
「結婚も出産も、無理にしなくていい。あなたは、あなたの人生を生きなさい。」
「女の子だから」「周りに合わせなさい」そう言われるのが当たり前だった時代に、たったひとり、娘に“逆のこと”を言い続けた母がいました。
母にそう言われて育った少女は、やがて世界を舞台に“自分の道”を切り拓いていく。
彼女の名は――藤井薫さん。
20年以上にわたり、企業と人をつなぐ仕事に没頭。日本で会社を立ち上げた直後には、中国・深圳へ単身移住。さらに北京で教育事業を展開し、今はドバイに拠点を構え、「日本×中国×UAE」を結ぶクロスボーダーキャリア支援を行っています。
けれど、彼女の人生は決して“順風満帆”ではなかった。
岡山の田舎で生まれ、「女性はこうあるべき」と言われる時代に、“自分の人生を自分でデザインする”という生き方を選んだ彼女。小さいころからの夢であったファッションデザイナーを5年間経験した後に、全く違う業種への転職。オーストラリアへのワーホリ、離婚、東京進出のための転職、起業など、数多くの困難に立ち向かい、藤井さん自身が日々もがき苦しみながら、数多くのキャリア支援をされています。
まさに「グローバルキャリアの先駆者」。
そんな藤井さんが赤裸々に語られた人生物語は、新しいキャリアに向けて、捨てる勇気など数多くのことを学ぶことができます。
1.“みんなと同じ”じゃなくていい —母がくれた人生の軸
藤井さんは岡山の田舎で育ちました。
当時の地域性や時代背景を考えると、「自分の意見を持つ」とか「個性を大事にする」という考え方は、ほとんどありませんでした。
まわりの同級生も、きっとそうだったと思います。
「みんなと同じように」「ちゃんとした大人になりなさい」——そんな空気が当たり前の時代でした。
でも、うちの母だけは違いました。
「自分がどうしたいのか、ちゃんと考えてごらん」「夢があるなら、自分の言葉でプレゼンしてみなさい」
まるでコーチみたいに、子どもの私に“自発性”を促してくれたんです。
だからこそ私は、幼いころから「こうなりたい」「だからこう頑張る」という感覚が自然に身についていた。
それは今の私の“人生の軸”にもなっています。
たぶん、普通の小学生だったら、そんなことを言われるとプレッシャーを感じたり、戸惑ったりするかもしれません。
でも私にとっては、それが当たり前の環境でした。
だから他の家庭と違うことを言われている、なんて感覚もなかったんです。
今振り返ると、母は私に“枠”をはめなかった人でした。
「周りがこうだから、あなたもそうしなさい」
——そんな言葉を一度も言われた記憶がありません。
たとえば田舎では、「この年齢になったら結婚」「このくらいで子どもを持つ」という暗黙のルールがありました。
でも母は、そんな価値観に縛られることを望まなかった。
むしろ、「あなたはあなたでいい」と言ってくれた。
そのおかげで私は、“枠にはめられない生き方”を、心から心地よく感じられるようになりました。
2.夢を手放した日、私は“本当の自分”に出会った—藤井さんの転職物語
子どもの頃からの夢は、ファッションデザイナーになること。
その夢を追いかけ、必死で学び、ようやく憧れの仕事に就いた藤井さん。
最初の数年は苦労の連続。それでも5年目にはようやく“形”になってきた——周囲からも認められ、生活も安定し、夢は叶ったはずでした。
でも、心のどこかでずっと聞こえていた小さな声。
「この道では、一流になれない気がする」
その気づきは痛みとともに訪れます。
そして彼女は、**「夢を叶えたのに、満たされない自分」**と向き合うことになります。
ある夏の日、デパートの水着売り場で自分のデザインを販売していたときのこと。
お客様と直接話し、笑い合い、感謝される時間が——
どんなデザインよりも楽しかった。
先輩に言われた言葉が心に刺さります。
「藤井ちゃん、販売とか営業のほうが向いてるんじゃない?」
その瞬間、彼女は悟りました。
自分の中に流れる“人と関わる仕事”へのDNA。そう、両親もまた営業職。血の中に流れていたものを、ようやく自分で見つけたのです。
3.5年間のデザイナーという経験と夢を捨てる勇気
悩みに悩み、藤井さんは、ファッションデザイナーという安定を手放し、人材ビジネスの世界へ転職するという大きな決断をします。
人と人をつなぎ、誰かの人生の転機を支える仕事でした。
かつて布をデザインしていた藤井さんが、今度は「人のキャリアをデザインする」ようになったのです。
「私にとって、マッチングの仕事は“究極のクリエイティブ”。
だから今も“デザイン”という言葉を会社名に入れています。」
自身の会社「ダイバースキャリアデザイン」には、そんな想いが込められています。
多様性を受け入れ、自分らしい生き方をデザインする。それは、藤井さん自身の生き方そのもの。「人と人をつなぐ仕事」は、まさに彼女の天職。
4.「一生かけられる」と思えた瞬間
ファッションデザイナーから人財ビジネスへ転職を決めたとき、正直、ものすごく悩みました。
「これだったら、一生かけてもいい」と思えるものに出会えたからこそ、決断は重かったんです。
子どものころから夢見てきたデザイナーの道。
そのために努力を積み重ね、時間もお金も注いできた。
でも、その夢を手放さなければ次の一歩に進めない——。
そんな覚悟が必要でした。
一度やめたら、もう戻れない。
その怖さを感じながらも、「今の自分を生きる」という想いの方が強かった。
だからこそ、あの時の決断は、私の人生の転機になりました。
正直に言えば、「これまでの努力を無駄にしたくない」という気持ちもありました。
親への感謝や、学費への申し訳なさもあった。「せっかくここまで来たのに、もったいない」周囲からもそう言われました。
でも、私は思ったんです。
——“もったいない”って、誰の基準なんだろう。
結局のところ、自分の人生は自分で選ぶしかない。
その時の私は、すべてを手放してでも「無の状態からもう一度、自分が本当に欲しいものを掴みに行こう」と決めました。
雑音に惑わされず、自分の心の声だけを信じた。
あの瞬間を思い出すたびに、「あの決断があって本当に良かった」と今も心から思います。
過去を捨てる勇気は、未来をつかむ第一歩なんですよね。
5.人生のリセットは、次のジャンプの始まり
「一度、人生をまっさらにして世界を見たい」
誰もが不安で足を止めるその瞬間、彼女は“しゃがむように”一度下がり、そしてさらに高くジャンプしました。
「今思えば、ファッションデザイナーから人材ビジネスというリセットがあったからこそ、その後も挑戦し続けられたんです。」
夢を叶えた後に訪れる「空白の時間」。
誰もが恐れる“しゃがむ瞬間”を、藤井さんは、逃げずに受け止めました。
そして、ジャンプするためにしゃがむ勇気を持ったからこそ、
今、人の人生を支える立場に立っているのです。
一度しゃがんだからこそ、今こんなに高く跳べている。
夢を叶えたあと、“もう一度”自分を探したくなったあなたへ。
あなたの中にも、もう一度ジャンプしたい気持ちはありませんか?
藤井さんの言葉には、その勇気をくれる力があります。人生をデザインし直すヒントが、ここにあります。
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