Home
Categories
EXPLORE
True Crime
Comedy
Society & Culture
Business
Sports
History
Fiction
About Us
Contact Us
Copyright
© 2024 PodJoint
US
00:00 / 00:00
Sign in
Continue with Google
or
Sign me in
Don't have an account?
Sign up
Forgot password
田中功起、言葉にする
田中功起
45 episodes
9 months ago
Subscribe
日本語で話す(あるいは書く)ということはいやおうなくローカルなものになる。なぜならそれは日本語を分かる人たちのために話したり書いたりしているということを意味しているからだ。もちろんそれは翻訳されることもあるだろう。だけれどもほとんどの発話は、そしてほとんどの文章は、翻訳されることもなく日本語のままぼくたちの目の前を流れていく。 それをぼくはネガティヴなものとしてとらえてきていた。でも、しかし、ぼくは日本語で話すし、日本語で考えている。それがたとえローカルな言葉であったとしても、ぼくはそのローカリティのなかで生きている。ならばその言葉の前で、日本語が分かる人たち前で、そのローカリティの中でしかできない会話をすることも必要だろう。そして、ぼくは、自分が話してみたいひとたちと真摯な会話をしてみたいと思う。ときに起こる編集者による不当な修正の手前で、ぼくたちの言葉をそのままのかたちで届けたいと思う。 http://kktnk.com/podcast/ *感想や質問などはこちらまで。kotoba@kktnk.com
Show more...
Visual Arts
RSS
All content for 田中功起、言葉にする is the property of 田中功起 and is served directly from their servers with no modification, redirects, or rehosting. The podcast is not affiliated with or endorsed by Podjoint in any way.
日本語で話す(あるいは書く)ということはいやおうなくローカルなものになる。なぜならそれは日本語を分かる人たちのために話したり書いたりしているということを意味しているからだ。もちろんそれは翻訳されることもあるだろう。だけれどもほとんどの発話は、そしてほとんどの文章は、翻訳されることもなく日本語のままぼくたちの目の前を流れていく。 それをぼくはネガティヴなものとしてとらえてきていた。でも、しかし、ぼくは日本語で話すし、日本語で考えている。それがたとえローカルな言葉であったとしても、ぼくはそのローカリティのなかで生きている。ならばその言葉の前で、日本語が分かる人たち前で、そのローカリティの中でしかできない会話をすることも必要だろう。そして、ぼくは、自分が話してみたいひとたちと真摯な会話をしてみたいと思う。ときに起こる編集者による不当な修正の手前で、ぼくたちの言葉をそのままのかたちで届けたいと思う。 http://kktnk.com/podcast/ *感想や質問などはこちらまで。kotoba@kktnk.com
Show more...
Visual Arts
with_teppei_kaneuji_1
田中功起、言葉にする
20 minutes 39 seconds
14 years ago
with_teppei_kaneuji_1
今回はアーティストの金氏徹平さんをお迎えしてお送りします。 たまたまロッテルダムの展覧会(Making is Thinking@ Witte de With)に一緒に参加する機会があって、時間をみつけてもらってホテルで収録しました。 今回は映画の話、制作の話、教育、美術史、日本とかなり多岐にわたっています。いつものように飲みながらなのでかなりだらけてますが。 一回目は映画の話。 ぼくがたまたまロッテルダムで「ノルウェイの森」を見たので、それを巡りつつ話をしてます。ちなみに金氏くんの子どものときの夢が映画監督だったようです。 映画製作って部外者が参入して失敗する例がたくさんあります。ではどうすればいいのでしょうか。なにかぼくらなりにできる方法論はないのか。ぼくらのいつもの制作方法をどのように映画に移植できるのか、そんな話です。 オリジナルの収録日:2011年1月21日夜 1/6
Back to Episodes
田中功起、言葉にする
日本語で話す(あるいは書く)ということはいやおうなくローカルなものになる。なぜならそれは日本語を分かる人たちのために話したり書いたりしているということを意味しているからだ。もちろんそれは翻訳されることもあるだろう。だけれどもほとんどの発話は、そしてほとんどの文章は、翻訳されることもなく日本語のままぼくたちの目の前を流れていく。 それをぼくはネガティヴなものとしてとらえてきていた。でも、しかし、ぼくは日本語で話すし、日本語で考えている。それがたとえローカルな言葉であったとしても、ぼくはそのローカリティのなかで生きている。ならばその言葉の前で、日本語が分かる人たち前で、そのローカリティの中でしかできない会話をすることも必要だろう。そして、ぼくは、自分が話してみたいひとたちと真摯な会話をしてみたいと思う。ときに起こる編集者による不当な修正の手前で、ぼくたちの言葉をそのままのかたちで届けたいと思う。 http://kktnk.com/podcast/ *感想や質問などはこちらまで。kotoba@kktnk.com