動物の象を埋めた森、とされる、ふしぎな場所の話。
「地震が来たらここに逃げろと」いう言い伝えからは、津波や地滑りから身を守るための先人の経験知が感じられます。
山口のでんでら野から一望できる景色のうち、特徴的な遺跡や何かの史跡と思われる箇所の説明。
時代も文化もまったく違う、謎の多いふたつの遺跡があり、そこから出土するものにも特に関連性は見られないとのこと。厳しい土地で生きたひとびとの、命の残滓を感じる一遍です。
本作中では、柳田國男は「蓮台野」と呼んでいますが、「でんでら野」のほうが一般的に知られているため、タイトルと文中の呼称が異なります(蓮台野と書いた理由もしっかり研究されていますが、本稿では割愛します)。
2024年の冬に、山口のでんでら野に行ってきました。
山口のでんでら野は、生活集落のすぐ近く(本当に、びっくりする程すぐ近く)にあり、山口の美しい田園風景が一望できました
粗末な藁小屋が、少しの説明と共に建てられていました。捨てられた老人の記憶が土に染み込んでいるような、とても寂しい場所でした。
現在も9月におこなわれる「遠野まつり」では、各集落ごとの神楽舞があるそうです。ほぼ「獅子舞」の頭と同じものでしょうか。喧嘩っ早く、子どもの頭などを噛んで悪いものを取ってくれる神様。地域の神として、とても親しみやすい感じがあります。
現在も行われる「雨風祭」についてのお話。北側に祀る、という風習から、北方の守護神である四神のひとつ、玄武信仰まで一気に言及します。短い文章の中でキレッキレな発想が出てくるのも、本作の面白さです。
遠野のあちこちにいるという、野生の占い師の話。
特別な修行をしたり、おひでのような阿弥陀経に帰依しているものともまた少し違った、日常生活を送りながらふしぎな力を持つにいたったひとびとがいたようです。
かつて外国人が多く住んでいた、という山田に出現する、いやにリアルな異国の蜃気楼の話。毎年、まったく同じような異国の街の光景が幻として現れる。今でこそSF的な解釈が捗りますが、当時のひとびとはこれをどのようにとらえたのでしょうか。
1月15日、小正月の晩におこなわれるたくさんの行事。その中から「月の占い」と「稲占い」の紹介です。序文にあった以下の文
「稲の色合いは種類によりてさまざまなり。三つ四つ五つの田を続けて稲の色の同じきはすなわち一家に属する田にしていわゆる名処の同じきなるべし」は、この稲占いで家ごとに植える稲を決めたから、ということになるのでしょう。
雪女といえば小泉八雲ですが、ここで語られる雪女も、とてもよく似た雰囲気があります。
「実際に雪女を見たという人は少ない」、つまり、生きて帰れたものは多くなさそうです。北国の雪の過酷さも感じられる、短い一遍。
1月15日の晩にある「福の神」のお巡り行事の話です。最も身近でイメージしやすいのがハロウィンになってしまっているように思います。
本編では語られていませんが、この日はその六九に出てきた「オシラサマ」にとっても、たいへん大切な日なのだそうです。
「死んだ老婆の身体がむくむくと起き上がる」という、とてもストレートな怪異ではあるのですが、旅人も家主がどことなく身勝手で、死体を操っていた狐はなんとなく可愛らしく、話の結末はいやにあっけない。
物語として全体的にちぐはぐで、だからこそのリアリティがあり、妙に印象に残ります。
妻の姿をしたものを山中で見かけ、化け物め、と退治……しかしそいつは、死んでも正体を表しません。もしや俺は本当に妻を殺してしまったのか。淡々と書かれていますが、実際の体験だと思うと、夫の心境が真に迫ります。
東北の地震における津波被害のつらさは私たちの記憶にもまだ新しく、原文の淡々とした文体は、かえってもの悲しい気持ちになります。
【期間限定公開】本編にはさむ形でのお知らせとなり申し訳ありません。
本チャンネルで朗読配信をしていた「遠野物語」を、ZINE「いちばんよみやすい遠野物語」として刊行しました。
都内の販売イベント、通販、もうひとつのお知らせについて、最初期からこの取り組みを見届けてくださっていたリスナー様にいちばんにお知らせしたく、期間限定で号外配信を公開いたします。
序文で「路傍に石塔の多きこと諸国その比を知らず」と語られている、神や山の名前を刻んだ石たちに関する、とても短い一遍。
序文には、この石塔の他にも、本編で伏線回収のように情報が明かされる言葉がちりばめられています。読み進めるうちに「ああ、これのことを言っていたのか」と腹落ちする感じが出てくるのも面白いです。
「戻ってこれたひと」のエピソードです。亡き父と息子と出会ったときの感情は原文からは察せられませんが、淡々と語られているぶんかえって想像の余地が大きく、なんとも切ない気持ちになる一遍です。
知的障害の話…ではなく、火事の予知、あるいは火事を呼んだ男の話。医療アプローチで解体された現象と反証や証明が難しい現象がシームレスにつながっているところに、怪異が妖怪や幽霊や超常現象といったカテゴリに「分化する前」の空気が感じられます。
人間のようなかたちの美しい石像に魅入られた、少し変わり者の男の話。
いちどは逃げたものの、時々見に行っては「やはり、欲しいな」と思ってしまうあたりに、「そういうことってあるよね」的な人間臭さが感じられます。
先の話に続き、和野の男「菊池菊蔵」の体験談です。
憎めない男だったようですが、時系列的には息子を喪って数年ほどの話となります。現代の価値観で見ると「こどもがはやく亡くなること」への慣れのようなものも、少しだけ見えます。
病気の子どものために、帰省中の妻を迎えに行った際の話……とのことですが、留守にされた子供の寂しさのほうが胸に来る一遍です。近くにいてやりなさいよ……!