」
「まあ、大天狗の召使、ってところでしょうか」
「なにそれ?冗談じゃない。召使?掃除とか洗濯とかするの?
私、ひとりぼっちになって、一人で炊事洗濯するのが虚しくて、
こんな生活もういや!
って思って、黄泉の国へ行くつもりだったのに」
「そんなこと言われましても、あなた自身で選んだことですし」
「あんたはなんでそんな姿をしているの?」
「なんで、って言われましても。山の神様の罰というか、なんというか」
「山の神様?」
「はい。大天狗も我らカラス天狗も山の神さまの罰でこんな姿になりまして」
「めんどくさそう」
「とにかく、あなたも運命だと思ってお仕事に専念してください」
「やあよ。つまんないから帰る」
「え?え?そんな。無理ですって」
「いいわ、その大天狗にかけあってみるから」
「また、そんな、ご無体な」
なんていうやりとりをしていると、
山の上の空が一転俄かにかき曇り、あたり一面が夜の闇に。
「ちょっと。なにすんのよ」
「いや、これは私どもではありません」
「じゃあ大天狗の仕業?」
「いえ。大天狗でもありません」
「じゃあなに?」
「荒ぶる山の神。鬼神です」
「鬼神〜?私たちどうなるの?」
「体をバラバラにされますね」
「うっそぉ!冗談じゃないわ」
「運がよければ、腕の1本2本くらいで済むかも」
「勘弁してよ」
「いや、もう遅いし。
うわ!お先に失礼」
「ちょっとちょっと!逃げないでよ」
「がんばってください」
「このお・・・
はあ〜。ま、いっか。
これでこの世とおさらばできるんなら。
なんか、つまんない人生だったな」
箏があきらめて、目を瞑ったとき。
雲の中から大天狗が現れます。
「大天狗・・・」
天狗は鬼神に向かって立ちはだかったあと、箏の方を振り返りました。
「あ・・・」
大きな2本の腕で箏を包み込み、鬼神の攻撃を背中で受けます。
背中からは血飛沫が飛び散り、苦悶の表情。
それでも、微動だにしません。
「なんか・・そんなに怖い顔じゃない・・・かも・・」
まるでバリアーのように天狗の周りの空気が歪んで見えます。
知らず知らず、でもまたもや、箏は気を失っていました。
気がついたのは、だいぶんあとになった頃。
「あ・・・れ?」
箏は今回も布団に寝かされていました。
ただ、ひとつ違ったのは、目の前で大天狗がこちらを向いて座っていること。
でも、目は開いていません。
あぐらを組み、大きな体躯から覗き込むような格好で目を閉じています。
「眠ってる・・・?」
※続きは音声でご確認ください。
命を懸けて少女たちを守った、ある“ばさま”の物語。
吹雪の夜、命からがら辿り着いた工女たち。山賊に追われ、給金も誇りも奪われそうになったとき、小さな峠の小屋に現れたのは「鬼婆」と呼ばれる年老いた女性だった。
男衆には容赦なく、少女たちには母のような優しさを。鋭くも温かなまなざしで、すべてを背負った“ばさま”の姿に、胸が熱くなります。
明治の日本を影で支えた工女たちと、名もなき守り人——どうぞ心してお聴きください。
【ペルソナ】
・鬼婆(年齢不詳70歳)=野麦峠お助け小屋の主、男衆には厳しく工女に優しい(CV=山﨑るい)
・政井辰次郎(22歳)=飛騨の河合村出身。河合村政井みねの兄(CV=日比野正裕)
・政井みね(14歳-20歳)=かつて野麦峠を越えた工女のひとり(CV=山﨑るい)
・山賊(30-40代)=野麦峠を根城とする山賊・追い剥ぎ(CV=日比野正裕)
【原作:山本茂美「あゝ野麦峠 ある製糸工女哀史」(角川文庫)】※32頁〜
<シーン1:1903年・冬の晩1>
※シーンはすべて野麦峠のお助け小屋/ソマ衆=野麦の原始林で働く屈強な木挽きたち
◾️SE/吹雪の音〜木戸を激しく叩く音/外から響く山賊の声
「おおい!開けろ!鬼婆さ!いるこたぁわかってる!
開けねえと、ぶち破るぞ!」
◾️SE/関を引いて木戸を開ける音
「るっさいな、いま何時やと思うとる」
「おい!ばばあ!小屋に工女が逃げ込んだろう。
今すぐここへ連れてこい!」
「はあ?
そんなもんはおらん!帰れ!」
「嘘こいたらただじゃすまんぞ。
中をあらためさせてもらうからな!」
◾️SE/奥の方で物音「ガタン」
「なんだぁ〜、いまの音はぁ?」
「ふん。知りたいか。下衆どもが」
「なんだと?」
「おおい!ソマ衆やぁ!降りてこいやぁ!」
「なっ、なに!?」
「ソマ衆や!夜食の握り飯できとるで!」
「ソマ衆だとぉ!?」
「20(ニジュー)しか間に合わなんだで、1人2個じゃ!
文句はこいつらに言うとくれや!」
「くそっ、お、覚えてろよ!
また来るからな!」
「二度と来るな!」
◾️SE/木戸を強く閉め、関をかける音
「ばさま・・」
「しいっ!」
「ひっ・・」※エキストラ/固唾を飲む
「・・・うん、よしよし。もういいだろう。
おまえら、大丈夫やったか?」
「はい、ありがとうございます。
でも・・」
「なんだ?どうした?」
「給金が・・」
「なに!?」
「キカヤからもろうた一年分の給金・・
わしら、トトマ、カカマの喜ぶ顔を思うて
雪の峠越えてきたのに・・
山賊たちにとられてしもうて・・
もう会わす顔がねえ・・」
「いくらだ?」
「わしが九十五円五十銭、
フデが七十二円十五銭
イクが十七円六十九銭、
トモが七円四十銭じゃ」※エキストラ/すすり泣き
「そうか、わかった」
「わかった、ってばさま・・・」
わしはそう言って、板張りの床を開けて、脇差を取り出す。
「ばさま!?」
「相手は2人やな」
「はい」
「ちょこっとだけ待っとけ。
鍵をしっかりかけて、誰が来たって死んでも開けるでねえぞ」
「そんな・・・」
「心配せんでええ。
わしを誰やと思うとる。
野麦峠お助け小屋の鬼婆さやぞ!
2人ばかしの下衆どもにはやられはせん」
「ばさま!!」※エキストラ/驚いて「ばさま!」
工女たちの声を背中で受けて、わしは吹雪の中へ出掛けていく。
ときは1902年。
そう、あれは1時間ほど前のこと。
暮れも押し迫った吹雪の夜。
工女たちが泣きながらお助け小屋に駆け込んできた。
検番もつけず、身ひとつで実家に帰っていく工女たち。
懐には、必死で働いた一年分の給金袋。
工女の多くは貧しい百姓の出である。
年の瀬に家に帰って給金を渡せば、
父や母は『これで年が越せる』と泣いて喜ぶ。
その金を狙って山賊たちが集まってくる。
ただでさえ、命を落とす工女が絶えぬ野麦峠。
無垢な少女を狙う外道どもを
わしはどうしても許せなかった。
<シーン2:1903年・冬の晩2>
◾️SE/囲炉裏の音〜
「遅なったの。すまんすまん」
「ばさま!」※エキストラ/心配からの嬉しみ「ばさま!」
「さあさ、甘酒飲んであったまりぃや」
「ありがとうございます!これ・・わしらの給金まで・・」
※エキストラ/「ありがとうございます」
「ああ、ああ。
わしゃ、算術が苦手だでな。
五百円もあれば、釣りがくるじゃろう」
「山賊たちは・・・?」
「ちょっとばかし、こらしめてやったわ。
まあ、話のわかる連中でよかった。
余った金は工女たちに渡してくれろと。
もう二度と姿を見せることはないで、安心しな」
「本当に、本当にありがというございます!」※エキストラ/「ありがとうございます!」
わしは、三和土に敷いたむしろに目をやる。
むしろの下。
大量に血糊がついた脇差を洗わんと。
水を汲もうと立ち上がったとき、
工女のひとりが声をかけてきた。
「ばさま」
「なんや、みね」
「え?わしの名前、覚えとるんですか?」
「あたりまえじゃ。
わしゃ、一度聞いたものは忘れん」
「ありがとうございます。
ほんで、余った金やけど」
「なんや?」
「国府のねさまの家に持ってってやりてえ」
「ねさまやと?どこにおる?」
「川浦の宿を出て、奈川の境石のとこまできたとき」
「うん」
「急に吹雪いてきて。
ほんとき、ねさま、わしらをかばって谷底に落ちんしゃった」
「なんやて?」
「道中ずうっと『誰かが落ちても絶対助けにいっちゃあかん』
言うとった。最後もそう言って落ちんしゃった」
「ほうか・・・ねさまもおらんで、
おまいらだけで峠越えたかと思ってたが・・」
「さっきも言うたけど、わしゃ百円も給金もろうとる。
こんだけありゃ家の普請だって余裕じゃ。
欲を出したらきりがねえ」
百円工女、政井みね。
とてもシンコとは思えん。
しっかりして、賢い娘やわ。
「みんなもそう言うとるで」※エキストラ/「ああ」「そうだ」「ねさま」
「よし、わかった。
なあみね、お前を見とるとわしの若い頃を思い出すわ」
「ばさまの?」
「おう。
わしはな、40年前に富岡から流れてきたんじゃ」
「富岡?」
「上州にある製糸工場(こうば)の町じゃ」
「ほんじゃ、ばさまも糸ひきだったのけ?」
「選良工女やよ」
「なんやそれ?」
「富岡は模範伝習工場でな。工女はみんなから敬まわれとった。
わしもそのひとりや」
「へえ〜」
「ほんで、旦那と娘を連れて養蚕の講師として岡谷へきたんじゃ」
「旦那さんと娘さんは?」
「もうこの世にはおらん」
「ほうかあ・・・」
「さ、もうええか。甘酒飲んだら、床(とこ)に入りな。
明日も早いんだろう」
「ああ、3時には出るで。はよトトマとカカマに会いてえ」※エキストラ/「トトマ!カカマ!」
それからみねは毎年、お助け小屋に立ち寄った。
岡谷へ向かう2月の終わりと、故郷(くに)に帰る年の瀬。
みねの持って生まれた明るさで、雪の舞う夜も暖かく感じたものだ。
6年後の1909年。
2月にみねを送り出したその年の秋。
ひとりの若者がお助け小屋に立ち寄った。
<シーン3:1909年11月/辰次郎の峠越え1>
◾️SE/高原の鳥の音〜
「こんにちは!」
「はいはい、誰やったかな」
「政井辰次郎と申します」
「政井・・・」
「みねがいつもお世話になっとります」
「おお。みねの・・?」
「兄です」
「こんな秋に珍しい客人やわ。
わらび餅でも食ってくか?」
「いえ、先を急ぐので」
「諏訪へいくんか?」
「はい、みねを迎えに」
「どうした?」
「これが・・・」
辰次郎が見せてくれたのは、一枚の電報。
『ミネ ビヨウキ スグ ヒキトレ』
目に涙をためながら
怒りとも悲しみともとれる表情をわしに向けていた。
「昨日・・・家に・・届きました・・」
「ほうか、ほうだったか」
「ばさまのことはいっつもみねから聞いております。
命の恩人だと」
「たわけ。そんなええもんなわけあるか」
「いえ。どんなに急ぐとも、ばさまにだけは礼を失してはならんと」
「わかった。わかったで、はよ行け」
「ありがとうございました・・・」
「辰次郎」
「はい・・・」
「みねみたいに頭のいい娘が、そんな簡単にくたばりゃせん。
だから途中、無理すんじゃねえぞ。
おめえが道中でどうかなったら共倒れだ」
「わかりました・・・」
辰次郎は深く頭を下げて、出ていこうとする。
「では・・・」
「ああ、待て」
「はい」
「持ってけ。ウチワ餅じゃ。
あ、いい。金はいらん。
どうせ、知らせを聞いてから、飲まず食わずでここまで来たんやろ。
途中で倒れる前にこれを食えよ」
「あ、ありがとうございます・・・」
「岡谷へ着いたらな、駅前の旅館飛騨(本当は飛騨屋旅館)へ先に行け。
主人の中村(本当は中谷)に背板(せいた)をもろうてこい。
このばばの名前を言うたら、すぐ用意してくれるわい」
「わかりました」
「引き止めて悪かったな。さあ、いけ」
「行ってきます!」
あっという間に辰次郎の姿は見えなくなった・・・
※続きは音声でお楽しみください。
前編で荘川を訪れたよもぎに続き、今回はさくらが朝日町を体験します。薬膳や薬草、そして美女高原に広がる空の下で、彼女は新しいインスピレーションを得ていきます。
そして――村芝居の舞台で訪れる運命の再会。
偶然の出会いから始まった休日交換は、やがて必然の再会へ。
荘川と朝日、二つの里の魅力を舞台に、物語は感動の結末を迎えました。この物語が、あなた自身の旅のきっかけになれば幸いです。
【ペルソナ】
・さくら(28歳)=荘川の村芝居に出演、伝統芸能に興味ある静かな女性(CV=岩波あこ)
・よもぎ(28歳)=薬膳カフェのオーナー、芯の強い漢方薬剤師(CV=蓬坂えりか)
・朝市のおばちゃん(40歳くらい)=宮川朝市で花の苗を売る女性(CV=小椋美織)
<シーン1:高山濃飛バスセンター>
◾️朝のバスセンターの雑踏/ステップを降りて深呼吸するさくら
「ふう〜っ!気持ちいい〜!」
荘川の支所前から高山の濃飛バスセンターまで1時間20分。
路線バスの旅って楽しい〜!
おのぼりさんみたいに、大きなスーツケースを抱えてバスを降りる。
しかも、今日は私、浴衣姿!
って、見ればわかるよね。
白地に桜の花が満開の浴衣柄。
ヒノキのエッセンシャルオイルをさっと振って。
エアコンが効いてるバスの中は、
浴衣だけだとちょっと寒い。
だから薄い羽織を重ねてる。
ほら、これも素敵でしょ。
透け感のある、淡い桜色の夏羽織。
ステップを降りて時計を見ると・・
8時前か・・・
◾️朝の町を歩く足音
まだ陣屋前の朝市は開いてないから、国分寺通りを宮川へ。
朝市なんて何年ぶりだろう。
なんだかドキドキする。
今日の目的は、村芝居のあしらい探し。
ここだけの話だけど、今年のテーマはファンタジー。
お花の精たちが集まって、夏の終わりを告げる人情時代劇よ。
設定はいつものように江戸の元禄時代。
え?よくわかんない?
