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天理教の時間「家族円満」
TENRIKYO
52 episodes
1 week ago
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心のつかい方を見直してみませんか?天理教の教えに基づいた"家族円満"のヒントをお届けします。
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Religion & Spirituality
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まことの人
天理教の時間「家族円満」
4 months ago
まことの人
まことの人 助産師 目黒 和加子 数年前、ラジオ天理教の時間に『テールランプを追いかけて』というタイトルで原稿を書きました。リスナーの皆さん、覚えておられるでしょうか。 その内容は私が4歳の時、父が事業に失敗し多額の借金を残して蒸発。その辛い経験を子供の視点で書いたものです。放送後、「そのあと、お母さんはどうされたのですか。お元気でしょうか」と母を心配してくださる声を沢山いただきました。今回は、母のその後の生きざまを書いてみます。 失踪してから7年後、私が小学5年生の時に父の居場所がわかりました。家庭裁判所の調停で離婚が成立し、私と弟が二十歳になるまで毎月養育費を送る約束でした。 しかし、送られてきたのは半年ぐらいでしょうか。しかも中身は五百円札が一枚とか、百円札が三枚とか、小さな子供にあげるおこづかいのような金額でした。現金書留の封筒を手に、悲しい顔でため息をつく母。そのうち途切れ途切れとなり、やがて届かなくなりました。 この頃から、母の中で何かが吹っ切れたのでしょうか。進んで人様のお世話をするようになり、子供の目から見ても変わっていくのがわかりました。 母は隣町の総合病院に看護師として勤めていたのですが、事情のある若い看護師さんや看護学生さんを抱えるようにお世話を始めたのです。 数年間、一緒に住んだ看護師さんも二人います。二人ともうちからお嫁に行き、うちで里帰り分娩しました。職場では救急外来と手術室の主任を兼任し、周囲から頼られる存在になっていったのです。 母が48歳の時、同じ病院で勤務するK先生が病院を開業することになり、総師長として来てもらいたいと引き抜きの声がかかります。悩んだ末に看護部門のトップである総師長として新たなキャリアをスタートさせました。 母がまず取り組んだのは、子供を持つ看護師や看護助手が働きやすい環境づくりです。病院内に24時間託児所や病児保育室を設置。その結果、離職するスタッフが減り、子育てと仕事が両立できる職場として地域に知られるようになりました。 また、その当時まだ珍しかった訪問看護ステーションを立ち上げ、自ら所長を兼務。地域医療の担い手として看護師を育てました。 そして、持ち前の粘り強さで周囲のスタッフを巻き込み、厚生労働省の定める看護基準の最高ランク「特A」の取得に多大な貢献をしたのです。当時、民間の中小病院では「特A」の取得が難しかった時代、周囲の同業者を驚かせました。 母は74歳で退職するまで25年間、総師長を務めました。長きにわたり続けてこられたのは、ゼロから立ち上げた管理職としての功績よりも、母の人柄によるものだと私は思います。 情に厚く、困っている人をほっておけない母。俗に言うガラの悪い地域にある病院なので、ヤクザの奥さんや刑務所から出てきた人など、びっくりする背景を抱えたスタッフもいたようです。嘘をつかれ、裏切られることもしばしば。それでも人を信じ、温かい情を貫いた母らしいエピソードを一つ紹介します。 木枯らし舞う二月の真冬日。看護助手の求人に応募してきた「橋本美加」と名乗る35歳の女性を面接しました。5歳の男の子を育てるシングルマザーで、埼玉から大阪に引っ越してきたばかりだと言います。身なりからは生活に困っている様子が漂い、深い事情がありそうです。 面接が終わると「子供を家に置いておけなくて、病院の玄関先で待たせています」と言うのです。その子は自動扉の向こうで寒さに震えながら待っていました。お母さんを見つけると嬉しそうに駆け寄ってきて、ピッタリくっついています。その姿に胸打たれ、一抹の不安を感じつつパートで雇うことにしました。 母は生活用品を揃えてあげたり、患者さんから頂いたお菓子を取り置きして持って帰らせたり、何かと心にかけていました。 それから一か月後のある朝、「橋本さんが出勤してきません」と病棟主任が報告に来たのです。橋本さんの携帯電話に掛けようとした時、総師長室の電話が鳴りました。橋本さんからではなく、なんと警察からです。 「総師長の佐々木さんですか。橋本美加を本日朝、駅の改札口で逮捕しました。橋本がそちらの病院で働いているのは間違いないですか」 「逮捕? 橋本さんはうちの職員です。何をしたというのですか?」 「詐欺容疑で逮捕状が出ています。総師長さんに連絡してほしいというので電話をしました」 「橋本さんは今どこに居るのですか?」 