信仰が揺らぎ、神の存在が疑われ始めた19世紀。
そんな時代に、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホは絵筆を“祈り”のように握りしめた。
牧師を志して挫折し、救いを説くことができなかった彼は、キャンバスの上で「光」と「救済」を描こうとする。
思い込みの激しさと純粋な信念の狭間で、彼が見出した“信仰”、それは、太陽やひまわりといった自然の中に神を見出す、孤独な魂の探求だった。
牧師の家に生まれ、神を求めて絵筆をとったフィンセント・ファン・ゴッホ。たった10年の創作の中で2000点を描き上げた彼は、光を描こうとするほど闇に引きずり込まれていきました。弟テオの支えを受けながらも、報われぬ愛と孤独に苛まれた人生。それでも彼の絵は、誰よりも強く「生きること」を照らし続けています。今回の放送では、そんなゴッホの“美しい破滅”をたどります。
一見、ただの空気、ただの飴、ただの服。
けれど、その“何でもないもの”の中に、人の生や死、愛、記憶が静かに潜んでいるとしたら。
今回は、イブ・クライン、ボルタンスキー、フェリックス・ゴンザレス=トレスといったアーティストたちを通して、「コンセプチュアル・アート」が投げかける深い問いをたどります。
見ることよりも「感じること」こそがアートになる瞬間。あなたの心の中にも、きっと“見えない作品”が生まれるはずです。
覗き穴の向こうに広がるのは、裸体・滝・灯、デュシャンが死後に明かした《与えられたとせよ》、フィラデルフィア美術館の“扉”です。レディメイドで「選ぶこと」を発明した彼は、最後に徹底して「自作」へと反転し、鑑賞を共有不能な体験へと設計しました。沈黙、秘匿、そして公開のタイミングまでを作品化することで、「作品の価値はどこで、誰が、いつ決めるのか?」という問いが今も更新され続けています。本編では、制作背景(マリア・マルチンスとの関係やミニ・レトロスペクティブ的思考)を辿り、日々の意思決定やブランド設計に応用できる“見せない戦略”と“文脈の力”を読み解きます。
アートとは何かを問い続けた末に「アートをやめる」と告げ、デュシャンはチェスへ、さらにルーレットなどのギャンブルへと越境します(理論上勝てるという“デュシャン流必勝法”は、無限資金が前提という皮肉付き)。資金調達のため自作の「モンテカルロ債券」を発行し実際に売れますが、投資家への利回りを支払えず頓挫、企ては焦げ付きます。次は発明家として回転視覚装置「ロトレリーフ」を科学見本市に出展—500部作って売れたのはわずか2部、在庫と赤字だけが残りました。それでも彼はペギー・グッゲンハイムらに助言するディーラーとして価格形成の裏側を熟知し、作品の価値と市場価格のねじれに嫌気を募らせていきます。本エピソードは、アートの外側で続いた一連の実験が、デュシャンとって何を意味していたのかを考察していきます。
《大ガラス》を入り口に、「美術館にあるのは“思考”か“物”か、それとも“創作(プロセス)”か?」という核心に迫ります──設計図とメモの束〈グリーンボックス〉が“デュシャンの思考そのもの”を作品化し、アイデアは物と同等にアートたり得るのかを突きつけます。MoMAにあるオリジナルは輸送事故で入ったヒビを“完成”として受け入れた経緯があり、物質の状態さえ概念の一部となり得ることを示します。さらに、この“説明書つきアート”はハミルトンや東大チームらによる再制作を生み、レプリカでも“作者の思考”に準拠すれば作品と認め得るのかをめぐる価値判断を揺さぶりました。 番組では、ブランクーシ裁判に触れつつ「タイトルや見た目と“アート性”は必ずしも一致しない」という現代の前提を踏まえ、創作における“何に価値を置くか”というデュシャンの考えに触れます。