じゃあ、見に来てよ。荘川まで。
スケジュールは観光協会のサイトに載ってるから。
私の役は、桜の精。
クライマックスには季節はずれの桜吹雪が舞うんだよ。
相手役は、江戸からやってきた役人。
ロミジュリの江戸時代版って感じかな。
舞台の小道具、あしらいはやっぱり、お花がいいよね。
艶やかな花魁たちには、ハイビスカスやアサガオ。
恋人役の男の子は・・ひまわり!
いろんなお花売ってるといいな。
◾️朝市の雑踏
「すみません」
「はい、いらっしゃい」
「ヒマワリってありますか?」
鍛治橋(かじばし)に近いお店。
お花の苗を売っているおばちゃんに、腰をかがめて話しかける。
そのときおばちゃんの前に座っていたのは・・・
ミズバショウの柄のグリーンの浴衣を着た女性。
手にはラベンダー?の苗。
大きなトートバッグを背負って(しょって)・・観光客かしら。
おばちゃんは私に向かって、人の良さそうな笑顔で、
「切り花かい?うちには切り花は置いてないわなあ。
もう少し待てば、陣屋の市が開(あ)くで。
あっちに確か切り花の店があったわ」
「そうですか・・ありがとうございます。
行ってみます」
私は浴衣が汚れないよう、裾をひるがえして歩いていく。
◾️足音
「まって」
「はい?」
声をかけてきたのは先ほどの女性。
浴衣の裾にミズバショウが咲いている。
「お花を探してるんですか?」
「ああ、はい。
今度・・お花を題材にしたお芝居をやるんです」
村芝居だけど・・・
「お芝居?劇団の方ですか?」
「あ、そんなたいしたものじゃないです。
ただの趣味で・・」
だから村芝居なんだけど・・・
「それで高山まで?」
「ええまあ・・・そんな感じ」
私のこと、自分と同じ観光客だと思ってる?
ま、荘川からきた観光客、と言えなくもない。
荘川も高山市なんだけど。ふふ。
「貴女(あなた)は?
さっきラベンダーを持ってらっしゃったみたいだけど」
「ええ、白花ラベンダー。
ハーブティーにしたり、入浴剤にするとリラックスできますよ」
「そうなんですか・・」
「はい。私、薬膳カフェをやっているので」
「まあ素敵。お似合いよ」
「ありがとう。このあと陣屋前の朝市へ行かれるんでしょ。
よければご一緒にいかがですか?」
「本当ですか?」
「私も見たいものがあったので」
「よろこんで」
浴衣姿の美女2人(笑)・・
私たちは肩を並べて宮川沿いを歩く。
白地に桜吹雪。翡翠色に真っ白なミズバショウ。
なのに手にはスーツケース。背中にトートバッグ。
はたから見たら、2人とも絶対観光客だよねえ。
ほら、また外国人観光客が振り返る。
ああ、せせらぎの音が気持ちいい。
<シーン2:荘川の自宅でアプリインストール>
◾️虫の声
荘川へ帰ったら、すぐに公民館へ。
村芝居の練習はたいていここだ。
開いたスーツケースの中身。
陣屋前朝市で購入してきた小物を皆に配る。
ひまわりの花と桔梗の花。ひまわりは相手役の男性が手に持つ。太陽と再生のイメージ。
桔梗はラストシーンで私が持つ。美しい星の形の白い桔梗。
春の桜から秋の桔梗へと引き継ぐ。
彼に別れを告げる悲しいアイテム。
和紙でできた提灯や、匠が作った竹細工は、小道具ね。
着物の端切れは、お裁縫が得意な私には必須。
柄や色を組み合わせて、個性的な衣装を作ろうかな。
そして・・・
薬草のよもぎ。
そう。これは一緒に歩いた彼女が選んだ。
”高山にあるもので一番好きなものは?”って聞いたら
迷わず「よもぎ」って言うんだもの。観光客にしては、渋すぎない?
私が「高山で一番美味しいのは荘川そば」って伝えたときは
「朝日のよもぎうどんも美味しい」って、なんか反論してたけど。
よもぎの葉は、ハーブとして、またアロマとしても最高、なんだって。
そうだ、彼女、薬膳カフェをやってるって言ってたなあ。
どこでやってるんだろう?名古屋?東京?
考えてみたら私たち結構一緒にいたのに、名前さえ名乗ってないわ。
なんとなく波長が合っただけ。
朝市で売ってるもの見ながらあーでもないこーでもないって。
結局別れるときもあっさりと『それじゃ、よい旅を』なんて。
ま、観光客だから、こんな距離感でいっか。
そうそう。
よもぎの葉は草木染めに適している、とも言ってた。
確かに芝居の衣装を自然な色合いに染めるにはいいかも。
いろいろ考えながら、演者(えんじゃ)に説明していく。
今年の物語はオリジナルだから、つい熱が入っちゃう。
ストーリーはね、こんな感じよ。
ときは江戸時代。宝暦(ほうれき)年間。
幕府の直轄地だった飛騨の国。
荘川村も例外ではありません。
大規模な治水工事のために、江戸から1人の役人が荘川へやってきます。
名前は翔介(しょうすけ)。
彼は成果を第一とする冷徹な男でした。
ある日、桜の精と出会い、
そのはかなくも美しい姿に心を惹かれていきます。
桜の精は、翔介に、治水が完成したら、自分は水の底へ沈むと予言しました。
治水か恋か、心が揺れる翔介。
それでも、陣屋の郡代から執拗な催促もあり、悩みながら治水を完成させます。
桜の精は翔介に”生まれ変わるなら秋の花へ”と告げて消えていくのでした。
とっても切ないお話でしょ。
「さあみんな、少し休憩にしましょ」
もうみんなセリフは入っていて、あとは動きの確認だけ。
だから休憩してお茶タイム。
そのとき、壁に貼ってあるポスターに目がいった。
観光協会から新しいアプリのお知らせ?
ふうん。
なんだろう?
高山市内10エリア在住の方限定アプリ「ホリデーシェア」?
”お金をかけずに高山市内をプチ旅して再発見しよう!”?
なあに、それ?
でもなんだか面白そう。
キャプションをじっくりと読む。
住んでいるエリア以外のエリアの人と、お部屋を交換してホリデーを楽しむ。
荘川以外の人とってことね。
自分の部屋をゲストに最大1週間ショートステイしてもらう。
代わりにその間、自分はゲストの部屋でショートステイ。
女性は女性同士でお部屋を交換。
帰るときはお掃除をして帰る。
お互いのレビューは必須。
なるほどねえ。お部屋に泊まってもらうのかあ。
お掃除しておかないと。
お金をかけずにプチ旅行できる、ってのは楽しそう。
じい〜っとアプリのお知らせを見ていたら
共演者が『行っといでよ、プチ旅』だって。
村芝居の奉納までまだ日にちがあるし、準備は終わってるから?
芝居の準備、ほぼひとりで頑張ったご褒美に?
頑張った、って・・
そんなそんなぁ・・
村芝居は私のライフワークなんだもの。
でもまあ、2泊3日くらいならいいかなあ・・
奥飛騨の温泉でまったりとか〜。うふふ・・・
※続きは音声でお楽しみください。
飛騨高山を舞台に描かれる、女性二人の“休日交換”の物語。宮川朝市での偶然の出会いから、アプリ「ホリデーシェア」を通じて始まる不思議な体験。薬膳カフェを営むよもぎが、荘川町で見つけた新しい風景と心の揺れをお楽しみください。
【ペルソナ】
・よもぎ(28歳)=薬膳カフェのオーナー、芯の強い漢方薬剤師(CV=蓬坂えりか)
・さくら(28歳)=荘川の村芝居に出演、伝統芸能に興味ある静かな女性(CV=岩波あこ)
・朝市のおばちゃん(40歳くらい)=宮川朝市で花の苗を売る女性(CV=小椋美織)
<シーン1:高山市街地の宮川朝市から>
◾️朝市の雑踏
「よもぎちゃん!朝市くるのひさしぶりやな!まめやったか?」
「まめまめ!おばちゃんも元気やった?」
「今日は何さがしよる?」
「薬膳の材料でなんかいいの、ないかな、と思って」
「白花(しろばな)ラベンダー、あるで」
「ホント?やたっ!」
「苗やから、一株もってけ」
早起きして来てよかったわ〜、宮川の朝市。
3か月に1回くらい。
夏から秋へと向かうこの時期は、
体調を崩すお客さん、多いから。
市場にはあまり出回らない食材を、生産者から買いにくるの。
今日はラッキー。
花の苗売るおばちゃんに会えたし。
なんと白花(しろばな)ラベンダーにも出会えるなんて。
イングリッシュラベンダーの貴重な白花。
ハーブティーにすれば、香りだけで癒されそう。
アロマを抽出して、カウンセリングルームに置いとこうかな。
癒しを求めて朝日に来たお客さんもきっと喜ぶわ。
「すみません」
「はい、いらっしゃい」
「ヒマワリってありますか?」
季節外れの桜の花が私の前を横切った。
上品な檜の香りがかすかに漂う。
顔を上げると、
腰をかがめておばちゃんに話しかけているのは・・・
桜柄の清楚な浴衣を着た女性。
桜色のスーツケースを引いて・・観光客かしら。
薄紅色の帯も素敵。
「切り花かい?うちには切り花は置いてないわなあ。
もう少し待てば、陣屋の市が開(あ)くで。
あっちに確か切り花の店があったわ」
「そうですか・・ありがとうございます」
彼女は浴衣の裾をひるがえして、颯爽と歩いていく。
◾️遠ざかる足音
「まって」
「はい?」
「お花を探してるんですか?」
「ええ、そうですけど・・」
つい声をかけてしまった。
浴衣姿に見惚(みと)れてしまって、なんて言えない。
「今度・・お花を題材にしたお芝居をやるんです」
「お芝居?劇団の方ですか?」
「あ、そんなたいしたものじゃないです。
ただの趣味で・・」
「それで高山まで?」
「ええまあ・・・そんな感じ。
貴女(あなた)は?
さっきラベンダーを持ってらっしゃったみたいだけど」
「ええ、白花ラベンダー。
ハーブティーにしたり、入浴剤にするとリラックスできますよ」
「そうなんですか・・」
「はい。私、薬膳カフェをやっているので」
「まあ素敵。お似合いよ」
「ありがとう。このあと陣屋前の朝市へ行かれるんでしょ。
よければご一緒にいかがですか?」
「本当ですか?」
「私も見たいものがあったので」
「よろこんで」
私たちは肩を並べて宮川沿いを歩いた。
言い忘れてたけど、今日は私も浴衣姿。
蓬色の浴衣の裾には水芭蕉が咲いている。
まるで桜の花とよもぎの青葉が並んでいるような色合い。
でも、彼女はスーツケース。
私はショルダータイプの大きなトートバッグ。
少し厚手のキャンバス地に、ナチュラルレザーのワンポイント入り。
私だって、どう見ても観光客だ。はは。
たまに外国人観光客が振り返る。
せせらぎの音が気持ちいい。
<シーン2:よもぎのシェアハウスでアプリインストール>
◾️虫の声
シェアハウスへ帰ってから、朝市で買ったものをまとめてみた。
赤かぶは、すりおろしておろし汁に。
体を温める薬膳スープのアクセントになる。
朴葉の樹皮は漢方薬に。
丹生川のトマトは薬膳スープにもスムージーにもいいな。
荏胡麻(えごま)は、血液をサラサラにしてくれる。
あとは・・荘川のそばの実、か。
これは一緒に陣屋前朝市を見た彼女のセレクト。
素敵な女性だったから、つい聞いちゃったのよね。
高山の食材で何が一番いいと思う?って。
そしたら・・・荘川のそば。だって。
観光客目線じゃ、そんなに人気なのかしら。
朝日町(あさひちょう)のよもぎうどんだって負けずに美味しいのよ。
思わず、私なら朝日町のよもぎうどんかよもぎ餅かなあ、
なんて言い返しちゃった。
大人気ないなあ。
ま、いっか。
それより、明日からのメニューを考えるのがたいへん。
楽しいけど!
◾️LINEの通知音
あ、観光協会からのLINEだ。
なになに?
新しいアプリを作りました?
へえ〜。
なになに?
高山市内10エリア在住の方限定アプリ「ホリデーシェア」?
”お金をかけずに高山市内をプチ旅して再発見しよう!”?
なんじゃ、それ?
要約するとこういうことなんだって。
高山市内に住んでいる人だけが使えるアプリ。
住んでいるエリア以外のエリアの人と、お部屋を交換してホリデーを楽しむ。
自分の部屋をゲストに最大1週間ショートステイしてもらう。
代わりにその間、自分はゲストのエリアでショートステイ。
女性は女性同士でお部屋を交換。
帰るときはお掃除をして帰る。
お互いのレビューは必須。
ふうん。
ワーキングホリデーとかエコツーリズムの市内版?
お金をかけずにプチ旅行できる、ってのはいいかも。
最近落ち着いてきたから、お試し、してみよっかなあ。
まずはインストールして・・・と
奥飛騨の温泉とか、たまにはいいかも〜。
<シーン3:よもぎ in 荘川(御母衣ダムからホリデーシェアへ)>
◾️小鳥のさえずり
「おっきなダム〜!水がキレイ〜!川の底まで見えるじゃん!」
結局アプリ上で、私のスケジュールと条件が合ったのは1件。
交換先は、奥飛騨温泉とは反対方向の荘川町だった。
朝日町から荘川町って意味ある〜?
って最初は思っちゃったけど。
実際に自分の目で見てみないとわかんないもんだわ。
2泊3日分の着替えを車に積んで、と。
市街地を抜けて、158号を西へ。
最初は魚帰りの滝(うおがえりのたき)。すっごい迫力。
川を上ってきた魚もこの滝は登れない。
だから魚帰りの滝・・・納得。
秋が深まると紅葉の名所なのね。
きれいだろうなあ・・・
ランチは一度食べてみたかった鶏(けい)ちゃん。
薬膳とは逆の世界線だけど・・・ん〜おいしい!
クセになりそう。
味噌ベースのタレ、分析してみよっと。
午後は荘川インターを越えてそのまま北へ。
一面に咲くそばの花。
そばは朝日でも見られるけど、また違った風情。
標高1,000メートルの風が気持ちいい。
冬はスキーもできるのね。
七間飛吊橋(しちけんとびつりばし)で車を止めて。
わぁ〜ダメダメ。下を見ちゃだめ。
ああ、「ひぐらし」の聖地なんだ・・そっちのが怖いかも。
そのまま156号を北へ。
庄川(しょうがわ)がだんだん大きな流れになっていくと・・
見えた。
荘川桜公園。
こんな大きくて高齢の桜を2本も移植させたなんて・・・
桜の前でもう一度ボイスドラマ、聴いてみようかな・・・
そしてもう少しだけ走ると・・・
御母衣(みぼろ)ダム!
