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天理教の時間「家族円満」
TENRIKYO
52 episodes
1 week ago
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心のつかい方を見直してみませんか?天理教の教えに基づいた"家族円満"のヒントをお届けします。
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Religion & Spirituality
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まいたる種は…
天理教の時間「家族円満」
3 months ago
まいたる種は…
まいたる種は… 福岡県在住 内山 真太朗 にち/\に心つくしたものだねを 神がたしかにうけとりている しんぢつに神のうけとるものだねわ いつになりてもくさるめわなし たん/\とこのものだねがはへたなら これまつだいのこふきなるそや 今日は、この三首のお歌に込められた神様の親心を悟った話。結婚14年目に突入し、現在教会長をつとめている私と妻との、ちょっと甘酸っぱい話をお聞き頂きたいと思います。 私と妻との出会いは今から20年前、お互いハタチの時です。私は天理大学の学生、妻は静岡県在住のOLで、当時はまだSNSもなかった時代、インターネット上の音楽系サイトで知り合い、未信仰だった彼女を初めておぢばに案内したことをきっかけに、交際が始まりました。 6年間にも及んだ遠距離恋愛の中で、何度もおぢばを案内し、お道の話をする機会も増え、別席も運んでくれました。私にとっては初めてお連れする別席者で、交際相手とあって丹精に熱が入っていました。 交際して6年の月日が流れ、「この人となら」と思い、お互い結婚を決意しました。しかし、私は福岡県の天理教の教会長後継者、妻は静岡県でお茶工場を営む社長の一人娘。あまりにも境遇がかけ離れていて、反対されるのを覚悟で妻のご両親へ挨拶に伺いました。 新調したスーツを着て、ご両親を前に、緊張しながら「どうか、娘さんと結婚させてください…」しばらく沈黙がありましたが、「二人で決めたことなら」と、ご両親とも快く結婚を承諾して下さいました。 すると妻のお母様から、「結婚の前に天理教の勉強をさせたい」との思いがけない申し出があり、妻は教えを学ぶため、結婚前に修養科を志願してくれました。さらに三か月間の修養科修了後には、教会生活を学ぶため、半年間大教会の住み込み女子青年としてつとめてくれました。 天理教のことを全く知らなかった妻は、結婚前に多くの教友と出会い、導いて頂き、お互い26歳の秋、大勢の方々に祝福されながら、大教会で結婚式と披露宴を挙げさせて頂きました。 世界中の人とつながれるインターネット上で、偶然出会った素敵な女性との結婚。私にとってこんなにありがたい事はありませんでした。 さて、話は結婚式の数日前に遡ります。教会の前会長夫婦である祖父母から「話がある」と、妻と二人で呼び出されました。80歳を超えて尚、誰よりも信仰に厳しい祖父母。よもや結婚を反対されるのでは? そんな不安をもって祖父母のもとへ行くと、祖父がこのような話を聞かせてくれました。 「今回の結婚、本当に嬉しく思う。実は、おじいちゃんは今から60年前、戦争が終わってハタチの時、確かな信仰をつかむために、当時出来たばかりの天理教校専修科に入学したんだ。二年間色んなことを経験して学んだが、この信仰を信じ切ることが出来ず、神様をつかみ切ることが出来なかった。これではいけない、どうしても神様をつかみたいと思って、専修科を卒業してすぐに福岡から横浜へ単独布教に出ようと決意したんだ。でも当時お金がなくて、片道切符で横浜まで行こうとしたけれど、お金が足りずに静岡駅で下車して、その周辺を布教に歩いていたんだよ」 妻の実家であるお茶工場は静岡駅から徒歩10分ほど。何と、60年前に祖父が布教に歩いた地域とは、妻の実家がある場所そのものだったのです。 祖父は続けて、「60年前に布教した時は大した成果は見せて頂けず、あの時の布教は無駄だったと思ったし、今までずっとそう思っていた。でも、静岡の地で伏せこんだ種を神様はちゃんとお受け取り下さって、60年後に今こうして、お前のお嫁さんという形で芽を吹いて帰ってきた。私たちにとって、これほどありがたく、嬉しいことはない。本当にありがとう」と涙ながらに話してくれました。 話を聞いて鳥肌が立ちました。