
マルクス批判は、当時私自身がそのなかにいた文化的環境を破壊することであったために、単なる理論的な批判にとどまらず、私の存在をも還元してしまうものであった。今回は、その体験の哲学史的な意味を、デカルトとニーチェを題材にして考えてみました。
デカルトは、懐疑を哲学の出発点としていましたが、その懐疑は理論に限定されていて、その存在(共同体内存在)にまでは及んでいませんでした。それに対して、ニーチェは、懐疑を道徳領域にまで及ぼし、共同体内存在を還元することから、彼の固有の哲学探究を始めていました。そこで、自分の体験の意味をニーチェの体験に重ね合わせつつ、私自身とニーチェとを理解しようとしたのです。
後半は、実験という概念から時間的パラドクスを取り出して、ニーチェのうちに時間的パラドクスを見ようとしていますが、やや暴走気味になってしまいました。次回、別の角度からもう一度トライしてみます。
塚原誠司 1944年東京生まれ。1967年、早稲田大学文学部西洋哲学科卒業。労働運動系広報誌の編集者、塾講師、警備員などをやりながら哲学を探求してきた。