
クリスチャンの信仰は、この世のいかなる宗教とも異なります。この世の宗教は、この世と、また死後の世界で幸せを得るために守るべき教義を教え、自己を鍛錬してその教義を守り行うようにと強いるのです。行いによって幸せを得る、これがこの世の宗教の教えです。一方、クリスチャンは、行いではなく、信仰によってのみ救いを得ることができると信じています。クリスチャンは、すべての人間は創造主なる神がおられることを知っていながら、その神を愛することも、またその神の戒めに従うことも拒んでいる罪に汚れた存在であることを信じています。
しかしそれでいて神は、完全に堕落し、永遠のいのちという希望を得ることが不可能な人間の罪を赦し、救いを与えるために、主イエスをこの世にお遣わしになったということを信じているのです。
人々に拒絶され、あざけられた主イエスは、十字架上で人間のすべての罪をその身に負い、神の怒りとさばきを人間に代わって受けてくださったのです。
ですから今はもう、罪―人類のすべての罪が、イエスによって贖われるのです。しかし人間は自分が神に逆らう罪人であり、自らの努力では自分自身を罪から、そのさばきから救い出すことができないと認め、イエス・キリストを自らの救い主として受け入れなければなりません。神は、信仰によって主イエスを信じ受け入れる人の罪を赦し、新しく生まれ変わらせてくださいます。それだけでなく、イエスを信じ、イエスの死によって自分の罪が赦されたという神のことばを信じる人には、だれにでも神の霊を与えると約束してくださいました。天の御国に相応しいとされた人には、これまでとは全く異なる新しい心と力が与えられ、神の前を正しく生きたいという思いをもって生きるようになるのです。神は私たち一人ひとりが自分でこの決断をすることを望んでおられます。
これが福音―良い知らせ―であり、本章のテーマです。以下は、イエスの弟子パウロが書いた手紙からの抜粋です。