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礼拝説教と聖書メッセージ〜音声ポッドキャスト毎週更新
中澤信幸(大野キリスト教会牧師)
19 episodes
8 months ago
人生の意味や喜び、生きる目的は?聖書から答える!毎週日曜日に大野キリスト教会(神奈川県相模原市)の礼拝において語られている聖書メッセージをお届けします。説教者は中澤信幸牧師です。
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Christianity
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人生の意味や喜び、生きる目的は?聖書から答える!毎週日曜日に大野キリスト教会(神奈川県相模原市)の礼拝において語られている聖書メッセージをお届けします。説教者は中澤信幸牧師です。
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Episodes (19/19)
礼拝説教と聖書メッセージ〜音声ポッドキャスト毎週更新
礼拝メッセージ「愛はあるのか?」レビ記19章17‐18節

レビ記における愛のルール



レビ記は一見すると細かい規定の集まりに見えますが、実はそこには「愛のルール」が貫かれています。どのように生贄を捧げるか、何が清いか清くないかといった規定は、単なる法律ではなく、神の愛がその根底にあるのです。





神が聖であるから、私たちも聖でなければならない—これがレビ記の中心的なメッセージです。清いとは、神の側にあることを意味します。一本の線を引いて、神の側にあるものを「清い」、そうでないものを「汚れている」と呼びます。私たちは神の側に招き入れられ、清いものとして歩むようになったのです。



神の秩序ある歩み



レビ記19章には、神の側にある秩序ある歩みについての教えが記されています。畑の隅々まで刈り取らず、落ち穂を拾わないでおくこと、嘘をつかないこと、耳の聞こえない人を悪く言わないこと、目の見えない人の前につまずくものを置かないことなど、共同体の中で互いを大切にする教えが並んでいます。



そして今日の箇所では、「心の中で自分の兄弟を憎んではならない」「同胞をよく戒めなければならない」「復讐してはならない」「恨みを抱いてはならない」という教えが記されています。



愛の挑戦



これらの教えを聞くと、私たちはすぐに「でも…」と言いたくなります。「いい兄弟ならともかく、自分だけいい顔をして嫌なものは全部私に押し付ける兄弟もいるじゃないか」「何度戒めても聞く耳を持たない人もいる」「復讐したくて仕方がない状況に追い込んだのは相手ではないか」と。



しかし、これらすべての「でも…」に対する答えが、レビ記19章18節にあります:「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。私は主である。」



愛とは何か



愛とは何でしょうか。愛とは、神の側にあるものが、神の側にないものを招き入れることです。線の向こう側にあるものを「知りません、関係ありません」と言うのは簡単ですが、愛はその線の向こう側にあるものを招き入れようとするのです。



神様はイスラエルの民をエジプトから導き出されました。神の側にないものを、ご自身の側に招き入れられたのです。民が自分たちで「私たちは正しくなりました、あなたのものです」と言って入ってきたのではなく、神様がふさわしくないものをご自身の側に招き入れてくださったのです。



愛を可能にする二つの意識



では、どうすれば私たちはこのような愛を実践できるでしょうか。「そんなことできない」と思う私たちに、二つの重要な意識を持つことで愛することが可能になります。



1. 隣人になるという意識



イエス様は「良きサマリア人」の例え話を通して、「誰が隣人になったか」と問いかけました。注目すべきは、イエス様が「誰があなたの隣人か」ではなく、「誰が隣人になったか」と問うたことです。



隣人になるとは、隣に寄り添って立つこと、この人を何よりも大切にすること、この人を理解し、励まし、支え、守ることです。 単に愛するか愛さないかという行動の選択ではなく、隣人になるという意思が求められているのです。



2. 愛は次の人にまで届くという意識



神様が望まれる愛の形を最もよく示したのがイエス・キリストです。イエスは弟子たちの足を洗い、「私が主であり師であるのに、あなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合いなさい」と言われました。