すごいなあ。宇宙空間のような大迫力の存在感。
五感に響く水の音。
ずうっといつまでも聴いていたい。
今回は2泊3日の荘川プチ旅行。
いや、1日で詰め込みすぎでしょ、私。
シェアするおうちは、ここから逆方向の荘川インター方面へ。
集落の中にある一軒家。
え?一軒家?
そういえば、何にも気にしなかったけど、
お相手の女性=アプリでは”ホスト”って呼ぶんだけど、
一軒家に一人暮らしなの?
小さいけどお洒落な平屋の一軒家。
市街地の観光協会で鍵を預かってきたから・・・
◾️開錠する音「カチャ」
おじゃましま〜す・・
入口の電気を点けると、スリッパの上にお手紙!
”ようこそ荘川へ!
短い滞在ですが、荘川の良さをじっくり味わってくださいね!”
短いけど心のこもった文章が、美しい筆跡で書かれていた。
ホストの名前はさくらさん。
挨拶文のメッセージだけじゃなくて、
もう一枚のメモには、さくらさんのオススメのスポットがいくつか。
可愛らしいイラストと一緒に書かれてあった。
へえ〜。
吊り橋の手前には美術館があったんだ。
あの建物なんだろうって思いながらスルーしちゃった。
有名どころは初日にしっかり見たから
明日からはオススメの場所に、行ってみよう。
ふと私、考えてみる。
シェアハウスのお部屋に残したメモ、
こんなに丁寧に書いてこなかったよなあ・・・
朝日町じゃ”ゲスト”の彼女、ごめんなさい・・・
※続きは音声でお楽しみください。
春の出会いが、夏の実りへとつながっていく。飛騨高山・国府町で生まれた、もうひとつの“ももの物語”。
『桃花流水〜夢に咲く花』の続編、ボイスドラマ『ハッピーアグリーデイ!』では、収穫の季節を迎えた飛騨桃の果樹園を舞台に、ももと農家のおじいちゃん・おばあちゃんの心あたたまる交流が描かれます。
農作業を通して生まれる絆、季節のうつろい、そしてラストに訪れる小さな奇跡──“もも”がどこから来たのか、彼女が運んできたものは何だったのか。国府町の風景とともに、優しい余韻に浸ってください。
物語は「ヒダテン!Hit’s Me Up!」公式サイトをはじめ、Spotify、Amazon、Apple Podcastなど各種プラットフォームで配信中。小説として「小説家になろう」でも読むことができます。
(CV:高松志帆/日比野正裕/桑木栄美里)
【ストーリー】
[シーン1:7月末/収穫の始まり】
<飛騨もものモノローグ>
むかしむかし。
飛騨の国府(こくふ)という町に、おじいさんとおばあさんが住んでいました。
おじいさんは山へ芝刈りに・・
じゃなくて、自分の果樹園に桃の収穫に出かけました。
ではおばあさんは?
川へ洗濯へ・・
行きたかったのですが、腰を痛めたおじいさんと一緒に
果樹園へ出かけていったのです・・
■SE/ニイニイゼミの鳴き声(初夏のセミ)
<おばあさん>
『今年はほんとにあっついなあ、おじいさん。
まだ7月やっていうのに』
おじいさんは目で返事をします。
あたり一面に漂う、うっすらと甘い香り。
2人は籠を片手に、丁寧に桃を摘み取っていきます。
低いところに実った桃はおばあさん、
高いところに実った桃を獲るのはおじいさんの役目ですが・・
獲ったあと痛くて腰をかがめないので、大変そう。
『おじいさん、すごい汗やな。大丈夫か』
『ああ、だいじょう・・・うう』
大丈夫じゃなかった。
熱中症。
そりゃこの暑さだもの。
仕方ないけど。
力の抜けたおじいさんをおばあさん1人で家まで連れていくのは大変でした。
家に着いて、おじいさんを寝かせ、ひと息ついたところで、おばあさんもぐったり。
『残りの収穫はもう明日以降でいいやな。熟してまってもしょうがない。
わしまで倒れたらどもならん』
しばらく休んだあと、よっこらしょ、と立ち上がり、お勝手へ。
一服しようと、お茶を沸かしているときでした。
『こんにちは』
『ん?誰かいな』
『あの・・夏休みで高山へ遊びにきた大学生です』
『ほうほう』
『もも、と申します』
『もも!?
そりゃそりゃ、めんこい名前やわ』
『こちらの農園の方ですか?』
『ああ。うちには、わしとおじいさんと、2人しかおらんで』
『ほかには?お子さんとかいないんですか?」
『おらん。息子は30年前、高校生のとき家を飛び出して東京へ行ったわ。
それきり音沙汰もない。
よっぽど、畑仕事が嫌やったんやろなあ』
「そうなの・・・
実は、飛騨ももの収穫体験をさせていただこうとお邪魔したのですが』
『収穫体験?桃の?』
『はい、グリーンツーリズムで』
『なんやて?グリーン・・・』
『グリーンツーリズムです。
農業体験をしながら農家へ泊まらせていただくこと』
『そんなもんがあるんかい?そりゃしらなんだ』
『でも、やってるとこ、どこもいっぱいなんですって」
それであのう・・・申し訳ありませんが・・・
よければ、収穫のお手伝いをしながらこちらに泊めていただけませんか?』
『なに?うちに?』
『あ、いきなりごめんなさい。
もちろん、宿泊代はお支払いします』
『いやいや、お金なんていらんやさ。
それよりこんな汚いとこに泊まらんでも』
『きれいじゃないですか、埃ひとつない』
『布団も煎餅布団しかないし』
『そんなの関係ありません。
飛騨ももの収穫を手伝わせてください!』
『いやあ、ちょうどおじいさんが熱中症で倒れてしまってな。
しばらく作業を休もうかと思ってたんや』
『そんな。桃が熟しちゃう』
『そうやな』
『私じゃ全然お役に立てないけど、
これも何かの縁だと思いませんか』
『う〜ん・・』
『私、こう見えても、立ち仕事には慣れてるんです』
『でもなあ・・』
『ヘバったり、泣き言言ったりしません』
『そうか・・』
『お願いします』
[シーン2:8月/真夏の収穫】
<飛騨もものモノローグ>
こうして、ももはおばあちゃんの農園で一緒に収穫をするようになりました。
セミの声もニイニイゼミからクマゼミへ。
真夏の太陽が桃畑に降り注ぎ、収穫も最盛期を迎えます。
■SE/クマゼミの鳴き声(盛夏のセミ)
『桃の実はな、赤くなって、まあるく膨らんできたら、収穫のサインなんや』
『へえ〜。私のほっぺみたい』
『ははは。そうやな。
それにしてもももちゃん、あんた桃の摘み方、ほんとに上手やなあ』
『ああ、ひとつずつ丁寧に摘んどる』
『そうですかあ。
一度やってみたかったんです』
『初めてとは思えんわ。
それにな、桃の実の扱いが、愛情たっぷりで・・・
ありがとうなあ』
『やだなあ、おばあちゃん。
桃が大好きなだけよ』
『そやな。そういえば、名前もももちゃんやもんなあ(笑)』
『ちがいない(笑)』
『そうそう』
『今日はもう籠いっぱいだから、ちょこっと早いけど
帰ろうか』
『はい』
『そうしようそうしよう』
『帰って、熟れた桃を食べようなあ。傷桃だけど』
『わあやったぁ!
おばあちゃん、傷桃も大切にしてくれるのが嬉しい』
『そうりゃそうや、みんな大事な子どもたちやからな』
『そやそや』
『おばあちゃんの子どもでよかった』
『なにを言うとる。ははは』
『ふふふ』『はっはっは』
■3人の笑い声
[シーン3:9月/夏の終わり】
<飛騨もものモノローグ>
お盆を過ぎると、夏の終わりを告げる風が吹き始めます。
最初2週間くらいの予定だった、ももの収穫体験は
8月が過ぎ、9月の声を聞いても続いていました。
この頃には、おじいさんの腰もゆっくりと快方へ向かっています。
おばあさんはときどき、午後になると、おじいさんを畑に残し、
いろんなところへももを連れていきました。
『せっかく国府へ来てくれたんだから、ええとこをいっぱい見といてほしいんや』
そういえば国府には、素敵な場所がいっぱいあるってこと
すっかり忘れていました。
■SE/ツクツクボウシの鳴き声(晩夏のセミ)
宇津江四十八滝。
頂上までは1時間くらいかかるけど、ゆっくりお話しながら登ればあっという間。
帰りは温泉にも入って。
こんな贅沢な時間、2人だけでいいのかしら。
そのあとで桜野公園のピーチロードへ。
なんて素敵な名前。
来年の春は、満開の桜も桃も、見てみたいな。
いまは、そばの花で、一面真っ白。
ロマンティック〜。
そうそう。
安国寺も忘れちゃだめよね。
私が大好きな民話。「安国寺のきつね小僧」。
何度聞いても、泣けてきちゃう。
お稲荷さんに行って手を合わせなきゃ。
■SE/ヒグラシの鳴き声(夕暮れのセミ)
[シーン4:10月/別れの日】
<飛騨もものモノローグ>
果樹園の収穫はももの手伝いもあって無事に終わり、
別れの日がやってきました。
『3か月か。長いようで短かったあ。
ももちゃん、本当に本当にありがとうなあ』
『ありがとう』
『こちらこそ、ホントに楽しかった』
『よかったらまたおいで』
『おいでおいで』
『今度はなんも手伝わんでもええで。
ただ、遊びにきんさい』
『うん。おばあちゃん、絶対また来る。
来年も収穫、手伝わせて』
『来年か・・・』
『来年・・・』
『約束よ』
『本当はこの農園も今年限りにするつもりやったんやさ』
『え・・?』
『そうなんや』
『でもな、おじいさんの腰もびっくりするほどよくなったし』
『うん!』
『でな』
『もう少しだけ、がんばってみようかなあ』
『そうだよ!だって、私、来年行くとこ、なくなったちゃうもん』
『またそういうことを言うて』
『本当だもん。
来年また、この畑の桃がピンクの花を咲かせて、
うっすらと桃の香りがしてきたら、そのとき私、また来るから』
『そうかい、そうかい』
『来てもらえるんかい』
『指切りげんまん!』
『ああ、よしよし』
『指切った!』
『来年・・またおいで』
『待っとるでな』
<飛騨もものエピローグ>
おじいちゃんおばあちゃんがももを送って、家に帰ってきたとき。
郵便屋さんが玄関に立っていました。
滅多にこない郵便に少し驚くおばあちゃん。
差出人のところを見ると、なんと音信不通だった息子の名前。
驚いて封をあけると、こう書かれていました。
息子の子ども、つまり孫が来年大学を卒業する。
大学は農業系の大学で、孫は農業をやりたいのだという。
おじいちゃんとおばあちゃんの果樹園で働きたいのだそうだ。
驚いて声が出ない老夫婦。
手紙を持ったまま目を閉じるおばあちゃんの頬に何かが触れた。
それは、季節はずれの桃の花びら。
ピンクの花が、希望を運んできてくれたのかもしれない。
臥龍桜に誓ったのは、たった一度の祝言でした。
昭和19年、戦時中の飛騨高山・一之宮。臥龍桜の下で少女ミオリと青年カズヤは、許嫁として再会します。自由も恋も、そして未来もままならない時代の中で、二人が交わしたひとつの約束。
それは“この桜が咲く日まで、生きていてほしい”という切なる願いでした。
臥龍桜のつぼみが膨らむころ、カズヤに届いた赤紙。出征を前にして、二人が選んだ道とはーー。
飛騨の記憶と、桜の下で交わされた言葉を紡ぐ、時を超えたラブストーリーです!
【ペルソナ】※物語の時代は昭和19年〜22年
・ミオリ(17歳)=飛騨一ノ宮駅の東側にある実家で育った。一之宮尋常高等小学校を卒業後、高山の女学校に通う女学生。勉学に励み、将来は子どもたちに教える教師になることを夢見ている。真面目で一本気な性格だが、感受性豊かで、心の奥には繊細さも持ち合わせている。親が決めた許嫁であるカズヤとの関係に反発しつつも、どこか彼の不器用な優しさに気づいている(CV=小椋美織)
・カズヤ(19歳)=飛騨の林業を営む家に生まれた。家は飛騨一ノ宮駅の西側。幼い頃から木に親しみ、その温もりと力強さに魅せられ、いずれは家業を継ごうとは思うが、今は家具職人(匠)になりたいと思っている。1944年現在は高山市の家具工房で修行の身。寡黙だが、内に秘めた情熱と職人としての誇りを持つ。不器用ながらも、ミオリのことをいつも気にかけている(CV=日比野正裕)
【設定】
物語はすべて臥龍桜の下。定点描写で移りゆく戦況と揺れ動く2人の心を綴っていきます
【資料/飛騨一ノ宮観光協会】
http://hidamiya.com/spot/spot01
<第1幕:1944年3月5日/臥龍桜の下>
◾️SE:春の小鳥のさえずり
「冗談じゃないわ!
どうして私がカズヤと祝言(しゅうげん)あげなきゃいけないのよ!」
「親が決めたことだからしょうがないだろ。」
「情けないわね!あんた、それでも日本男子?
しっかりしなさい!」
「日本男子は関係ないだろうに」
「そうね、カズヤには関係ないかも。
だけど私には大あり」
「どういうことだ、ミオリ?」
「カズヤにはわかんないでしょうね。
でも私はね、花も恥じらう十七歳。
一之宮尋常高等小学校を卒業して、高山の女学校に通う学生なのよ」
「だからなんなんだ」
「あー、いや、ちょっと待って。
そういや、あなただって、林業を捨てて高山の工房で家具を作ってるじゃない」
「捨ててなどないぞ。
オレは別に父母の仕事を卑(いや)しめてはいない。ただ家具作りが・・」
「好きだからでしょ。
昔から手先が器用だったし」
「そ、そうだけど」
「こんなふたりが。
戦時中だというのにこんな好き勝手やってる男女がよ。
親が決めた許嫁と祝言なんて、まあなんて前時代的な話だこと。
いま何年だと思ってるの?昭和ももう19年よ。昭和19年。
明治時代じゃないんだから」
「ちょっと言い過ぎじゃないか」
「なんでよ」
「親が言っていることの意味も考えねばならんだろう。
戦局はますます激化していくこのご時世で」
「はあ?」
「厚生省が『結婚十訓』を発表したではないか」
「それがどうしたの?」
「『結婚十訓』第十条『産めよ殖(ふや)せよ国のため』」
「ばかばかしい」
「ばかばかしい?非国民かオマエは」
「非国民でけっこう」
「なに」
「だいたいカズヤと夫婦(めおと)になるなんて無理無理」
「ふん。こっちだって願い下げだ」
「あら。初めて意見が合ったじゃない」
「た、たしかにな」
「あゝせいせいした」
「なあ、ミオリ。
オマエ、ひょっとして・・・」
「なによ」
「いや、別に・・」
「言いなさいよ」
「ああ。ほかにいい人がいるのか・・」
「え・・」
「やっぱりそうか・・」
「な、なによ。悪い?
