
コリント人への手紙第一15章3-5節
「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。」
パウロの書簡は新約聖書の大半を占めていますが、そのすべてに彼の信仰と情熱がにじみ出ていて、それでいて一つ一つ読み手の状況や背景を考えながら祈り心をもって書かれているところに深い感動を覚えます。何度かお話ししていますように、第一コリント・第二コリントの宛先であるコリントの教会は、様々な問題を抱えた教会でした。パウロはその問題に真正面から切れ込み、時折厳しい口調で叱咤激励しつつも、愛に満ちた言葉で励まします。そして15章では、イエスの復活と私たちの復活に焦点を当てます。死者が復活するというのは、パウロがいた当時でさえ、簡単には受け入れがたいことで、実はコリントの教会はこの点でも問題を抱えていました。キリストの復活を否定する人たちが紛れ込んでいたのです。そこでパウロは、イエスがよみがえったことはまぎれもない事実であるばかりか、私たちの信仰の中心テーマなのだと、力説しています。
この復活というテーマを語るのにあたり、今日の御言葉にあるように、パウロは福音の中心ともいうべき内容の確認をします。まずイエスが私たちの罪のために死なれたということ、次に墓に葬られたということ、そして三日目によみがえられたということです。この告白の中で、イエスの死の目的とその事実、そして復活が旧約聖書の預言の通りであったと語られています。旧約聖書も新約聖書もイエスと言うお方を指し示しています。福音は常にイエスが中心です。イエスの死と復活こそ、私たちの信仰の土台であり、私たちが分かち合うべき宣教の中心です。初代教会のリーダーたちはこの福音を宣べ伝えるために命を懸けました。
さて、パウロは福音の最も中心が何であるか述べた後、イエスの復活の証人のリストを挙げました。パウロがこの第一コリントを書いたとされる紀元55年頃は、イエスが昇天されて20数年後のことです。これが何を意味しているかと言うと、イエスが復活したことを直接目撃した人たちの多くがまだ生きていたということです。実際にそのリストを挙げているということは、もしイエスの復活について疑いを持つ者があれば、これだけの目撃者がいるのだから、彼らに直接聞いてみるがよい、とパウロは言っているのです。何か事件が起きた時、最も大切な証拠とされるのはその事件の目撃者の証言です。その証言が多ければ多いほど、その事実の信ぴょう性は高まります。イエスの復活も多くの人に目撃され記録されました。そしてこの事実を伝えるために、イエスの弟子たちは死を覚悟して宣教をしていきました。
イエス・キリストは紛れもなく復活されました。それはあなたや私が復活の希望を持つためです。どんなに私たちの人生が辛く苦しいものであっても、信仰を全うする者には復活の望みがあるのです。復活のイエスを心から慕い求めましょう。