木か、竹か。その問いは分類よりも「どう捉えるか」の話へ広がる。年輪の有無、空洞の幹、触れると感じる癒し──そこに境界を引くのは人の感覚だった。話題はいつの間にかメイプルと蜂蜜、さらに動物や人の手を経た食べ物の受容へ。なぜ工場の製品は平気で、隣人の手作りはためらうのか。安心と嫌悪の線引きもまた曖昧だ。結局、木と竹の違いよりも、人の心が「何を信じ、どこに安心を置くか」が浮き彫りになる回。食と自然と心理が交差し、笑いと戸惑いが枝葉のように伸びた・・・な15分!