
コリント人への手紙第一10章13節
「あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。」
ぬちぐすいメッセージは、公式アカウント時代からの発信を含めて、今日で300回を迎えました。このことを可能にしてくださった神と、聞いてくださっている皆様お一人お一人に心から感謝いたします。今後とも宜しくお願いします。
今日の御言葉は、ここ数年で一般の人たちにもよく知られるようになりました。聖書の言葉が知られるようになること自体は大変嬉しいことです。ただし、必ずしも本来の意味と同じように理解されているわけではないようです。
まず、2019年に水泳の花形選手であった池江瑠花子選手が白血病であることを公表し、大きな衝撃を与えました。その直後にツイッターで「私は、神様は乗り越えられない試練は与えない、自分に乗り越えられない壁はないと思っています。」と書き、それをメディアが大きく取り上げました。するとそれとほぼ同じ時期に、フィギュアスケートのスーパースター羽生弦結選手が、インタビューで「よく言われる『試練は乗り越えられる者にしか与えられない』という感覚は、自分の中にあります。」と答え、またメディアが取り上げました。すると今度は、お笑い芸人の岡村隆史さんが、ラジオ番組の中で「『神様は、人間が乗り越えられない試練は作らない』と言うてはりますから。」と言いました。これだけでも随分認知されているな、と思います。ただ、恐らく元ネタが聖書であることを知らずに使っているのではないかと思います。
そもそも前の二つは病気とけがというスポーツ選手には非常につらい試練なので、理解できるとしても、三つ目の方は、コロナ禍で性風俗店にいけないという事実をもって、「神が与えた試練」と言っていますので、とてもフォローできる内容ではありません。明らかな御言葉の誤用です。
第一コリント10章13節で使われている御言葉は、コリントの教会に分裂や不品行などの問題があったことに対して、パウロが戒めるために書いた文脈の中に出てきます。実は試練という単語は、誘惑とも訳することのできるもので、世の中には沢山の誘惑があるが、そこから逃げる道を神様が用意しておられる、という意味にも取れるのです。誘惑にしろ試練にしろ、それを経験しない人は一人もいません。私たちはみな、日々の生活の中で小さな誘惑から大きな試練まで、次々と降りかかってくることを体験しています。大切なことは、神が共にいてくださるということを知ること、脱出の道が用意されているということ、それを見つけたらためらわず脱出すべきだということです。自分の努力には限界があります。神が助けてくださるのですから、神に祈り神に思いっきり寄り頼みましょう。あなたがもし今、試練や誘惑の中にいるのなら、神が備えてくださっている脱出の道を見出せるように求めましょう。