1917年、デュシャンは市販の男性用小便器に“R. Mutt 1917”と署名し、6ドル払えば誰でも出せるアンデパンダント展へフィラデルフィアから届いた体で送りつけ、「これはアートか?」という根源的な問いを投げかけました。会場では拒否されスキャンダル化、のちに『The Blind Man』誌で理論戦を仕掛け、「選ぶこと」自体を作品化するレディメイドの思想が広がり、20世紀の美術観をひっくり返します。さらに“R.Mutt”の正体や発送地をめぐって、バロネス関与を示唆する「デュシャン何もしてない説」まで浮上し、作者性と価値の源泉そのものが揺さぶられました。本編では、この事件の“仕掛け”と余波を手がかりに、ルールを逆手に取る発想、ネーミングと物語の力、そして「価値はどこで生まれるのか」というビジネスにも通じる視点を読み解きます。
日本画の「王道」を築いたエリート絵師集団・狩野派。幕府や武将に仕え、巨大な組織として日本美術の基盤を形づくった一方で、「型にはまりすぎてつまらない」と評されることもあります。そんな中、狩野派の祖・狩野正信が描いた《蓮池蟹図》は、枯葉や水の質感、蟹の重みまでも表現した異彩の一枚。室町時代にこれほどのリアリティが生まれていたことに驚かされます。本エピソードでは、狩野派の歴史と《蓮池蟹図》が放つ独自の輝きに迫ります。
ピカソは遺書を残さずにこの世を去り、3万点以上の作品や不動産が遺族の間で大混乱を巻き起こしました。相続額は1兆円規模に膨れ上がり、フランスはついに「美術品を相続税として物納できる」という特例、いわゆる“ピカソ法”を制定。こうしてピカソ美術館が誕生し、死後も社会を動かし続ける存在となりました。芸術を超えて法律までも変えた巨匠、その圧倒的な影響力の物語を掘り下げます。
ピカソ最晩年の傑作《アルジェの女たち》は、80歳を迎えた巨匠が描き上げた“完成形”とも言える作品です。ドラクロワやベラスケスといった過去の巨匠たちを咀嚼し、自らの解釈で塗り替えていく姿勢は、まさに「だから私はピカソになった」という言葉に重なります。絵画だけでなく陶芸や彫刻にまで挑み、あらゆる表現を飲み込んで「ピカソ」という唯一無二の存在となった彼の到達点。その最終形態に込められた意味を探ります。
世界的巨匠ピカソの数多い恋愛遍歴の中で、唯一彼を振った女性――フランソワーズ・ジロー。画家としての才能を持ちながら、ピカソの影と束縛に翻弄され、自らの道を切り開いた彼女の人生は波乱に満ちていました。本エピソードでは、ジローとの関係がピカソの作品にもたらした変化や、「花の女」と呼ばれる謎めいた作品の誕生、さらにはマティスとの色彩勝負までを紐解きます。天才と共に生き、最後には自立を選んだジローの物語から、アートと人生の深い交差点を探ります。
マリー=テレーズとドラ・マール――二人の女性がピカソの絵に与えた影響は、愛の形そのものだった。安らぎと柔らかな線をもたらしたマリー=テレーズは、ピカソから切った爪や髪まで託されるほど信頼された存在。一方、激情と鋭い色彩を引き出したドラ・マールは、初対面でナイフの曲芸を披露し、ゲルニカ制作時の唯一の同伴者となった。画布に刻まれた微笑みと涙は、二人の愛の軌跡であり、ピカソの筆を大きく変えていった。
46歳のピカソが地下鉄で一目惚れした17歳の少女マリー・テレーズ・ワルテル。彼女をモデルに描かれた「夢」は、オークションで1億5000万ドルという破格の値がつくも、出品者の肘が絵に当たり穴が開くという前代未聞の事件でキャンセルに。7年後、修復された同作品は再び競売にかけられ、さらに高値で落札されました。キュビズムでも新古典主義でもない、ピカソの全時代を通じて最も美しいとされるこの時期の作品群に隠された、禁断の恋の物語とは。
