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ダヴァール神の国 - 子としての祝福
Davar Kingdom of God
21 episodes
8 months ago
浅井牧師のメッセージをロサンゼルス パサディナから毎週お届けします。「ダヴァール神の国」(ダヴァール教会)は特定の宗派や会派に属さない独立したプロテスタント教会です。わたしたちの教会の牧師であり、著名な聖書研究家でもある浅井導牧師が、聖書の真理を実生活に役立つようにわかりやすく解き明かしてくださいます。教会を探している方、問題を持っている方、人生の導きや目的を探している方、キリスト教に興味のある方は、ぜひ一度お訪ねください。日曜礼拝 日本語部 午前9時-11時, 英語部 午前11時-午後1時, 土曜礼拝 午後12時
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浅井牧師のメッセージをロサンゼルス パサディナから毎週お届けします。「ダヴァール神の国」(ダヴァール教会)は特定の宗派や会派に属さない独立したプロテスタント教会です。わたしたちの教会の牧師であり、著名な聖書研究家でもある浅井導牧師が、聖書の真理を実生活に役立つようにわかりやすく解き明かしてくださいます。教会を探している方、問題を持っている方、人生の導きや目的を探している方、キリスト教に興味のある方は、ぜひ一度お訪ねください。日曜礼拝 日本語部 午前9時-11時, 英語部 午前11時-午後1時, 土曜礼拝 午後12時
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子としての祝福 No.15
ダヴァール神の国 - 子としての祝福
1 hour 6 minutes 32 seconds
9 years ago
子としての祝福 No.15
ラハブは言った。「おことばどおりにいたしましょう。」こうして、彼女は彼らを送り出した ので、彼らは去った。そして彼女は窓に赤いひもを結んだ(ヨシュア2:21)。 「赤いひも」ということばは、この話の中で二回出てくるが、18 節では「ティバット・フート・ ハシャニー・ハゼ)」であったのが、この21 節では、「ティクバット・ハシャニー」と短くなっ ている。両方ともに、「ティクバット(ひも、または希望)」ということばはそのまま使われてい る(「ひも」の意味では、聖書でこの2 箇所だけ)。まさしく、この「赤いひも」がラハブとその 家族に、しいては人類全体にも救いを与える「希望」であった。事実、彼女は、その後、イスラエ ル人の中に住み続け、ユダ族のサルモンと結婚し、ボアズを生み、ボアズにモアブ人のルツによっ てオベデが生まれ、オベデにエッサイが生まれ、エッサイにダビデが生まれ、その子孫としてイエ ス・キリストが生まれた(マタイ1:4 以降)。ラハブは、異邦人が相続人とされて用いられた典 型であり、それは彼女の信仰によった。 「赤いひも」の「赤い」というのは、血の意味で、やがてキリストを通して流される、贖いの血を 指していることを先回学んだが、今回は、それがどのようにして私たちを贖うことになったのかを、 簡単に見てみよう。まずは、次のようなみことばに注目。 この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵 みによることです(エペソ1:7)。 それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。ま た、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです(ヘブル9:22)。 まず第一に、イエスの血は「罪の赦し」を与えるもの。義なる神にとって、人の罪を赦すというこ とは簡単なことでなかった。それには、二つの面があった。まず、罪によってサタンの奴隷となっ た者を、神が代価を払うことによって買い取ってくださったということ。その代価がイエスの血で あった(1 コリント6:20、マタイ27:6 など)。次に、罪によって神の怒りの対象となった私た ちを、その怒りから救ってくださったということ。不義なる者は、義なる神の目にかなうことはな く、その怒りの対象となる。怒りは、義の不義に対する必然的な反応である。そして、神の目にか なわない者が相続人として祝福を受けることは不可能。そのために、神はご自分の怒りをご自身の ひとり子の上にぶつけられた。これによって、神は、ご自身の義と愛の両方を明らかに示された。 つまり、ご自分の義に対して妥協することなく、罪を赦すという愛を示された。 ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから 救われるのは、なおさらのことです(ローマ5:9)。 したがって、イエスの血は私たちに義をもたらした。これが第二の真理。そして、義とされた者は、 大胆になって神の臨在の中に入っていくことができる。 そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよ い水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか(ヘ ブル10:22)。 これが第三の真理で、神の相続人として受ける祝福の土台といえる。この大胆さがなければ、神を 求めて礼拝することも、祈りで神に願うこともできない。霊的な麻痺や鈍感さは、心の奥底に潜む 罪責感のせい。しかし、キリストの血の注ぎを受けた私たちは、霊的な活気と熱心さを持って、大 胆に神の御前でその祝福を奪い取っていくこと。これが相続人の姿。
ダヴァール神の国 - 子としての祝福
浅井牧師のメッセージをロサンゼルス パサディナから毎週お届けします。「ダヴァール神の国」(ダヴァール教会)は特定の宗派や会派に属さない独立したプロテスタント教会です。わたしたちの教会の牧師であり、著名な聖書研究家でもある浅井導牧師が、聖書の真理を実生活に役立つようにわかりやすく解き明かしてくださいます。教会を探している方、問題を持っている方、人生の導きや目的を探している方、キリスト教に興味のある方は、ぜひ一度お訪ねください。日曜礼拝 日本語部 午前9時-11時, 英語部 午前11時-午後1時, 土曜礼拝 午後12時