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自己言及的存在論講義
inter-esse
9 episodes
1 week ago
この講義は、現在制作中の自己言及的存在論を、制作者自身が紹介するものです。自己言及的存在論という呼称は、ほとんどの人がはじめて耳にするものだと思います。存在論は、そもそも自己言及性を素質としてもっています。あらゆる存在者の存在を究明する存在論それ自身がひとつの存在者だからです。この秘められた可能性を顕在化させることができれば、存在論は、ひとつの存在者である自己の存在をみずから根拠づけることが可能になります。おのれ自身を根拠づける存在論、それこそはハイデガーが不可能と断じ、その不可能性を土台にして『存在と時間』をつくりあげた当の根源的な存在論です。自己言及的存在論には、ハイデガー哲学の源泉にある根源的存在論の不可能性を可能性に転じるとともに、不可能性に頭を抑えつけられている現状から哲学を脱却させるという希望が託されています。 塚原誠司 1944年東京生まれ。1967年、早稲田大学文学部西洋哲学科卒業。労働運動系広報誌の編集者、塾講師、警備員などをやりながら哲学を探求してきた。
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この講義は、現在制作中の自己言及的存在論を、制作者自身が紹介するものです。自己言及的存在論という呼称は、ほとんどの人がはじめて耳にするものだと思います。存在論は、そもそも自己言及性を素質としてもっています。あらゆる存在者の存在を究明する存在論それ自身がひとつの存在者だからです。この秘められた可能性を顕在化させることができれば、存在論は、ひとつの存在者である自己の存在をみずから根拠づけることが可能になります。おのれ自身を根拠づける存在論、それこそはハイデガーが不可能と断じ、その不可能性を土台にして『存在と時間』をつくりあげた当の根源的な存在論です。自己言及的存在論には、ハイデガー哲学の源泉にある根源的存在論の不可能性を可能性に転じるとともに、不可能性に頭を抑えつけられている現状から哲学を脱却させるという希望が託されています。 塚原誠司 1944年東京生まれ。1967年、早稲田大学文学部西洋哲学科卒業。労働運動系広報誌の編集者、塾講師、警備員などをやりながら哲学を探求してきた。
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「自己言及的存在論講義」第六回 時間的パラドクスと現象学
自己言及的存在論講義
53 minutes 6 seconds
6 years ago
「自己言及的存在論講義」第六回 時間的パラドクスと現象学

今回は、新たに立てた課題が、探究の始まりにおいては解決不可能なパラドクスに直面することだ、というところから話を始めます。それに対して私が採った対処は、パラドクスの解決を諦めることなく保持しつつ、さしあたり解決できるかどうかわからないパラドクスの解決を目指して歩む自己の存在を、(広い意味で)現象学的に探究するというものでした。

こうした現象学的探究過程には、解決不可能なパラドクスに繰り返し挑戦するというあり方が含まれます。その特異性は、ヘーゲルの現象学やフッサールの現象学と比較することによって際だてられます。というのも、ヘーゲルやフッサールの現象学は、パラドクスを抜け出るところから始まるので、パラドクスに苦しめられている存在は、彼らの現象学のうちには含まれないからです。パラドクスに苦しめられている存在は、むしろ、バタイユの『内的体験』で扱われている領域に属するものです。ですから、私の現象学的探究は、バタイユが扱った領域を含み込んだものだということになります。

これが今回の主要なテーマですが、この序論的な講義を通底しているもうひとつのテーマがあります。それは、私の全共闘体験や、晩年のニーチェに見られるもので、否定的な命題の自己言及性によって解体した後、肯定的な命題の自己言及性を取り入れた学を目標として立てる、ということです。同じものがバタイユにも見られます。この通奏低音のようなテーマに即してバタイユの『内的体験』を読みます。


塚原誠司 1944年東京生まれ。1967年、早稲田大学文学部西洋哲学科卒業。労働運動系広報誌の編集者、塾講師、警備員などをやりながら哲学を探求してきた。

自己言及的存在論講義
この講義は、現在制作中の自己言及的存在論を、制作者自身が紹介するものです。自己言及的存在論という呼称は、ほとんどの人がはじめて耳にするものだと思います。存在論は、そもそも自己言及性を素質としてもっています。あらゆる存在者の存在を究明する存在論それ自身がひとつの存在者だからです。この秘められた可能性を顕在化させることができれば、存在論は、ひとつの存在者である自己の存在をみずから根拠づけることが可能になります。おのれ自身を根拠づける存在論、それこそはハイデガーが不可能と断じ、その不可能性を土台にして『存在と時間』をつくりあげた当の根源的な存在論です。自己言及的存在論には、ハイデガー哲学の源泉にある根源的存在論の不可能性を可能性に転じるとともに、不可能性に頭を抑えつけられている現状から哲学を脱却させるという希望が託されています。 塚原誠司 1944年東京生まれ。1967年、早稲田大学文学部西洋哲学科卒業。労働運動系広報誌の編集者、塾講師、警備員などをやりながら哲学を探求してきた。