ピカソとジョルジュ・ブラックがタッグを組み、絵画を“分解”し再構築するという前代未聞の試みに挑んだ、それがキュビスムの誕生です。目はあっち、鼻はこっち、まるで画面がバグを起こしたような肖像画が生まれた背景には、恋愛模様やセザンヌの理論、そしてピカソ自身の飽くなき探究心がありました。芸術と理論の実験室から生まれた新たな表現が、なぜ人々の心をざわつかせ、笑わせ、そして考えさせたのか? キュビスム誕生の裏にある、複雑でユーモラスな人間ドラマをお届けします。
ピカソの代表作の一つである『アビニョンの娘たち』は、完成後すぐに「意味がわからない」と酷評され、約30年もの間アトリエの片隅で眠り続けました。なぜ当時の人々はその価値を見抜けず、そしてなぜ後に傑作として世界的評価を受けるようになったのでしょうか。このエピソードでは、作品が生まれた背景となったアフリカ彫刻との出会い、ピカソ自身の絶え間ない変化への欲求、さらには評論家アンドレ・ブルトンによる再発見のドラマを紐解いていきます。リスナーは、時代を超えて評価が逆転する芸術の不思議と、ピカソがいかにして「現代美術の革命」を起こしたのかを深く理解することができるでしょう。
浣腸による覚醒で人生が始まった?わざと下手になっていった?
その出だしから普通ではなかった巨匠中の巨匠、ピカソ。多くの人が上手くなるために修練を積む中、これ以上上達しようがない技量で人生が始まった画家は、どのように「下手になっていった」のか?
その出生から最初に個性が確立された「青の時代」について、美術史上最高の天才の生涯を見ていきます。
この回では、ひとつの枠組みに収まらず常に変貌を続けたピカソの生涯と創作活動に焦点を当てます。青の時代、キュビスム、陶芸などジャンルを横断し、革新と模倣を巧みに織り交ぜながら、常に市場のトップを維持し続けた彼の創作の秘密に迫ります。また代表作《ゲルニカ》制作の裏にあったスペイン内戦だけでなく、私生活における離婚調停など個人的な背景にも触れ、ピカソの創作を支えたエネルギーの根源を紐解きます。変化し続けることを恐れず、自らをアップデートし続けたピカソの生き方は、ビジネスや日常生活においても新たな視点と刺激を与えることでしょう。
実物を失ったからこそ語り継がれた、ゼウクシス、パラシオス、アペレスの逸話は、絵そのものではなく“体験”の鮮烈さで歴史に刻まれました。笑い、欺き、愛という人間臭いドラマが、鑑賞者の想像力を解放し、のちの芸術家たちに「見えない名画」を描かせたのです。見えないキャンバスに宿った情動の軌跡が、現代の私たちにどんな示唆を与えるのか、耳で味わう美術史の旅へ出発しましょう。
彫刻界の頂点に君臨したロダンの陰で、才能を開花させながらも狂気に飲み込まれていった女性彫刻家、カミーユ・クローデル。その卓越した技術は師ロダンを彷彿させると賞賛される一方で、彼女の存在を永遠にロダンの影に縛り付けることとなった。自らの独自性を追い求め、葛藤と絶望の中で精神を病んでいった彼女が作品に込めたのは、どのような叫びだったのか?今回は、クローデルが生涯を通じて追い求めた「ロダンではない自分の美」と、彼女を襲った悲劇的な運命に迫ります。アートの華やかな世界の裏側に潜む、才能と狂気の壮絶なドラマを通じて、真の自己を表現することの難しさとその価値を深く掘り下げます。
生前、多くの誤解や批判を受けつつも、彫刻史に偉大な足跡を残したオーギュスト・ロダン。彼の代表作《考える人》や《地獄の門》には、常識を超えた卓越した表現力と技巧が凝縮されています。なぜロダンの革新的な技術やリアリズムは当時の美術界で理解されず、「型破り」「写実すぎる」と拒絶されたのか? 本エピソードでは、その驚異的な彫刻の秘密とともに、時代を先取りしたがゆえの誤解と葛藤を紐解き、アートが社会にもたらす衝撃と価値について深掘りします。