これは単に「私はあなたを愛している」ということ以上の意味があります。神の愛は、神から私へ、そして私から次の人へと流れていくものなのです。 私が誰かを許すとき、その人が次に誰かを許すような関わりをするのです。



例えば親が子を育てるとき、その子が将来どのように他者と関わるかを視野に入れながら育てます。私の行動が、目の前の人だけでなく、その先の人にも届いていくのです。



神の責任のもとでの愛



「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。私は主である。」という言葉の最後に「私は主である」とあるのは重要です。神様は「私が全てのことに責任を持つ、このことを定めた私はこのことの全部を手の中で動かす、あなたの歩みを司る」と言っておられるのです。



私たちが「できない、したくない」と思うとき、「私が主である」と言われる神様が全ての責任を持ってくださるのです。だから私たちは「神様、私にはできませんが、あなたが主であるというなら、導かれるままに、あなたに委ねながらやっていきます」と応答することができるのです。



まとめ



神様の大きな愛のルールの中で、私たちは隣人となり、その愛が次の人にまで届くように生きるよう招かれています。 それは私たちの力だけではできないことですが、「私は主である」と言われる神様の責任と導きの中で可能となるのです。



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9 months ago
28 minutes 52 seconds

礼拝説教と聖書メッセージ〜音声ポッドキャスト毎週更新
礼拝メッセージ「贖いの日」レビ記16章29-34節

レビ記における愛のルール



レビ記は神様が私たちを愛してくださり、その愛が貫かれていくためのルールと理解することができます。前回は「清さ」について学び、神の側に置かれることが「清い」ということであり、神様が私たちを清い側に置くために労されたことを見ました。今回は、この愛のルールの中で特別な位置を占める「贖いの日」について考えていきます。





贖いの日は、1年に1度、罪が贖われる特別な日であり、ヘブル語で「ヨム・キプール」と呼ばれます。 この日は、イスラエルの民にとって代々親から子へ、子から孫へと語り継がれ、守られるべき永遠の掟となっています。



贖いの日の意味



レビ記16章29-34節によれば、第7の月の10日に定められたこの日には、すべての人が自らを戒め、いかなる仕事もしてはならないとされています。なぜなら、この日は「あなた方を清めようと、あなた方のために贖いが行われる」からです。



贖いとは何でしょうか。それは、何かが大きく揺れ動いている状態を沈め、治めることです。罪に関する贖いについて、まず2つの誤解を解いておく必要があります:




* 「神は人の罪に怒っておられる」という誤解



* 「贖いの生贄が神の怒りを贖う」という誤解




実際には、神は一つ一つの罪を犯した人に怒っているのではなく、罪の現実に心を痛めておられるのです。 神様は世界を良いものとして創造され、それを見て満足されました。しかし、人が神の言いつけに背くことで罪が入り、人間関係が傷つけ合うものになっていく姿を見て、神様は心を痛められました。



神の内側での贖い



神は罪の現実を見て、「もうこんなものはない方がいい」と全てを消し去ろうとされましたが、心を入れ替えて人を生かすことを選ばれました。神は罪の現実から人を救い、ご自分の清い側に招き入れるために、ご自身の力を注がれています。



神は罪そのものを憎むかもしれませんが、罪人を憎むのではなく、罪の現実に心を痛めておられるのです。 そして、その罪ある現実から人を救い、良いものへと導こうとされています。



この「もう滅ぼしてしまおうか」という思いから「いや、救い導こう」という思いへの距離を縮めるのが「贖い」なのです。神様ご自身の内側で、痛ましい罪の現実を前に、怒って滅ぼすのではなく、確かな身業の中に良きものを回復しようと心を贖めて移っていくのです。



贖いの儀式



贖いの日の儀式は、神様が私たちのためにしてくださっていることを私たちが理解し、それにふさわしく歩むためのものです。儀式の中心となるのは2頭のヤギです:




