自己肯定っていう言葉に縛られてたような気がする。
自己肯定なんかする必要ない!じゃなくて、「自分を肯定的に捉える、尊く感じる。」っていう感覚を持たないといけないって思ってた。
その感覚を持ち、自覚し続けることが自己肯定なんだと勘違いしてた気がする。
実は、自分という存在そのものは、あえて定義するものでもなく、ただ存在している。
否定も肯定もない。
評価できるものじゃない。
なのに、それを評価する必要がある。
そんなふうに捉われてた気がする。
自分という存在そのもについて、考える必要なんかない。
だって存在してるんだから。
存在している。
それ以上でも以下でもない。
だから、意味づけをする必要なんかない。
そんなことを感じました。
みたいな?
話すことが好きです。
でも、自覚している以上に、自分の心と体も好きなんだなって感じました。
なんか嬉しかったです。
生きることにおいて、エモいってすごく大切なんだなーって思いました。
一度終わった人生をやり直させてもらう機会をもらった。
あのまま私の存在は消えていてもおかしくなかったのに、いま、生かしてもらっている。
どうやって恩返しをしていくのか、生かしてもらった私を、誰のために、どうやって使っていきたいのか。
ぼんやりしててまだ自分なりの答えが出てないので、ちょっと整理してみる。
あなたには存在価値がある、っていう言い方になんか違和感を覚える。
なんか違う言い方とか、存在に対する感覚ってないもんかね?
みたいな話。
「存在する」ということそのものが尊い。
副交感神経についての、私なりの解釈。
それと、私がやってる副交感神経に働きかけるリラックス方法を三つほど。
絶対に裏切らない味方。
数年前、そんな存在と出会いました。
でも、生まれた時からいたんだよなー。
ただし!親や家族じゃないです。
みんなもいるけど、気付きにくいのかも?
普通という言葉は、人を評価する基準として使われることが多い気がする。
普通と普通じゃない。
それで優劣を決めたりとか。
普通なんいう、絶対的な正義のように思われてる正解なんてものはない。
自分を普通という物差しで裁いて苦しくなる必要なんかない。
そんな話。
最近知り合った、一人の女性。
小さなお子さんがいて、他にもいろいろ忙しくエネルギッシュに生きてる。
そんな、多忙なお母さん。
その人が、我が身を振り返って、自分の行動を変える。
そんなことを普通にしてた。
ちょっと感動した。
小さなことかもしれないけど、そういうのって本当に大切だよね。
出来事そのものには意味はない。
出来事から理由や人の気持ちを想像して、それを、それが真実だと断定する。
そんな感じでした。
だから、いろいろとおかしなことになる。
みたいな感じです。
考えないって、頭に勝手に湧いてくるものを、湧いてこさせないようにする、ってことだと思ってました。
でもそれって、違うんじゃね?
考えないって、こういうことかも?
私が感じてること。
私がやってる、考えない方法。
出張からの帰りの新幹線。
めっちゃ疲れた。
でも、疲れだけしか感じなかった。
この疲れしか感じないことから気付いた、自分の変化。
2年前ぐらいに民間の心理カウンセラーの資格とりました。
目的は、2つありました。
自分をもっと知り、もっと自分をコントロールできるようになりたいから。
誰かの力になりたいと思ったとき、その人の人生を奪わず、私も自分を保ったまま、ちゃんとその人の力になれるようにしたいから。
そんな私の人との関り方についてお話ししてます。
人の気持ちや考えてることが入ってき過ぎてしんどい。
そんなふうに思ってる時がありました。
でもそれは、勘違いでした。
事実・推論・断定。
想像と決めつけ。
価値観の多様性。
いろいろ持ってなかったり偏ってたりしてたなーってお話し。
勘違いしてたっていう気づきは、生きるのをすごく楽にしてくれた。
障がい者雇用にもいろんな形がある。
私が働いてるのは、特例子会社という形態の会社。
障がい者を雇うための会社。
配慮の仕方がおもしろいので、そのあたりのお話しを。
分かってるのに、なんでできないんだろう?と昔は思ってた。
でも、それは当然だと納得した。
頭で腑に落ちてから、やってみて体で腑に落ちる。
そこからやっとできるようになる。
やってみて体で腑に落ちて、できるという新しい感覚を手に入れる。
そうしてやっと、自分のできる姿を想像できるようになる。
その感覚を、やらずに頭で知ることだけで手に入れようとしてた。
そんなふうに納得したら、できないことがあまり怖くなくなった。
そんな感じ。
アドバイス、助言、指導。
こちらのことを思って、「こうしたらいい」ということを言ってくれる人がいる。
その気持ちはすごくありがたい。
でも、アドバイスには、いま向き合うタイミングの核心との距離がある。
そのアドバイスと核心との間には、あといくつか、必要なアドバイスがあるときもある。
そのせいで、余計に苦しんだり傷ついたりもする。
逆に、核心との距離が0のアドバイスは、心を震わせ、見える世界が変わるようなものもある。
そんなことを感じたので、その整理をしてます。
最近仕事で嫌な思いをした。
今までは、関わる人の性格や、その人との関係、私の人間性が原因だと思ってってたけど、そうじゃない時も良くあるんじゃないか?って思った。
そのことについて、しゃべりながら整理してみた。
たぶん、大抵の人にとっては当たり前の感覚なのかも。
生きがいの意味について最近よく考える。
「これがあるから生きてる甲斐がある!」「このために生きてる」そういう意味かと思ってたけど、私の場合はそうじゃない感じがする。
男、39歳、双極性障害Ⅱ型。
一度人生が壊れたけど楽しく生きてるおっさんです。
一回目なんで、とりあえず自己紹介って感じです。
まるたつってどんな人?このチャンネルってなに話すの?
みたいなこと話してます。
あと、「私の本、ここ置いときますね」っていうチャンネルもやってるんで、そちらもぜひ。