完全にセクハラですね、これは。
反省してます。
色気って出そうと思ってると出ないものですよね、多分あれは潜在的に持ってる何かだと思う。
日本の文字って複雑すぎませんか。
綺麗な字を書く事に対しての意識の高さと文字の複雑性は比例している気がする…
世界陸上の正式種目に借り人競争があったら日本は何位くらいになるのだろうか…
最近、共感する練習をよくしています。
そのおかげで共感モードにスッと入れるようになってきました。ありがとうございます。
彼が主張していた「『刷毛のスポンジ版』はホタニの通っていた美術予備校で作られた」説は事実なのか否かについて、ラジオ収録後に真剣に考え、調べていました。
「刷毛のスポンジ版」は、アクリル画・パステル画で支持体に色を伸ばすための「スポンジブラシ」という名前で複数のメーカーより販売されています。私の通っていた予備校では、木炭素描で平坦な面を作るために使用する人が非常に多かったです。
もし彼の説が正しい場合、同校が創立約50年であり、当時の大手美術大学の入試内容に素描が含まれている事から考えるに、鉛筆または木炭素描用としてスポンジブラシを販売するでしょう。しかし「素描 スポンジブラシ」とネット検索をかけても想像しているスポンジブラシは一切ヒットしませんでした。
それなら、「当初は素描用として販売していたが、他メーカーがスポンジブラシを着彩道具として製造販売するようになった。結果、素描道具としての有用性より着彩道具としての有用性が優った」という説も考えられなくはないでしょう。でもこの説を正とする仮説を立てた時、50年前というさほど古くもない情報がネットの海から現れないのは、不自然だと感じます。当時二十歳だった人ですら今年で70歳で、存命の人はまだまだ多い年齢かと思うので、この仮説はあまり妥当ではないでしょう。
明確な統計や一次情報に基づいた根拠、また代表のおじさんを連れてくるなどすれば私の意見は強固なものになるでしょうが、そこまで真剣にやる気も無いのでここまでにします。彼の説は単なるファンタジーであると、(稚拙ではあるものの)この検証をもって一旦の結論としたいと思います。
手を繋いで歩くカップルを街でよく見かけますね。
なので今回は手を繋ぐ意味について考えたいと思った次第です。
もしも生まれ変わったとして、どんな人生を送れば幸せなんでしょうか。
もし生まれ変わった人が居れば教えてくだい。
悪口の定義って難しいですよね、今回はそんなお話です。
席替えで好きな人が隣の席にと言う理想的な展開になったら皆さんはどうしますか?どうするんですか?
SNSや加工アプリが普及してきた昨今、ルッキズムの話題に事欠かなくなっていますね。
若い頃の整形やマスクを外せない人など、社会の常識が変わりつつある現状について皆さんはどの様に考えますか。
禁止すればするほど恋愛したくなるだろうに…
ちなみに年末の紅白はPerfumeだけ見ています。
皆さんの周りにぶりっ子は居るでしょうか?
もし居るのであれば拍手で迎えてあげましょう。
学校や職場などでは色々な言葉を投げ掛けられます。
言葉の影響力は強いので色々と左右されるかもしれないですが、自分の軸を持って生きていきたいなって思う今日この頃です…。
もう夏がすぐそこまで来ていますね。「髪、切った」が、頻繁に聞けるでしょう。良かったですね。