
コリント人への手紙第一13章13節
「こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。」
キリスト教式の結婚式でほぼ必ずと言っていいほど読まれる第一コリント13章ですが、13節にはその結論が述べられています。いつまでも残るもの、というものは、仮にこの世界が終わってしまうようなことがあっても、最後まで残り続けるものという意味です。私たちが現在手にしているものは、お金やお家など目に見えるものはもちろんのこと、そうでないものも含めて、もしこの世界が終わることになれば、なくなってしまうものばかりです。どれだけ苦労して築き上げたものであっても、この世の終わりにはそれらははかなく消えてしまうのです。しかし、聖書はたとえそのような時代が来ても、信仰と希望と愛の3つは最後まで残り続けると語るのです。
1番目に、信仰が残ると書かれています。信仰とは神への全き信頼です。世の終わりが来ると多くの人は「神も仏もあるものか」と逆に信仰を捨ててしまうのではと思うかもしれません。自分の命がもう持たないとわかると、神なんか信じていても意味がない、と言うのです。ところが、不思議に人は絶体絶命のピンチになると、むしろ神にすがるのです。もちろん、聖書が語る信仰は、このような「苦しい時の神頼み」的な信仰ではなく、日常の中で確立した確固たる信仰です。真の信仰とは、平穏な時でもピンチの時でも不変です。聖書には困難の中で最後まで信仰を貫き通した人の例がたくさん登場します。
2番目に、希望も最後まで残ると聖書は語っています。有名なギリシア神話のパンドラの箱の物語では、開けてはならないと言われていた箱をパンドラが開けてしまうと、その箱からありとあらゆる災いが飛び出してしまうのですが、最後に希望の女神が現われたとされています。最後に希望が残ったという物語は、今日の御言葉に共通しているようにも思えますが、パウロが語っている希望は、キリストにある希望です。単なる願望や夢物語のような淡い希望ではなく、私たちを知り尽くしている神が与えてくださる希望です。ローマ人への手紙5章5節に「この希望は失望におわることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」とある通りです。
最後に、愛が残るとあります。パウロがこの13章で強調しているように、この愛は私たちが得ることができる恵みの中で最大のものです。神はこの愛の塊です。私たちの愛は、神の愛の性質から来ているのです。なぜなら私たちは神の似姿に作られたからです。残念ながら、この愛が罪によって歪められ、人間の欲望と混同されている現実があります。この世は奪い取る愛、傷つける愛、偽りの愛で満ちています。しかし、神の愛は無条件の愛であり、与え尽くす愛です。イエス・キリストの十字架で表された愛がそれを象徴しています。これがアガペーの愛です。
パウロは最後に、「その中で一番すぐれているのは愛です」と結びました。信仰も希望もそれぞれ最後まで残る大切なものですが、しかし愛はそれに勝るものです。神はあなたを愛してやまないお方です。このお方の愛を存分に受け取り、この愛をお返しすることができるように祈り求めましょう。