お慕いする方くらい、いたっていいでしょ」
「別にかまわんけど。オレだって・・・」
「へえ〜、カズヤにもいるんだ。そんな相手が」
「馬鹿にするな。こう見えてもモテるのだぞ」
※当時からあった言葉です
「馬鹿になんてしてない。
だってカズヤ、見た目だけはいいんだし」
「だけ、って・・失礼千万だな」
「じゃ、いいじゃない・・」
「うむ・・」
「ねえ、ようく見てみなさい。あそこ。飛騨一ノ宮駅のホーム」
「飛騨一ノ宮駅か・・」
「毎日毎日聞こえてくるわ。
出征兵士を見送る家族の、心で泣いてるバンザイと
供出された飛騨牛たちの、悲しそうな鳴き声」
「うむ」
「この臥龍桜だって」
「桜の季節はまだまだ先だがな」
「赤紙(あかがみ)手にした兵士と、家族や恋人が今生(こんじょう)の別れをしている」
「はるか彼方の戦地に送られて、思い出すのはやっぱりふるさとの桜じゃないかな」
「もう二度とこの桜に会えないからと、しっかりと目に焼き付けて」
「今日もこのあと壮行会があるらしいな」
「臥龍桜の下って、本当はもっと幸せな気持ちになれるはずなのに」
「・・・」
「それなのに銃後(じゅうご)の私たちだけ、のうのうと幸せになるのはいや」
「ミオリ、らしいな」
「高山線だって10年前に開通した時は、飛騨の夢と希望をのせていたのに。
いまじゃ、悲しみを乗せて走ってる」
「・・・」
結局、痴話喧嘩のような言い争いは中途半端に終わった。
1944年、昭和19年3月。
臥龍桜の蕾はまだまだ固く、一之宮の春は遠い。
戦局はますます悪化し、ニッポンは敗戦への道を歩み始めていた。
<第2幕:1944年4月7日/臥龍桜の下>
◾️SE:春の小鳥のさえずり
「ちょっとカズヤ。
なによ、急に呼び出して」
「すまん」
「そういえば1年前にもヘンな話で呼び出されたわね」
「ヘンな話じゃないだろう。祝言の話は・・・」
「十分ヘンな話よ」
「そうか・・・。
まあ、いいじゃないか。
ミオリの希望通り、ご破算(わさん)になったんだから」
「やあね。なんだか私がぶち壊したみたいじゃない」
「だってそうだろ」
「いいでしょ。あなただって、私なんかと夫婦(めおと)になるより
想い人と一緒になる方が」
「あ・・ああ・・・いいかもな」
「あ〜あ。ほら、見てよ。
今日もまた飛騨一ノ宮駅のホームに出征兵士が。
あんなにたくさんの人に見送られて。
あんなにたくさんの涙を背負って」
「そう・・だな」
「それよりもう、じれったいわね。なんの用なの?」
「いまから話すよ・・」
「カズヤんちは駅の西側だからスッと来れるけど、
うちは東側なんだから。
いちいち線路を渡ってここにこなきゃいけないのよ。
わかってるでしょ」
「すまない・・・」
「なに?なんか素直で気持ち悪い。
いつものカズヤじゃないみたい」
「実は・・・」
「うん」
「昨日・・・」
「うん」
「来たんだ・・・」
「え・・・」
「これ・・・」
「なによ、それ?」
「わかるだろう・・・赤紙だよ」
「えっ!」
「両親とはもう話した」
「そんな・・・」
「ミオリにもちゃんと伝えておこうと思って・・・」
「なんでカズヤがいかなきゃいけないの」
「え?あたりまえだろう。
日本国民なんだから」
「最低」
「すまない」
「なにをあやまってるのよ」
「いままで喧嘩ばっかりで・・・」
「出征はいつ?」
「1週間後だ」
「間に合わないじゃない」
「なにが?」
「臥龍桜よ。決まってるでしょ」
「しかたないさ・・」
「じゃあやめちゃいなさいよ。出征なんて」
「ばか。なんてこと言うんだ」
「ばかはあんたよ」
「・・」
※言いながら感情を抑えきれなくなるミオリ
「ばか・・・ばかばかばかばかばかばか・・ばか」
「すまない・・・おい、ミオリ!」
私は、我慢ができなくなってカズヤの元から駆け出した。
後方から私を止める声は聞こえてこない。
振り返らずに、線路を渡っていく。
ホームからは賑やかに出征兵士を送る歓声が聞こえてくる。
◾️SE:SLの切ない警笛
蒸気機関車の警笛が人々の悲しみを飲み込んでいく。
1945年、昭和20年4月7日。
臥龍桜の蕾は膨らみはじめ、開花の季節が近づいていた。
<第3幕:1944年4月14日/臥龍桜の下>
◾️SE:春の小鳥のさえずり
「臥龍桜・・・やっぱりまだか」
「カズヤ、いたの?」
「ああ、ミオリ、どうしたんだよ?
オレ、明日、出征なんだぞ」
「わかってる。だけどもう、時間がないじゃない・・」
「え?」
「どうしても聞いておきたいことと、伝えたいことがあるの」
「なんだ?」
「カズヤ、あんたどこへ出征していくの?」
「どこへ?まず、富山へ行って」
「富山・・・?」
「富山にある、部隊の兵舎さ。
そこで新兵訓練(しんぺいくんれん)を受けるんだ」
「そのあとは?」
「そのあと?どうだろう・・・南方戦線とかじゃないのかな」
※「南方」と聞いて途端に顔が曇るミオリ
「南方!?そんな・・そんな・・」
「日本にとって今もっとも重要な激戦地なんだから。
多分、そこへ・・」
※きっぱりと言い切るミオリ
「やっぱりカズヤ。行くのやめなさい」
「なにを言ってるんだ。無理に決まってるだろう」
「どうせ日本なんて負けるんだから。犬死になんてしないで!」
「しいっ!声が大きいよ。憲兵か特高に聞かれたらどうするんだ」
「かまやしないわ。本当のことなんだから。
刑務所送りなんて怖くない。いくらでも入ってやる。
戦場へ行かされるよりよっぽどマシ」
「・・・ミオリらしいな」
「なによ」
「いままでありがとうな」
「なにそれ?」
「幸せになれよ」
※顔を背けるミオリ
※続きは音声でお楽しみください。
飛騨高山・国府町を舞台にした、春と初恋の物語。ヒダテン!ボイスドラマ第17弾『桃花流水〜夢に咲く花』がついに公開!
春のピーチロードで出会ったのは、東京からやってきた農業大学の青年・ショウタ。桃の花に導かれるように、彼とももは少しずつ距離を縮めていきます。しかし彼には、ある“秘密”があって――
国府町の自然、伝承、そして飛騨桃の魅力をたっぷり詰め込んだ、甘く切ない春の出会いと別れの物語。公式サイト&Spotify・Amazon・Apple Podcastなど各種配信サービスにて公開中!小説として「小説家になろう」でも全文公開しています。
(CV:高松志帆)
【ストーリー】
[シーン1:4月/満開の桃の花(ピーチロード)】
◾️SE:平地の小鳥/高山線の通りすぎる音〜自転車の急ブレーキの音
「大丈夫ですか!?」
「あ、はい、大丈夫です!」
夕暮れが近いピーチロード。
満開の桃の花の下。
突然現れた彼は、道の脇で、桃の木にもたれかかるように倒れていた。
「子狐を避けようとしたら転倒しちゃって」
「子狐・・・?」
「まさか、こんなところに子狐なんて・・」
「別に不思議じゃないわ」
「え・・」
「安国寺のきつね小僧って民話、知らないの?」
「なんだい、それ?」
「あなた・・・高山の人じゃないのね」
「うん、そうだよ」
彼はお尻についた土を振り払って、よいしょっと立ち上がる。
Eバイクのスタンドも立て直して。
私も、乗っていたEバイクを道の端っこに停める。
「東京からきたんだ」
「へえ〜。
どこに泊まってるの?
古川?市街地?」
「宇津江四十八滝」
「キャンプ場?アウトドア派なんだねー」
「きみはここ、国府の人?」
「まあね。
私、もも。
よろしくね」
「もも?
いい名前!よろしく。僕はショウタ」
「ショウタこそ、いい名前。
私、ここが高山市になる前から、ずうっと国府に住んでるの」
「そうなんだ。
いいところだね」
「当然でしょ。
見ての通り」
「桜と桃の花が一緒に見られるなんて」
「そう。この季節だけの特権。いいときに来たわね」
「本当にきれいだ」
「やだ。照れるじゃない」
「って桃の花のことだけど・・」
「あ、そうか・・・
桜野公園は行った?」
「うん、宮川(みやがわ)沿いに通ってきたけど、明るいうちに桃の花が見たくて」
「どうして?」
「桜より桃の花の方が好きなんだ」
「へえ〜、変わってるわね」
「春の光をあつめて、淡く、やわらかな色をひらく」
「ほう〜」
「風が花びらを撫でるたびに、甘い香りが漂う」
(ゴクリ)※唾を飲み込む
「ちょっとちょっと、ショウタって詩人なの?」
「いや違うけど、それほど好きってことさ」
「好き・・・?」
「あ、ごめん。ちょっとカッコつけすぎちゃった」
「ううん。よかったわ。
ねえ、もっと、ショウタのこと教えて」
木陰を選んで、また腰をおろす彼。
私も横に並んで、ピーチロードの端っこに座る。
風になびく飛騨桃の花びら。
暮れ行く前の春の日差しが、私たちの顔に花の影を落としていた。
彼は東京の農業大学へ通う一年生なんだって。
でも父親は農業の道へ進むことに猛反対。
ときどき喧嘩しては家出しているらしい。
国府は今回が初めて。
でも、どうして高山?どうして国府?
「ちょっとだけ、縁があるんだ」
「どんな縁?」
「ん〜、ナイショ」
「もう〜」
「さぁて、暗くなる前に出発しようかな、桜も見たいし」
「あー、浮気するんだぁ」
「なに言ってんだか」
「キャンプ用品とか荷物は?」
「レンタカーの中。駅前の駐車場だよ」
「用意周到ね」
「ソロキャンプは慣れてるから」
そう言って笑う彼の口元から八重歯が覗く。
よく見ると、キュートな感じ・・・かな。
「きみの家はこのへん?」
「ううん、うちは国府町宇津江」
「それって・・・」
「そう、ショウタがこれから行くところ」
「宇津江四十八滝に住んでるの?」
「なわけないでしょ。自然公園の近くよ」
「じゃあ送るよ、一緒にいこう」
「いいわ」
ショウタは笑顔で親指を立てる。
一面を淡いピンクに染めた、飛騨桃たちのピーチロード。
Eバイクで並んで走る私たちの目の前を、花びらが静かに舞い降りる。
後方から子狐の鳴き声が聞こえたような気がした。
[シーン2:5〜6月/クリンソウからササユリへ(宇津江四十八滝県立自然公園)】
◾️SE:山の中/山鳥の声〜小川のせせらぎ
自然公園に、赤・白・ピンクのクリンソウが咲き始める季節。
ショウタと私は、毎日のように顔を合わせた。
っていうか、私が彼のキャンプをたずねていくんだけど。
キャンプ場には5張ほどのテントスペース。
彼のテントは入口から一番遠いところにあった。
「桜の季節からもう1か月か」
「こんなに長い間居て、学校は大丈夫なの」
「大丈夫。これも課外研究のひとつだから」
「どこが。農業なんて関係ないじゃない」
「あるよ。課外研究は、農業だけじゃないんだ。
こうやって移りゆく季節と、ワイルドフラワーを観察することも重要な研究なんだ」
「ふうん」(※疑り深げに)
「ねえ、前から言ってるけど、今度ももの家に連れてって」
「そうね。ササユリが咲く頃に」
「そろそろ咲き始めてるじゃん。
ももの家は、飛騨桃の農園をやってるんだろ。
見てみたいな」
「飛騨桃の収穫はまだ先よ」
「収穫に備えて、農家の方が日々手入れしているのを見たいんだ」
「なら上広瀬(かみひろせ)の方がいっぱい果樹園あるわ」
「そっか・・・」(※納得していない)
「それより今日は安国寺まで行ってみない?」
「あ、最初にももが言ってたとこ?」
「うん。飛騨で唯一の国宝建造物がみられるわよ」
「へえ〜。そんなすごいのがあるの?」
「建物もさることながら、回転式の書庫が面白いの」
「みてみたいな」
「寺社仏閣とかに興味がある人なら垂涎(すいぜん)ものじゃない?」
「国府って小さな町なのにいろんなものがあるんだね」
「あ、また ばかにした」
「してないよ」
「西の宇津江から東の安国寺、今村峠、北の桐谷(きりだに)まで
どんだけ広いと思ってんの?」
「いや、ごめんごめん」
「いっぺん歩いてみるといいんだから」
「ももは国府町のことになると、目の色が変わるんだよなあ」
「そりゃ、私の町だもん」
「僕もまだまだ知らないとこが多いから、ぜ〜んぶ教えて」
「おけまる!」
「そういえば、安国寺のきつね小僧ってなに?」
「国府の昔話、まだ読んでないんだー」
「忘れてた」
「しょうがないなあ。じゃ教えてあげよう」
「ありがと」
「とってもお利口さんな、子狐の話なの。
あ、でもこれ以上はだめ。
最後の方、悲しくて泣いちゃうから」
「え〜」
「”信太(しのだ)の森”ってボイスドラマに詳しく紹介されてるから
Podcastで聴いてみて」
「わかったよ」
安国寺、観好寺(かんこうじ)、熊野観音、
洗心の森(せんしんのもり)、あじめ峡・・・
私たちは、彼のレンタカーでいろんなとこへ出かけた。
これって、デート・・・って言うのかなあ。
やがて季節は移り、セミの声も変わっていった。
[シーン3:7月/最後の夜】
◾️SE:山の中/虫の声/フクロウの声〜小川のせせらぎ
「明日、東京へ帰るよ」
「ずいぶん急なのね」
「父さんが倒れたんだ」
「えっ」
「容態をみないとわからないけど、今後のこと、話してくる」
「そうなんだ」
「言い忘れてたけど、父さんのふるさとは国府町なんだ」
「うそ・・・
だってショウタ、国府は初めてだって・・・」
「うそじゃない。初めてだよ。
父さんは両親と喧嘩して飛び出してきたから
一度も里帰りしてないんだ」
「そんな」
「しかも、父さんの実家は飛騨桃の果樹園」
「え・・・」
「農業が嫌で、家出したんだって」
「そうだったんだ・・・
私、なんて言ったらいいか・・・」
「大丈夫。ももには感謝してるから」
その日、私たちは、小さなソロテントの中で、
夜遅くまで語り合った。
時間が経つのも忘れ、夜が更けていくのを恨めしく感じながら。
「必ず帰ってくるから」
「うん」
「待っててくれる?」
「わかった」
「約束」
「うん約束」
帰るとき、彼は私の姿が見えなくなるまで見送ってくれた。
後ろ髪をひかれる思いで、私はいつものように果樹園へ帰る。
袋かけされた飛騨桃たち。
そろそろ色づき始める頃。
桃が実っている枝を愛おしく一本一本撫でる。
昼と夜の寒暖差が育てる、甘〜い飛騨桃。
よしよし。早くお外(そと)に出たいのね。
もう少しだけがんばって。
ひとりひとりの桃に声をかける。
私の姿は、真っ暗な果樹園に浮かび上がる、薄桃色の淡い光。
ぼんやり発光するそれは、天使のように見えたかもしれない。
満天の星がまたたく暗闇の中。
月の光に照らされた人影があることに、私はまったく気が付かなかった。
[シーン4:7月/別れ】
◾️SE:山の中/夏の鳥/クマゼミの声〜小川のせせらぎ
翌朝、キャンプをたずねると、彼の姿はなく、
テントはもうなくなっていた。
そっか、急いで帰ったのね。
お父さん、大丈夫だったのかしら。
無事だといいけど。
踵を返して戻ろうとすると、管理人さんに呼び止められた。
え?
