いつの時代も、日本人にとって京都への旅は特別な感傷を抱かせるものではないでしょうか。時代とともに京都の風情も変わりましたが、多くの人々にとっての京都は、この随筆で岩本素白が体験したような詫び寂びの沁みいるような時を過ごす場所のように思えます。随筆の達人が京都に向かい、予定にない初めての宿を訪ねます。
引っ越しをきっかけに、忘れかけていた幼き日の記憶が蘇ります。その記憶はところどころ曖昧で、なにか大切なことが抜け落ちてしまっている気がします。抜け落ちているなにかが明らかになったときに、より大きな謎のなかに迷い込むことになります。
老いて資産もなく、健康にも難がありながら一人で暮らす。そんな身につまされる境遇で生きる老人が、暮しまわりで見かけるものい興味を示し、なにかを生み出すことを考え、人とのわずかなふれあいに心を動かします。さしたることも起こらずに続いていく人生を、それでも生き続ける様子が心に沁みる短編です。
小豆島の港町を舞台にした短編です。戦争は人の命を奪い、ささやかに暮らす庶民の日常にも影を落とします。戦後の日本の姿は復興とともに語られがちですが、都市部を離れた地方では変わりなく繰り返される日常の中に、戦争に奪われたものの影響がゆっくりと切なくあわわれます。庶民の戦後の姿を映し出した作品です。
子どものころ、画が好きで周囲からも画力を認められていたことを思い出す。しかし同じ学校には、自分より優れた画を描く少年がいて、いつの間にか対抗心を持つようになる。二人の交流を回想しながら、その後の人生と運命について思いをはせ、せつない感情が沸き上がる様子が心を打つ。
老人は失語症を患い独り暮らしをしています。暮らしはつつましく、身の回りの小さな出来事が日々の彩りとなります。ふとしたきっかけではじめたモノづくりと、喫茶店で知り合った少女とのささいな交流が、また新たな変化をもたらします。日常の細部を丁寧に描いた、晩年の小山清の短編です。
母一人子一人で貧しく暮らしている12歳のヨシノは、母親に誘われ街に出かけ、思いもかけない経験をします。それは母親が近い未来に起こることを知っていたかのような出来事でした。弱き人々の暮らしに根ざした壺井栄らしい作品です。
若くして亡くなった文士の死を扱った作品ですが、作者の島田清次郎自身が若くしてデビューして脚光を浴びながら、その後の放縦な行動で破滅的な人生を歩むことになり、早逝したことと重ねると作品の意味合いを考えさせられます。
日清日露戦争後の中国は、世界が虎視眈々と狙っており、日本にとっても重要な意味をもっていました。そのため現在と同様に企業進出から観光まで多くの日本人が渡って活気をていし、中国の街の様子や文化について、日本国内でも多いに注目されていました。その国を当時の大流行作家が旅して書き残した紀行随筆の一話です。
「赤い鳥」に発表された児童文学です。能登の漁村を舞台に、海が荒れる予兆を感じた幼い少年が、これから起きる変化を想像するうちに、目の前で起きていることを見失ってしまいます。再評価されつつある加納作次郎の作品です。
特殊な性向を持った青年の奇妙な活動を描いた戦前の掌編です。作者は10代で江戸川乱歩に認められ、昭和モダンの時代らしい怪奇幻想の味わいがある探偵小説を発表していた蘭郁二郎です。谷崎とはひと味違うフェティシズムが、若々しい筆致で展開します。
楽しい村祭りの前夜に、いわくつきの近親者の訃報がもたらされるところから話は始まります。家族が家父長制で結びついていた時代に、土地の慣習にしたがって暮す旧家が舞台となっています。現代とは違った家族のカタチが浮き彫りになる作品です。
凛と冷え込んだ初冬の夜道で、賑やかに往来する人々の群れとあでやかな灯りが現れます。寂寞の夜に祭りがもたらした対照的な景色を正岡子規ならではの筆致で描写しています。すでに病に侵されていた子規にとって、この体験は強く印象に残ったようです。
フランス人の青年ジャンは東洋思想にかぶれ、魂の開放を求めてキリスト教では許されない自殺をはかります。願った通りに東洋の天界に行きましたが、お盆になると下界に戻るように申し渡されます。故郷と縁を切ったジャンは憧れの東京に降りることにしました。異文化を題材にしたユーモア小説です。
関東大震災で被災し避難生活を送ることになった少年は、同い年の少女がいる親戚の家族と同居することになります。少しだけ今までとは違った暮らしの中で、少年と少女は仲良くなりほのかで淡い感情が揺れ動きます。繊細な心の動きをとらえた小山清らしいスケッチです。
芥川龍之介は「仙人」のタイトルで二つの短編を残しています。これは先に書かれたものです。鼠の芝居を見せながら町から町へと渡り歩く男は、みすぼらしい老人と出会います。自分よりも苦しい人生を送っているように見える老人を知り、男にはある感情が芽生えていきます。
日露戦争の頃、中国の支社で働く二人の男が、本社の知人が社内不倫で左遷され、相手の女性は子供を産んだのちは不明という噂話に花を咲かせます。そんな二人が商用で中国を巡る旅をしているときに、ひょんな場所で噂の女性と出会います。田山花袋が本名の田山 録弥で発表した作品ですが、花袋名での登録としました。
王様は国の少年達の中から世継ぎの王子を選ぶとお布令を出します。全員が候補者で、王様の試験に合格した者が選ばれます。国中の少年達が書物にむかい勉強に励む一方で、貧しくて学ぶ書物を買えない羊飼いの一郎君にはなすすべがありません。それでも試験を受けなければなりません。どんな試験が行われたのでしょうか?
かつて戦争で戦闘機よりも戦艦が主力だったころ、普段は商船として運用されている海運会社の船舶を、軍艦として艦隊に編成したものを義勇艦隊と呼びました。戦時でなければ普通の船、普通に暮らす人々も、いざ戦うことになれば与えられた役割に徹することになります。しかし、心をすべて変えることは出来ません。カラスの義勇艦隊の話です。
鷹野つぎは明治23年に、現在の静岡県浜松市の中流の商家に生まれました。少女時代から文学に触れて創作をはじめ、結婚や出産後も夫の転勤で各地を転々としながら、小説、随筆、詩や和歌を発表していきました。当時の浜松の四季のうつろいと子供たちの日々を題材にした作品をいくつも残しています。