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天理教の時間「家族円満」
TENRIKYO
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1 week ago
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心のつかい方を見直してみませんか?天理教の教えに基づいた"家族円満"のヒントをお届けします。
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親孝行ってありがたい
天理教の時間「家族円満」
1 week ago
親孝行ってありがたい
親孝行ってありがたい 福岡県在住 内山 真太朗 以前、知人の紹介で、茨城県に住む中学3年生の女の子に出会いました。彼女は小さい頃から地元のマーチングバンドでドラムをやっていたそうなのですが、全国大会で見た天理教校学園マーチングバンドの演奏に感動し、私もこの高校に入りたいと、つてを頼って巡り巡って、マーチングバンドOBの私に連絡をしてきてくれたのです。 しかし、天理教校学園の入学条件には、「親がようぼくである」という決まりがあります。そこでご両親に、「別席」や「ようぼく」という立場について説明し、「娘さんの高校進学までの一年間、定期的におぢばに帰り、別席を運んで神様のお話を聞いて頂くことになりますが、それでもよろしいですか?」と言うと、「私たちにとってたった一人の娘が、ここまで天理の高校に行きたいと言っていますので、何でもさせてもらいます」とのお返事を頂きました。 その年の5月、親子3人で初めておぢばを訪れて頂きました。私は当時、天理教校の本科実践課程で学んでおり、おぢばで3人をお迎えし、ご案内させて頂きました。天理駅から神殿までゴミ一つ落ちていない街並み、見たことのないおやさとやかたの風景、大きな神殿。靴を脱いで参拝をして戻ってくると、靴がキレイになっている。何から何まで本当に感動された様子で、ご両親には別席も二席運んで頂きました。 次のおぢばがえりに向け、ダメ元で娘さんをこどもおぢばがえりと少年ひのきしん隊に誘ってみました。当時、私の地元である福岡教区が、教校学園のマーチングバンドが出演する行事を担当していましたので、「メンバーの近くでひのきしんが出来るよ」と誘うと、「行きます!」と二つ返事で参加してくれることになりました。 本当に楽しく、感動した様子で、最終日には泣きながら「帰りたくない」と言い、後ろ髪を引かれる思いで、別席を運んだご両親と茨城へ帰っていきました。 天理教の教えを理解して頂き、おぢばの素晴らしさを充分体感してもらうことも出来た。これでご両親にも順調に別席を運んで頂けるだろう、いよいよ来春には天理教校学園に入学してもらえると喜んでおりました。 9月、次の別席の日を決めようと思い、連絡しました。するとお母さんが、「もう天理に行くのをやめようと思います」と言うのです。 え?あれだけ感動してたのに、どうして?と思い話を聞きますと、自分たちは天理教の教えやおぢばの素晴らしさを身に染みて感じているけれど、周りの友人や親族が激しく反対するのだと言います。 「よく分からない宗教に入って。それは最初はいい所ばっかり見せるよ。でも実際入ったら何をされるか分からないよ」とネガティブなことをさんざん言われて、心が折れたというわけです。 私は、ここで諦めてなるものかと、何とか思い直してもらえるよう、言葉を尽くして説明し、説得しましたが、ご両親の思いは変わらず、別席も運んで頂くことが出来ず、娘さんの天理教校学園の受験は難しくなってきました。 私は途方に暮れ、どうしたらいいか分からず、その足で本部の神殿に参拝に行きました。すると、知り合いのある教会長さんから、「どうしたん、元気ないやん」と声を掛けられ、これまでの事の次第を全部お話しました。 「もう自分はどうしたらいいか分かりません」。すると先生は、「あー、それはなあ」と次のように諭してくれました。 「その親子は、君が誘っておぢばに帰り、別席を運んだ。神様の目から見たら、その親子は道の子になった。そんな君が導いた道の子が、神様の思いに添わなくなってきた。君自身が、神様に喜ばれるような通り方を日々しているか。親の思いに添って通れているか。よく考えてみなさい。自分自身の神様や親に対する接し方やつとめ方が、巡り巡って全部相手に映ってくるんだ」 正直、グサッと胸に突き刺さりました。当時私は、父親との関係があまり良くなく、おぢばに置いて頂きながらも、神様の思いとはかけ離れた心で生活していました。 