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田中功起、言葉にする
田中功起
45 episodes
9 months ago
日本語で話す(あるいは書く)ということはいやおうなくローカルなものになる。なぜならそれは日本語を分かる人たちのために話したり書いたりしているということを意味しているからだ。もちろんそれは翻訳されることもあるだろう。だけれどもほとんどの発話は、そしてほとんどの文章は、翻訳されることもなく日本語のままぼくたちの目の前を流れていく。 それをぼくはネガティヴなものとしてとらえてきていた。でも、しかし、ぼくは日本語で話すし、日本語で考えている。それがたとえローカルな言葉であったとしても、ぼくはそのローカリティのなかで生きている。ならばその言葉の前で、日本語が分かる人たち前で、そのローカリティの中でしかできない会話をすることも必要だろう。そして、ぼくは、自分が話してみたいひとたちと真摯な会話をしてみたいと思う。ときに起こる編集者による不当な修正の手前で、ぼくたちの言葉をそのままのかたちで届けたいと思う。 http://kktnk.com/podcast/ *感想や質問などはこちらまで。kotoba@kktnk.com
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日本語で話す(あるいは書く)ということはいやおうなくローカルなものになる。なぜならそれは日本語を分かる人たちのために話したり書いたりしているということを意味しているからだ。もちろんそれは翻訳されることもあるだろう。だけれどもほとんどの発話は、そしてほとんどの文章は、翻訳されることもなく日本語のままぼくたちの目の前を流れていく。 それをぼくはネガティヴなものとしてとらえてきていた。でも、しかし、ぼくは日本語で話すし、日本語で考えている。それがたとえローカルな言葉であったとしても、ぼくはそのローカリティのなかで生きている。ならばその言葉の前で、日本語が分かる人たち前で、そのローカリティの中でしかできない会話をすることも必要だろう。そして、ぼくは、自分が話してみたいひとたちと真摯な会話をしてみたいと思う。ときに起こる編集者による不当な修正の手前で、ぼくたちの言葉をそのままのかたちで届けたいと思う。 http://kktnk.com/podcast/ *感想や質問などはこちらまで。kotoba@kktnk.com
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with_teppei_kaneuji_4
田中功起、言葉にする
10 minutes 33 seconds
14 years ago
with_teppei_kaneuji_4
金氏徹平くんはいま、京都市立芸術大学の常勤講師をしています。この四回目ではそんな美術大学での教育について話してもらいました。 教育になにができるのか。金氏くんなりの教育方針とはどういうものでしょうか。それはひとつには環境を作ることであると。全員が作家になるわけではないので、それを前提とした上で、多様性を認め全員正解で全員不正解という状況を作ることが大切だと話しています。なかなか示唆的ですね。 オリジナルの収録日:2011年1月21日夜 4/6
田中功起、言葉にする
日本語で話す(あるいは書く)ということはいやおうなくローカルなものになる。なぜならそれは日本語を分かる人たちのために話したり書いたりしているということを意味しているからだ。もちろんそれは翻訳されることもあるだろう。だけれどもほとんどの発話は、そしてほとんどの文章は、翻訳されることもなく日本語のままぼくたちの目の前を流れていく。 それをぼくはネガティヴなものとしてとらえてきていた。でも、しかし、ぼくは日本語で話すし、日本語で考えている。それがたとえローカルな言葉であったとしても、ぼくはそのローカリティのなかで生きている。ならばその言葉の前で、日本語が分かる人たち前で、そのローカリティの中でしかできない会話をすることも必要だろう。そして、ぼくは、自分が話してみたいひとたちと真摯な会話をしてみたいと思う。ときに起こる編集者による不当な修正の手前で、ぼくたちの言葉をそのままのかたちで届けたいと思う。 http://kktnk.com/podcast/ *感想や質問などはこちらまで。kotoba@kktnk.com