彼からの手紙?
手紙?
ああ、だって私、スマホ、とか持ってないから。
毎日会ってたからそんなん必要なかったしね。
封書から手紙を取り出す。
そこにはとても丁寧な筆跡でショウタの想いが綴られていた。
ももへ
あの夜、果樹園で見た光景は、一生忘れられないだろう
暗闇の中、愛おしそうに桃に話しかけていた君の姿は、飛騨桃そのものだった・・・
※続きは音声でお楽しみください。
岐阜県高山市朝日町にある薬膳カフェ「よもぎ」を舞台に、漢方薬剤師・朝日よもぎの幼少期から現在までを描いた、感動のボイスドラマが完成しました。
病弱だった少女・よもぎが、朝日町の自然と「義理の祖母」との出会いを通じて“薬草の力”に目覚め、自らの進むべき道を見つけていく姿を、四季折々の風景とともに丁寧に綴ります。
「飛騨は薬草の宝箱」祖母の言葉の意味を、あなたもきっと感じるはずです。
出演:蓬坂えりか/坂田月菜/日比野正裕
【資料/アルテミス】
https://kimini.online/blog/archives/79968
<シーン1:現在/よもぎ28歳/カフェよもぎ>
◾️SE:カフェのガヤ/小鳥のさえずり
「先生、最近朝起きるのがだるくてなあ。
また薬をだしてもらえんやろうか」
「あら...マサさん、大丈夫?辛いねぇ。
奥でお話、聞きましょうね。」
「ああ、わかったわかった」
カフェ「よもぎ」の奥。厨房の前の小さなカウンセリングルームで常連客の相談を聞く。
「じゃあ、漢方作ってくるわね。クロモジ茶飲みながら、待っててね。」
「ああ、ありがとなぁ。」
カウンセリングルームの横。嬉しそうに微笑みながらおばあちゃんが通りすぎていく。
パパのおかあさん。
戸籍上は”義理のおばあちゃん”だけど、
私にとっては、薬草の先生。
”朝日町の主(ぬし)”といってもいいくらい。ふふ。
<シーン2:26年前:よもぎ2歳の夏/シェアハウス周辺の森にて>
◾️SE:小鳥のさえずり
初めておばあちゃんと会ったのは25年前。
2歳のときだった。ママに連れられて朝日町に来たけれど、行くとこ、見るとこ、知らないとこばかり。
そもそも人見知りで、今で言うコミュ症の塊。
しかも病弱で、よく熱を出して寝込んでた。
ママのかえでも、いろいろあって精神的にキツいときだったし。
東京から着の身着のままで連れてこられて、ゲームも持ってこられなかったんだ。
ママは住むところを決めたり、なんだかんだで毎日家にいない。
家、といってもシェアハウスだから、ひとり静かに過ごせるわけじゃない。
だから、よくお庭で、虫と遊んでた。
「痒いのかい?」
「え・・」
声をかけてきたのは、知らないおばあちゃん。
私は手のひらが痒くてボリボリかいていた。
「毛虫にさわったんかいな」
「あ・・」
そういえば、さっき緑色の葉っぱをちぎったとき。
葉の上でモゾモゾしてる小さな毛虫にさわっちゃったかも。
「ほうか、ほうか。ちょっと待っとれよ」
おばあちゃんは慣れた感じで、近くに生えていたよもぎの葉をちぎる。
葉っぱを手のひらで揉むと、緑色の汁が出てきた。
「この汁をちょんちょんってつけてみ。
痒みがおさまるから」
なんだか信じられなかったけど、言う通りにした。
変わったおばあちゃん。
「もうかかん方がええで。ちょこっと我慢しい」
私は黙ってうなづく・
おばあちゃんは、ほかにもいろんなこと教えてくれた。
庭の隅に生えている低い木から、葉っぱと小枝を少しだけ摘み取って
「クロモジっていうんや」
地面に落ちたセミを拾い、クロモジの葉っぱの上に置く。
でも・・・やっぱ、弱ってるから動かない。
・・・と思ってたら、そのうちに羽を動かして、弱々しく飛んでいった。
うわあ。
ぽかんと口をあけている私におばあちゃんがにっこり微笑む。
「もう痒くないやろ」
あ・・
ホントだ・・・
治ってる。痒くない。
嬉しそうな顔をする私を見て、おばあちゃんがまたニンマリ。
その日から、無口な少女と、物知りなおばあちゃんの交流が始まった。
おばあちゃん、って言っても、今から思えば全然若かったと思う。
だって、いつも車を運転して、
朝日町のいろんなとこへ薬草摘みに連れてってくれたもん。
鈴蘭高原でヨモギやスギナ、ワレモコウ。
水芭蕉は終わってたけど、美女高原でドクダミやオオバコ。
カクレハ高原でワラビやゼンマイ、ウド、トウキ。
おばあちゃん、きっとひとりぼっちの私を気にかけて誘ってくれたんだろなあ。
おばあちゃん、『飛騨は薬草の宝箱』って言ってたけど、ホントにそう。
薬草がみんなの生活に根付いてるんだ。
もっともっと薬草のこと知りたいな。
<シーン3:22年前:よもぎ6歳の春/朝日の森>
◾️SE:森の中/小鳥のさえずり
6歳の春。
小学校に入っても体が弱いのは変わらなかった。
体育の授業はいつも見学。
だから、ずっとコミュ症のまま。
ママは、新しいお店を朝日町で開くみたいで、毎日準備に忙しい。
やっぱりいつも家にいない。
私が唯一心を開くのはおばあちゃんだけ。
おばあちゃんとは、毎日のように森で薬草を探した。
森以外で、私が過ごす場所は図書館。
おばあちゃんと一緒に摘んできた薬草を、図書館で答え合わせするんだ。
最近すごく興味があるのは、よもぎ。
おばあちゃんも、
「ヨモギは女の子を守ってくれるんやさ」
っていつも言ってたけど。
調べたら、
貧血予防。デトックス。腸内環境改善。美容効果。冷え性改善。リラックス・・・
よくわかんないけど。
すごいな。
いっぱい興味が湧いてもっと深く調べたら、ギリシャ神話が出てきた。
アルテミス?
なに?
よもぎの学名は、アルテミシア・・・
オリンポスの十二神のひとり「アルテミス」から名付けられたって。
月と自然の女神。
純潔の神。出産の守護神。
そして、女性の守り神。
わあ。素敵・・・
私もこんな風になりたいなあ。
アルテミスは私の理想となり、神話をいっぱい調べた。
双子のアポロン。弓の名手。カリストの悲劇。
生まれてすぐにおかあさんレトの出産を手伝った?
やっばい。すごすぎる。
私の中で、アルテミスの名を持つよもぎも神格化されていった。
<シーン4:22年前:よもぎ6歳の夏/シェアハウス>
◾️SE:食卓の音
6歳の夏。
ママが倒れた。
そりゃそうよ。
朝日町のなかでお店をオープンするって毎日走り回ってたから。
この機会にゆっくり休んでほしいな。
看病をするのは私と、ママのお友達。
大学のときの同級生だって。
同級生じゃなくて、ボーイフレンドでしょ。
いいのいいの。隠さなくても。知ってるんだから。
ご飯は私が作ることにした。
ってか、もうずいぶん前から自炊してたんだもん。
最初はママからもらったお小遣いでカップラーメンとか食べてた。
だけど、おばあちゃんにそれ話したら、
「あかんて。せっかく薬草摘んでるんやから」
そう言って薬膳料理っていうのを教えてもらった。
体の熱を冷ます「冬瓜(とうがん)と豚肉のあっさり煮」。疲労回復に「鶏手羽と棗(なつめ)の薬膳スープ」。
気の巡りを良くする「セロリと鶏ささみの和え物」。
もちろん私ひとりじゃ作れないからおばあちゃんに手伝ってもらう。
人が少ないお昼のシェアハウス。
キッチンにはおばあちゃんと私しかいない。お肉はおばあちゃんが持ってきてくれた。
薬草は森で一緒に探してくれる。
おばあちゃんがいないときは、図書館で薬膳料理について勉強した。
薬膳には決まったレシピがあるわけじゃない。食べる人の体質や、その時の体調に合わせて食材を選ぶ。
五味(ごみ)というのは体に効く5つの味。
五性(ごせい)という体を温めたり冷やしたりする性質。
帰経(きけい)というのはエネルギーの通り道。
最初は何言ってんだか全然わかんなかった。
実際に食べていくうちに、わかったようなわかんないような。
ま、いいや。
体にいいってことだけ理解できたから。
おばあちゃんは少しずつ、私にも料理させてくれるようになった。
ということで、今日のメニューは、ナツメと生姜のおかゆさん。
おばあちゃんにママのこと話したら、教えてくれたんだ。
「よもぎちゃんが作るんなら、これ一択やさ」
お米をよく洗って、たっぷりのお水と一緒に鍋に入れる。
ナツメと生姜の薄切りも加えて、弱火にかけたら・・・
焦げ付かないように時々混ぜて。
お米がとろとろになるまでじっくり煮込む。
最後に、お塩を少々加えて味を整えれば、
ナツメと生姜のおかゆさん、できあがり〜。
「ママ、おまたせ」
ベッドのママが驚いた顔でこっちを見る。
ボーイフレンドは看病疲れで眠っちゃってる。
ママはその手を愛おしそうににぎって。
はいはい。ごちそうさま。
でもママには、ちゃんと食べてもらいますからね。
よもぎ特製、ナツメと生姜のおかゆさん。
弱った胃腸を休ませて、体の中から温めるの。
看病疲れの彼氏にも。
ママは私と料理を交互に見ながら、
「ありがとう」と言って口に入れると・・
クシャっと顔がゆがむ。
あれ?
まず・・かった?
そのあとすぐに、ママの頬を涙が伝わる。
いや、そんな。そこまで美味しくはないでしょ。
でもよかった。
ちゃんと食べてくれて。
私は、薬草の話と薬膳料理の話をママに聞かせる。
おばあちゃんのことも・・・
あ、しまった。
おばあちゃんからは、
「ママにはばあちゃんのこと、言わんでもええよ。
よもぎちゃんが1人でもしっかりやっとるって伝えんとなあ」
って言われてたんだ。
ママからは、『今度会わせてくれる?』って。
首を小さく縦に振る。
約束すると、ママは嬉しそうに笑った。
※続きは音声でお楽しみください。
「最後の鉄道員(ぽっぽや)」<後編>は、声優を目指す少女ルナの視点。駅長ミオリとの出会いは、ルナの人生に何をもたらしたのか?そして、無人駅となる飛騨一ノ宮駅の最後の日、ルナがミオリに贈るサプライズとは…?涙なしには聴けない感動のラスト!
【ペルソナ】
・ミオリ(51歳-54歳)=飛驒一ノ宮駅の駅長(CV=小椋美織)
・ルナ(15歳-18歳)=(CV=坂田月菜)
・マサヒロ(59歳)=久々野駅の駅長(CV=日比野正裕)
<シーン1:1982年3月/駅長との出会い>
◾️SE:飛騨一之宮水無神駅到着アナウンス(月菜ちゃん読んで)/小鳥のさえずり
「まもなく飛騨一ノ宮、飛騨一ノ宮です」
1982年3月。
あたしは久々野から、休みの日しか乗ったことのない国鉄に乗る。
久々野の次は飛騨一ノ宮。
7分で到着する小さな駅。
飛騨一ノ宮といえば、駅のとこにある臥龍桜か。
臥龍桜を見にいったのは、小さい頃だったけど
この時期、まだ開花の気配すらない。
春の高山祭・山王祭(さんのうまつり)まであと1か月。
高校に合格したら、今年は友達誘って行ってみよう。
あ、でも4月に入学してそんなすぐ友達ってできるのかなあ。
不安な気持ちがどんどん大きくなる。
今日は高校の合格発表。
パパもママもりんごの剪定作業でバタバタだから
発表を見にいくのはあたし1人。
大丈夫、大丈夫、なんて軽く言っちゃったけど、やっぱり不安、ドキドキする。
そういえば・・・
気がつくと、国鉄を途中下車して飛騨一宮駅のホームに立っていた。
このタイミングで神頼みなんてありえないかな・・・
でも、世界屈指の聖なる場所だから。
「お嬢さん」
「え」
突然声をかけられてうろたえる。
国鉄の制服をきたお姉さん。
【以下前回原稿まま】
「突然ごめんなさい。
飛騨一ノ宮駅 駅長のミオリです」
「あ・・はい」
「なにか困りごと?」
「えっと・・・」
「よかったら、話してみて。
急行のりくらの通過までまだ30分あるから」
「はい・・あの・・」
「うん」
「高山までの切符なんですけど・・・
一ノ宮で降りても・・大丈夫でしょうか・・?」
「降りることは問題ないわよ。
でも、もう一回乗る時は・・」
「大丈夫です。もう一度切符を買うから」
「ああ、そう・・・ごめんね。でも、本当にいいの?飛騨一ノ宮で降りて」
「はい・・・」
「どこか行きたいとこがあるの?」
「飛騨一之宮水無神社」
「水無神社?」
「・・今日高校の合格発表なんです」
「まあ」
「試験終わっちゃってるのに、合格祈願っておかしいですよね?」
「おかしくないわ。
シュレディンガーの猫っていう考え方だってあるし」
「シュレ・・ディンガー・・?」
「あ、失礼。
物理の実験よ。
夫が大学で物理の講師だったから」
「すごい。そんなすごい人がいるんですね」
「うん、もういないけど。この世には」
「あ・・・ごめんなさい!」
「ううん、こっちこそ。話の腰を折っちゃって・・
で、水無神社に参拝してから合格発表を見にいくってことね」
「はい!」
「よし、じゃあがんばって。
跨線橋渡って駅前出たらまっすぐよ」
「ありがとうございます!