「署で取り調べ中です」 「子供はどこに居るのですか?」 「知りません」 「知りませんって。5歳ですよ。急に親がいなくなってその子はどうするんですか!」 「こちらに聞かれても知りません」 と、一方的に電話が切れました。 母は仕事を切り上げ、履歴書に書かれた住所に飛んで行きました。古いアパートの一室。テレビも暖房も電灯さえもない部屋に、男の子がポツンと座ってお母さんの帰りを待っています。児童相談所に連絡して事情を説明し、緊急保護を依頼しました。 「お腹すいたよね。お弁当を買ってきたから食べよう」薄暗く寒い部屋で一緒に食べました。そして、「お母さんは必ず迎えに来るから。お利口にして待ってようね」と言い聞かせ、職員に引き渡しました。 母は警察署に電話をし、「子供は児童相談所で保護してもらいました。橋本さんに、母親としてのあなたを信じています。必ず迎えに行くようにと伝えてください」そう話したそうです。 母は順調に年を重ね、今年86歳になります。体調の良いときは体操教室で身体を動かし、弟夫婦に車であちこち連れていってもらってのんびり暮らしています。 母の人生を貫くのは、おたすけの精神です。相手を想い、出来ることを精一杯させてもらう。そのぶれない強さと温かさは、教祖の手をしかと握っているからなのでしょう。 母のような人を「まことの人」と言うのだと私は思います。 だけど有難い「お願いの仕方」 川中島の戦いをご存じでしょうか。戦国時代、現在の長野市郊外にある川中島を舞台に、戦国武将の武田信玄と上杉謙信の間で繰り広げられた戦のことです。当時の暦でいえば、永禄四年八月十五日、上杉謙信が兵を率いて川中島に陣を布きました。それを知った武田信玄は、十六日に出陣して、二十四日に川中島に着陣します。双方にらみ合いが続いたあと、有名な「鞭声粛々夜河を渡る」と漢詩に詠まれた決戦は、九月九日と十日に行われたということです。 私は講釈師ではありませんから、いまから合戦について長々と語るつもりはありません。なぜ、川中島の話をするかというと、このとき決戦を前にした武田信玄と上杉謙信は、それぞれ神仏にお願いをしていて、その願文(がんもん)が残っているのです。 上杉謙信は、「戦の神様」と称えられるくらい、戦上手だったといわれます。どんなお願いの仕方をしているのかというと、「義があるのは自分である。だから神仏は自分に味方せよ」。つまり、自分のほうが正しい。だから自分を応援するべきだという内容が願文に記されています。 武田信玄はどうかというと、「もし勝たせてくれたなら、斯く斯く然々のことをさせてもらう」と、こういう願い方をしているのです。 今日、私たちが神様にお願いをする仕方からすれば、二人ともあまり良い願い方とは言えませんね。特に上杉謙信のような願い方をする人は、ほとんどいないでしょう。よほどの自信家でないと、こうはいきません。たとえば、病気や事情で悩み苦しんでいる人が、「自分は決して悪くない。今日まで人に迷惑をかけた覚えはない。なぜ自分が病気になるのか」などと言い立てて、「だから、たすけろ」と言うのと同じです。 しかし、武田信玄のような考え方をすることは、私たちもあるのではないでしょうか。「たすけてくれたら、修養科へ行きます」「ご守護くださったら、別席を運びます」「たすけてくれるなら、お供えをさせてもらいます」。これらは一見、心定めに似ていますが、実は取り引きなのです。 病院で手術を受けるときに、「成功したら、お金を払います」というようなことは言わないでしょう。成功しようが失敗しようが、手術代は払わなければならないのです。注射を打ってもらったら、注射代を払うのです。成功報酬のようなものを病院は認めてくれません。当たり前のことですよね。 私たちが神様にお願いする場合も、決心することが大事です。「たすかったら、こうさせてもらいます」というのは決心ではありませんね。ここを間違わないようにしないといけません。 『稿本天理教教祖伝』に、清水ゆきという人が、をびや許しを戴く話があります。教祖のお子さんであるおはるさんが、をびや許しで楽々と安産するのを見て、ゆきさんも願い出ます。そして、教祖からをびや許しを戴くのですが、毒忌みや凭れ物といった当時の風習にも同時にすがりました。こういう願い方をしたところ、大変な難産で産後も三十日ほど寝込みました。いったいどうして、こんなことになったのかと教祖にお尋ねすると、「疑いの心があったからや」とおっしゃったのです。 翌年、ゆきさんは再度妊娠し、教祖の仰せ通り、素直にをびや許しだけを頼りに過ごさせていただいたところ、楽々と安産させていただきました。産後の肥立ちも大変良かったということです。これが、素直に信じて、もたれて通るということなのです。 たすけてほしいなら、まず、親神様、教祖におすがりすることです。そしてその際には、しっかりと決心する。おたすけ人として導かせていただく側からすれば、しっかり決心していただき、自分の真実も添えて、真剣にお願いをさせていただくことが大切です。 (終)
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