
夢のかけら
夢に色があるならば、あなたの夢は何色?私の夢は、萌黄色。はたまた、萌黄色とは何事ぞ。六十六歳となる者の語るべき色としては何とも不似合いではないのか。その色は、春の萌え出ずる若葉の色であり、若者の色であるべきだ。そうかも知れません。が、私にも若かった頃があったのです。その時の夢の色が萌黄色だったのです。
では、その若かりし時の夢とはどんな夢?ピアノの弾き語り。ほっ、冗談は休み休み言いたまえ。音楽的才能もない、楽譜も読めない者にできるはずがない。ピアノはもっと幼い頃からお金持ちの子どもが習うものじゃ。でも、習いたい気持ちが沸々とわいてくるのです。この気持ちが大事なのではないでしょうか。この気持ちが言わば私の才能なんです。
で、その才能は花開いたのかい?花開くどころか、種さえも植えることが出来ませんでした。そうだろう。思うだけの人なら巨万といるわ。あなたの才能は、そこで潰えてしまったのだ。もしかしたら、最初からなかったのかもしれないなぁ。そう思いたくはありません。若い時は種さえ植える機会がありませんでしたが、今からそのチャンスが与えられるかもしれないのです。
なぜ、種が植えられなかったのかなぁ?幼い頃は、うちが貧しくて、「惣領十五が貧乏の峠」といいますが、七人兄弟の末っ子として生まれたのがその頃でした。ピアノの習い事どころではありませんでした。そうらみろ、あなたにたとえその才能があったとしても、それを花開かせる経済力がなかったということだ。あきらめろ。でも、今は昔と違います。才能がなくても習うチャンスはあるのです。
懲りない奴だな、で、どうするんだ?才能探しの旅に出ます。またぞろ、おかしな事を言うものだ。あんたの歳では、百メートルも行かないうちに疲れて帰ってしまうんじゃないのか。やめとけ、やめとけ。時間の無駄、労力の無駄、お金の無駄だ。だからといって、何もしない自分がいたとしたら、それは許せないのです。たとえ才能がないことを見出しただけの旅だったとして旅立ちたい。
そうか、そこまで言うからには、何がしかの計画があるのだろうな?ノープラン。馬鹿か、お前は。才能があるかどうかも分からない。何の計画性もない。ないないずくしのお前に何ができるというのだ。頭を冷やせ。でも、やりたい気持ちはある。確かに才能はないだろうし、具体的な計画もない。未来も見えない。あるのは、ピアノを習いたい思いだけだ。勝手にしろ。
いつもの時間に目が覚めた。
今日は、初めてのピアノのレッスン日だ。