
神学校の牧師科を卒業した高校教師Nakamura Akiraが語る聖書とキリスト教の世界「Tokyo Bible Land」。今日は、私が三浦綾子さんの小説『氷点』を読んで思ったことを述べたいと思う。さまざまな分野において「若いうちに芽が出なければだめだ」という考え方がある。だからこそ、最近の親は子供が小さい頃からあれこれ習い事をさせるのだろう。私も「子供の頃にスポーツをしておけばもっと背が高くなったかもしれない」などと考えることがある。しかし最近、分野によっては必ずしも「若いうちに芽が出なければだめだ」というわけではないと気づいた。それは、三浦綾子さんの小説『氷点』を読んで気づいたのである。私は『氷点』を読み始めて、わりとはじめの方で「これは面白い小説だ」と思った。そして、「汝の敵を愛せよ」というイエスの言葉をはたして数十年にわたって実践できるものだろうかと思いながら読み進めた。同時に、夫婦間における「相手を苦しめてやろう」という感情の激しさがどのような結果に結びつくのかも気になった。人生において「タイミングの悪さ」ゆえに不幸を招くのは因果応報なのだろうか、とも思った。私は、『氷点』という作品の前半から非常に多くのことを考えさせられた。いまは大学の中に小説家を目指すコースがあったりするが、三浦綾子さんはそのようなコースにかよっていない。それどころか、20代から30代にかけて多くの時間を病気療養に費やした。それでもなお39歳で小説家デビューできたのは、天賦の才能とみることもできるし、病気療養期間が十分な人間観察と思索のための時間となって、小説執筆の土台となったと見ることもできるし、キリスト教的な見方をすれば、神の憐れみによって小説を書く才能が与えられたと見ることもできる。スポーツは「若いうちに芽が出なければだめだ」という分野かもしれないが、そうではない分野も数多くあるはずだ。興味ある分野について「もっと知ろう」とする姿勢こそ、年齢に関係なく一流になる秘訣ではないかと思った。