二人目のゲスト登場。あじじの旧友で現在フランス在住のコルさんを交えてボリュームたっぷりのおしゃべり。前編・後編に分けてお送りします。
九州生まれ育ちの在日コリアン3世のコルさん。フランスでの在住歴は約20年。同郷出身で幼なじみの夫、フランス生まれの子どもたちとともに、日本語(九州弁)、朝鮮語、フランス語の飛び交う生活。
大学卒業後、民族学校の教師生活を経て一路飛び出したフランス。屋根裏部屋で始まった新婚生活。ビザや言語にからむ難関。それでも「困ったときはお互い様」精神のフランスの人たちと触れあい、持ち前のバイタリティで暮らしを重ねている。日本と在日ともまったく違う文化環境で、あらためて見つめる自身のアイデンティティーとは。
※後編は11月3日に配信します!
※録音の不都合により音声に聞き取りづらい部分があったため、冒頭の一部が編集されています。ご了承ください。
いまさらながら「そもそも、なんで韓国に住むことになって、住み続けているのか」という根本的な話をつっこんでみる3人。
暮らし始めた当初ならではの「わからなさ」で被ったおかしな勧誘体験や、ごく簡単なことで壁にぶつかる日常生活、当然知らなかった韓国では当たり前のルール。
そんな苦労を経ながらも、なぜいまもここに住んでいるのか。いまから日本に戻っての生活はできるのか、したいのか。
韓国暮らしに留まる理由は? ここで成し遂げたいことは? などなど、「ライフ」と「ワーク」へと話は広がっていく。
「恨をじょうぶつ」に初のゲスト登場!
りかの友達で韓国留学中の同期だったぺくちゃんをお招きして、4人トークをお送りします。
小学生時代のプール教室に端を発する、アイデンティティについての記憶。名前について。就職活動について。韓国/朝鮮語のブラッシュアップのための韓国留学と8月15日の体験。国籍と帰化についての考えについて。
「自分ではどうすることもできない、与えられてしまったもの」と感じていた在日というラベル。これまで語ってこなかった、語れなかったぺくちゃんの在日コリアンとしての率直な語りに、わかりみが深すぎる3人の共感ポイントが積み重なっていく。
★会話中に出てくる「オハッタン」とは、「語学堂」=大学が運営する韓国語研修機関のこと。
TWICEのサナ、秋成勲(チュ・ソンフン)、カンナムなど、韓国で活躍する日本出身タレントたちの韓国語をめぐるよもやま話。
トーク番組で流暢な韓国語を使いこなすサナを見て、複雑な思いを馳せる。ネイティブ並みの韓国語を駆使し、完璧にパッケージングされた海外出身のアイドルたち。いっぽうで、多少ぎこちない韓国語でも笑いで許される、またはあくまでも「日本」のレッテルが貼られるキャラもいる。
芸能界で生きぬくのにどこまで「完璧」な韓国語を求められるのか。日本出身者としての彼らのアイデンティティは……。思わず熱くなるトーク。でもまあホント、サナの心配してる場合じゃないんだけどね。
「大統領選挙と差別」
オープニングはあじじがたまたま観た映像作品の話。朝鮮学校の卒業生たちを身近に撮った若い監督のVログっぽい作品。あじじがそこに感じた「違和感」について、語りが深まる。
話は変わって、6月3日に行われた韓国大統領選挙の話。そもそも早期選挙の発端になった戒厳と弾劾デモ局面のこの数か月、実際の体験から感じたことについて語る。
身の危険すら覚えた極右デモの女性嫌悪、ヘイト行為。そして、左右問わず「国民」中心的なデモからは不可視化される「国民でない人」の存在。
大きく揺れ動いた韓国社会に暮らしながら、女性として、在日コリアンとして、それぞれが目撃して体感してきたものとは。
いつの間にか映画監督デビューを果たしていた、りか。
気になる映画のテーマは…「紫蘇」!?と思いきや、その背景には、在韓在日コリアン3世としてのりかの人生、家族との葛藤、そして「どこに自分の居場所があるのか」という普遍的な問いがあった。
劇場で映画を観たみすとあじじの、涙・共感・モヤモヤトークが炸裂。
"帰る"って言うけれど、一体何処へ?
結婚した途端、韓国にいる理由を問われなくなるのはなぜ?
そもそも韓国にいるのに理由が必要なの?
転じてトークは3人の親世代である在日2世についての話に。私たちよりはるかに閉ざされた時代を生きた、在日2世の抱える"恨"に、想いを馳せていく。
暮らしていくには十分使える韓国語だけど、あと一歩、なにかが足りない。自分の韓国語のレベルをどこまで・どんなふうに仕上げたいのかについてのトーク。
ネイティブの韓国語話者とはそもそも思考が違うのか?通じない日本語ベースの言い回し。読み書きで越えられない壁、とくに韓国語で読む小説に感情移入できない、響かない問題。韓国で生まれ育っていたら当たり前の文化や習慣が染みついていないが故に、キャッチできない言葉たち。なかなか身につかない、やわらかくこなれた言葉遣い。
どこまで行けば到達できる?それぞれが目指したい、自分なりのことばのゴールとは。
今回のテーマは「母語と母国語について」。3回目にしてさっそく届いたおたより(?)をきっかけに、それぞれにとっての「母語」と「母国語」は何か?についてトークを展開。
あじじ幼少期、韓国人/米国人のダブルの友達が唄ってくれた童謡の衝撃。母語と母国語の違いについて熱く語ったりかの高校時代の熱血教師。在日の間ではわりと共通で使われる「ハンメ(おばあちゃん)」の呼称の謎。完全に日本語ベースだけどちょいちょい韓国語/朝鮮語の交じるなかで育った言語感覚。「ウリ(私たち)」という言葉の持つ排除と包摂。何年暮らしても自分のモノにならない韓国語のフレーズ。などなど、今回も縦横無尽に広がるお喋り。
第1回目を聴いて下さった皆さんありがとう。思った以上の再生回数にややビビる三人。
今回は「在日コリアン」と聞いていきなり日本語で話しかけてきた韓国人男性の話からスタート。「東京出身です」と言ったら「私の親戚も大阪にいるの」って言われてもねえ…という件。りかの名前の韓国語読みを独自の考えに基づいて呼ぶ一部の人たち。あじじに対して「日本語ベースの韓国語」という理解が度を越しはじめた会社のマンネ。それぞれのイラ立ちと心地の悪さ。三人が見出した共通項は?
在韓8年目のあじじ、10年目のりか、11年目のみす。日本生まれの在日コリアンとして、韓国に長く住んでいると、モヤっとする感情が塵のように積もってしまう。これって何なんだろうね、と共感ポイントを語っているうちにいつの間にか始めることになったポッドキャスト。
きっかけは言語コンプレックス。どこまで頑張れば完ぺきになる? いやそもそも完ぺきなネイティブトークを目指したいのか? 「韓国語」を巡るそれぞれの体験。
「恨み」とは違う「恨(ハン)」について。それこそ心にこびりついていくガンコな汚れ。1年間のポッドキャストを通じて、わたしたちはハンをじょうぶつさせられるのか。