
コリント人への手紙第一15章52ー53節
「終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。この朽ちるべきものが、朽ちないものを必ず着ることになり、この死ぬべきものが、死なないものを必ず着ることになるからです。」
この季節、私の住んでいる地域では朝6時ごろからセミの大合唱が聞こえます。この時期に鳴くセミは主にクマゼミです。このぬちぐすいメッセージのバックでも、録音する時間帯によってはしっかり入り込んでいますね。私は幼い頃からセミの幼虫が羽化するのを見るのが大好きでした。今でも、夕方セミの幼虫が庭をもそもそ歩いているのを見つけると、必ず捕まえて羽化の観察をします。カーテンに止まらせてあげると、幼虫はしばらくゆっくりと上の方に上っていきますが、安定した場所が確保できるとそこでじっとします。そうしてしばらくすると、背中が割れて、そこから成虫が顔を出します。少しずつ反り返りながら全身が出て来て、やがて完全に抜け出し、殻につかまって縮れた羽を伸ばします。最初は白っぽい色をしていますが体の色が徐々に黒っぽくなり、数時間後にはおなじみのセミの成虫に変わるのです。小さな虫の命ですが、何と神秘的な変化でしょうか。幼虫は太陽の当たらない真っ暗な地中に何年間も暮らすのですが、夏のある日地上に出て、その日のうちに全く別のからだに変化し、自由に羽ばたくことができるのです。朝から大声で鳴くセミの声は、まるで自由になったことを喜び、人生を謳歌している声に聞こえます。
パウロは、第一コリント15章で、私たちの復活がどのようにして起こるかということについて、驚くべきことを明らかにしました。私たちは、一瞬のうちに変えられるというのです。これは、イエス・キリストの再臨の時にラッパの音と共に起こる最高に神秘的な出来事です。その時に生きている人は変えられ、すでに召された人はよみがえります。いずれの場合も私たちは栄光の体をいただき全く変えられるのです。それはまさにセミの幼虫が成虫に変化するような驚くべき変化です。こうして変えられた体は、もはや死なない体です。今日の御言葉には「ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。この朽ちるべきものが、朽ちないものを必ず着ることになり、この死ぬべきものが、死なないものを必ず着ることになるからです。」と書かれています。私たちの死なない体は、もはや年を取ったり、病気になることはありません。実はその時、私たちの住む地球も新天新地として全く変えられていますが、その新天新地において主とともに永遠を生きるのです。世の終わりについて書かれた聖書の個所は、象徴的な描写も含んでいるので、はっきりこうだと断定できるわけではありません。しかし確実なことは、私たちは死んだあと霊魂だけが残ってふわふわとどこかに漂うのでも、何か別の生き物に輪廻転生するのでもないということです。私たちは、新しい肉体を伴って一瞬で変えられるのです。セミやチョウやトンボが羽化を通してまるで異なった形に変化するように、私たちは驚くべき体に変えられます。これは死に対する完全勝利です。イエスを信じるなら誰でも変えられます。世の終わりには多くの困難がありますが、キリストにあって変えられるこの日を待ち望みましょう。