よし、こうなったら、この子のために私情を捨て、親孝行の道を、神様にお喜び頂ける道を通ろう。たとえこの子がおぢばの高校に行かなくても、せっかくつながったこの道から切れないように願い、まずは自分が親の思い、神様の思いに添わせて頂こうと、思い定めることが出来ました。 結果的に彼女は天理教校学園へは行かず、神奈川県にあるマーチング強豪校に進学、卒業後はアメリカのマーチングバンドに所属し、数年間活躍しました。 それから数年が経ち、久しぶりに彼女から連絡がありました。 「お久しぶりです。実はこのたび日本に帰ってきて、結婚することになりました。相手は、同じようにアメリカのマーチングバンドで活動していた日本人の男性です。 一緒に日本に帰ってきて、結婚を約束して、彼の両親のいる埼玉の実家にご挨拶に行ったんですが、その彼の家が天理教の布教所だったんです!」 お相手の彼も実家が天理教の布教所だということを、家に行くまで話していなかったそうですが、いざ来てみると、彼女は参拝の仕方も知っているし、おつとめも出来る。少年ひのきしん隊で教わった女鳴物も出来る。彼の両親もびっくりしていたそうです。 この教えでは、「親への孝行は月日への孝行と受け取る」と言われます。私自身が親へ、神様へと真剣につなごうと心を入れ替えたら、神様が彼女をこの道につながるように導いて下さったのです。 その後、彼女は別席を運び、天理教の布教所子弟の彼と結婚しました。そして数年後、彼女から連絡がありました。「お久しぶりです。実は今月から修養科に入りました」と言うのです。 話を聞くと、結婚生活の中で色んな葛藤や戸惑いが出てきた。そんな時、かつて参加したこどもおぢばがえりや少年ひのきしん隊での楽しかったことや、そこで神様の教えを学んだ思い出がよみがえってきた。そんなおぢばで3カ月間勉強出来たら、自分の中で何かが変わるかも知れない。そう思って修養科を志願したと言います。 「私がこんな思いになれたのは、中学3年生のあの時、おぢばに誘ってくれたお蔭です。いま修養科でとっても充実した日々を送っています。本当にありがとうございます」と言ってくれました。 お礼を言いたいのはこっちだよ。よくぞ修養科に行ってくれた。よくぞそのように思ってくれた。 人をたすけよう、導こうとするならば、直接手を差し伸べることはもちろん、まずは自らができる親孝行に励み、神様の思いに添わせて頂くことが大切なのです。根っこを疎かにしては、花は咲きません。 私は、彼女との関わりを通して、そのことを実感させて頂きました。 忘れていいこと悪いこと 物事には、忘れた方がいいことと、決して忘れてはならないこと、この二通りのものがあります。 忘れた方がいいのは、人のためにしてあげたことや、反対に人から不愉快な目にあわされたことなどです。他方、忘れてはならないのは、神様や自然から頂いている豊かな恵み、人から頂いた恩恵などです。 これは簡単なことではありません。日常生活を省みると、私たちは案外この反対のことばかりやっているような気がします。人を少しばかり手助けしてあげたことをいつまでも心に留めて、「あいつはお礼の一つもしない」と、恩着せがましいことを言ったりする。また、人に対する恨みがましい気持ちを、長年持ち続けたりするものです。 そして一番いけないのは、神様や自然から頂いている恩恵を忘れ、さらには人から受けた恩まで忘れてしまうこと。たすけてもらった時だけ感謝しても、すっかり忘れてしまい、知らぬ顔をしてしまうのはよくあることです。 神様は、そのような私たちの忘れやすい習性を、お言葉によって表されています。 「神の自由して見せても、その時だけは覚えて居る。なれど、一日経つ、十日経つ、三十日経てば、ころっと忘れて了う」(M31・5・9) それ故に、 「日が経てば、その場の心が緩んで来るから、何度の理に知らさにゃならん」(M23・7・7) と仰せられ、心の成人を促される上から、病気や事情によってお手引き下さるのです。 さらには、教えを筆に記し、「おふでさき」という書き物に残されたことに関しても、 「これまでどんな事も言葉に述べた処が忘れる。忘れるからふでさきに知らし置いた」(M37・8・23) と、耳で聴くだけでは、とかく忘れやすい私たちの上を思ってのことであると仰せられています。 忘れるべきことを忘れずに覚えていると、それは心の濁りとなり、忘れてはならないことを忘れては、恩知らずとなってしまいます。どちらにしても、心を澄ます道ではありません。物事の「忘れ方・覚え方」というのは、かくも難しく、それでいてとても重要なことなのです。 (終)
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