* 一頭目のヤギは神の前に捧げられ、その血が贖いの蓋に塗られます。これは「私たちの命は全てあなたのものです」という礼拝の表現です。



* 二頭目のヤギ(アザゼルのヤギ)は、祭司が手を置いて民の罪を告白し、その罪を背負わせて荒野に放ちます。これは「私たちの罪はもう私たちのうちにとどまらない」ことを象徴しています。




この儀式を通じて、私たちは神の前に「私の全てはあなたのものです」と捧げ、「私にはふさわしくないものがあります」と告白し、「あなたがそれを清め、取り去ってくださる」ことを確認するのです。



イエス・キリストによる完全な贖い



レビ記に記された贖いの日の儀式は、年に一度の特別な出来事でした。しかし、神の救いの計画はそこで終わりませんでした。イエス・キリストは私たちのために神の前に贖いの備えとなられました。



イエス・キリストにおいて、私たちは神のものとされ、私たちのふさわしくないもの全てを知りながらも、それを取り除いて許し、私たちを清め整え導いてくださるのです。 そして、イエス・キリストは今や私たちの心のうちに住み、私たちと共に歩んでくださいます。



これは年に一度の馴染みのない儀式ではなく、毎日の生活に密着した形で体験できる救いです。私たちはイエス・キリストにあって、日々神のものとされ、ふさわしくないものをふさわしいものへと作り替えられていくのです。



神が私たちの罪に心を痛められ、ご自身の元に迎え入れ、導いてくださるという素晴らしい愛に招かれている喜び—それは平たく言えば「愛されている喜びを知る」ということなのです。イエス・キリストによってこの喜びを知り、その中に私たちの歩みが置かれているのです。



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9 months ago
29 minutes 21 seconds

礼拝説教と聖書メッセージ〜音声ポッドキャスト毎週更新
礼拝メッセージ「聖なる者として」レビ記11章44-47節




愛のルールとしてのレビ記



レビ記は一見すると面白くない書物に思えるかもしれません。「何が清い、何が清くないか」という細かい規定が延々と続き、多くの読者が途中で挫折してしまう箇所です。しかし、レビ記は実は「愛のルール」なのです。神様と私たちの間の特別な関係を規定する書物であり、神の民がどのように聖なる生活を送るべきかを教えています。



レビ記の前半(1-10章)では、どんな時に、何を、どうやって、誰が生贄を捧げるのかという規定が書かれています。そして11-15章では「清さとは何か」が詳しく説明されています。これらの規定はすべて「清さ」という概念に基づいており、神の民が神との関係の中でどう生きるべきかを示しています。





清さとは区別すること



レビ記における清さの概念を理解するためには、「区別する」という行為が重要です。清さとは、神の側にあるものとそうでないものを区別することから始まります。象徴的に言えば、一本の線を引き、神の側にあるものを「清い」もの、そうでないものを「汚れている」ものとして区別するのです。



例えば食べ物について言えば、「ひづめの分かれているもの」「反芻するもの」は清いとされます。これには衛生上の理由もあるかもしれませんが、本質的には「神の側にあるものを選ぶ」という象徴的な意味があります。



神の聖さに倣う生き方



レビ記11章45節には重要な言葉があります:「私はあなたがたの神となるためにあなた方をエジプトの地から導き出した主であるからだ。あなた方は聖なるものとならなければならない。私が聖だからである。」



神様は聖なる方であり、私たちも聖なる者となるように求められています。 神様は良いものと悪いものを見分け、良いもののために約束をし、それを実行される方です。エジプトから民を救い出し、海を分け、荒野でマナを与え、岩から水を湧き出させた神様は、常に民の幸いのために行動されました。



一方で、エジプトの力、厳しい天候、金の子牛などは民を導くことができませんでした。神様だけが真に民を導くことができたのです。そして神様は私たちにも、同じように「何が良いのか、正しいのか」を見極めながら、神様のために生きることを求めておられます。



