ついに修士論文を書き終え、口頭試問も終えたゆうや。
口頭試問では、130ページにわたる修論の重要なポイントをまとめ、それを20分以内でプレゼンしなければなりませんでした。
そのプレゼンのために作成した原稿にもとづいて、ここでも修論の内容を20分程度でお話しする・・・予定だったのですが、気づいたら1時間以上経っていました。
修論の内容を凝縮してまとめた発表用原稿をさらに凝縮してまとめたものが、以下のものになります。
第一章 序論
- 論文のタイトルは『名誉、恥、そして宣教――神の宣教と日本の文脈のレンズをとおして第一ペテロを読み直す』というもの。
- 第一ペテロは、キリストへの信仰・忠誠のゆえに恥や疎外を経験する者たちに励ましを与える手紙であり、日本のクリスチャンにとって意味深いテクストとして読むことができる。
- 本論文は、宣教的解釈学(missional hermeneutics)と社会科学的批評(social-scientific criticism)を使い、第一ペテロの読み直しを試みる。
- 第一ペテロは、社会から受ける恥をキリストの視点から再解釈させ、神からの名誉を認識し、それを他者との交わりの中で体現させることで、手紙の読者が「神の宣教」に参加するよう励ましている。
第二章 宣教学的解釈学と第一ペテロ
- 宣教学的解釈学の土台となっているのは「神の宣教」(Missio Dei)という概念。
- 世界を祝福し回復をもたらす神の宣教(ミッション)の始まりは、アブラハムの召命に見出すことができる。
- 「寄留者」として生きるアブラハムの決断は、神の祝福が諸国民に広がっていくための土台となった。
- 恥と名誉の視点に立てば、神の宣教は「恥を取り除き、名誉を回復する」という見方もできる。
- 宣教学的解釈学のレンズをとおして読むことで、第一ペテロに見られる宣教的な次元が浮かび上がる。
- 第一ペテロが聞き手に与えている「寄留者」や「選ばれた種族」などの肩書もまた、神の宣教のイメージを喚起するものである。
第三章 1世紀ギリシャ・ローマ世界における第一ペテロの解釈
- 第三章では、社会科学的批評を使用しつつ、第一ペテロ4章を当時の文脈に即して考察した。
- 「寄留者」となった読者たちは恥の脅威にさらされていた。
- ペテロは、読者が恥の力に抵抗することができるように二つの戦略を採用している。
- 一つ目の戦略は「名誉を思い出させる」というもの。「キリストの名のためにののしられる」という恥の現実を再解釈するよう、読者を励ましている。
- 二つ目の戦略は「誉れ高い生き方を励ます」というもの。「クリスチャン」という名を用いて神の名誉を体現していくよう、読者に勧めている。
第四章 21世紀日本社会における第一ペテロの解釈
- 日本社会の特徴として、同調圧力、伝統宗教と新興宗教、恥と名誉の価値観、自然災害について言及した。
- 第一ペテロが提示している「寄留者」というアイデンティティは、日本のクリスチャンにとって馴染みあるものである。
- 寄留者として生きる決断をしたアブラハムが諸国の祝福の土台となったように、クリスチャンも寄留者として生きることで神の宣教に参加し、祝福の土台となることができる。
- 第一ペテロは、社会的成功ではなく、イエスを信じることにこそ本当の名誉があると主張する。
- 教会共同体がこの新しい名誉にしたがって生きることで、人々を偽りの恥からの解放へとみちびくことができるかもしれない。
- 災害支援に従事するキリスト者ボランティアが「キリストさん」と呼ばれているという事例がある。
- これは第一ペテロ2章12節に描かれた、クリスチャンの善行をとおして神があがめられるというビジョンの実現と見なすことができる。
第五章 結論
- 宣教学的解釈学のレンズをとおして読むことで、第一ペテロのもつ宣教的な次元を浮き彫りにすることができた。
- 読者に神からの名誉を思い起こさせ、誉れ高い生き方をもって神の宣教に参加するようにと励ます第一ペテロは、日本のキリスト者に力強い励ましを与え、神の宣教に参与するための道を示してくれる。