芥川龍之介は「仙人」のタイトルで二つの短編を残しています。これは先に書かれたものです。鼠の芝居を見せながら町から町へと渡り歩く男は、みすぼらしい老人と出会います。自分よりも苦しい人生を送っているように見える老人を知り、男にはある感情が芽生えていきます。
日露戦争の頃、中国の支社で働く二人の男が、本社の知人が社内不倫で左遷され、相手の女性は子供を産んだのちは不明という噂話に花を咲かせます。そんな二人が商用で中国を巡る旅をしているときに、ひょんな場所で噂の女性と出会います。田山花袋が本名の田山 録弥で発表した作品ですが、花袋名での登録としました。
王様は国の少年達の中から世継ぎの王子を選ぶとお布令を出します。全員が候補者で、王様の試験に合格した者が選ばれます。国中の少年達が書物にむかい勉強に励む一方で、貧しくて学ぶ書物を買えない羊飼いの一郎君にはなすすべがありません。それでも試験を受けなければなりません。どんな試験が行われたのでしょうか?
かつて戦争で戦闘機よりも戦艦が主力だったころ、普段は商船として運用されている海運会社の船舶を、軍艦として艦隊に編成したものを義勇艦隊と呼びました。戦時でなければ普通の船、普通に暮らす人々も、いざ戦うことになれば与えられた役割に徹することになります。しかし、心をすべて変えることは出来ません。カラスの義勇艦隊の話です。
鷹野つぎは明治23年に、現在の静岡県浜松市の中流の商家に生まれました。少女時代から文学に触れて創作をはじめ、結婚や出産後も夫の転勤で各地を転々としながら、小説、随筆、詩や和歌を発表していきました。当時の浜松の四季のうつろいと子供たちの日々を題材にした作品をいくつも残しています。
息子が谷川岳で遭難した知らせを受けて救助活動に向かった父親は、自分自身の人生を見つめていくことになります。登山家として技を磨き山を制してきた若き日は過去のものとなり、今は仕事場で時間を潰すだけの日々を過ごしていました。遭難した息子の捜索活動は、自分自身の価値を試す試練に変わっていきます。
春うららかな頃、老境を楽しむ人生の先輩たちに誘われて、郊外の野道を散策します。持ってくるように言われた板切れに塗り込んだ味噌を準備し、なんでもない景色や草花の様子を慈しみながら、のどかな道行きを愉しみますが、一つの事件が起こります。滋味深い露伴の名作短編です。
食いしん坊であった菊池寛による洋食と恋愛が絡み合う短編小説です。かつて愛した女は、自分に食事する姿を見られることを避けていましたが、大好物の蠣フライだけは別でした。ある日、汽車の食堂車でかつての女らしき姿を認めます。夫婦連のようです。過去が甦り、あの女なのかどうか気になります。
ピストルの音とともに探偵があらわれた街は、建物も人も様子がおかしい。まわりは犯罪人ばかりに見える。 日本の怪奇幻想小説の先駆者で、個性的な作品を残した国枝史郎のトリック小説。
「風立ちぬ」の堀辰雄の短編です。街で見かけた少年と少女の様子から、もどかしく愛を伝え合おうとする気持ちの動きが伝わってきます。堀辰雄ならではの情景描写の素晴らしさを感じる作品です。
表題が多くの人に知られている「文福茶釜」は「分福茶釜」と書かれることもあります。日本全国にタヌキやキツネが茶釜に化ける話が伝わっていますが、もっとも有名なのは群馬県館林市の茂林寺を舞台にしたこの話ではないでしょうか。茶釜に化けて人に捕まってしまったタヌキが、芸を披露し一躍人気者となります。
故郷の母親から手紙が届きました。素朴な内容ながら息子を気遣う気持ちが伝わり、妻は母の人柄に親しみを感じますが、息子は母が過ごしてきた人生を思い起こします。子供にとって親の本心というものは、分かるようで分かりかねるものではないでしょうか。息子は、思い起こせば母は幸せではなかったという思いにかられます。
観音様へに参詣する人々が行き来する様子を物憂げに見ていた若侍が、職人の老人から話を聞かされます。貧しい娘が観音様に願掛けに行ったところ、おかしな予言を聞かされ、思わぬ出来事に巻き込まれていった話です。若侍は人の運不運について考えさせられることになります。
体が大きく見た目にも剛毅に見える馬方の三吉は、馬車で事故を起こしてしまいます。本人は悔やみきれない思いや屈託を抱えている一方で、周囲はその事故から三吉を底知れぬ乱暴者と畏怖し、怯えて接するようになります。周りに下手に出られては酔って大きな気分になり、事故を思い出しては悔やむ日々を過ごすうちに三吉はおかしくなっていきます。
桜になに想う。薄田泣菫は明治詩壇で一時代を創り、「望郷の歌」「公孫樹下に立ちて」「ああ大和にしあらましかば」といった作品は、当時の人々に愛唱されました。韻律を心地よく操る詩人であったうえに、博識で和漢洋に広く通じ、話術も巧みだったという泣菫の随筆です。
世の中には、どうにも自分に向かないことがあるものです。それでもやらねばいけない時がないとはいえません。武士の時代、侍の誰もが武芸を得意としたとは限りません。それでも支障のないお役目につければやり過ごすことはできますが、いざ武の力を問われることになったとき、どうすればよいのでしょうか? そんな侍の話です。
旅の途中で、尾羽打ち枯らした若者が玄関に現れて、空腹を訴えて救けを求めます。家主は援助と、自らの経験に基づく助言を与えます。助けられる者と助ける者、反対の立場に立つ2人の行動から人間の本質が見えてきます。
自分にないものを持って生まれているのを見れば、誰しもうらやましく思うものです。しかし持って生まれたばかりに、思いもかけぬ運命に導かれてしまうこともあるようです。美しい声で鳴くこまどりは、その可憐さゆえに大切なものを失ってしまいます。
さまざまな話が木の葉のように重なり合うなかで、太宰らしい言の葉が横溢している不思議で魅力的な短編です。ワードセンスに優れた太宰の代名詞ともいえるフレーズからはじまります。
亀井勝一郎は文芸評論や「大和古寺風物誌」などの文明批評で有名ですが、人生論や恋愛論のベストセラーも次々に生み出しました。戦後を迎えてもなお、日本には家族が絶対的な支配権を持つ家父長制の価値観が色濃く残っていました。それは近代的な自我を持った個人とは相いれない部分も多く、家族観に惑う時代にその在り方を見つめなおした一編です。