私は主の日に御霊に捕らえられ、私のうしろにラッパのような大きな声を聞いた。
旧約聖書を読んでいるとよく見かける「主の日」という表現。それから黙示録の冒頭で語られる「主の日」。どちらも日本語では同じ表現ですが、原語では異なる表記になっています。ということは、これは違うもの?この表現にこめられたヨハネの意図とは?詳しくは番組をお聴きください。
気長に黙示録#16.m4a
謎を解く手がかりは、こちら。

これが民数記に出てくる「銀のラッパ」のイメージ
一方こちらはユダヤの民族楽器として有名な「角笛」

この二つは違う楽器ですが、ギリシャ語にすると同じ「サルピングス」になってしまうのです!
つまり「ラッパのような」は「角笛のような」とも翻訳できるのです。そうすると、この御言葉が思い浮かびます。
(黙示録には、ちゃんと「ラッパ」の音が響きますから「ラッパ」と「ラッパのような」は区別が必要なのです)
「精一杯大声で叫べ。角笛のように声をあげよ。わたしの民に彼らの背きを、ヤコブの家にその罪を告げよ。」イザヤ書58章1節
「わたしの好む断食、人が自らを戒める日とは、このようなものだろうか。葦のように頭を垂れ、粗布と灰を敷き広げることなのか。これを、あなたがたは断食と呼び、主に喜ばれる日と呼ぶのか。」同5節
聖書 新改訳2017(c)2017新日本聖書刊行会
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