つながり編、第3回です。
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つながり編、第2回目です。
仏教すごいです。トンデモやオカルトの話は一切せずに、理性で理解できることでここまで言ってくれてるなんて...
感動!
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【つながり編】が始まりました。まずは仏教哲学の力を借りつつ、僕らが当たり前とは違う「世界の見方」を共有していけたらと思っています。
きっと楽になるはずです。
前回の虚無編を「じゃあ乗り越えるの?のその一つのアンサーになるシリーズとしてやっていきます。
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「意識の高い行動」と思われがちな読書も、その実態はときに「不快な感情」からの逃避だったりします。不快ってそんなに悪いものでしょうか。不快と横並びになって感じて見ると、それほど恐れるものでもないことが身体でわかります。何にも解決してないのに、解決したりします。
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新シリーズに行くまでにゆるい雑談をどうぞ!箸休めとして
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「最近のSNSはキモい業者アカウントが増えた」
知り合いで占い師のユウさんから、このような提起をいただきました。確かにとも思うので、(発信している自分のことを一旦棚にあげつつ)好き放題喋りました。
「お金がほしい!」
「SNSでフォロワーがほしい!」
そんな"不足感"から何かを始めることが悪いとは全く思いません。しかし「足りてない!足りてない!」と言えば言うほど人もお金も集まってきません。
「これ余ってるのでよかったらどうぞ」
この構造が大事であることを理解したいです。「好き」や「得意」が強いのは、他の人よりもすでに余っていたり、余りを作りやすいからですね。
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虚無編最終回。近代シリーズ、ここまでお付き合いくださりありがとうございました!長々やってきましたが、言いたいことは全部この回に詰まっています。ここから聴いてもらっても構いません。
--再掲&追記--
今回のシリーズでは扱っている「理性」という言葉について、補足。(細かい話なので、スルーでも構いません。)
理性という言葉を聞くと「自分の頭で考える力」と思いがちですが、もともとはそうではありませんでした。中世の人々にとって理性は、神がつくった世界の秩序を理解するための力でした。理性を使うことは、ただ考えることではなく、神の真理に近づくことだったのです。
その考え方は近代の哲学者たちにも残っていました。デカルトは「我思う、ゆえに我あり」と言いましたが、その確かさを支えていたのは「神は人間をだますことはない」という信念でした。ライプニッツもまた、世界の調和は神の理性の表れであり、人間の理性はその一部をのぞき見る窓のようなものだと考えました。つまり理性とは、単なる「頭のはたらき」ではなく、神の普遍的な理性につながる道だったわけです。
--ここから追記--
ところが啓蒙の時代に入ると、この神とのつながりが薄れていきます。宗教の力が弱まり、「神が決めたから正しい」という共通の基準がなくなる一方で、科学が力を持ち始めました。科学では「誰がやっても同じ結果が出る」ことが大切にされます。そこで理性も、「普遍的な真理をめざすもの」から「みんなが確認できて納得できるもの」を探す力へと変わっていったのです。
こうして、神の真理に向かう窓口だった理性は、次第に「多数派の意見」や「みんなの合意」にすり替わっていきました。その結果、人は外の基準に頼ることが多くなり、自分の判断を信じにくくなったと言えるのではないでしょうか。
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近代シリーズ6本目です。
神やお天道様、ご先祖様はいなくなり、「個人の人生」が大事になった近現代。個人の人生において大事なのは、「私が気持ちいかどうか」。それが生きる指針、生きる判断軸になっていきました。
「何のために生きてるのか」
「私は生きてて意味あるのか」
暇になってボーっとするとそんな問いが我々を襲ってきます。向き合うと発狂しそうな問い。今すぐ気を紛らわせる必要があるし、そのための手法は腐るほど用意されています。
ネットフリックス、TikTok、ストロングゼロを見て、うやむやにしてまいりましょう。
.
--今回の補足--
近代の理性信仰がめざしたのは、本来「神や伝統に縛られず、自分の理性を働かせて自律的に生きること」でした。ところが理性の出発点はどうしても「私」という主体になります。そのため「世界の中心は自分」という感覚が強まり、やがて自己中心主義へと傾いていきました。
さらに近代社会では、自由や合理性が「自分の利益や満足を追求すること」と短絡的に解釈されやすくなります。こうして、理性信仰が意図していた自律の思想は、歴史のなかで自己中心主義へとすり替わり、やがて快楽主義へとつながっていったのです。
虚無編 近代シリーズ第5回です。
自分の価値を「効率」や「機能」、つまり仕事ができるかどうかにおいてはいませんか。
会社に貢献できなかったり、お金が稼げない人間はダメな存在だ...なんて。
それらは一体どこから始まった思考なのでしょうか。今回はそんな話です。
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虚無編 近代シリーズの第4回です。
今回の話「理性」は近代から続く現代の僕らを理解する上で、かなりキーになっていきます。
「あなたの感想ですよね?」はここから始まった!
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【内容の補足】
今回のシリーズでは扱っている「理性」という言葉について、補足。(細かい話なので、スルーでも構いません。)
理性という言葉を聞くと「自分の頭で考える力」と思いがちですが(僕もそんな風に語っていますが)、もともとはそうではありませんでした。中世の人々にとって理性は、神がつくった世界の秩序を理解するための力でした。理性を使うことは、ただ考えることではなく、神の真理に近づくことだったのです。
その考え方は近代の哲学者たちにも残っていました。デカルトは「我思う、ゆえに我あり」と言いましたが、その確かさを支えていたのは「神は人間をだますことはない」という信念でした。ライプニッツもまた、世界の調和は神の理性の表れであり、人間の理性はその一部をのぞき見る窓のようなものだと考えました。つまり理性とは、単なる「頭のはたらき」ではなく、神の普遍的な理性につながる道だったわけです。
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虚無編 近代シリーズの3本目です
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虚無編の近代シリーズ第二回です
心 vs 身体
主観 vs 客観
感想 vs データ
近代以降、色々と分けられてしまいました。
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近代シリーズの1本目です
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生き方研究会とは一体何なのか。
どういう経緯でこの番組を作ろうと思ったか。
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