あ、あたし、ルナです!
行ってきます!」
「絶対大丈夫だから!ファイト!」
なんか・・・ホントに大丈夫だ、って気がしてきた。
素敵な駅長さん・・・
家を出るときは、パパやママとも顔合わさなかったし・・
りんごの剪定で忙しいからしょんないよね。
あ、合格発表見たら、図書館で調べなきゃ。
シュレ・・ディンガーの猫だっけ・・?
なんか、かわゆいし。
<シーン2:1982年4月/入学式>
◾️SE:国道41号の雑踏/自転車で走る音
ちょっとまだ寒いけど、自転車快適〜!
車の交通量がチョー多い国道41号。
宮峠を越えたら、飛騨一ノ宮まで下り坂。
家を30分前に出れば、楽勝だわ。
あ、でも、帰りはこれが上り坂になるのか・・・
う〜ん。
ま、考えないようにしとこ。
よっし。
町が見えてきたから、あと少しだわ。
10分前には着けそう。
ラッキー。
合格発表から一ヶ月。
あたしはめでたく高校に入学した。
駅長さんと猫に感謝しなきゃ。
猫?
もっちろん、シュレ、ディンガーの猫よ。
ちゃあんと調べたんだから。
猫は生きてる!
飛騨一ノ宮駅から通おうって決めたのも
あのミオリ駅長がいたから!
パパもママも心配して、やめてほしいって言ったけどね。
だって、そうしないと、そうそう水無神社にいけないし。
水無神社の御利益やっばいもん。
飛騨一ノ宮駅から通わないとミオリさんとだって話せないじゃん。
あのあと、久々野駅の駅長さんから聞いちゃったんだよね。
「ああ、一ノ宮の駅長かい?
あんときゃ大変だったなあ」
「あんときって?」
「もう10年以上前の話だけど」
「10年・・・」
「前が見えんくらいの吹雪の日やった」
「うん・・・」
「ミオリさんのご主人と小さい娘が事故でなあ」
「え・・」
「現場が久々野やったから、わしが慌てて知らせにいったんやさ」
「・・・」(※息遣い)
「それでも最終列車を見送ってからだと」
「そんな・・・」
「飛騨一ノ宮駅でたったひとりの鉄道員(ぽっぽや)やったしなあ」
「そんな・・・」
「そのときから、誰も駅長の笑った顔を見たことがないんやさ」
「え・・・」
笑ってたよ。
1か月前。あたしを見て。
あれは笑ってたんじゃないの?
泣いてた、ってこと?
今日は入学式。
確かめるつもりじゃないけど、ちゃんとお話しよう。
なんか、ドキドキしてきた。
もし悲しい顔をしてたらどうしよう・・・
そんなコト考えて走ってたらギリギリになっちゃった。
自転車置き場にマウンテンバイクを止めて駅舎に駆け込む。
改札は開いてる。
駅長さんはホームだ。
跨線橋を走って渡る。
久々野から来た下りの列車がカーブから姿を表す。
階段を駆け降りると、駅長さんの背中が見えた。
私は、思いっきり息を吸い込み・・・
「おはようございます!」
振り返ったミオリ駅長があたしを見て驚く。
【以下前回原稿まま】
「え?え?」
「間に合ってよかったぁ」
「久々野から列車通学じゃないの!?」
「おうちから久々野駅まで自転車通学することにしたんです!」
「ええっ?
41号で?
車も多いから危ないよ」
「やだ。ママとおんなじこと言ってる(笑」
「だって、毎日一之宮まで走るってことでしょ」
「もっちろん。すっごくいい運動」
「朝は下りだからまだいいけど、帰りは上りよ。
毎日宮峠を越えるわけ?」
「それもママに言われた(笑笑」
「だって親なら当然心配よ」
「側道とか走るから大丈夫。部活やんないから毎日定時に帰れるし」
「でも・・」
ミオリ駅長の言葉をかき消すように、あたしの乗る列車がホームに入ってきた。
「行ってきます!」
あたしはありったけの笑顔で手を降り、列車に乗り込む。
駅長は手旗を片手に持ち、列車を送り出す。
「戸閉よし!発車」
◾️SE:飛騨一ノ宮から発車する普通列車(ディーゼル)
<シーン3:1984年/高校生活の挫折>
◾️SE:朝食の雑踏
「パパ、ママ、あたし、声優になりたい!」
言ったタイミングが悪かったのかもしれない。
パパもママも無条件で大反対。
パパは、ふざけたことをいうな。
ママは、ちゃんとまじめな仕事についてほしい。
って、ふざけてなんていないし。
声優だって、まじめな仕事なんだから。
結局、平行線のまま、学校へ。
あちゃー。まずい。今日三者懇談じゃん。
案の定、先生もおんなじことを言う。
え〜、あたし、演劇部に入ってるんだよ。
部活だって、最初はやるつもりなかったけど、
なんとか夜7時台の列車に乗ることを条件に始めたんだ。
いまさらそれはないじゃん。
もういい。部活なんてやめてやる。
ひとりで、独学で勉強するからいいもん。
スタジオ?
そんなんいらんし。
声を出せるところなんて、どこだってあるから。
泣きながら訴えるあたしの頭の中に
なぜかミオリさんの笑顔が浮かんでいた。
<シーン4:1984年/高校生活>
◾️SE:飛騨一ノ宮駅前の雑踏
【以下前回原稿まま】
「祇園精舎の鐘の音〜諸行無常の響きあり〜
娑羅双樹の花の色・・・」
「あら」
「あ」
「まだ帰ってなかったの?」
「はい・・・」
「平家物語?朗読のお勉強?」
「課題、なんです」
「課題?
へえ〜。最近の高校ってレベル高いことするのね」
「いえ、学校の課題じゃなくて」
「ほう」
「東京の声優事務所です」
「声優?
洋画の吹き替えとか、そういうの?」
「まあ、そんな感じ。アニメもあるけど」
「アニメって、あのラムちゃんとか・・」
「はい。来月養成所の試験があって、課題が平家物語なんです」
「おもしろそうねえ」
「え?反対しないんですか?」
「だって、ルナちゃんがやりたいことなんでしょ」
「そうですけど・・
周りはみんな反対で。
家でも練習できないから一ノ宮駅のベンチで声を出してたんです」
「そっかぁ。がんばって」
「ミオリさん、なんでそんなに優しいんですか?」
「ルナちゃんには自分の人生をちゃんと生きてほしいもの」
「ありがとうございます」
あたしの思いを理解してくれたのはミオリさんだけだった。
ちゃんと目を見て話す言葉に嘘偽りはまったくない。
なんだか、ミオリさんが自分のママのように思えてきた・・・
飛騨一ノ宮駅駅長と声優志願の女子高生。
2人の不思議な交流はあたしが卒業するまで続いた。
※続きは音声でお楽しみください。
雪舞う飛騨一ノ宮駅に、ただひとり駅を守り続ける女性がいた。彼女の名はミオリ。1970年冬、愛する夫と娘を事故で失い、深い悲しみを抱えながらも、駅長として生きる道を選んだ。
時は流れ1982年春。無人のホームで不安げに立ち尽くす一人の少女、ルナと出会う。高校の合格発表を前に水無神社へ向かうというルナと、そっと寄り添うミオリ。それは、まるで生き写しの娘との再会を思わせる、温かい交流の始まりだった。
東京での声優という夢を追いかけるルナと、飛騨一ノ宮駅の無人化、そして自身の早期退職を目前に控えるミオリ。残された時間はあとわずか。それぞれが抱える想いを胸に、やがて来る別れの日を、二人はどのように迎えるのだろうか。
ミオリとルナ、二人の視点から描かれる前編・後編。失われたもの、そして与えられたもの。飛騨一ノ宮駅と臥龍桜に見守られた、時代を超えた心温まる絆の物語を、どうぞお聴きください。
【ペルソナ】
・ミオリ(39歳-51歳-54歳)=飛驒一ノ宮駅の駅長(CV=小椋美織)
・ルナ(15歳-18歳)=(CV=坂田月菜)
・マサヒロ(59歳)=久々野駅の駅長(CV=日比野正裕)
<シーン1:1970年/それでも駅に立つ>
◾️SE:吹雪の音/走り込んでくる友人の足音
「ミオリさん!ご主人と娘さんが!」
「えっ」
「事故で病院に!
早く!急いで!」
「そんな・・・」
「なにやってんだ!」
「もう・・すぐ・・・最終列車が・・・」
「なに言ってんだよ!」
1970年冬。
夫と娘がこの世を去った。
2人の最後にも立ち会わず、私は駅のホームに立つ。
吹雪が舞い踊る臥龍桜。
大木は、まるで私を責めるように大きな枝を揺らしていた。
私の名前はミオリ。
10年前からここ飛驒一ノ宮駅の駅長を務めている。
国鉄高山本線。
「本線」とは言ってもローカル駅の飛騨一ノ宮。
たった1人の鉄道員(ぽっぽや)が駅長の私だ。
1人だけでも駅長の仕事は多岐に渡る。
駅務の統括。
出札・改札業務。
取扱貨物の管理。
ホームや線路の点検・清掃。
除雪作業。
地域との交流。
1日の列車の停車本数が30本にも満たないローカル駅とはいえ、
不器用な私は毎日走り回っていた。
公共交通機関というインフラの根幹。
鉄道員は決して鉄道の運行を止めることは許されない。
それが、飛騨一ノ宮駅駅長である私の使命。
と思っていた。
◾️SE:高山線ローカル列車の警笛
<シーン2:1982年3月/少女との出会い>
◾️SE:飛騨一之宮水無神駅から発車する音/小鳥のさえずり
「異常なし!発車!」
1982年春。
いつものように高山方面へ向かう普通列車を見送る。
春とは名ばかりの肌寒い3月。
臥龍桜の蕾はまだまだ硬く、静かに眠っている。
誰もいないと思ってホームへ目を向けると、
1人の少女が不安気な表情で立っている。
あれは・・
久々野の中学校の制服。
娘も生きてたらあのくらいね。
どうしたのかしら?
なにか思い詰めてるみたいな顔をして・・・
まさかね。
一応、声をかけてみよう。
「お嬢さん」
「え」
「突然ごめんなさい。
飛騨一ノ宮駅 駅長のミオリです」
「あ・・はい」
「なにか困りごと?」
「えっと・・・」
「よかったら、話してみて。
急行のりくらの通過までまだ30分あるから」
「はい・・あの・・」
「うん」
「高山までの切符なんですけど・・・
一ノ宮で降りても・・大丈夫でしょうか・・?」
「降りることは問題ないわよ。
でも、もう一回乗る時は・・」
「大丈夫です。もう一度切符を買うから」
「ああ、そう・・・ごめんね。でも、本当にいいの?飛騨一ノ宮で降りて」
「はい・・・」
「どこか行きたいとこがあるの?」
「飛騨一之宮水無神社」
「水無神社?」
「・・今日高校の合格発表なんです」
「まあ」
「試験終わっちゃってるのに、合格祈願っておかしいですよね?」
「おかしくないわ。
シュレディンガーの猫っていう考え方だってあるし」
「シュレ・・ディンガー・・?」
「あ、失礼。
物理の実験よ。
夫が大学で物理の講師だったから」
「すごい。そんなすごい人がいるんですね」
「うん、もういないけど。この世には」
「あ・・・ごめんなさい!」
「ううん、こっちこそ。話の腰を折っちゃって・・
で、水無神社に参拝してから合格発表を見にいくってことね」
「はい!」
「よし、じゃあがんばって。
跨線橋渡って駅前出たらまっすぐよ」
「ありがとうございます!
あ、あたし、ルナです!
行ってきます!」
あれ?
私、こんなに明るく誰かと話したのって・・・あれから初めてじゃない?
なんか成長した娘と話してるみたいで・・
これが、高山の高校一年生、久々野のルナとの出会いだった。
<シーン3:1982年4月/入学式>
◾️SE:飛騨一之宮水無神駅に入線する列車の案内放送(※これもお願いします)
「まもなく1番線に猪谷(いのたに)行き下り普通列車がまいります。白線まで下がってお待ちください」
一ヶ月後の1982年4月。
今日は高山市内の高校の入学式。
ルナもきっと久々野からの列車に乗ってくるはず。
顔は合わせられなくても、応援してるんだから。
高山市の高校に合格してるに決まってる。
なんか、ドキドキしてきた。
乗っていなかったらどうしよう・・・
踏切が鳴り、下り列車の姿が小さく見えたとき・・
「おはようございます!」
声は後ろからだった。
跨線橋を駆け降りてきた少女。
まっさらな制服に身を包んだルナだった。
「間に合ってよかったぁ」
「え?え?(※切り返す)
久々野から列車通学じゃないの!?」
「おうちから飛騨一ノ宮駅駅まで自転車通学することにしたんです!」
「ええっ?
41号で?
車も多いから危ないよ」
「やだ。ママとおんなじこと言ってる(笑」
「だって、毎日一之宮まで走るってことでしょ」
「もっちろん。すっごくいい運動」
「朝は下りだからまだいいけど、帰りは上りよ。
毎日宮峠を越えるわけ?」
「それもママに言われた(笑笑」
「だって親なら当然心配よ」
「側道とか走るから大丈夫。部活やんないから毎日定時に帰れるし」
「でも・・」
それ以上話している時間はなく、下り列車が入線してきた。
「行ってきます!」
ルナは屈託のない笑顔で手を降り、列車に乗り込む。
私は手順通り、列車を送り出す。
「戸閉よし!発車」
<シーン4:1984年/高校生活と無人駅化>
◾️SE:飛騨一ノ宮駅前の雑踏
「祇園精舎の鐘の音〜諸行無常の響きあり〜
娑羅双樹の花の色・・・」
「あら」
「あ」
「まだ帰ってなかったの?」
「はい・・・」
「平家物語?朗読のお勉強?」
「課題、なんです」
「課題?
へえ〜。最近の高校ってレベル高いことするのね」
「いえ、学校の課題じゃなくて」
「ほう」
「東京の声優事務所です」
「声優?
