「地下室」にとどまる生の魅力と危うさをもう一度見直します。
みきは“働かず読書に没入する理想”に惹かれつつ、それが行動不能のこもりへと傾く怖さを自省。比喩として、日光と外気のある「離島の図書館」を挟み、閉鎖と開放のバランスを考えます。
のぞみは、リーザの出自(リガ)からバルトの光の弱さ/陰影を想起し、作中の階段描写を手掛かりに“地下室”の物理的条件や時系列(役人時代の住まい)を検討。さらに、執筆当時の連載状況と家族の不幸に触れ、作品の陰影を背景から補助線で引きます。
後半は、オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』と並走させ、
「自己完結の独白がSNS空間に溢れると何が起こるか」「欲望の押し付けと合理主義の限界」を検討。
同時に、『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』へ視野を広げ、こもる独白から他者との応答へと開くドスト作品のダイナミクスにも触れました。
第二部のリーザの場面を軸に、語りの“痛さ”ではなく行動不能としての地下室男を読んでいきます。
みきは、第一部(40歳の独白)→第二部(20年前の回想)という配置が、主人公のこじらせを終生のものとして浮かび上がらせる点に注目。さらに、主観の濁流に客観的事実を少量混ぜるドストエフスキーの叙述のうまさ(例:リーザが札を置いて去る)を指摘します。
のぞみは、自己完結に陥る近代自我への対抗としてテニスのダブルスを参照。二人で“一つの身体”のように動く感覚や、柔道・剣道・将棋に見られる儀礼=共同で場を整える意識から、勝ち負けとコミュニケーションを両立するモデルを考えます。
終盤は、「地下室」は孤立の象徴であると同時に、こもり続けられる“特権”にもなりえるのでは、という論点へ。主人公とは距離を置きつつ、誰の中にもある“小さな地下室”をどう扱うかを話しました。
今回取り上げるのは、ドストエフスキー『地下室の手記』。 40歳の元役人が、自意識とこじらせの果てにたどり着いた独白の物語です。
冒頭では、のぞみがテニスウェア販売の現場で感じた“人の選択の不思議さ”を話し、 みきは久しぶりに小劇場のスタッフとして参加した経験から、 「若い人は体と魂がピタッとしている」という印象的な言葉で、世代の感覚の違いを語ります。
そこから、二人の話題は自然と“地下室男”へ。 のぞみは「SNSでとりあえず怒ってみる人たちと似ている」と感じ、 みきは「書かれているのはリアルな感情ではなく、あとから上書きされた認知では?」と分析します。
こじらせた独白にいら立ちながらも、どこか他人事ではいられない。 距離をとって読むからこそ見えてくる、滑稽さと人間らしさについて話しました。
ショーペンハウアーの肝は、「人と一緒にいる時でさえ、内側に孤独を持ち込む」こと。――言うは易く、どうやって?
みきは、年齢とともに外部の“ガソリン”に頼りがちな自分を見つめつつ、その実践の難しさを素直に語ります。のぞみは、岩波茂雄・山下太郎・南方熊楠の伝記を手がかりに、人が動き続けるためのエネルギー源のちがいを比較。さらに二人は、「会議で話が通じない瞬間」「機内で自分だけ読書灯を点けたとき」など、それぞれの“孤独が立ち上がる場面”を持ち寄って、孤独をネガではなく“状態”として捉え直していきます。
寄り道は『暇と退屈の倫理学』や『死に至る病』まで。最後は「選んだ孤独は良い孤独」というフレーズで、日常に持ち帰れる一行をポケットに。重たさは置いて、手触りだけを残すPart3。
もしショーペンハウアーが友だちだったら、きっと最初から「二軒目」の深さで語り合える人かもしれない。
みきは『孤独と人生』に出てくる「楽しみの三分類(再生力/刺激/感受性)」の切れ味に驚き、のぞみは「誤りは結果から原因を推すところに生ずる」という一節を、直前の会議の出来事と重ねて実感します。
さらに話題は、ショーペンハウアーが語る“愚行を招く三つの種(野心・虚栄心・自負)”から、“安売りされた自負=愛国心”という挑発的なフレーズへ。時代を超えて響く辛口の指摘に、二人は笑い混じりに“スナック・ショーペンハウアー”を妄想します。