愛の贈り物としての聖さ



この関係は、大切な人にプレゼントを送ることに似ています。プレゼントを贈る時、私たちは相手が何を喜ぶかを考え、それを約束し、そして実行します。時には障害があっても、相手を思う気持ちから犠牲を惜しまず行動するのです。



神様も同じように、私たちのために最善を尽くしてくださいました。神様と私たちの関係は、互いに心を尽くして贈り物を送り合うような特別な関係です。 神様が私たちのために心を尽くして用意してくださる恵み、そこに生かされる私たちが神様のために心を尽くして捧げていく歩み—この相思相愛の特別な関係に私たちは招かれているのです。



聖なる歩みの課題



神様と心を通わせて歩む時、私たちはさまざまな困難に直面します。正しいことを見分けることの難しさ、神様のために何かを約束することへの躊躇、そして実行する際の誘惑や罪の問題など、多くの障害があります。



しかし、神様の御言葉を聞く中で、私たちは一歩前進することができます。神様の励ましや促しを受け取りながら、この「愛のルール」に招かれて共に歩んでいくのです。



まとめ



レビ記は単なる規則の書ではなく、神様と私たちの間の愛の関係を示す書物です。神様の聖さに倣い、神様の側にある者として生きることが、私たちへの招きなのです。











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9 months ago
17 minutes 52 seconds

礼拝説教と聖書メッセージ〜音声ポッドキャスト毎週更新
礼拝メッセージ「失うのではなく」ルカの福音書9章7-9節

1月最後の日曜日に、この礼拝を共に迎えられることに感謝します。今日のテーマは、バプテスマのヨハネの生涯と最期を通して、私たちが与えられた使命にどのように取り組むかについて考えることです。





バプテスマのヨハネの最期



バプテスマのヨハネは、イエス・キリストの到来を告げ、人々に悔い改めを呼びかける使命を託されていました。しかし、その使命を果たす中で、ヨハネはヘロデ王の非道を指摘し、その結果、牢獄に閉じ込められることになりました。



ヨハネの最期は、ヘロデ王の娘が宴会の場で踊りを披露し、その報酬として母親の指示でヨハネの首を求めたことで、処刑されてしまうという悲劇的なものでした。一見、理不尽で意味のない最期に思えるかもしれませんが、この出来事には深い意味があります。



バプテスマのヨハネが成し遂げたこと



ヨハネの生涯は、イエス・キリストの到来を指し示すためのものでした。彼は「私の後に来る方は、私よりも偉大である」と語り続け、人々を救い主に向かわせるために、自らの命を捧げました。



たとえ彼が命を奪われたとしても、彼の言葉や行動はヘロデ王の心に影響を与えました。ヘロデはヨハネを殺害した後も、イエスに対して興味を抱き、「イエスに会いたい」と願いました。ヨハネの使命は、人々の心に救い主への関心を植え付けることに成功したのです。



私たちが使命に取り組むこと



私たちの人生においても、使命は神から託されています。それは、私たち自身の成功や実績を築くことではなく、他者に良い影響を与えることです。ヨハネが「自分は衰え、イエスが盛んにならなければならない」と語ったように、私たちも自分自身を主張するのではなく、他者を支え、周囲の人々を祝福する生き方を選んでいきましょう。



さらに、私たちが直接関わる人だけでなく、その人を通して影響を受ける次の世代や他者にも目を向けることが大切です。例えば、親が子供を育てる時、その子供が友人や将来の家族に与える影響を考えるように、私たちの行動がさらに広い範囲に及ぶことを意識していきましょう。



まとめ



バプテスマのヨハネの生涯は、私たちが使命に取り組むための模範です。自分自身の利益や成功だけでなく、他者の人生にどのような影響を与えるかを考えながら生きることで、私たちの使命は実現されます。



さあ、この1週間、神が私たちに与えられた使命を見つめ直し、日々の中でそれに取り組んでいきましょう。
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9 months ago
28 minutes 7 seconds

