
本日のプレイリスト:https://spoti.fi/3T1WOmn
(今回のメンバー:やすお、ソキウス)
クイズ番組の歴史を辿ることで、イントロクイズの可能性が見えてくる?
今回は「クイズ文化」に関する議論の蓄積を色々と取り入れてみる回の後編。
前編( https://spoti.fi/409atLv )ではもしもの質問をきっかけにカルチュラル・リテラシーに関する議論をさらったので、続いてソキウスが話題に出したのは「歴史」。その歴史の中でも今回は特に、日本における「クイズ」という単語の使われ方の歴史と、その始まりと深く関わるクイズ番組での問題文の変化の歴史を見ていきます。
そのような歴史の話題へと進んでいくために提示されたのが、「日本で『クイズ』という言葉が使われ始めたのはいつからだと思うか」という問い。この問いに対してやすおは「クイズ番組」のことを想定したうえで、(それ以前にも言葉自体はあったとは思うが、)現在のような意味で使われ始めたのは「戦後」だろうと回答します。(ここでの「戦後」以前のものとして想定しているであろう「なぞなぞ」や「とんち」のようなものは「複数の正解の存在を原理的に許容」[丹羽 2003: 102]していると言えるが、クイズの歴史を記述するうえで、丹羽(2003)は単一化された正解を志向する「クイズ」とそれらを明確に区別している。後述する「当てもの」的な問い-答えの一対一対応は、その両者の「混同」として位置づけることも可能といえる。)このような感覚を踏まえたうえで、ソキウスは日本におけるクイズの歴史と欧米におけるそれとの区別を強調する形で紹介していきます。
その一つの例として挙げたのが、1940年代頃からイギリスに広まった「パブ・クイズ」。ささやかな勝利や多少の報酬を目指すことを主目的としたコミュニティ内におけるゲームというその起源を紹介。そのうえでそれとは異なる日本におけるクイズの起源として、第二次大戦後のGHQによって行われた「民主主義的」な施策の歴史、つまり、クイズという自分たちの知識を競い合うという行為を通した民主主義的な考え方の会得、さらには政府によるコントロールの手段としてではない一般大衆を中心とするメディアへの変化のために導入されたことも併せて確認します。[石田 2003]
日本におけるクイズの起源を確認したこの対話は、続いて、日本初のクイズ番組『話の泉』で出題された問題をその具体例として導入することに。クイズの競技的なゲーム性というよりかは、クイズをきっかけに始まるある種の「儀礼」性を帯びたトークが人気だったこの番組。その中で視聴者の投稿によって出題されたクイズの中には、現在のような意味での問い-答え形式からすれば想像しづらいものもあったことを見ていきます。
まずソキウスが紹介した問題は、「英国人が嘘のつきっこをして、最も優秀なものに賞金を与えたことがあります。その嘘の傑作は、『僕は一生賭け事をしたことがない』というのです。では今の日本にあてはめて見た場合、どういう嘘が最優秀の嘘でしょう。」。そしてその正解が「僕(わたし)は、かつて、闇ということをしたことがない。」[丹羽 2003: 92]というもの。(本稿での同番組で出題された問題に関する記述は、番組が公式に発売した本の記述を丹羽(2003)が現代仮名遣い・新字体に改めたものを参照している。)これにやすおは、現代のクイズは「一問一答」を「ポピュラー」なものとして考えているだろうと言及したうえで、この「頭捻る」ような問題に「明確な答え」が無いように思えたことを告白します。
ソキウスは、このような「明確な答え」が無いように思える問題はあくまでも全体の中の一部であるということや、同番組における「あいこ」の事例[丹羽 2003]をここで確認し、もう一問例を挙げます。それが、「標準の適温表」の存在を仮定した状態で尋ねられる「コーヒーを飲みたいが、何度にして飲みますか?」。そしてその正解が「68度」[丹羽 2003: 92]というもの。先ほどとは異なり答えとなる数字が「明確」に示されているこの問題にやすおは、当時の視聴者がこの答えを問い-答えの一対一対応と考えて投稿してきているという事実を踏まえても、その「明確」さの理由が気になる様子。ただこのような性質をもった問題を「面白い」とも考えていました。
これらの例を踏まえて次にソキウスは、日本で「クイズ」という単語が一般的に使われるようになったのが1951年以降であること[小池 1984]と、この単語が一般的に使われる以前は『話の泉』のような番組に対して「当てもの」などの訳語が用いられていたこと[丹羽 2003]を基に、この性質が「クイズ」という単語の歴史とも大いに関わるという話題へと繋げていきます。
現代の人々から見れば問い-答えの一対一対応でないように思えるものでも、「当てもの」的な考え方においては特に違和感のないものとして捉えられていたという意味で、「人々はクイズ番組を通して、試行錯誤をするなかで、問いと答えが一対一で対応するクイズ的な文化の形式を学んでいった」[丹羽 2003: 78]過程が日本におけるクイズの歴史の中から見えてくるということ。その意味で、現代のクイズにおける「一問一答」の性質はかつてはそれほど自明なものではなく、カルチュラル・リテラシーの形で「継承されるべき」ものとして後に学んでいったという、クイズ文化に関する議論の流れをここで紹介しました。
(「当てもの」的な考え方の「デメリット」とも関連する『話の泉』以降の日本におけるクイズ番組の歴史、特に今回の論点で言えば、「正解の多様性」が否定されていく[丹羽 2003: 99]までの流れについては丹羽(2003)を参照。また「当てもの」を成立させる基盤となった「教養主義」的性格[丹羽 2003]は、このような一見「古き良き教養」との対比で捉えられるような「ビジネスシーンにおいてうまくやる、周りを出し抜くためのスキル」[レジー 2022: 70]としての教養と繋がる点もあるという点についてはレジー(2022)を参照。)
最後にこの対話の場は、これらの議論の蓄積をイントロクイズの場合で考えてみるとどのようなことが言えるのかについて考えていきます。
クイズで問われる対象とクイズという概念の受容のされ方を「一気見」したこの前後編を受けてやすおは、自身は「当てもの」的な考え方を面白いと感じているが、そのような考え方は「一問一答」の考え方に「縛られている」イントロクイズとは相性が悪いように思えるとのこと。このやすおの言葉を受けてソキウスは、この相性の悪さを「正解の多様性」の否定という歴史的経緯とを結びつける形でまずは言及。そのうえで、「当てもの」的な要素に自身も面白さを感じていること、そしてその要素をイントロクイズへ導入することに可能性を感じていることを述べます。
その導入までは「難しい」とやすおは考えている「当てもの」的な要素。この要素とイントロクイズとの関係をこれを聞いてくださった方はどのように感じたでしょうか?
【今回のキーワード】
クイズ文化/カルチュラル・リテラシー/クイズの歴史/パブ・クイズ/『話の泉』/「当てもの」/XIIX/橋本愛
【本日の一曲】
毎回最後に1分以内で今紹介したい1曲を持ち回りで語ってもらう「本日の一曲」。
今回はやすおが、声の表現力に驚かされた楽曲を紹介。
Aimerっぽい楽曲?
【参考資料】
石田佐恵子, 2003, 「『クイズ文化の社会学』の前提」 石田佐恵子・小川博司編, 『クイズ文化の社会学』世界思想社, 1-20.
小池清, 1984, 「辛口クイズ甘口クイズ」『放送批評』176: 42-46.
丹羽美之, 2003, 「クイズ番組の誕生」 石田佐恵子・小川博司編, 『クイズ文化の社会学』世界思想社, 75-103.
レジー, 2022, 『ファスト教養――10分で答えが欲しい人たち』集英社.