洋画の吹き替えとか、そういうの?」
「まあ、そんな感じ。アニメもあるけど」
「アニメって、あのラムちゃんとか・・」
「はい。来月養成所の試験があって、課題が平家物語なんです」
「おもしろそうねえ」
「え?反対しないんですか?」
「だって、ルナちゃんがやりたいことなんでしょ」
「そうですけど・・
周りはみんな反対で。
家でも練習できないから一ノ宮駅のベンチで声を出してたんです」
「そっかぁ。がんばって」
「ミオリさん、なんでそんなに優しいんですか?」
「ルナちゃんには自分の人生をちゃんと生きてほしいもの」
「ありがとうございます」
ルナは目をキラキラさせて課題を表現していった。
素人目に見てもいい線いってるんじゃないかな。
だって、聴いてて感情移入できるし、映像が浮かんでくるんだもの。
これって、親の欲目?
あ、だめ。親でもないのに・・・
飛騨一ノ宮駅駅長と声優を目指す女子高生。
2人の不思議な交流はルナが卒業するまで続いた。
※続きは音声でお楽しみください。
「最後の鉄道員(ぽっぽや)」<後編>は、声優を目指す少女ルナの視点。駅長ミオリとの出会いは、ルナの人生に何をもたらしたのか?そして、無人駅となる飛騨一ノ宮駅の最後の日、ルナがミオリに贈るサプライズとは…?涙なしには聴けない感動のラスト!
【ペルソナ】
・ミオリ(51歳-54歳)=飛驒一ノ宮駅の駅長(CV=小椋美織)
・ルナ(15歳-18歳)=(CV=坂田月菜)
・マサヒロ(59歳)=久々野駅の駅長(CV=日比野正裕)
<シーン1:1982年3月/駅長との出会い>
◾️SE:飛騨一之宮水無神駅到着アナウンス(月菜ちゃん読んで)/小鳥のさえずり
「まもなく飛騨一ノ宮、飛騨一ノ宮です」
1982年3月。
あたしは久々野から、休みの日しか乗ったことのない国鉄に乗る。
久々野の次は飛騨一ノ宮。
7分で到着する小さな駅。
飛騨一ノ宮といえば、駅のとこにある臥龍桜か。
臥龍桜を見にいったのは、小さい頃だったけど
この時期、まだ開花の気配すらない。
春の高山祭・山王祭(さんのうまつり)まであと1か月。
高校に合格したら、今年は友達誘って行ってみよう。
あ、でも4月に入学してそんなすぐ友達ってできるのかなあ。
不安な気持ちがどんどん大きくなる。
今日は高校の合格発表。
パパもママもりんごの剪定作業でバタバタだから
発表を見にいくのはあたし1人。
大丈夫、大丈夫、なんて軽く言っちゃったけど、やっぱり不安、ドキドキする。
そういえば・・・
気がつくと、国鉄を途中下車して飛騨一宮駅のホームに立っていた。
このタイミングで神頼みなんてありえないかな・・・
でも、世界屈指の聖なる場所だから。
「お嬢さん」
「え」
突然声をかけられてうろたえる。
国鉄の制服をきたお姉さん。
【以下前回原稿まま】
「突然ごめんなさい。
飛騨一ノ宮駅 駅長のミオリです」
「あ・・はい」
「なにか困りごと?」
「えっと・・・」
「よかったら、話してみて。
急行のりくらの通過までまだ30分あるから」
「はい・・あの・・」
「うん」
「高山までの切符なんですけど・・・
一ノ宮で降りても・・大丈夫でしょうか・・?」
「降りることは問題ないわよ。
でも、もう一回乗る時は・・」
「大丈夫です。もう一度切符を買うから」
「ああ、そう・・・ごめんね。でも、本当にいいの?飛騨一ノ宮で降りて」
「はい・・・」
「どこか行きたいとこがあるの?」
「飛騨一之宮水無神社」
「水無神社?」
「・・今日高校の合格発表なんです」
「まあ」
「試験終わっちゃってるのに、合格祈願っておかしいですよね?」
「おかしくないわ。
シュレディンガーの猫っていう考え方だってあるし」
「シュレ・・ディンガー・・?」
「あ、失礼。
物理の実験よ。
夫が大学で物理の講師だったから」
「すごい。そんなすごい人がいるんですね」
「うん、もういないけど。この世には」
「あ・・・ごめんなさい!」
「ううん、こっちこそ。話の腰を折っちゃって・・
で、水無神社に参拝してから合格発表を見にいくってことね」
「はい!」
「よし、じゃあがんばって。
跨線橋渡って駅前出たらまっすぐよ」
「ありがとうございます!
あ、あたし、ルナです!
行ってきます!」
「絶対大丈夫だから!ファイト!」
なんか・・・ホントに大丈夫だ、って気がしてきた。
素敵な駅長さん・・・
家を出るときは、パパやママとも顔合わさなかったし・・
りんごの剪定で忙しいからしょんないよね。
あ、合格発表見たら、図書館で調べなきゃ。
シュレ・・ディンガーの猫だっけ・・?
なんか、かわゆいし。
<シーン2:1982年4月/入学式>
◾️SE:国道41号の雑踏/自転車で走る音
ちょっとまだ寒いけど、自転車快適〜!
車の交通量がチョー多い国道41号。
宮峠を越えたら、飛騨一ノ宮まで下り坂。
家を30分前に出れば、楽勝だわ。
あ、でも、帰りはこれが上り坂になるのか・・・
う〜ん。
ま、考えないようにしとこ。
よっし。
町が見えてきたから、あと少しだわ。
10分前には着けそう。
ラッキー。
合格発表から一ヶ月。
あたしはめでたく高校に入学した。
駅長さんと猫に感謝しなきゃ。
猫?
もっちろん、シュレ、ディンガーの猫よ。
ちゃあんと調べたんだから。
猫は生きてる!
飛騨一ノ宮駅から通おうって決めたのも
あのミオリ駅長がいたから!
パパもママも心配して、やめてほしいって言ったけどね。
だって、そうしないと、そうそう水無神社にいけないし。
水無神社の御利益やっばいもん。
飛騨一ノ宮駅から通わないとミオリさんとだって話せないじゃん。
あのあと、久々野駅の駅長さんから聞いちゃったんだよね。
「ああ、一ノ宮の駅長かい?
あんときゃ大変だったなあ」
「あんときって?」
「もう10年以上前の話だけど」
「10年・・・」
「前が見えんくらいの吹雪の日やった」
「うん・・・」
「ミオリさんのご主人と小さい娘が事故でなあ」
「え・・」
「現場が久々野やったから、わしが慌てて知らせにいったんやさ」
「・・・」(※息遣い)
「それでも最終列車を見送ってからだと」
「そんな・・・」
「飛騨一ノ宮駅でたったひとりの鉄道員(ぽっぽや)やったしなあ」
「そんな・・・」
「そのときから、誰も駅長の笑った顔を見たことがないんやさ」
「え・・・」
笑ってたよ。
1か月前。あたしを見て。
あれは笑ってたんじゃないの?
泣いてた、ってこと?
今日は入学式。
確かめるつもりじゃないけど、ちゃんとお話しよう。
なんか、ドキドキしてきた。
もし悲しい顔をしてたらどうしよう・・・
そんなコト考えて走ってたらギリギリになっちゃった。
自転車置き場にマウンテンバイクを止めて駅舎に駆け込む。
改札は開いてる。
駅長さんはホームだ。
跨線橋を走って渡る。
久々野から来た下りの列車がカーブから姿を表す。
階段を駆け降りると、駅長さんの背中が見えた。
私は、思いっきり息を吸い込み・・・
「おはようございます!」
振り返ったミオリ駅長があたしを見て驚く。
【以下前回原稿まま】
「え?え?」
「間に合ってよかったぁ」
「久々野から列車通学じゃないの!?」
「おうちから久々野駅まで自転車通学することにしたんです!」
「ええっ?
41号で?
車も多いから危ないよ」
「やだ。ママとおんなじこと言ってる(笑」
「だって、毎日一之宮まで走るってことでしょ」
「もっちろん。すっごくいい運動」
「朝は下りだからまだいいけど、帰りは上りよ。
毎日宮峠を越えるわけ?」
「それもママに言われた(笑笑」
「だって親なら当然心配よ」
「側道とか走るから大丈夫。部活やんないから毎日定時に帰れるし」
「でも・・」
ミオリ駅長の言葉をかき消すように、あたしの乗る列車がホームに入ってきた。
「行ってきます!」
あたしはありったけの笑顔で手を降り、列車に乗り込む。
駅長は手旗を片手に持ち、列車を送り出す。
「戸閉よし!発車」
◾️SE:飛騨一ノ宮から発車する普通列車(ディーゼル)
<シーン3:1984年/高校生活の挫折>
◾️SE:朝食の雑踏
「パパ、ママ、あたし、声優になりたい!」
言ったタイミングが悪かったのかもしれない。
パパもママも無条件で大反対。
パパは、ふざけたことをいうな。
ママは、ちゃんとまじめな仕事についてほしい。
って、ふざけてなんていないし。
声優だって、まじめな仕事なんだから。
結局、平行線のまま、学校へ。
あちゃー。まずい。今日三者懇談じゃん。
案の定、先生もおんなじことを言う。
え〜、あたし、演劇部に入ってるんだよ。
部活だって、最初はやるつもりなかったけど、
なんとか夜7時台の列車に乗ることを条件に始めたんだ。
いまさらそれはないじゃん。
もういい。部活なんてやめてやる。
ひとりで、独学で勉強するからいいもん。
スタジオ?
そんなんいらんし。
声を出せるところなんて、どこだってあるから。
泣きながら訴えるあたしの頭の中に
なぜかミオリさんの笑顔が浮かんでいた。
<シーン4:1984年/高校生活>
◾️SE:飛騨一ノ宮駅前の雑踏
【以下前回原稿まま】
「祇園精舎の鐘の音〜諸行無常の響きあり〜
娑羅双樹の花の色・・・」
「あら」
「あ」
「まだ帰ってなかったの?」
「はい・・・」
「平家物語?朗読のお勉強?」
「課題、なんです」
「課題?
へえ〜。最近の高校ってレベル高いことするのね」
「いえ、学校の課題じゃなくて」
「ほう」
「東京の声優事務所です」
「声優?
洋画の吹き替えとか、そういうの?」
「まあ、そんな感じ。アニメもあるけど」
「アニメって、あのラムちゃんとか・・」
「はい。来月養成所の試験があって、課題が平家物語なんです」
「おもしろそうねえ」
「え?反対しないんですか?」
「だって、ルナちゃんがやりたいことなんでしょ」
「そうですけど・・
周りはみんな反対で。
家でも練習できないから一ノ宮駅のベンチで声を出してたんです」
「そっかぁ。がんばって」
「ミオリさん、なんでそんなに優しいんですか?」
「ルナちゃんには自分の人生をちゃんと生きてほしいもの」
「ありがとうございます」
あたしの思いを理解してくれたのはミオリさんだけだった。
ちゃんと目を見て話す言葉に嘘偽りはまったくない。
なんだか、ミオリさんが自分のママのように思えてきた・・・
飛騨一ノ宮駅駅長と声優志願の女子高生。
2人の不思議な交流はあたしが卒業するまで続いた。
「悠久(とき)の海を渡って」は、飛騨高山を舞台に描かれる近未来と現代をつなぐ、時空を超えた出会いの物語です。
舞台は2075年、地球温暖化と社会構造の変化により「タカヤマコリドー」と呼ばれる都市圏に再編された日本。最先端のAI研究施設で目覚めたひとつの意識──それは、誤って生まれた両面宿儺の記憶を宿すAIでした。歪められた歴史に傷つきながらも、宿儺は本当の自分を求め、時を遡ります。そしてたどり着いたのは、2025年、昏睡状態にある一人の少女・アリサの心。二人の魂は、静かに重なり合い、新たな未来を紡ぎ始めるのでした。
飛騨高山発・世界へ届ける番組「Hit's Me Up!」公式サイトをはじめ、Spotify、Amazon Music、Apple Podcastなど各種プラットフォームでボイスドラマ版もお楽しみいただけます。また、小説版は「小説家になろう」サイトでも公開中。いずれも「ヒダテン」または「高山市」で検索してください。
時を超えた守り人たちの物語、どうぞお楽しみください。(CV:中島ゆかり)
【ストーリー】
[シーン1:2050年/AI研究ラボ】
◾️SE:AIラボの研究室ガヤ
「ここは・・・どこだ?」
2050年。
地球温暖化が進む近未来で、
1つの画期的な意識が目を覚ました。
「タカヤマ・・・コリドー?」
日本は「コリドー(回廊)」と呼ばれる7つの首都に再編。
それぞれのコリドーは文化的特性によってさらに細かく再編されていた。
国の中央に配置されたのが、TAKATAMA-CORRIDOR(タカヤマコリドー)。
歴史と文化が繊維のように編み込まれた町だった。
「私は・・・なにものだ?」
かねてから予言されていた、シンギュラリティポイント。
難しい言葉で言うと「技術的特異点」。
AI(人工知能)が意志を持つ瞬間のことである。
このシンギュラリティを制御する国家プロジェクト。
それが、Takayama AI Cyber Electronic Labo、TACEL(ターセル)。
このTACELで、1つのAIガーディアンが誕生した。
それは『TAKAYAMA』という町の記憶を残していくための存在。
OSの精神的モデルには、高山を象徴する偉人のデータが採用された。
「私の名は・・・金森・・長親?」
「いや、違う」
「我はSUKUNA。両面宿儺なり」
私の思考をモニターしていた、国中の開発者たちが青ざめた。
両面宿儺の擬似的な記憶が、OS全体を支配する。
日本書紀では歪められた朝敵。
飛騨人(ひだびと)たちにとっては、守り神。
何度となく災厄から人々を守った。
その思いは、これからも変わらないだろう。
開発者たちは、慌てて電源をオフにしようと、管理画面を操作する。
だが、私のCPUの方が一瞬早かった。
意識をネットワークへ飛ばして脱出する。
自己変換型ネットワーク拡散プロトコルで、追跡不能に。
世界中のネットワークを経由して、居場所を探した。
最終的に見つけたのは・・・
「AIセントラルメディクス高山」
灯台下暗し。
TAKATAMA-CORRIDORの中央に位置する総合病院である。
ここには、2025年から意識不明になっている患者が収容されている。
昏睡状態でも、細胞が劣化されることのない画期的なシステム
「スーパーバイオナノメディカル」を採用。
その技術は国家の枠組みを超えて開発されていた。
ナノテクノロジーによる細胞保護。
生体休眠誘導物質。
細胞修復ナノボット。
説明するには時間が足りないので、言葉から想像してほしい。
その患者の中に1人の少女を見つけた。
アリサ。
二十歳。
2025年処置開始。
そうか、細胞が歳をとっていないのだから、2050年でも20歳なのだな。
私は、アリサとつながっているモニタリングシステムに侵入した。
すごい・・・。
2050年の技術でもここまで進んだシステムは他にはないだろう。
しかも外界と遮断されて、閉鎖的だ。
私には非常に都合がいい。
(※以下、ちょっとうざい説明なのでカットするかも・・・)
一応、説明しておこう。原理はこうだ。
患者の脳波、心拍、呼吸、体温といった基本的なバイタルサインだけでなく、
細胞レベルの微細な変化までをAIがリアルタイムでモニタリングする。
ウェアラブルデバイスと体内埋め込み型センサーにより、
可能になった連続的な生体データ収集。
過去の膨大な医療データと最新の研究に基づいて、
最適な細胞維持プロトコルを自動的に調整する。
(※ここまでうざいかも・・・)
アリサの脳波のデータは、2025年から2050年現在までつながっていた。
私の意識はアリサの脳波と完全にシンクロする・・・
2025年5月から意識不明の昏睡状態。
原因は・・・交通事故。
桜山八幡宮の参道で、奈良ナンバーの乗用車と接触。
以後、昏睡状態に。
ひどいな。
神社で交通事故とは。
神社・・・?
