人は考え過ぎてしまう生き物。理由など求めてもキリがないものに理由を求めてしまったり。そんな時はどうしたら。
ゴールの姿はイメージしやすいけど、そこへの道のりは簡単でない。でもそのプロセスでも喜びを見出せるようになれば、日々のあり方は変わるのでは。
ホーチミンでの英語でのトークイベントで出たお題について答えさせて頂いた事について。
何かの目標に向かう時、達成の瞬間での喜びはむしろ安堵に似たものであり、かつ喜びはすぐに薄まる。しかしそこまでのプロセスのワクワクや苦難を乗り越えたり技能や経験を積んだりの喜びの方が実は大きい。目標に向かう途中の道にこそ喜びを得るという目標の成功はある。そんなお話しです。
「(そうありたいけど)でもなぁ…」と自分を縛っているのは自分の脳内にしか存在しない自分を縛る透明の鎖。概念、という目に見えず物理的に存在してないもの。
そんなお話しです。
怒りをぶつけても自分にも相手にも良いことはない。怒りを少しでも流せるよう、自分なりのおすすめの方法についてです。
言葉は便利で、なんでも名付けることで思考の中で扱いやすくなる。でも、それによって囚われも生み出す。そんなお話です。
読書後のまとめを進めているHappiness Hypothesis(しあわせ仮説)のエッセンスを少しずつお話しさせて頂いております
インド・ナーグプルでの大改宗祭が終わり高橋淨休さんと感想談義です。
2025/10/3の収録ですが、インドのネット回線でアップロードしきれてなかったようですので、改めてアップさせて頂きます🙏
修行というものは場所に関係なくできるものでは。それは、自身の行動や発言や心もちを客観視して律するよう「よく気をつける」ことでも成り立って行くのでは。そんな考えを述べさせて頂きました。
できている、やれている、という気持ちが生まれる時ほど慢心が起こりやすい。改めて自覚ともに。
今日は福島にて、曹洞宗の僧侶の方々にお話させていただくという貴重な機会を頂いております。
僭越ながら、佐々井上人との時間など自身の体験と学びをもとに、自分なりの「これからの仏道の可能性」についてお話しさせて頂ければと考えてます。
方角は変わらぬものの、心を新たに進ませて頂くべく授かった”お鉢”と共に、改めて考えを言葉にしてみました🙏