終盤では、ひとりで働く心地よさと人を雇う迷いをきっかけに、孤独を「寂しいもの」ではなく「向き合い方しだいの状態」として捉え直す視点へ。
みきが北欧〜バルトを3週間旅したエピソードからスタート。豪華フェリーやオスロのサウナ、街並みに重ねた『ドラクエ』の世界観——移動の合間に読んでいたのがショーペンハウアー『孤独と人生』でした。
本を手がかりに、孤独を「幸福への道」と捉える視点にうなずくみきと、HBR(ハーバード・ビジネス・レビュー)の“職場の孤独”特集を思い出すのぞみ。
「絶対に孤独で、同時に孤独な人は一人もいない」という僧侶の言葉や、ノーベルの独身生活から続く孤独の美学まで、旅と哲学が呼応します。
さらに、ショーペンハウアーと愛犬プードルの逸話から“忠誠と孤独”の関係へ。
北欧の夏休み気分と哲学の硬派なテーマが交差する、肩の力が抜けた対話のPart1。
Part3は、「相互関係ってどんな人のこと?」という話からスタート。 みきは、自然体で相手の話を聞き、新しいものを引き出せる人をイメージ。のぞみは、自分にはあまりその感覚がなかったとしつつ、本に出てきた“相互関係が創造性を引き出す”エピソードに共感します。
そこから話題は音楽の力へ。作中でも音楽が人に良い影響を与える場面が多いことに気づき、みきは最近観た“観客も参加する音楽パフォーマンス”の体験を紹介。どんな気分のときでも入り込める作品の魅力や、声や音の使い方が人を動かす可能性について盛り上がります。
最後は「人の魂はその人のIQがいくつであろうと調和的なものである」という言葉に共鳴しつつ、この本がくれた豊かな読書体験を笑顔で振り返りました。
Part2は、政治演説の話題からユーモアたっぷりにスタート。 大統領演説を“言葉だけで聞く人”と“表情だけで見る人”が、それぞれ別の理由で爆笑してしまうという症例を紹介しつつ、「もしかして強い信念を持ってる人も、何かにうまく“刺さって”盛り上がっちゃってるだけかも?」なんて軽口も。
印象に残った症例として、みきは「体のないクリスティーナ」を挙げます。自分の体の位置感覚(固有感覚)を失いながらも、鏡を見て姿勢を意識するなど工夫を重ねて日常を取り戻そうとする姿に感嘆。一方ののぞみは、「具体的な物事が一切わからなくなった男性」の話から、抽象と具体の“広がり”論争に発展。二人の過去の経験も交えて、「具体は閉じて、抽象は広がる?それとも逆?」と議論が白熱します。
終盤では、オリヴァー・サックスの“ニュートラルで寄り添う”姿勢や、患者と向き合い続ける力に感心。専門家として上からではなく、フラットに接する難しさや、その背景にある想像力・努力についても語り合う回になっています。
今回のエピソードは、東京の猛暑トークや夏の予定の話からスタート。 みきの北欧旅行計画や、のぞみの日焼けエピソードで軽く盛り上がったあと、課題図書『妻を帽子と間違えた男』(オリヴァー・サックス)へ。
24人の患者を描く臨床エッセイを読んで、のぞみは「自分にも急に起こるかも…」とちょっと怖くなった派。 一方のミキは、困難を抱えた人たちが前向きに生きる姿から「意外と大丈夫かも」と安心派に。
記憶が2秒しか持たない男性の話から、「人は嘘でもいいから自分の物語を持ちたくなる」というテーマに広がり、そこから自己紹介スタイルの話に発展。 “定型文派のみき”と“毎回違う自己紹介派ののぞみ”という対比も見えたpart1でした。
「ありがとうを言わせない善行は、復讐かもしれない――?」
最終回となるPart3では、前回までの「上品な復讐」トークがさらに加速。 のぞみが語る“恩を売りまくることで相手に負い目を感じさせる”という無言の戦略に、みきも「それ、かなり復讐だよ!」と驚きつつ、それぞれの中にある“気づかぬ復讐心”を洗い出していきます。
さらに、男4人の悪だくみに友情が芽生える本作の構造を振り返りながら、「これは男の子の小説だ!」という見立てへ。 そこから話題は、現在イギリスで人気の日本女性作家たち――村田沙耶香、川上未映子、小川洋子――へとジャンプ。
復讐、恩、友情、そして文学のジェンダー構造まで… 笑って語れる「人の心の不思議」について、たっぷり語り尽くした最終章です。次回の課題本は『妻を帽子と間違えた男』!