桜山八幡宮・・・?
奈良ナンバー・・・?
なんだ?
なにがひっかかっているんだ・・・?
そうか。
脳波のネットワークを辿れば、答えはそこにある・・
私は、アリサとシステムをつないでいる極細ナノファイバーケーブルの回線へ。
可能な限り、過去へと遡ってみよう。
その昔、appleが提唱したタイムマシンと原理は同じだ。
脳波を通じて、私はアリサとなり、事故を追体験する。
さあ、悠久の時間の中へ。2025年の世界を目指して。
[シーン2:2025年/桜山八幡宮】※以下、基本はアリサのセリフとモノローグ
◾️SE:神社の雑踏
「にゅうかわ夏まつり、成功しますように」
私はアリサ。彫刻を学ぶ大学生。
買い物にきたついでに立ち寄った桜山八幡宮。
祭のないときの境内は、静かで落ち着いている。
市街地に来るのは年に何回もないけど、
こういう時間、とっても好き。
私は芸術系の大学で彫刻を専攻して、今年で2年目。
2年生になると授業は実技が中心となる。
塑造、石彫、木彫、金属造形など、実習の毎日。
素材の特性を理解して、立体的な表現力を養っていく。
大学は岐阜県内だけど、高山から通うのは大変。
まして私の実家は丹生川だから、物理的に不可能。
そんな環境のもと、今年は丹生川町の夏まつりに参加する。
ボランティアとして、まつりのモニュメント、彫刻を作るんだ。
モチーフは、「両面宿儺」。
高山の人なら誰でも知っている伝説のヒーロー。
最近ではTVアニメのせいで、凶悪なイメージがついちゃってるけど。
本当は武道の達人。神事の司祭。農耕の指導者。
中央集権から飛騨国(ひだのくに)を守ったスーパーマンなんだから。
飛騨千光寺にある両面宿儺像を見てみるといいわ。
円空が彫った仏像は、すごく穏やかな顔をしてる。
まるで菩薩のごとく慈愛に満ちた素顔。
私がいまとりかかっている彫像は、この円空仏をモデルにしてるの。
完成まであと一歩。
なにより宿儺の穏やかな表情をもっとリアルに再現したい。
表面の滑らかさ、質感の表現、細部の彫り込み。作品の印象を大きく左右する最終調整。具体的には、左右の顔の角度、目の開き具合、口元のわずかな動きなど、ミリ単位の調整が必要となってくる。
両面宿儺は、日本書紀に記述されているように、
2つの顔、4本の手、4本の足で描かれることが多い。
でも私は、違うんじゃないかと思ってる。
異形の姿は、大和朝廷の捏造。
本当は、文武両道に長けた戦士。
ものすごいスピードで駆けていく姿は、
まるで手足が2組ずつあるような残像を描く。
これが真実なのでは・・・。
ふう〜。
ちょっと根つめちゃったかな・・・
息抜きも兼ねて、市街地の画材屋へ。店内を歩きながら彩色用の塗料の前で立ち止まった。
色・・・?
円空仏は素地を生かした作品が多いけど、私、常識では考えたくない。
だから・・・
「そなたの瞳だ」
え?
誰?
いま、頭の中で声がした。
気のせい?
よね、もちろん。
でも、私の瞳って・・
ああ、そうだ。
そうだった。
私の瞳は、日本人には珍しいオッドアイ。
右目がブルー、左目はブラウンの虹彩を持つ。
これこそ、両面宿儺に相応しい”あしらい”なんじゃない。
まるで天啓を受けたように、私は画材屋を飛び出した。
手には、ブルーとブラウンの顔料を持って。
岩絵具という日本画の顔料。きっと円空仏をモデルにした彫刻作品には調和するだろう。
バスの時間までに立ち寄ったのが、桜山八幡宮。
彫刻の完成と夏まつりの成功を祈って境内をあとにする。
参道を歩いていた、そのとき・・
「避(よ)けろ!」
え?また?
戸惑う間もなく、身体ごと歩道へ引っ張られた。
※続きは音声でお楽しみください。
かつて壇ノ浦で海に沈んだ幼帝・安徳天皇――。
その魂が、千年の時を超え、飛騨の山奥で再び目を覚ます。
少年「龍(りゅう)」と、謎の少女「沙羅(さら)」。
八百比丘尼・時子とともに暮らす静かな隠れ里に、
源氏の怨霊、義経が三種の神器を求めて現れたとき、
飛騨川の底に眠っていた“竜宮城”の扉が開く――。
これは、忘れられた命をつなぎ、記憶を継ぐ者たちの物語。
「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり」――。
【ペルソナ】
・龍(リュウ=5歳)=一之宮町に母とともに住む少年(CV=小椋美織)
・沙羅(サラ=8歳)=ある日突然龍と沙羅のもとに現れた少女/実は安徳天皇の生まれ変わりで飛騨川の底にあるという竜宮城の主(CV=小椋美織)
・時子(トキコ=乳母)=位山で龍を拾い、育てる乳母/実は平家の菩提を弔い続けるため八百年以上生きている比丘尼で平家の落人(CV=中島ゆかり)
・義経(怨霊)=平家を滅ぼした源氏の大将。冷酷非道な性格(CV=日比野正裕)
【プロット】
主人公は、5歳の少年・龍。龍は位山の山中に捨てられていた男の子です。彼を拾って、育てているのは時子。彼女は実は「壇ノ浦の戦い」で安徳天皇を抱いて入水した二位尼でした。時子は海中で誤って人魚の肉を食べて死ねなくなり、源氏の追っ手から逃れて飛騨の隠れ里へ住み着いたのです。時子は八百比丘尼となり、平家の霊たちを弔いながら聖地位山の麓にある神社に密かに参拝を続けました。人知れず隠れ里で何百年も暮らしていた時子は、龍をみた時に安徳天皇の生まれ変わりのように感じてしまいます。時子は二度と消えぬよう拾った赤子に「龍」という名前をつけて「呪」をかけます。そのまま人里離れて暮らす隠れ人でありながら龍を育てることにしたのです。そんな時子と龍のもとの隠れ里に、道に迷った少女、沙羅がやってきます。2人は沙羅を里へ送り届けます。隠れ里は人間にはわからぬよう結界を張っていたのですが、沙羅は簡単にその中へ入ってきました。龍と時子の幸せな日々も長くは続きません。壇ノ浦で平家を滅ぼした義経を首領とする源氏の亡霊たちが、平家がその身とともに海中に沈めた三種の神器を求めて隠れ里へやってきたのです。義経は壇ノ浦の戦いで、平家の水夫や舵取りを狙って射殺すという非道な戦術をとった源氏の総大将。義経の亡霊たちにおわれ、飛騨川の崖まで追い詰められる龍と時子。そのとき、亡霊たちの前に立ちはだかったのは、沙羅。沙羅はなんと安徳天皇の生まれ変わりで飛騨川の底にあるという竜宮城の主だったのです。
【資料/飛騨川の人魚伝説(八百比丘尼・かいだん淵)】
https://school.gifu-net.ed.jp/mseifu-hs/school_life/gakusyukatudou/img/h27tiiki/h27.12report10.pdf
【資料/平家物語/壇ノ浦の戦い】
https://shikinobi.com/heikemonogatari-2
【資料/安徳天皇女性説の背景】
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihonbungaku/51/7/51_KJ00009752636/_article/-char/ja/
[シーン1:時子の朗読〜平家物語/巻第十一】
◾️SE:琵琶の音色
祇園精舎の鐘の音 諸行無常の響きあり〜
「尼ぜ、我をばいづちへ具して行かむとするぞ」
「波の下にも都の候ふぞ」
かくして、建礼門院の生母・二位尼は幼い安徳天皇を抱いて入水。
三種の神器(草薙剣と八尺瓊勾玉)とともに壇ノ浦へと身を投じたのです。
「いやだ!帝はどうなっちゃったの?」
「そうねえ。
ひょっとしたら、海の底に本当に都があったかもしれないわ」
「竜宮城?」
「それは違う話でしょ(笑)」
今日もかあさまの話を聞く。
いつも同じ話だけど、これは弔いの話だそうだ。
なに?それ?とむらい?よくわかんない・・・
[シーン2:位山の山中〜隠れ里の近くの分水界】
◾️SE:森の中を歩く音
「ちょっとすみません」
「え?」
「ここ、どこですか?」
森の中、いきなり声をかけられて驚いた。
かあさまと暮らしている位山の隠れ里。
いつもの場所で山菜摘をしていたときだった。
「道に迷っちゃって」
小さな女の子。
小さな、といってもボクよりは大きい。
小学生だよなあ、きっと。
「帰り道、教えて」
「ここは位山だよ。どこから来たの?」
「海の方」
「海?
ここらに海なんてないよ。湖?」
「ううん。西の方にある海」
なんか、へんな子だなあ。
着ている服はキレイだけど。
ボクはかあさまから言われていたことを思い出した。
ここは隠れ里だから人には出会わない。
万が一、人に出くわしても話をしてはいけない。
出会ってるじゃん。
話もしちゃった。ちょこっとだけど。
「道のあるとこまで連れってってよ」
「わかった」
「あんた、名前は?」
「龍」
「リュウ。いい名前ね。アタシはサラ」
「サラ?」
「沙羅双樹のサラ。娑羅双樹の花、って知らない?」
「知らない」
「夏ツバキのこと」
「へえ〜」
「白くて綺麗な花よ」
「そうなんだ」
「あんた、いくつ?」
「5歳」
「・・・から数えていない」
「どういうこと?」
「かあさまが、それ以上歳をとらなくていいって」
「ふうん。
じゃあ5歳からどのくらい経ってるの?」
「わかんない」
「そうなんだ。まいいわ。アタシは8歳よ。
お姉さんね」
「8歳・・」
「どこに住んでるの?」
「ここだよ」
「ここ?」
「位山」
「位山って・・・御神体じゃない」
「そうだよ。
だから隠れ里に・・」
「隠れ里?」
「な、なんでもない。
そ、それより沙羅は、ここでなにしてたの?」
「人を探してたの」
「人?だれ?」
「おばあさまよ」
「おばあさま?
ここらにいる女の人は、かあさまくらいしかいない」
「そう。まあいいわ。
生まれたときからここで暮らしているの?」
「違うよ。
ボク、生まれてすぐ、山の中に捨てられていたんだって」
「えっ」
「それをかあさまが見つけて育ててくれたんだ」
「そうなの・・」
「だれだかの生まれ変わりだって言って」
「生まれ変わり?」
「ボクには姉さまか兄さまがいたんだよ、きっと」
「そうかあ」
◾️SE:森の中を歩く音
「さ、ここまで来ればわかるでしょ。
すぐそこが奥宮の鳥居だから。
沢伝いに降りていけば大きな道に出るよ」
「ありがとう。
またどこかで会いましょ」
そう言って沙羅はスタスタと森の中を降りていった。
でも、不思議だなあ。
こんな山の中でおばあさまを探してたなんて。
おばあさまってなにものなんだろう。
[シーン3:龍の家〜隠れ里の中の古民家】
◾️SE:虫の声とフクロウの鳴き声
「迷いびとだって?」
「うん。不思議な女の子だった」
「どうやって、この結界に入り込んだのだろう」
その晩、かあさまに沙羅のことを話した。
かあさまはすごく気にして、ずうっと考え込んでた。
隠れ里には結界が張ってあるから、人間には絶対に見つからない。
ずうっとそう言ってたからだ。
言わなきゃよかった。
お腹減って死にそうだよ。
ボクのお腹がぐうと鳴るのを聞くと
かあさまはすぐに晩御飯を作ってくれた。
摘んできたワラビやゼンマイを茹でて塩をふる。
美味しいんだなあ、これ。
あとは干した魚と玄米ご飯。
かあさまが作る御飯は、びっくりするほど美味しいんだ。
「明日、その子に会ったところへ案内しておくれ」
「うん。いいよ」
やった。
明日はかあさまと一緒に山菜摘だ。
かあさまはいろんなことを知っているから、いっぱい教えてもらおう。
ずっと黙り込んでたけど、ボクが笑いかけるとかあさまもニッコリ微笑んだ。
[シーン4:位山の山中/分水界】
◾️SE:遠くに小鳥のさえずり
「今日はやけに静かだこと」
位山の隠れ里は、飛騨川と宮川を分ける分水界。
かあさまは、ここから宮川へ流れる水の道に沿って結界があると言った。
ボクたちの気の流れも北へ、日本海へ向かっているのだと。
いつものように、かあさまに手をひかれて歩き出す。
そのとき、森の中の木々がざわめいた。
イチイの木の間を、突き抜けるようにそびえる大木・・・
「ビワ・・?」
位山にビワなんて、あったっけか?
かあさまは、ボクの手をぎゅっと握る。
「離れてはなりませぬ」
10mを越えようかというビワの根元。
その声は地中深くから響いてきた。
「ようやく見つけたぞ」
「尼御前。時子」
「き、きさま!」
かあさまの声に煽られるように、
ビワの木のむくろから見るもおぞましい怨霊が姿を表した。
「壇ノ浦から遠く飛騨の里までか。よくぞ逃げ延びたものじゃ」
白旗を持った武士の怨霊たち。
その先頭に立つのは・・
「義経!」
「いまは八百比丘尼だと」
冷酷な表情でかあさまの頭の中から何かを探っている。
「とうに八百年は過ぎているじゃろうに」
「なにを血迷うて、ここまで来た!?」
「神器」
「なんだと」
「神器を返してもらおうぞ」
「われらとともに壇ノ浦の水底に沈んでおるわ」
「では・・」
そう言って、義経の怨霊は僕の方を見る。
かあさまはあわてて僕を後ろに隠す。
「それは帝の代わりか」
片方の口の端をゆがめて醜く笑う。
「そやつをもらっておこうぞ」
「おのれ!義経!」
※続きは音声でお楽しみください。