妻はインターネットでたまたま私と出会い、お道を知り、修養科を修了し教会の住み込みをつとめ、結婚して教会へ来ることになった。それはすべて自分の成したことだと思っていました。しかしそれは大きな間違いで、その背景には60年前の祖父の真実の伏せこみがあり、今にして思えば、妻との出会いは偶然ではなく、すべては親神様が出会わせて下さった必然だったのです。 天理教では「まいたる種はみな生える」と教えて頂きます。日々にまいた種、つまり自分の日々の行いは、やがては自分や子孫に返ってくるのです。 まいた種によっては一日で生えてくる種もあれば、一か月で生えてくる種もある。一年、二年で生えてくる種もあれば、このように60年経ってようやく生えてくる種もある。いずれにしても、真実の種をまけば親神様はお喜び下さり、いつか必ず素晴らしい形で芽吹かせて下さる。そのことを身をもって実感した妻との結婚でした。 私たち夫婦は4人の子供たちを授かっています。祖父をはじめ親々の伏せこみのおかげで今の自分達があるということを肝に銘じ、今度は私たちが子供達のため、そしてまだ見ぬ孫達のために、親神様、教祖にお喜び頂ける種をまくことを目標に通っていきたいと思います。 だけど有難い「『感謝』から『報恩』へ」 最近、親による子供の虐待や育児放棄が社会問題になっています。それに伴い、「親は子供を育てる責任と義務がある」とか、「子供には育てられる権利がある」というようなことが言われます。私は、この「責任」や「義務」「権利」というようなものからは、「感謝」の心は生まれないと思うのです。「責任があるから」「権利があるから」といった感覚では、子供は親に「育ててもらって当たり前」であって、そこに感謝の心の生まれる余地はありません。 お道では、そうしたことに気づいていただきたいとの思いから、「感謝 慎み たすけあい」という標語を作って、教会の前などに横断幕を掲げてきました。 「感謝」という言葉は、一般社会でもよく使われます。「親に感謝しています」「お世話になって大変感謝しています」などと言いますね。しかし本当に大事なのは、その先だと思うのです。それは「報恩=恩を報じる」ということです。「感謝」は、いわば「報恩」への入り口なのです。 三代真柱・中山善衛様は、教会巡教などの際に、よく「報恩感謝」とご揮毫くださいました。三代真柱様が真柱をお務めの時代は、真柱様が「報恩」とお書きになって、継承者であられた善司様が「感謝」と続けられました。善司様が跡をお継ぎになってからは、真柱様が「報恩」とお書きになって、三代真柱様が「感謝」とお書きになりました。 私は「感謝」という言葉は、「報恩」という言葉と結びつかないことには、あまり意味がないと思うのです。たとえば「親に感謝します」と口にするだけでなく、親に育ててもらった「恩」、産んでもらった「恩」を感じることが大切だということです。 「恩」には「返す」という行為が伴います。そう言うと、嫌々させられると感じる人もいるかもしれません。しかし実際には、恩を感じたら返したくなるものではないでしょうか。たとえば恩師に贈り物をするときに、嫌々する人はないでしょう。何を贈ったら喜んでくれるだろうかと、品物を選んでいるときからうれしいものです。恩返しというのは、そういうものだと思います。 親に恩を感じると、それを返したくなる。これは親孝行です。親孝行というのは、しなければならないからするのではなく、せずにおれないからするのです。 親神様のご恩も同じだと思います。この道は「ご恩報じの道」ともいいますが、ご恩を感じなければ通れないのです。親神様のご守護を有難いと思う心があればこそ、「させてもらいたい」「やらずにおれない」という気持ちになるのです。 私たちが毎日こうして元気でいられるのは、第一に親神様のご守護のおかげです。そして、産み育ててくれた親のおかげ、周囲の人たちのおかげ、学校の先生のおかげもあれば、仲間のおかげもあるでしょう。実は、人間はこうした「おかげ」を感じ、「恩」を感じて、それに応えようとするなかに、「生き甲斐」や「喜び」を見いだし、「幸せ」を味わうことができるのです。 私たちは、一人でも多くの人をおぢばへ連れ帰らせていただき、別席を運んでもらおうと努めさせていただいています。それは、私たちの親である教祖に、お喜びいただきたいからです。さらに一層、声掛けに努めて、教祖のご恩に、親神様から頂戴している限りないご恩に応えさせていただきましょう。 (終)
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