
イエスは、十字架上で苦痛にうめき、身をよじり、裸にされ、関節をはずされ、手と足を釘づけにされました。無理やりかぶせられたいばらの冠が頭に食い込み、その顔からは血と浴びせられた唾が流れ落ちました。人間を創造された王の王、主の主が、その人間の罪の責任を負われたのです。私たちは、その死によって生き、その苦しみによって赦され、その打ち傷によって癒されたのです。恐るべき罪の問題の解決にこれ以外の方法はありません。これこそが天の御国に至る唯一の門です。聖書には、それは狭き門であり、それを見つけるものはごくわずかであると記されています。そのような方だからこそ、キリスト信者は自分たちの王である方を愛するのです。