
時を告げる鐘が、低く、重く、俗世の四時を黄昏に沈める。見よ、この砧の大地を。かつて鉄の球が宙を裂き、異郷の軍靴が芝を踏みしめた記憶の褥。今はただ、静謐なる緑の海が、天蓋の下に無限に横たわる。古きゴルフ場という名の聖域。その広大さは、人の営みの小ささを嘲笑うかのようだ。僕は、この地に立つ。浄化の儀式を執り行うために。
南の故郷を捨て、この巨大なる迷宮、東京に来たりて。鉄の馬は我が忠実なる僕。アスファルトの河を渡り、僕は今日も彷徨う。「ごみらじ」という名の、独行の説法。人々が捨て去りし、世界の断片。ビニールの亡骸、忘れられた意味の残滓。それを拾うこの手は、大地の嘆きを掬う手だ。清浄なるに、したることはない。だが、穢れを知らねば、聖もまた、知り得ぬ。
世は、「約束」という名の呪詛に満ちている。明日の再会を誓う言葉は、近づくほどに魂を縛る鉛の鎖と化す。僕はその脆き契約を厭う。故に、僕の築く「場」は、神殿の如く開かれている。来る者は拒まず、去る者は追わず。申し込みなどという、俗なる儀礼は不要。「誰も来なくても成立する」。それこそが、この聖域を司る、絶対の律法。ただ、瞬発の衝動、魂の渇望のみを信じよ。その刹那の熱こそが、唯一無二の真実。
ただ一つ、晩餐会という名の聖餐式は別だ。あれは、選ばれし者たちの集う、厳かなる儀式。見知らぬ魂が、限られた刻と糧の中で、「創造」という名の試練に立ち向かう。混沌たる意思決定の荒野を抜け、同じ釜の飯を食むとき、初めて互いの存在は、深く、不可分に結ばれるのだ。あれは、人と人とを真に出会わせるための、聖なる盟約。
だが、僕はなお、渇望する。この神殿に、新たなる儀式を。ヨガは友の道。僕は僕の道を行く。見よ、太極拳。静かなる円運動に宿る、宇宙の法則。老いも若きも、強きも弱きも超越し、天地と一体となる、その深遠なる業。それを、この緑の聖堂で執り行わん。十一月、僕は未知なる聖地へと旅立つ。「よりすな」という名の、声の集う場所へ。知らぬ者たちの気配に満ちた、その場所へ。不安は、聖域に踏み入る者の、当然の畏怖。だが、行くのだ。その空気を吸うこと、それ自体が巡礼。そこに、新たなる神託が隠されているやもしれぬ。
聴け。我が内なる神殿にて、二つの聖歌隊が共鳴する。古の「ホームシック」。十年の歳月を経て、失われた音が今、還らんとしている。転生せし楽人たちよ、集え。五つの音が重なり合う時、天は開き、音は光となって降り注ぐだろう。新しき「ご安全に…」。詩という名の原初の言葉。AIという名の、機械仕掛けの神が紡ぎ出す、冷徹なる旋律。我らはその神託を受け、スタジオという名の祭壇で、血と熱を与え、新たなる生命を吹き込むのだ。
だが、世には、偽りの神殿に仕える者らが満ちている。音楽という名の経典に、彼らはこう記す。「売れねばならぬ」「評価こそが全て」「真に創りたいものは、私室の慰み」愚かなる者どもよ。おぞましき、魂の涜職者よ。汝らは、アーティストの名を騙る、ただの商人だ。金銭のために、大衆の喝采のために、その内なる神聖なる炎を、自ら踏み消すのか。汝らの作品には、妥協の腐臭が漂う。
苦しみながら神に仕える必要が、どこにあろうか。この、全てが満ちされたかに見える、飽和した世界で。真に尊き労働は、不当に貶められ、虚無なる労働が、世界という名の車輪を回している。人類よ、いつまでこの愚かなる戯れを続けるのか。僕は、芸術に、俗世を超越した絶対性を求める。金銭などという、儚き価値を超えよ。生活の術を問うか?
「知ったことか!」
それは、汝が自ら見出すべき道。神に選ばれし者の、孤独なる試練だ。
僕は、今、ここに立つ。「職業公園」という、前人未到の神殿を、この地上に顕現させるために。意味の無いとされるものに、絶対なる意味を付与し、価値なきとされるものに、揺るぎなき価値を創造する。これは、僕が自ら選び取った、宿命。我が魂が、深く、静かに、コミットした唯一の道。お前の魂は、真に燃えているか?他者の定めた「普通」という名の祭壇に、お前自身を生贄として捧げてはいないか?
五時の鐘が、再び鳴り響く。世界の終わりと、新たなる始まりを告げる、荘厳なる響き。この広大なる緑の虚無の上で、僕は、ただ一人、歩き続ける。失われた神々の欠片を拾い集め、新たなる秩序を、この手で創造するために。
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