
『ヨルとネル』を中心に、施川ユウキ作品についてお話しました。無音部分を自動でカットする方法を知ったので今回から聞きやすくなっていると思います。
GG「牛丼食べました」実験「世界で2番目においしい食べ物じゃん」GG「1位なに?」実験「ビビン丼です」→上位2つを松屋が占めてるのヤバいだろ!!
<『ヨルとネル』について>
・GG「スッと読めるのに、最終的にはめちゃくちゃ心揺さぶられてしまいました」→映画みたいな読後感?
・実験「4コマギャグ中心だけど、シリアスがちゃんと小出しされて話が進むんで、読みやすいのに読み応えある」→ちゃんと毎回ギャグがしっかり面白いのも凄い
・毎回のしんみりラストが心に沁みる…、ギャグも二人の関係性の描写として機能していてほのぼの感→要素が全て無駄がなく、1巻で終わるけど物語としてしっかりしている
・実験「施川ユウキ作品、デビュー以来から物語性がだんだん強くなってきている気がします」→その極地としての『銀河の死なない子どもたちへ』、次回作も楽しみ!
・施川ユウキの絵の可愛さ:動物が本当にかわいい!(『もずくウォーキング!』の犬、『オンノジ』のフラミンゴ)
・実験の好きなシーン:『オンノジ』で誰もいない空港に行く回、エコノミー席で二人で毛布をかぶって星を見る
・GGの好きなシーン:『ヨルとネル』でのエレベーター脱出回、屋上からの町並みを見開きで「世界は確かにそこにあった」→希望と少しの不安
・『ヨルとネル』における「目的地の不確かさ」:あくまで動き続けるために設定している目標、そこに本当の安寧が有るのか?→実験「人生ぽいよね…今の発言バカっぽいですか?」
<施川ユウキとセカイ系>
・施川ユウキが描きたいものとしての「特別な関係性」:これってセカイ系なのではないかな?→GG「施川ユウキの描くお話では世界から切り離された人が中心になってるから、セカイ系にありがちな"世界を切り捨てる・蔑ろにする"描写がなくて良いんですよね」
・セカイ系の捉え方はジェネレーションなのか?:『ヨルとネル』において描写されないこと(研究所ってなに?小人の正体とは?二人の末路は?)
・人間二人の「関係」というものは既存の言葉を当てはめてしまいがちだけど、施川ユウキ作品においてはそれを避けようとしている気がする、それはとても優しく感じられる
・『鬱ごはん』主人公しかキャラクターが存在しない:関係をも排除した、人間ひとりの生き方を描くということ
・施川ユウキ作品は電子書籍がしょっちゅうセールになりますよ!
<ギャグ、コメディのコード>
・『サナギさん』は一番ギャグがキレがあると思う
・実験「最初施川ユウキのギャグが肌に合わなかった」→ボケがアクロバティックでツッコミがそんなに重要じゃないのではないか?
・ギャグセンスが合わないもの:GG「浦安鉄筋家族は笑えないんですよね…」実験「文化がちが~う!じゃん」→小学校の頃関西人の友達に面白がり方を教えてもらった!
・笑いのコードについて:実験「海外ではボケとツッコミの概念が無いので、ツッコミの人を"怒りっぽい人"として認識してしまうらしい」GG「確かに海外ではスタンダップコメディが主流だもんね」→誰もふざけていない、真面目にバカをやる?
・ギャグがわかるようになること、わからなくなるようになること:実験「今ボーボボ読めないんですよね…」笑いのコードは獲得することも有るけど、喪失してしまうものもある?
・今どきの子供たちのツボはどこにあるのか?:漢文→小説→漫画…教養は移り変わる→実験「Youtuberを見る人をバカにするのは絶対勘違いなのでやめましょうね」
・映画を1.5倍速で見る人、漫画のあらすじをググるだけの人…「物語の抽出」に需要があるのは確かだが、その行為に意味はあるか?
・GG「施川ユウキのギャグってブルースじゃない?」→逃避としてのギャグ