
今回は雑談エピソード!テーマはずはり「やさしさ」についてです。
SNSは私たちの生活を格段に便利に、早く、面白くしてくれた一方で、人の「悪意」のようなものがなんとなく今までより身近になった気がします。
そんな時代を生きる私たちにとって、「やさしさ」とはなんだろう。やさしくされたり、したりするってどんなことだろうと一度立ち止まって考えてみましょう!
🎧ざっくり今回話した内容🎧
俺ほどお前に優しい奴はいない/好きなタイプは「優しい人」とか一言で言っちゃうけれども/なかなか自分の優しさに気付いてもらえないkota/優しさのキャパシティ/優しさとは助け合いだ/誰かによく思われたくて優しくしてるだけだよね?/優しい人とマナーが良いだけの人を混同しがち/世界を犠牲にしてでも大切な人を守りたいkota/スパンって優しくできるkota/お前が鳴らした優しさの鐘は今でもあいつの耳に鳴り響いてるよ/愛されブスのkota/ありがとうとごめんねが言えないkota/こんな世で「優しくある」って損じゃない?/優しさって何かを「する」ことじゃなくて「しない」ことだったりもするじゃん/呑み会って盛り上げる奴よりエロがる奴の方が勝ちなのなんなん?/叱った奴より慰めた奴の方が優しいのなんなん?/「優しさ」だって「強さ」だ/俺の「優しさ」舐めんなよ?!/優しさって気分じゃなくて不断の意志だから/「優しくある」という戦い/taito的優しいとは「よく見て、ちゃんと話を聞くこと」/愛なき時代に、やさしくなりたい/宇垣美里の金言「人には人の地獄がある」/最年少老害兼大逆張りキッズkota/人それぞれの「喜び」「悲しみ」「天国」「地獄」があること/優しさの即効性と遅効性/kotaは実質うちはイタチ/心の底からジワッと湧いてくる温かい気持ちとしてのやさしさ/家族や近しい者に向く慈愛の気持ち/やさしさの伸び代がまだまだあるkota/大切な人・もの・ことを思う時の温かい気持ち/恋しさと愛しさと優しさは同じことなのかもしれない/名もなき詩の「君の仕草が滑稽なほど 優しい気持ちになれるんだよ」という歌詞/やさしい瞬間を積み重ねていこうぜ