過去の意味は、今作り出しつつ生きている。過去にとらわれるということは、その作り出す作業が再開できない。絶対的な意味を私たちに提示してくる。しかし、それに負けずに立ち向かっていくことで、意味は自ずとついてくる。そして、この先、振り返ってみると、なんだ初めからここで待っていたのか??
不安に襲われると、普段の力が発揮できなくなる。だから、うまく行かないのは不安のせいだ。オレの実力じゃない。そうだ、不安があるからいけないんだ。と思うこともしばしば。いつも本番で失敗したりしている私。
ああ、不安さえなければ、、、と思うこともありますよね??
「なりたい自分になれてますか?」という質問を自分に投げかけてみることがあります。それを基準に、今すべきこと、しなくていいことを考えるようにしています。もちろん、いつもうまくいくわけじゃないですが。自分が好きという軸を持つのは大切ですよね。
AIに傾聴してもらうってありですか?なしですか?笑 でも、やっぱり「オレの話を聴け」と思っている人は世の中にたくさんいる・・・はず。なので、私はやはり傾聴を続けていきたいと思う。笑
話すことは、離すこと、放すこと、という話を前回にしましたが、今日は、話しても離れないこと、放せないこと、ということをお話しています。そして、今日は夏の暑さに負けないようにKygo / Freezeをご紹介。みなさんと一緒に聴きたいと思います!
話すことは、離すこと、放すこと、とよく言われますが、やはりいろんなことを話すのは大切なことです。でも、その話したことのなかから本当に大切なものを感じ取って、それをポンと目の前においてくださる、そんなことも時として大切です。それはやはりテクニックでもなく、真摯に向き合っているかどうかに尽きるのかなと。傾聴はテクニックではないと改めて感じ入りました。
父の日にちなんで、パパの苦悩について取り上げてみました。世の中のパパさんたち、きっといろんな悩みなんかあるんじゃないかなと思います。でも、家族のことをともに成長していくチームという風に考えるとちょっとは楽になるかもしれません。みんな成長中なんですよ、きっと。
後半では東京事変の「原罪と福音」を取り上げました。椎名林檎さんのとても力強い歌声に背中を押されます。ぜひプレイリストからお聴きになってくださいませ
お話を聴くことに、目指すべきところが決まっているわけではないですが、でも、何かの着地点というのがあるような気がします。今週の傾聴ラヂオでは、そんな傾聴の着地点のお話をしています。
また、今週ピックアップする楽曲は、シユイさんの「君よ 気高くあれ」です。辛いとき、苦しいとき、逆境にいるときこそ、気高くありたいものです。そんな背中を押してくれる寄り添いソングです
・MOがエレキベース?!
・ココロスケープってなぁに?
・ひどいことを言われても、それでも負けないという強さ
こんなことを友だちや家族に言えないということはありませんか?つらい時につらいと言えない。甘えたいのに甘えられない。本当は、一人で立っているのもムリなくらいなのに。それでも、なんとか生きようとがんばっている人もいらっしゃいます。そんな人に寄り添える傾聴者を目指したいと改めて思いました。
ついつい、こうしなければならない、ああじゃなければダメだとか、自分で自分を縛り付けていることはないでしょうか。そして、それは案外自分の無意識でやっていることなので、自分では気づきにくいことなのだと思います。でも、そんな自分に気づいていくためには、やはり自分の外から見てくれる第三者の存在が必要不可欠ですよね
喜び上手はかしこ。状況判断、何がよいのか、その見極めが的確で、そして、喜びの表現が素直。これが最強なんだと改めて思いました。塾に行かせることも大切かもしれないけれど、日々の生活のなかでやるべきことをやる、その繰り返し、積み重ねしかないなぁと思う今日この頃。そして、今回はみなさんとあいみょんを聴きながら青春に浸りたいと思います。
友だちがほしいと思うこともあるけれど、友だちをどうやって作ればいいですか?という質問にあなたならどう答えるであろう。友だちよりも仲間を作ってみませんか?自分の趣味や関心のあることや人を共通項として仲間づくりをする、結果として友だちもできるし、そういうやり方はきっとずごく楽しいハズ
失う怖さって、もちろん生きていくためには必要かもしれません。しかし、失う怖さに囚われてしまって、ついつい、今目の前で起きていることを楽しめなくなってしまったり、心が暗くなったりすることってありませんか?大切な人とのかけがえのないことや時間など、もちろん失いたくはないですが、今、この瞬間を楽しみたいですね(*刹那的という意味ではありません)
ハラスメントと傾聴について、話を聴いているだけなのに、相手が怒り出すことってありませんか?話を聴くのもやはり、受動的な行為ではなく、能動的な、アクティブな行為なんだと思います。相手がどう受け止めるかはもちろんこちらがコントロールできることではないですが、でも、いろんなハラスメントを知ることで、少しでもその可能性を低くすることができるのではないでしょうか?
敵を知るというのは大切ですが、本当の敵はなんでしょう?暴力?もちろんそれもありますが、一番厄介なのは、自分の思い込みやビリーフ。どうにかしてそれをとっぱらって、相手と向き合いたいと思います。
昨日よりも今日、今日よりも明日、一歩でも成長したいと願いつつ、変化が怖くて、未知の世界に一歩踏み出せずにいる自分。何か外的な要因によって、強制的に変化させられることもあり得るが、それでもやはりその一歩は怖い。勇気が要ると簡単には言えるけれど、やはり怖くて立ちすくんでしまう。でも、結局のところ自分の人生は自分で切り開いていくしかない。きれいな道ではないかもしれないけれど、自分の道を前に前に進めていけたらいいな、、、という気持ちです
「支える=応援」という仮定について考えてみました。応援するって、相手のことを思い通りにしたい、ではないですよね。むしろ、相手の人がしたいこと、やりたいことなどが実現できるように祈る、というほうが近いかもしれません。みなさんが応援している人はいますか?
「許せない」ことをどうやったら「許せる」のだろう。そんなことを考えていた一週間でした。許せないことってどうしても、自分の首を絞めているように思えます。手を放せたらどんなに楽になれるのだろう、そんなことを考えています。どなたか、許すための方法を教えてください。きっと手放す瞬間って突然やってくるのかなとも思っています。
傾聴して何になるの?と尋ねられることはしばしば。相手の話を聴いたところで、相手の気持ちが整理されたり、軽くなったりするかもしれないけれど、自分はいったいどうなのか?そんなことを考えさせられる機会がございました。