礼拝説教と聖書メッセージ〜音声ポッドキャスト毎週更新
礼拝メッセージ「幸せの実現」コリント人への手紙第一12章4-7節
 

大野キリスト教会 主日礼拝
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幸せの実現
聖書箇所 コリント人への手紙第一12章4-7節
 

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2 years ago
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礼拝説教と聖書メッセージ〜音声ポッドキャスト毎週更新
礼拝メッセージ「幸せのゴール」コリント人への手紙第一9章19-23節
 

大野キリスト教会 主日礼拝
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幸せのゴール
聖書箇所 コリント人への手紙第一9章19-23節
 

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礼拝説教と聖書メッセージ〜音声ポッドキャスト毎週更新
礼拝メッセージ「幸せのモデル」コリント人への手紙第一4章14-16節
 

大野キリスト教会 主日礼拝
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幸せのモデル
聖書箇所 コリント人への手紙第一4章14-16節
 

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礼拝説教と聖書メッセージ〜音声ポッドキャスト毎週更新
礼拝メッセージ「幸せとは」コリント人への手紙第一1章26-31節
 

大野キリスト教会 主日礼拝
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幸せとは
聖書箇所 コリント人への手紙第一1章26-31節
 

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礼拝メッセージ「あのときの私に」ヨシュア記24章11-15節
 

大野キリスト教会 主日礼拝
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あのときの私に
聖書箇所 ヨシュア記24章11-15節
 

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礼拝メッセージ「神の慈愛によって」ローマ人への手紙2章1-5節
 

大野キリスト教会 主日礼拝
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神の慈愛によって
聖書箇所 ローマ人への手紙2章1-5節
 

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礼拝メッセージ「生命の源」ローマ人への手紙1章16-17節
 

大野キリスト教会 主日礼拝
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生命の源
聖書箇所 ローマ人への手紙1章16-17節
 

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礼拝説教と聖書メッセージ〜音声ポッドキャスト毎週更新
礼拝メッセージ「好奇の目の中で」使徒の働き17章16-21節
 

大野キリスト教会 主日礼拝
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好奇の目の中で
聖書箇所 使徒の働き17章16-21節
 

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礼拝メッセージ「閉ざされた道の先」使徒の働き16章6-10節
 

大野キリスト教会 主日礼拝
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閉ざされた道の先
聖書箇所 使徒の働き16章6-10節
 

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礼拝説教と聖書メッセージ〜音声ポッドキャスト毎週更新
礼拝メッセージ「普通ではないこと」使徒の働き13章1-3節
 

大野キリスト教会 主日礼拝
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普通ではないこと
聖書箇所 使徒の働き13章1-3節
 

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礼拝説教と聖書メッセージ〜音声ポッドキャスト毎週更新
礼拝メッセージ「派遣された旅」使徒の働き13章1-3節
 

大野キリスト教会 主日礼拝
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派遣された旅
聖書箇所 使徒の働き13章1-3節

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礼拝説教と聖書メッセージ〜音声ポッドキャスト毎週更新
礼拝メッセージ「完全な宮の約束」歴代誌第二7章19-22節
 

大野キリスト教会 主日礼拝
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完全な宮の約束
聖書箇所 歴代誌第二7章19-22節

 
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礼拝説教と聖書メッセージ〜音声ポッドキャスト毎週更新
礼拝メッセージ「主の恵みはとこしえまで」歴代誌第二5章11-14節
 

大野キリスト教会 主日礼拝
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主の恵みはとこしえまで
聖書箇所 歴代誌第二5章11-14節
 

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礼拝メッセージ「準備を整えて」歴代誌第二2章1-6節
 

大野キリスト教会 主日礼拝
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準備を整えて
聖書箇所 歴代誌第二2章1-6節

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礼拝メッセージ「さらに向こう側へ」使徒の働き10章44-48節
 

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さらに向こう側へ
聖書箇所 使徒の働き10章44-48節

 
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4 years ago
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