
コリント人への手紙第一15章23節
「しかし、それぞれに順序があります。まず初穂であるキリスト、次にその来臨のときにキリストに属している人たちです。それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、王国を父である神に渡されます。」
聖書には至るところに、イエスが再び地上に戻って来られるという、いわゆる再臨と呼ばれる出来事について書かれています。イエスご自身が言及され、パウロやペテロやヨハネが繰り返し語っていますので、私たちは再臨を過小評価すべきではありません。何度も語られているということは、それがいかに重要であるかということに他なりません。またこれだけ言及されていますので、象徴としてではなく、字義どおりにキリストが肉体をもって来られると理解すべきです。
一方どのようにして再臨があるのかということについては、クリスチャンの間でも見解が分かれています。再臨は未来のことですので、分からない部分があって当然です。聖書にははっきり書いていることとそうでないことがある事を踏まえ、この解釈だけが唯一絶対であるかのように語る断定口調の解釈には注意をしたほうがいいでしょう。多くのカルトや異端と呼ばれるグループは、自分たちの解釈こそが正しく、他は間違っているとする傾向が見られます。いろいろな解釈に触れつつ、私はこの解釈を支持する、という程度に留めておく方がいいでしょう。
さて、今日の御言葉はイエスの復活から王国の支配までが時系列で述べられています。順序はとてもはっきりとしています。まずキリストの復活があります。これはもうすでに2000年前に起こりましたので過去のことです。次に「来臨の時にキリストに属する人たち」とあります。これは当然未来のことですが、二つのことが同時に起こります。すなわち、イエスの再臨とキリストに属する人たちの復活です。それが終わりの時だというのです。その終わりの時に、地上の支配や権威や権力をキリストが滅ぼし、王国を打ち立て、父なる神にその王国を渡されます。
ここから分かることは、世の終わりにイエスの再臨があり、イエスと同じように私たちが復活をするということです。この復活は肉体を伴った復活です。でも、人は死ぬと土に還ります。火葬されると骨と灰になります。一体どのようにして肉体の復活があるのでしょうか。このプロセスを科学的に説明することはできません。ただ聖書から読み取れることは、私たちが復活の時に頂く肉体は、もはや朽ち果てていくようなこれまでの肉体ではなく、滅びることのない永遠に続く栄光のからだであるということです。なぜなら、26節に「最後の敵として滅ぼされるのは、死です」と書かれているからです。恐らく愛の神は、幼くして亡くなった人、長寿を全うして亡くなった人、障害を持って生まれ亡くなった人たちにも、染みも汚れもない最も美しい体を与えてくださるのではないでしょうか。そこにはサタンの住む余地はなく、神が永遠に王として治める御国があるのみです。何という美しい光景でしょうか。地上で送った人生がどれほど過酷で不幸なものであったとしても、キリストにあって私たちは死に勝利し、栄冠を与えられるのです。再臨のキリストを心から待ち望みましょう。