『役職が人を作る』と言う言い方もあるそうです。車もまた然りかな、と思いました。そうやって中身が変化するなら、次はどんなイメージを作ろうかな。
本編で言えてなかったこと。アンデルセンはしっかりとした物語の基礎を持ちながらにして、子どもにもわかる抽象的な世界を作り出していてすごいなって思っています。アンデルセンのふわふわした低解像度の世界を解析したら、そこにはかなり高解像度な仕組みが備わっている。そんな感じがしています。と、小難しく書いてますが、とにかくアンデルセンにうっとりしている私。
猫と暮らすことによって気付かされること。そんな感じで、人間の思い込みを壊されながら、体じゅう引っ掻かれながら、それでも仲良くやっていく生活を探りながら、毎日がんばっていきます。
わたしは基本的には本を手放さないのですが、内容に違和感を感じたり、気持ちが離れたりすると手放すこともあります。わたしは子供の頃、けっして本をたくさん読む子ではなかったのですが、本棚を好きな本だけでいっぱいにしていたので、タイムスリップしてあの頃のラインナップをもう一度見てみたいなって思います。
2025年9月の末に録音したものです。万博は成功した、という雰囲気に変わってきました。ダメだダメだと言われて、マイナスからスタートするのは怖いけど、ほんの少しでもプラスになれば御の字。ある意味安全なルートなのかもしれないですね。
アンデルセンはキラキラしている。キラキラが濃縮還元している。ネガティブな結末のお話がなぜここまで受け入れられるのか?それは、ちょっと魔法の一つのような気もしています。
ちょっとした自分の間違いで気が動転している時に勢いで録音しはじめてみた。そんな時にこそ、自分で決めたことはやりたいと強く思う。それがたとえ大したことじゃなくても!
ゆるらじおを始めたころ、とっ散らかりまくりの自分を少しずつ解くように話始めたよなぁ…と思い、ある時にけっこう絡まってるところ話せたぞ!と思っていたら、また絡まり、それでも話していたら、とうとう伏線を回収し始めるターンに来ている?という気になってきました。少しずつでいいやん〜。と子猫を見ながら、自分も今を大事に、でもゆっくりと進みたい。そんな大人になってきました。
自分のやりやすい方法とかあーしてほしいこーしてほしいなどの内容は、意外にもそうなってみないとわからないこともあるし、全部終わってみてからでないとわからないこともあるんだなーと思います。だから、その時は不満だらけでも、後になって整理したら、結果それは最善策なのかもしれません。何気なくでもやっぱり自分は自分の周辺を取捨選択しているのだろう。
友達がいると安心しすぎて⁈ちょっと危ない運転になりがち…運転はおもしろいけど、そんなに得意ではありません。ついつい周りに合わせながら生きている私の口癖についてと、温泉のワタクシ的効果の話。(どこをどう合わせてるねん!と突っ込みたくなるけど笑)
2024年8月1日に抗がん剤治療が始まった。そして、2025年8月1日で分子標的薬の点滴最終日を迎えた。丸一年くらいに渡ってお薬が体の中でがんと戦った。(今も戦ってるのかな)がんだけでなく、私の性格も治療されて、私をめぐる周りの景色は1年前とは変わった気がする。人生の中で最も印象的な日々でした。何回振り返っても尊いから、何度も話してしまうかもしれない。病気という嵐が去った後に、見えた景色を忘れないようにしよう。
家庭問題が落ち着いたところで、さいえのゆるらじおも凪いでおります。波風立たない連続ドラマはつまらないものなのでしょうか?今年はわたし、家庭運が良いらしいので、メンタルも安定しそうです。そんな話は一切してないのですが、そんなささやかな日常の中で思ったことを話しています。
日本のいろいろなものが、海外で評価されようとされまいと、おそらく評価に関わることなく、日本のいろんなものはやや変態的なマニアックさへと傾いていくものなのだろうと思う。前は、日本は鎖国していたから、独自発展したのだろうと思っていましたが、鎖国してなくてもどんどん進化していっている気がする。素晴らしすぎる。
自分のやりたいことをビジネスにしようとしてしまいがちやけど、ビジネスというのは利益を生み出す水脈みたいなのを構築していくことだとしたら、、、わたしは、、、えへへ。もうそろそろいろんな意地っ張りをやめて、素直にいろんなことを出していこうと思っています。昔わたしは繊細で、同じように周りの人もみんな言わなくてもわかるもんだと勘違いしていました。だから、言葉にして言うのは野暮、ダサい、恥ずかしい、な〜んて思っていたように思います。これからは、いろいろ言っていこうと思う!って、さんざんここで一人で喋ってまだ言うてないんかい!ってなるけど、それはちゃんと今までもぼちぼち言うてます。
わたしが文明の利器のおかげでできるようになったことはたくさんあります。道に迷わなくなったこと、車で遠出もできるようになったこと、写真撮りまくってリア充を充填していること、晩ごはんのレシピ見て作ってること、このようなゆるらじおをむやみに世界に発信していること。ジッタリンジンのプレゼントくらいいっぱい色んな恩恵を受けまくりまくりまりくりくま。だから、わたしもがんばる。苦手なことをして、体鍛えて、お金ないなりにやりくりする。しんどそう、めんどそうに見えたとしても、本当はとっても楽しんでるよ。
思い出はケータイに残せば、形を変えずに済むかもしれないけど、頭の中に残したら、別の形となってアウトプットされるのは、食べ物も同じ。冷蔵庫に食材入れているだけでは、料理が出来上がらない。ずっと仕舞い込んでいたものは大切にしていたからかもしれないけど、『大切にする』ということのバリエーションをもう少し探してみよう。自分が作ったものも埃積もらせていたね…
メモ/産業革命1760-1840年、ジェーン・オースティン1775-1817年 ジェーンは産業革命とともに生きていたのか…、胸熱すぎる。私たちがスマホやAIとともに生きるのと同じ感じなのかもしれない。。しかしジェーンは、作品を残して、早々にこの世を去った。彼女の作品から、作家魂を感じる。どんな文明やシステムの進化の中にあっても、私が心揺さぶられるのはそういう人間の心なんだと思う。わたしもAI以後の世界はおそらくわからないまま、この世を去るのではないだろうか。ジェーンは人間の心が複雑になりゆく様を教えてくれた気がする。
見た目と空間の両方がさりげな〜く、昨年と違う今年。100%ではなくて45%くらい入れ替わっているような感じです。しかし、45%も変わったら、かなりのもんだよな〜なんて思う。アトリエも環境的に不十分だったので、いろいろと整えたら自宅もなかなか良い感じです。不動産運は悪いんだなって、わかった気がする。不動産に関わることするときは誰かに頼むのが良さそう。
Zineイベントに出展してきました。何かやるといろいろ気づきも多くて面白い。お金のこと売上のことは考えたくないね。夢見がちで生きていきたい(現実で迷惑かけない程度に…)。zineはこの収録する前までは、(みんな読んでほしいな…)って実は思っていたけど、今はささやかなつながりを持てているだけで、私たちじゅうぶんいい感じだ!と、思えてきた。これからも無名を貫いてがんばる。そして、感じたリスペクトもまた、何か形にしていきたい。