
トヨタスピードランド https://ameblo.jp/team-regolith/entry-11920159738.html
このロングストレートでは亜久里君のパリラSSSよりボクがチューニングしたヤマハの方が速かった
Wikipediaで初めて知った鈴木亜久里の生い立ち(抜粋)
父・正士(1936-2011)は神戸生まれで愛媛県新居浜市、千葉県市川市で育ち、習志野市の東邦大学付属東邦高等学校卒業後、日本大学芸術学部で演劇を学び、日大応援団長も務めたのち、ホンダ航空で整備に携わった。レーサーの浮谷東次郎とも親交があり、浮谷から教わったレーシングカートの普及に携わることになる。1973年にカートショップ「ビック」を設立し、日本自動車連盟のカート委員も務めた。また、生沢徹や本田博俊も日本大学の同窓生であり、学生結婚で生まれた亜久里は、博俊の父である本田宗一郎に可愛がられた。
カート時代
1978年、1981年に全日本カート選手権A2クラスのチャンピオンに輝く。
とあったので、ボクが一戦交えたのは1978年だと思う
ヤマハとカートの歩みより抜粋
1978
RC100A(KT100A)でヤマハ初のロータリーバルブエンジン搭載発売。
JKGPにA・セナ出場(6位)。
この年のJKGP(ジャパンカートグランプリ)にエイトン・センナ・ダ・シルバの名でセナが出場していた
ボクも出場権は持っていたのだか遠いので行かなかった
今から考えると残念なことをした
ちなみに亜久里君とセナは同い年だったようだ