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大物詐欺師で富豪のハーヴェイ・メトカーフの策略により、北海油田の幽霊会社の株を買わされ、合計百万ドルを巻きあげられて無一文になった四人の男たち。天才的数学教授を中心に医者、画商、貴族が専門を生かしたプランを持ちより、頭脳のかぎりを尽して展開する絶妙華麗、痛快無比の奪回作戦。新機軸のエンターテインメントとして話題を呼ぶ“コン・ゲーム小説"の傑作。
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Part2「復讐したいと思ったこと、ありますか?」 ジェフリー・アーチャー『100万ドルを取り返せ』をきっかけに、今回は“復讐のエネルギー”をめぐる考察が繰り広げられます。
上品な復讐をやってのけるスティーブンに対して、「自分なら酒に溺れて終わる」「SNSで愚痴っておしまい」と語るふたり。とはいえ、「相手に恩を売って気まずくさせる」「役に立つことで上下関係を築く」…それって実は上品な復讐では?と、思わぬ内省が始まります。
さらに、著者自身が政治家として巨額損失を経験し、その悔しさを物語に昇華していたという事実にも驚き。 復讐、恩返し、SNS、名誉欲、そして“舐められアンテナ”まで―― 人の行動の裏にある感情の不思議に迫る、深くてチャーミングな対話です。
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今回の課題図書は、ジェフリー・アーチャーの傑作『100万ドルを取り返せ』。 ディスプレイのトラブルやテニスラケット試打会の“実力の暴力”エピソードから始まった今回、話は自然と「上品な復讐」とは何か?へと展開していきます。
イギリスの知識人4人が、詐欺で失った合計100万ドルを1ペニーも多くなく、少なくもなく取り返す痛快ストーリー。 その“復讐の方法”がモンテ・クリスト伯とは対照的で、「気づいたら気持ちよくお金を払わせる」洗練された手口に、二人は感心しつつも、自分だったらどうする?とつい妄想も膨らみます。
復讐はエレガントであれるのか? 騙されたときの怒りと余裕、その境界線を笑いとともに探る、知的でちょっと皮肉な読書トーク。どうぞお楽しみください。
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シリーズの最終回では、「自分にとっての発想とは?」をめぐるやりとりが中心となります。
KJ法やクリエイティブの分類を起点に、二人それぞれがどんなふうに発想をしているのか、自覚的に振り返る時間に。 将棋やテニス、小説執筆、村上春樹のオーディオブック体験など、話題は多岐にわたりながらも、自然と“発想”や“創造”についての考察が深まっていきます。
それぞれの「発想の型」が違うことに気づいたり、 情報を整理してから考える人と、言葉にすることで考えがかたちづくられていく人の違いを語り合ったりと、 一冊の本をきっかけに、自分の思考の癖や手触りを確かめる回となりました。
📌 トピックの一部:
「ズラし」に頼る発想のやり方と、その魅力と限界
自分の“頭の中”から始まる創作とその難しさ
発想を支える習慣や構え——シャワーで浮かぶ?それとも文字で詰める?
今回は、KJ法の本質と限界、そして「発想とは何か?」をより深く掘り下げていくPart2。
KJ法やブレインストーミングを実際に体験してきた二人が、その実効性や課題を率直に語り合いながら、現代における“発想の場”のあり方を問い直します。話はやがて、将棋やテニスの話題へと広がり、藤井聡太の思考法や競技の構造理解が、創造性にどんな示唆を与えるかを考察。思考の枠組みを「いったんバラす」ことで見えてくる新しい全体像とは?
後半では、日常の中で“発想力がある人”とはどんな存在か?をテーマに、記憶に残るクリエイティブな人たちを分析。広告業界で出会った「発想3タイプ」——似たもの発見型・根本原理型・異分野かけ合わせ型の分類も必聴ポイント!
🔹 テニスや将棋がなぜ発想力を鍛えるのか? 🔹 ストレングスファインダーで“運命思考”が1位の二人が語る発想との葛藤 🔹 日常の観察や遊びがクリエイティブの源になる瞬間とは?
