牧野川に沿って南下していき、菅谷の手前で夏井川に沿うように変わります。
大越を過ぎると、点在する集落の神俣と小野新町に停まるとここから先は一日5往復だけとなり、夏井へ。
2024.10.6
新幹線で郡山まで移動して、磐越東線に乗ります。
7:59発のいわき行きを逃すと次は13時台までありません。
2両編成のキハ110系が運用に入っており、早くも山越えに差し掛かります。三春のあたりも随分とローカル化した感じを受けつつ田村市の中心である船引に到着、ここでかなり下車します。
松本から松本電鉄を往復し、新島々駅の近くのお店で山賊焼き定食をいただきました。
帰りの列車は今は引退した3000系です。
2両編成でかなり混雑していました。
2024.10.5
週末パスを利用しての旅で、松本まで特急で移動後、岡谷まで普通列車、ここから飯田線直通の列車と辰野発の列車で中央本線の旧ルートを通ります。
途中に善知鳥峠超えがありますが、みどり湖経由のルートが出来るまではここが本線で特急も通っていました。
東海交通事業城北線は、名古屋の1つ先の枇杷島から中央本線の勝川(実際は300メートルくらい手前で終わる)を結ぶのですが、1両のキハ11系が行き来するという寂しい路線です。
せめて名古屋乗り入れや勝川駅も中央本線のホームと一緒になってくれればもう少し活躍したのでは?と思わせられます。
まだ運用撤退の話が出る前の311系収録です。
発車すると小刻みにギアチェンジの度に軽くカクンカクンと身体に伝わる加速が特徴でした。
たまたまトップナンバーだったのもラッキーですね。
小布施から長野に戻るのですが、実は信州吉田駅は北長野駅の近くにあるので歩いて移動もできます。
市街地に近づくと地下に入りさながら昔の地下鉄といった雰囲気を味わえます。車両は元日比谷線の03系なので、東京の人は特に当時を思い出すのかもしれません。
十日町から北越急行、えちごトキめき鉄道、上越新幹線を使って長野に移動し、特急などで湯田中へと向かい、その折り返しは普通列車に乗車します。
既に日も暮れており観光客の姿もなく静かな車内で信州中野止まりの列車に乗り込みます。
信州中野からは長野行きの普通列車に。こちらは徐々に乗る人が見えてきます。
小出駅前の食堂でイワナの定食を食べて、上越線で越後川口まで北上し、飯山線に乗ります。すでに出来上がっているグループがいましたが、なるべく離れて着席。とはいっても1両なのがつらいところ、おまけに雨で車窓は窓が真っ白に。
大白川を発車しようとする気配がない。
運転士より、この先の線路で倒木があり、作業員が現地に向かっているとのこと。しばらく運転見合わせとなり、乗客の行き先を聞きに来た。
その後代行バスの手配がされたが、到着前に倒木の除去作業が終わり安全が確認されたので1時間40分ほど遅れて出発します。
そんなこんなで誰も乗車することもなく小出に到着しました。
この区間は20.8km駅がなく、福島と新潟の県境を超える、特に冬は積雪で運休になることもある険しい区間です。
かつては田子倉ダムのところに田子倉という無人駅がありましたが、利用客もなく廃止になりました。これによって福島と新潟が結ばれ、住民悲願を果たした区間です。
この区間は駅間が長いです。会津塩沢を出ると第八只見川橋梁を渡り、会津蒲生を出ると急峻な蒲生岳の様子を眺めながら只見駅へと入っていきます。
支流の叶津川を渡る時の左カーブからの眺めもまた良いものがあります。
件のグループ客はここで下車しました。
会津川口からは、只見線サミットの参加者が多数乗車してきて、案内人と思わしき人が解説をはじめました。
正直静かな車内で景色を堪能したかった面もありますが、せっかくの沿線紹介もあったので聞きながら乗車していきます。
この区間の間で第五~第七只見川橋梁を渡りますが、第六只見川橋梁はダムがすぐ前に見られる珍しい橋です。
会津宮下から早戸までの間に第三只見川橋梁があり、特にこのあたりの川霧は有名で、早戸駅の近くには霧幻峡の渡しと呼ばれるところがあり、カメラマンが多くいました。
会津水沼を出ると第四只見川橋梁を渡り、会津川口駅に到着、ここで10分ほど停車します。
会津坂下までに一度非常停止信号が流れて一時停止した影響ですぐの発車となります。
次の塔寺までが山越えになり急に景色が変わりました。
会津坂本を出ると只見川とずっと寄り添いながら走っていきます。
会津桧原を出てしばらくすると只見川第一橋梁を渡ります。
07:39 塔寺駅
14:06 会津坂本駅
19:25 会津柳津駅
25:59 郷戸駅
31:19 滝谷駅
35:09 会津桧原駅
37:25 第一只見川橋梁
39:46 会津西方駅
40:55 第二只見川橋梁
2024.9.15
早朝の只見線に乗車しますが、列車は予想外の1両。小出まで直通運転するので乗り切れるかな?と心配しましたが青春18きっぷの時期を外れたのでほどほどの入りでした。
会津坂下までは、ひらがなの”し”を逆に進むような感じです。
関都あたりからは一転して下り坂とカーブの連続になります。
はるか向こうに会津盆地の灯りが見えたり隠れたりしながら、猪苗代や磐梯町でやっとある程度下車があり、残りは終点まで行くようです。
遅い時間のチェックインでしたが、近くの温泉施設で汗を流し、遅くまでやっている店まで歩いて喜多方ラーメンをいただきました。
会津若松へ行く電車はE721系の2両編成で、かなり前から入線していたので、座席確保しているのが精いっぱいで食事確保に失敗でした。立ち席も出るくらいの混雑でしたが、磐梯熱海あたりまでで立ち客は下車していきます。
上り勾配とカーブが続く区間を走っていき、猪苗代湖畔駅跡のところで猪苗代湖をかすめると関都に着きます。
長かった水郡線シリーズはこれが最終回です。
1つ手前の安積永盛で東北本線に合流して、終点の郡山までは電化線の上を走ることになります。
すでに20時近いのですが、まだまだ先へと進むことに。
水郡線はそこそこ本数が多いのですが、夜間になるとこの列車のあとは3時間後の最終列車のみとなります。
途中の磐城石川で13分停車するので、コンビニで飲み物の補充しました。
川辺沖と沖が名前にありますが、海はありません。