創造性は特別な才能ではなく、経験の積み重ねと“自分の物差し”を持つことから育まれるのかもしれません。思わず頷いてしまう発見が詰まった回です。
今回のエピソードでは、川喜多二郎による名著『発想法』を取り上げ、みきとのぞみが“発想の拡げ方”についてざっくばらんに語り合います。
冒頭は近況トークからスタート。東京の集中豪雨と新宿の浸水、そしてテニスに情熱を注ぐ夏の過ごし方を皮切りに、思考はなぜか「電波と雨の関係」「人工島での電波状況」などユニークな方向へ。のぞみのテニス狂いっぷりや、58歳でプロテニスに挑戦する投資家の話も飛び出し、自由な連想が広がっていきます。
本題では、みきのデジタル積ん読リストから偶然見つけた『発想法』をきっかけに、KJ法との出会いや大学での思い出、社会人としてKJ法に対面したときのカルチャーショックまで赤裸々に語られます。グラレコやワークショップ、ミロなどデジタルツールの進化と絡めながら、「発想するとは何か?」を再考していく回となりました。
“経験を、経験のままに扱う”というKJ法の思想は、現代にも通じるのか? 次回Part 2では、より本の中身に踏み込みながら、具体的な発想法の実践について深掘りしていきます。
「私には関係ない」の射程って、どこまで届くんだろう? 今回のPart2では、モンターグの奥さんの無関心から始まって、“他人への関心のなさ”が支配する社会の怖さがじわじわ語られていきます。
本を読むこと、それは他者を理解しようとすること。 本を燃やす仕事をしていた主人公が、他人の感情を想像し始めたときに何が起きるのか? そこからの展開が、現代の空気ともリンクしてしまうのが『華氏451度』のすごさ。
政治的な話題にも話が及び、「見た目で投票するって、もしかして私たちも…?」とゾッとする瞬間も。さらには“スロームーブメント”や“ユーモアの居場所”の話題へと広がり、本の外側にも思考が飛び火します。
早さと深さ、両方を手に入れたい私たちにとって、このディストピアは決して他人事じゃないかもしれません。
「ランチ6000円!?」のアイスランド話から始まる今回。のぞみの旅先エピソードをきっかけに、人間のちっぽけさや“どうでもいいことで怒ってたな〜”という気づきがこぼれ出します。そして話題は自然と、課題本『華氏451度』(レイ・ブラッドベリ)へ。
本を読むことが禁じられ、本を燃やす仕事=ファイヤーマンが存在する世界。 “速度”が人間らしさを奪っていく様子や、「月を見上げる」ことさえ特別になる日常。クラリスという少女の存在が、何かを思い出させてくれます。
のぞみとみきが、それぞれに印象に残ったシーンを持ち寄って語り合ううちに、「読む」ってなんだろう、「気づく」ってなんだろう、とちょっと考えたくなる時間に。
本に火をつける話だけど、じんわり心に火がともるPart1です。
「世界との通信の仕方を磨くって、どういうことだろう?」 そんな問いが、コンサルの現場や読書体験を越えて、だんだんと身体の感覚にまでにじんでいきます。
『両儀の表現』をめぐる読書会、最終回。 今回は、言葉の限界と他力の気配、呼吸や空間との関係、そして「ただ在る」ということについて語り合いました。
言葉は便利で、鋭くて、でもときに他者を“モノ”化してしまう。 だからこそ、「言葉は承認しかできない」という問いは刺さります。 でも、そこで終わらずに、ふたりは言葉を使いながら、言葉を越えるもの—— 身体のアンテナ、気づきの感度、静かな関係性の成立について考え続けます。
会議で時計回りに歩くワークショップから、コルビュジエ建築における光と風、 そして「ただ居ること」の可能性まで。 李禹煥の作品世界と、わたしたちの日常が、またしてもふとした瞬間に重なり合う読書会です。
「“不二”って知ってる?」 そんな問いかけから、ふたりの会話はまた少し深いところへ。
『両儀の表現』のなかで繰り返し語られる、「自己」と「他者」、「作品」と「環境」、「語ること」と「語らないこと」。 一見分かれているようで、ほんとうは切り離せないものたち。 ふたりは自分の経験——演劇や資料づくり、スポンサーとの関係、ビジネスの言葉選び——をたどりながら、それらの“あわい”に何かが立ち上がる瞬間を探ります。
後半では、“他力”という言葉を手がかりに、 「努力」や「自分だけの力」では触れられない、静かな助けの感覚にふれる場面も。 李禹煥の言う「自己の限定と身体の連関」とは、自分の輪郭を薄め、世界にひらくということ——?
“考える”と“感じる”のあいだをたゆたうような、静かで豊かな読書の時間。どうぞご一緒に。
今回読んだのは、現代アーティスト・李禹煥の『両儀の表現』。 のぞみがなんとなく「気になる」と手に取ったこの本が、意外にも深く、そしてしずかに迫ってくる一冊でした。
中学生のテニス選手にスポンサーとして関わる中で感じた“期待とプレッシャー”。 演劇プロジェクトの「振り返りの場」から見えてきた、人が言葉を紡ぎはじめる瞬間。 そうした日常のエピソードと本の内容が、じわじわ重なってきて…
「いいものってなに?」「主張ってどう見える?」「何かを支えるって、どういうこと?」 そんな問いを、肩肘張らずに話しています。
石は置かれているだけ。けれどその背後に、関係性や意図が立ち上がってくる—— そんな表現をめぐる読書と雑談の記録です。